第92話「曲者ぞろいの少尉たち」
【第92話】
メディレン公の艦隊がアガン海軍の主力艦隊を完全に撃滅したことで、帝国東部の戦況は一変した。
俺の執務室でロズ中尉がコーヒーを飲みつつ、ハンナ下士長と世間話をしている。
「アガン王がリトレイユ公に講和を求めてきたそうだ」
「えっ、そうなんですか!? あの戦争大好きなアガンの王様が!?」
「驚きだろう? とはいえアガン海軍が壊滅して航路は帝国の支配下にあるからな。その状態で陸軍だけ侵攻しても補給が続かないのさ」
俺は書類仕事をしつつ、わざとらしく咳払いをしてみせる。もちろん全く通じていない。
ロズは砲術教本をパラパラめくりながら会話を続ける。
「アガン陸軍の基本戦略は、海軍と連携しながら海岸沿いを南下することだ。海上輸送が兵站の根幹に組み込まれている。だろ、ユイナー?」
こっちに話を振るな。俺はしかめっ面でうなずいてみせる。
「そこのおしゃべり男の言う通りだ。アガン陸軍は高い打撃力と浸透力を誇る難敵だが、それは物資や補充兵の輸送を海軍に丸投げしているから成立したことだ。海軍が壊滅した今、陸軍は拠点から半日の範囲でしか動けない」
戦場の女神とされる大砲も海軍に運ばせていたので、アガン陸軍には騎馬砲兵がほとんどいない。砲兵が歩兵の進軍速度についていけないのだ。
そのことを説明しつつ、俺は続ける。
「攻め込む力を失ったアガンにとっては、攻め込まれないことが何よりも重要になった。そりゃ講和も申し込むだろう。もちろんメディレン公は足下を見て、あれこれと交換条件を引き出したが」
「メディレン公ですか? 講和を申し込まれたのはリトレイユ公ですけど……」
ハンナがそう言いかけたが、ふと何かに気づいた様子だ。
「そういえばリトレイユ公、もう隠居同然なんでしたっけ?」
「ああ。嫡男のセリン殿に家督を譲る準備をしているぞ。いや、させられている」
まだ五才のセリンは、第六特務旅団のリコシェ秘書官を実姉だと思って慕っている。前リトレイユ公ミンシアナの影武者だったリコシェは、今や本物以上の影響力を持っていた。
そしてセリン以外に家督継承権を持っている者はいないので、リトレイユ家はメディレン家の傘下に入ったと言っていいだろう。
そんなことをハンナに説明していると、俺はロズの視線に気づいた。何か言いたそうな顔をしている。
「どうした?」
「いや……。お前、自分の手柄のことは本当に何にも話さないんだな」
手柄?
「クロムベルツ砲のことだぞ? 俺が砲兵将校なのを忘れてないだろうな?」
「気になるか?」
「気になるも何も、メディレン公がうちの旅団にも何門か回してくれたからな。これからしばらくは慣熟訓練だ」
アガン艦隊を全滅させたライフル砲が使えるとなれば、歩兵の支援が楽になるな。これは助かるぞ。
「ああ、そうだったな。期待してるぞ」
「そうじゃなくてだな」
ロズ中尉は溜息をつく。
「あのとんでもない大砲はお前の発案なんだろう? 性能試験表を見たが、メチャクチャな射程と威力だ。あんなものを撃ち込まれる敵兵が哀れになる」
「ライフル式マスケット銃を大きくしただけだから、そんな大層なものじゃない」
「お前はそう言うがな、これは戦争の常識を塗り替える新兵器だ。ユイナー・クロムベルツの名前は砲術史に永遠に残るぞ」
俺は前世の世界から持ち込んだだけなので、自分では何一つ発明していない。歴史に残すのはやめてほしい。
ロズはそんな俺の表情から何かを読み取っていたようだったが、もう一度深々と溜息をついた。
「お前は昔っからそうだったよな……」
「よくわからんが多分そうだ」
他人から見れば俺は画期的な火砲を生み出した人物なんだろうが、俺から見れば前世で学んだことをそのまま伝えただけだ。賞賛されても後ろめたさが残る。
だから俺は知らん顔をして立ち上がった。
「さて、では砲兵隊はライフル砲の慣熟訓練を行ってくれ。歩兵隊の方は一足先に出陣だ」
俺は制帽を被ると、ハンナに向き直る。
「次に会うときはハイデン少尉と呼ばせてもらうぞ」
「はいっ! しっかり精励いたします!」
びしっと敬礼する大柄なハンナ下士長。
我がシュワイデルでは手続き上、海軍士官学校を卒業しても陸軍少尉にはなれない。
だが「手続きを遵守して当家が滅びたら帝室以上の間抜けだな」というメディレン公のお言葉が第四師団司令部に突き刺さり、戦時特例ということで少尉任官のお膳立てが整った。
いいのかなとは思うが、メディレン公の言ってることにも同感できる。今はライフル砲を扱える砲兵将校が一人でも多く必要だ。
俺は砲兵科の二人に軽く手を振る。
「ブルージュ軍の侵攻は俺たちが食い止めておくから、なるべく早く来てくれよ」
うなずくロズと敬礼するハンナに背を向けて、俺は外に出た。
廊下では緊張した面持ちのミドナ下士長とローゼル下士長。
それに新たに下士長になった古参兵たちがいる。
第六特務旅団の戦列歩兵は二個中隊になり、小隊長は合計六人になった。新任下士長たちは新設された小隊を率いることになる。
「行こうか」
「はい、参謀殿」
六人もの下士長を従えて廊下を歩いていると、俺もずいぶん偉くなったんだなあ……と感慨を抱く。少佐だから当たり前だけど。
将校不足の旅団で一人で参謀やってると、部下がぜんぜんいないので実感を抱きにくい。
もっと問題なのが自前の中隊長を用意できなかったことだ。
仕方ないから第五師団から余り物の少尉を二人派遣してもらった。人選で揉めに揉めたようで、今日になってやっと到着した有様だ。
本当は少尉ではなく、ある程度経験を積んでいる中尉の方が嬉しいんだが、ベテラン将校なんてそうそう余ってないので仕方ない。
そいつらが旅団長室で俺たちを待っていた。
まず一人目。
「ディゴ・フォルトン少尉であります」
ニヤリと笑って敬礼したのが、痩せた中年の男性将校だった。見るからにベテランそうだが、もちろんまともなベテラン将校が送られてくるはずはない。
「よろしく。ユイナー・クロムベルツ少佐だ」
「光栄ですな。死神には、小官のことは放っておいてくれとお伝えください」
やな挨拶だな、おい。
だがまあ、こいつの経歴を見れば納得はできる。
平民出身は大尉で打ち止めとはいえ、普通はこの年齢になればお情けで中尉にはしてもらえる。新米少尉と同格では兵に示しがつかないからだ。
実はこのフォルトン少尉、一度は中尉に昇進して中隊長になっているのだが、物資の横流しで降格処分を受けている。よく不名誉除隊にならなかったものだが、何か理由がありそうだな。
一方で軍功と呼べるものはゼロだから、そりゃ第五師団もいらないだろう。
そして二人目。
「シャ……シャル・レーン少尉、であります」
女の子か? 女の子だよな? どう見ても金髪サラサラの美少女だぞ?
いやでも、書類には確かに男性と書いてあった。しかも卒業したての新米将校ではなく、軍歴が二年もある。訳がわからない。
落ち着け、確かに声は低めだ。敬礼もビシッと決まっており、同じ職業軍人だなという安心感がある。
たぶん大丈夫だろう。……たぶん。
彼はこれでも貴族将校なのだが、レーン家はリトレイユ門閥の末流に位置する弱小領主らしい。領主本人が畑を耕しているような有様なので、窮乏は推して知るべしだろう。
レーン少尉は俺の表情を見て察したのか、小さな声で申し訳なさそうに言う。
「小官はよく御婦人と間違われるのでありますが、男ですのでお気遣いは無用です」
「ああ、承知している。男同士、遠慮はしないぞ」
士官学校の成績そのものはなかなか良いし、後方勤務の将校として軍務も堅実にこなしてきたようだ。決して悪い将校ではないだろう。
ただ平民の兵士たちが彼の命令を素直に聞くかと考えると、ちょっと厳しい。
兵士たちは小隊長に命を預けているので、見るからに頼りなさそうな隊長では信頼されない。前線指揮官として使えないから余ったんだろう。うちに回されてくるのも納得できる。
だが俺としては好都合だ。なんせ彼が指揮する兵士たちは彼と同じぐらい華やかだ。みんな女の子だからな。威圧感がない方が親しみやすいだろう。
だから俺は笑ってみせる。
「そっちの不良中年よりも期待している。貴官ならきっと良い働きをしてくれるだろう」
その瞬間、レーン少尉が頬をパアッと赤らめた。
「あっ、ありがとうございます! 任務に精励いたします!」
表情や仕草がいちいち色っぽいんだが、本当に男性なんだよな?
それを見ていたアルツァー准将が小さく咳払いをする。
「これで不足していた将校も補充できた。クロムベルツ少佐は大隊長を兼務し、臨時の中隊長二人の面倒を見てくれ。彼らの働きぶり次第では正式に中隊長とし、中尉に昇進させる」
「小官は指揮官ではなく参謀なのですが……」
そこらへんはきっちり分けようよ。
しかし准将は俺をジロリと見る。
「私に彼らの面倒が見られると思うか?」
「無理でしょうね」
見るからに曲者っぽい不良中年と、気弱そうな貴族のお坊ちゃんだ。誇り高く勇敢なアルツァー准将とは反りが合わないだろう。
わかったよ、俺がやればいいんでしょう。
「旅団長命令とあれば仕方ありません。やるだけやってみます」
「うむ」
満足そうにうなずく准将を見て、二人の少尉は不思議そうな顔をしていた。




