第90話「覇者の指輪」
【第90話】
俺は旅団長室に行ってアルツァー准将に事情を説明し、例の指輪を見せた。
「あの自称ヨーゼフ爺さん、他称大クロムベルツ爺さんがくれた指輪がこれです」
「指輪か!?」
今一瞬、アルツァー准将の表情が乙女っぽくなったぞ。やっぱり女の子だから宝飾品には興味があるんだな。
でもこれ、だいぶ汚いんだよな……。
「御期待に添えるようなものではありませんよ?」
「わかっている。お前にそんな期待はしていない」
なんで拗ねるの。軍務させてよ。困ったお姫様だ。
「ほら、早くよこせ」
手を出してきたのはいいんだけど、手の甲が上なのはどういうこと?
「閣下、見てほしいのは指輪の内側なので……」
「むう」
むう、じゃないよ。また拗ねてる。やりづらいな。
俺は准将の小さくて柔らかい手を取り、掌を上に向けてから指輪を置いた。
「これです」
「あ、ああ。うん。まあこれはこれでなかなか……」
准将は顔を赤くして訳のわからないことを口走ったが、すぐに冷静さを取り戻す。
「こ、これは!?」
やっぱりぜんぜん冷静じゃなかった。今度は驚いてるぞ。
「おいユイニャー!? いやユイナー! こで……これ、この指輪は、本当にあの老人から受け取ったんだにゃ!?」
噛みすぎだろ。
俺は准将が慌てているのがよくわからなかったが、どうやら重要な指輪らしい。
「間違いありません。ただ、指輪の由来については何も教えてくれませんでした。というか、聞きませんでした。申し訳ありません」
「それは仕方ない。これが何なのか知っているのは、皇帝に会ったことのある者だけ……。いや待てよ、お前は皇帝に会ったことがあるな? しかも複数回」
「あります」
じろりと俺を睨む准将。
「じゃあ、この指輪にも見覚えがあるだろう?」
「あるような、ないような……」
「……お前は本当に軍事にしか興味がないんだな」
そんなことはないです。宝飾品に興味がないだけです。
准将は指輪を何度も確かめながら、こう説明してくれた。
「これは皇帝の権威を象徴する宝具のひとつで、歴代の皇帝が必ず身に着けている『覇者の指輪』だ。内側に刻まれた祝福の言葉が神聖な力を持ち、あらゆる外敵から帝国を守護すると言われている」
「迷信ですよね?」
「無論だ。帝国の現状を見ればわかるだろう」
異世界だから本当に魔法とかあるのかなと思ったが、やっぱりないらしい。
アルツァー准将は指輪を綺麗に拭くと、内側に記された古代文字を読んだ。
「『我は至高なるフィルニアの加護と信託によりて、五指を握る王の中の王なり』と書かれているな」
よかった、俺の解読結果と同じだ。古文は役に立つ。
准将は形の良い眉をしかめ、指輪を何度も確かめている。
「まさか模造品じゃなかろうな? だが細工自体は極めて精巧なものだし、宝石も本物っぽい……」
ややこしい指輪を置いていきやがったな、あの爺さん。
准将は指輪を机上に置き、大きく溜息をついた。
「この指輪については多少気になる点があるが、それは当家の学者たちにそれとなく調べさせよう。今わかっているのは、お前の『おじいちゃん』が皇帝失踪の関係者だということだ」
「あの爺さんはブルージュ公に雇われていましたから、皇帝失踪はブルージュ公の差し金の可能性が高いですね」
「断定はできないが、おそらくそうだろうな。少なくとも、大クロムベルツはそう宣言したも同然だ」
この指輪を俺にくれたってことは、やっぱりそういうことなんだろうな。
「ブルージュ公を非難する決定的な証拠とは言えませんが、少なくともジヒトベルグ公やミルドール公を疑わずに済む訳です。……まあ、これが本物なら」
どうしても疑っちゃうんだよな。
だが逆に指輪が偽物だとすれば、非常に精巧なイミテーションを用意できたことになる。帝室に詳しい者でなければ作ることができない。
もちろん、あの爺さんは帝室に詳しくない。私的に偽造するのは不可能だろう。
アルツァー准将はフッと笑い、指輪を小物入れにしまった。
「一応、預かっておくか。ハーフェン殿に相談しておく」
「よろしくお願いします」
「ああ、任せておけ。ところで」
准将は急に窓の方を向きながら、なにかゴニョゴニョ言い始めた。
「私は金より銀の方が好きでな。宝石は蒼や翠が好みだ」
「はい?」
また睨まれたぞ。なんだあれ、遠回しな催促か。
俺は敬礼し、旅団司令部の会計に貯金の残高を聞きに行くことにした。
* * *
【海賊公ハーフェン】
シュワイデル帝国の北側に位置するアガン王国は、流血海の覇権を争う海軍国でもある。
そのアガン海軍の軍艦63隻が洋上を滑るように南下していた。いずれも大型の戦列艦であり、多数の砲門を備えている。
アガンの主力艦隊を率いるのは猛将と名高いルジャール提督。艦長時代に敵艦二隻を同時に沈めた実力から、「アガンの双頭鮫」の異名を持つ。
白髪混じりの老猛将は、歴戦幕僚たちに告げる。
「聞けばシュワイデルの皇帝は行方不明だという。忌々しいシュワイデル艦隊の息の根を止める好機だ。ここで陸軍より先に港を制圧せねば、我が海軍の名誉にかかわる。しかと心せよ」
「はっ」
ちょうどそのとき、水平線に艦影が見え始めた。帝国の海軍旗をなびかせた艦隊が急速に近づいてくる。
「ルジャール閣下! 敵艦隊に捕捉されました! 旗はメディレン家です! 艦数37、いずれも中型戦列艦の模様!」
「衰えたな、メディレンよ。もはや艦隊の維持もままならぬか」
ルジャール提督は不敵に笑った。
「艦隊戦力とは砲の戦力。その数の中型艦では、彼我の砲火力は倍ほども差があろう。海の藻屑になるがいい。接近せよ!」
「閣下、敵艦隊がこちらに左舷を向けました。砲門開きます」
「回頭ついでに苦し紛れの威嚇射撃か。哀れな」
次の瞬間、彼の座乗する艦隊旗艦ペルガリア号が凄まじい破壊音と共に揺さぶられた。
「なっ、何事だ!?」
「艦首に被弾しました、直撃です!」
「そんな馬鹿なことがあるか! 座礁ではないのか!?」
ルジャール提督は叫ぶ。
「最大射程より四~五マルゼーも離れているのだぞ! 艦側面を見せていないのに、この距離で命中などするか!」
だが破壊音が止まない。続けざまに艦が揺さぶられる。
「二発被弾しました! 一発は喫水線付近です! 浸水が止まりません!」
「船乗りが海水にうろたえるな、慌てずに応急修理をしろ! 旗艦がひるんでは艦隊戦はできんぞ!」
怒鳴るルジャールに、ペルガリア号の艦長が叫ぶ。
「閣下、いったん距離を取りましょう!」
「ならん、ここで回頭すれば艦側面を曝すことになる。艦隊を二手に分け、左右から接近しろ! 敵の砲火力を分散させつつ襲いかかれ!」
戦術教本にも載っていない異常な状況だったが、ルジャール提督は闘志を捨てなかった。「双頭鮫」の異名は伊達ではない。
しかし数分後、ルジャール提督は凄まじい弾雨の中に斃れる。
艦隊旗艦ペルガリア号はメディレン家の高速艦隊から集中砲火を浴び、射程内に敵艦を捉えることすらできずに沈没した。
アガン側の艦船は全て撃沈あるいは拿捕され、帰還できた艦はいなかった。
そのためアガン王は、主力艦隊全滅の第一報をメディレン側から通告されることになる。




