第94話「裏切りのディゴ」
【第94話】
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【裏切りのディゴ】
ディゴ・フォルトン少尉はパッジェ要塞の広い練兵場を歩きながら、周囲を油断なくうかがっていた。
(本当に女ばかりだな)
「本当に女ばかりだな」
思わず声に出てしまった。
隣を歩くシャル・レーン少尉が輝くような金髪を揺らして振り返る。
「本当ですね、フォルトン少尉。平民とはいえ、こうも華やかだと軍隊とは思えない」
(お前さんも同じぐらいに場違いで華やかだがな……)
だが相手は底辺とはいえ貴族なので、ディゴは言葉を慎んだ。
「全くだな。第五師団で人選が難航した訳だ」
「雄々しい益荒男たちを率いてこその軍人ですから、打診を嫌がる将校が多かったと聞いています」
(雄々しい益荒男なんて言葉、その綺麗な唇から出てくるとは思わんかったぜ)
ディゴは内心で苦笑したが、ついでなので聞いてみる。
「レーン少尉は嫌がらなかったのかい?」
シャルは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「お前も女みたいだからちょうどいいだろうと、連隊副官に言われました。あ、連隊副官は我がレーン家の本家筋でして……」
「なるほど、貴族様の論理で断れなかったって訳か」
ディゴは軽く肩をすくめてみせた。
「俺は自分から志願したんだ。あのまま第五師団にいても出世は見込めないからな。少尉のままじゃ、退役後の恩給暮らしなんて夢のまた夢さ」
「そうですね、大尉の恩給でも割とギリギリだと聞きますし。小官も実家が貧乏なので、できれば退官までに少佐までは行きたいところです」
「あー、確かに貴族様は大尉じゃ格好がつかんよな」
そのせいで退官直前に階級を上げて、書類上の見た目だけ整える慣習も横行していると聞く。平民にも導入してほしいもんだとディゴは内心で溜息をついた。
気を取り直したディゴは、要塞内で出陣の準備をしている女性兵士たちを見る。
(くっちゃべってダラダラやっているように見えるが、何をするにも手際がいいな。見ている間にどんどん作業が片付いていく。ガキの頃、洗濯場でお袋たちが同じようにしてたのを思い出すな)
同じことに気づいたのか、シャルがつぶやく。
「作業が早いですね。笑いながらのんびりやっているのに、誰もサボってない」
「そうだな。俺の元部下たちにも見習わせたいぜ。原隊じゃ搾りカスみたいな連中しか回ってこなかったからな」
軽口を叩きつつ、ディゴは考えていた。
(さて、こりゃリトレイユ公の思惑通りって訳にゃいかなさそうだぞ)
ディゴ・フォルトンはリトレイユ公のスパイだった。
現当主は大逆人ミンシアナの実父で、当主に返り咲いた後にはミンシアナを非難する言動を繰り返している。彼が制作を命じた戯曲「愚かなミンシアナ」は、その象徴だ。
だがミンシアナを非難することで我が身の安泰を保とうとしたリトレイユ公は、逆に軽侮の眼差しを向けられることになる。
『実の子をあれだけ悪く言えるのはさすがだな。子が子なら親も親だ』
『後継者の育成は当主の義務だろうに、己が責を棚に上げて恥ずかしくはないのか』
そんな声が相次ぎ、リトレイユ公の影響力や人望はみるみるうちに失われる。メディレン家に走る領主たちも出てきた。地理的に近いため、どこの領主も数代遡ればメディレン門閥と姻戚関係のひとつぐらいはあるからだ。
焦ったリトレイユ公は、ある密命をディゴの上官に言い渡した。
『クロムベルツ少佐の醜聞を探り、失脚させよ』
(いくら焦ってるとはいえ、クロムベルツ少佐の弱みなんか握ったところでリトレイユ公の立場が変わるとも思えん。それに今、そんなことやってる場合じゃねえだろ……?)
ディゴは昇進の好機とばかりに当主派の上官から密命を受領したものの、正直すでにやる気をなくしていた。
『リトレイユ公はクロムベルツ少佐の醜聞をお望みだ。彼の弱みを握ればリトレイユ家の復権も夢ではないと仰せでな。女に囲まれていれば醜聞のひとつぐらいあるだろうと』
『ちょいと確認したいんですが、本気で言ってるんですよね?』
『主君に命ぜられれば、身をもって忠誠を示すのが貴族というものでな』
『じゃあ御自分で身をもって示せば……』
『このまま第五師団にいても、お前は退役まで少尉のままだぞ。行くのか行かないのか早く決めろ』
『行きます』
こうしてディゴはリトレイユ公のスパイになった訳だが、着任初日に密命を投げ出したくなっていた。
(思っていたより訓練されてるな。さすがに白兵戦は苦手そうだが、部隊全体に規律がある。「いい兵隊」の匂いがするな)
小隊長として誰よりも長く最前線で兵を率いてきた経験から、ディゴは第六特務旅団の兵士たちを的確に評価していた。
(キオニス戦役をほぼ無傷で生き延びた上に、ミンシアナの乱を鎮圧した連中だから当然か。新兵らしいのも大勢いるが、新兵特有のもたつきがない。古参兵の影響を受けてるせいか)
ディゴは頭を掻いて気持ちを切り替えた。
(ま、兵どもが精強なのは予想してたことだ。戦歴が強さを証明してる。女も男も関係ねえ。となるとだ)
チラリと振り返ると、クロムベルツ少佐が海軍少佐と激しく議論していた。
(上層部との軋轢あたりはどうかな? 三年足らずで三階級も昇進した前代未聞の平民将校だ。貴族将校、しかも海軍となれば相当に不和があるはず)
耳を澄ますと、案の定かなり険悪なやり取りだ。
「だーかーらー! ロズ・シュタイアーだっけ? あの砲兵中尉くれよ!」
「絶対やらん」
「名誉の戦傷で脚が悪いんだろ? 船なら歩かなくていいぜ?」
海軍少佐の言葉に、クロムベルツ少佐はきっぱりと言い返す。
「揺れる船内では、立っているだけで脚に負荷がかかる。階段やタラップの上り下りも負担だろう。おまけに大半の船には船医が一人しかいない。傷病兵が大勢出ればロズの診察はできなくなる」
すると海軍少佐は黙り込む。ディゴはそれを見逃さなかった。
(陸軍の平民少佐にああまで言われちゃ、海軍の貴族将校サマとしちゃ不愉快だろう。こりゃ案外……)
だが海軍少佐は幼児のようにこっくりうなずいた。
「道理だな。ちょいと惜しいがシュタイアー中尉は諦めよう」
「わかってくれたか」
「おう、だからハイデン下士長をくれ! ありゃいい砲兵将校になるぜ。頭がいいだけじゃなく、度胸も人望もある! おまけに何もかもがでかくて美人だから最高だ! あと五王棋もメチャ強え!」
クロムベルツ少佐が頭を抱える。
「わかってないなお前は!? こっちは砲兵将校が足りてないんだよ! 海軍は砲兵将校なんかいくらでもいるだろ!」
「いや、陸戦ができるヤツが欲しいんだよ。陸戦隊の上陸支援をするときや敵の港を叩くときにゃ、陸軍の砲兵隊と戦わなきゃならないからな」
「だったら最初からそう言ってくれ」
クロムベルツ少佐の言葉に、パッと顔を輝かせる海軍少佐。
「じゃあいいんだな!?」
「ダメに決まってるだろ。ハイデン下士長は旅団長閣下の腹心だぞ。引き抜いたらメディレン公の叔母上が海軍司令部まで殴り込んでくる」
すると海軍少佐は壁に手をつき、わざとらしく溜息をついた。
「はあ……海軍士官学校への口利き、俺も協力してやったのによ」
「そうだったのか。ありがとう、ヴィルゲント少佐」
クロムベルツ少佐の言葉に驚くディゴ。
(ヴィルゲント!? アガン海軍の主力艦隊を一隻残らず全滅させた『海の悪魔』のヴィルゲントか!?)
残念ながらヴィルゲント提督の自称『鮫嵐』は全く普及していない。
リトレイユ地方の人々は、メディレン出身の彼に微かな畏怖をこめて『海の悪魔』と呼んでいる。
(おいおい、海軍の大英雄様が後ろ盾かよ……てっきり不仲なんだろうと勝手に決めつけてたが、こりゃ予想外だ)
困惑するディゴには気づきもしないで、ヴィルゲント少佐は笑顔を見せた。
「いやあ、さすがに伯父貴に頭を下げられたら断れねえからな」
「それはここで公言していいヤツなのか?」
「海の男が細かいこと気にすんな!」
「俺は陸の男だ」
(何だかずいぶん親しそうだな。思ってた以上に貴族将校との人脈が太いぞ)
実際には二人はお互い「なんだこいつ」ぐらいにしか思っていないのだが、ディゴの誤解を解く者はいない。
ディゴの勘違いは続く。
(参ったな、クロムベルツ少佐は見るからに仕事一筋って感じだし、ここに来てからはまだ参謀を悪く言うヤツを一人も見てねえ。こりゃ無理筋だろ。リトレイユ公のアホ臭い陰謀ごっこにそこまでして付き合う義理もねえしな)
そのときふと、ディゴはクロムベルツの言葉を思い出した。
『俺は貴官が何をしてきたかなど興味はない。興味があるのは、これから何をしてくれるかだ』
ふと立ち止まるディゴ。
(それってつまり、俺の過去は不問ってことだよな。これからの働きを評価すると)
あのとき、クロムベルツは第五師団からの申し送り書類を破り捨てた。その思い切りの良さに驚いたが、ディゴは書類に切れ込みが入っていることを見逃さなかった。
(芝居が下手だぜ、死神さんよ。だが俺と会う前から、あの台詞と仕草を用意していたとは驚きだ。今後の働きに期待するって言葉は、その場の思いつきじゃねえ)
シュワイデル人が称揚する「男らしさ」とは、往々にして短慮や粗暴の裏返しだ。ディゴ自身はそういう見せかけの「男らしさ」を嫌っていた。戦場では命取りになるからだ。
(熟慮の末に俺の過去を不問にしてくれた訳か。そこらの勢いだけの安っぽい連中とは違う、本物の男だな。だとしたら俺は……)
ぼんやりと考えるディゴの背中を、トントンとレーン少尉が叩いた。
「フォルトン少尉、ぼちぼち行きませんか? 受け持ちの中隊員たちに挨拶しておかないと」
「そうだな。しょうがねえ、少佐様のために働くか」
ディゴは頭を掻くと歩き出した。




