第84話「嵐の航海士」
【第84話】
その日、俺たちはメディレン宗家の本拠地であるポルトリーテ市を訪れていた。小高い丘のある帝国最大の港町だ。
准将も一緒だが、もちろん観光ではない。メディレン公ハーフェンに呼ばれている。
丘の上の城館に到着すると秘密の会議室に案内され、すぐにメディレン公ハーフェンが現れた。今日もオシャレをバッチリ決めて、スタイリッシュな出で立ちだ。
准将といい、ここの家系は顔立ちが整ってるよな。
たぶん代々当主が美人ばっかり選んで美形遺伝子を貯め込んできたんだろうな……などと失礼なことを考えていると、メディレン公がアルツァー准将に挨拶した。
「叔母上、それにクロムベルツ少佐。多忙なところを宗家まで足労願い、申し訳ない」
「いえ、ハーフェン殿。これもメディレン家の一員の務めです」
准将がそう言い、それから俺を見てフッと笑った。
「もっとも私はついででしょう。ハーフェン殿が必要としているのは、私の参謀では?」
「ははは、その通りです。とはいえこの者は叔母上の腹心ですからな。いや、唯一無二のパートナーでした」
とたんに准将の顔が真っ赤になった。
「おたっ……お戯れが過ぎます」
「ん? ですが以前に届いた手紙……」
「本題に入りましょう、ハーフェン殿! ユイナー、もういいから始めてくれ。違った、クロムベルツ少佐だ」
准将が冷静さを失っている。こんなときこそ、唯一無二のパートナーとして俺が冷静にならなくては。
なぜかハーフェンがしきりに首をひねって不可解そうにしているので、俺は口を開く。
「本日は小官に御用とのことですが、いったいどのような御用件でしょうか?」
「ああ、そうだったな。なに、貴官にとってはちょっとした雑談に過ぎぬであろう。気楽に構えていてくれ」
メディレン公は笑いながら俺を見た。
あの目、笑ってはいるが何か企んでいるな。
「転生者たるクロムベルツ少佐に聞きたいことがある」
ほらきた。
「貴官が転生者であることは、ほぼ疑う余地がない。行軍速度を至上とし、敵の予想を上回る速さで進軍と撤収を可能にする戦争計画。それに飛距離を数倍に延ばす最新型マスケット銃」
メディレン公は頬杖をついてニヤリと笑う。
「これら全てを貴官が一人で思いついたのなら、紛れもなく有史以来の大天才であろう。転生者だと言われる方がよほど納得がいく」
そりゃそうだ。前世でも才能ある人々が、何世代にもわたって発展させてきたものだ。一人の人間が思いつける代物じゃない。
メディレン公は真顔になり、俺をじっと見つめた。
「転生者よ、教えてほしい。これから先、この世界はどうなる? いや、もっと具体的に尋ねるべきか。まず銃と大砲はどうなるのだ?」
具体的な質問は助かるな。
「前装式のライフルマスケット銃は、やがて金属薬莢による後装式へと変化します。数秒で装填できます」
「ほう……」
「もっとも金属薬莢は非常に高度な技術を要します。今の技術力では実現は難しいでしょう」
雷管と金属薬莢が課題だ。無煙火薬も必要になる。
俺は化学も工学もまるでわからないので、この世界の専門家に改めて発明してもらうしかない。
「もし金属薬莢ができれば銃本体に複数の弾丸を装填させられるようになり、これぐらいの速さで撃ます」
俺は机上をトトトンと叩いてみせた。
メディレン公の顔色が変わる。
「そのような銃を全ての歩兵が持つのか!? では戦列歩兵など……」
「はい。もはや戦列歩兵など的に過ぎません。散兵の時代になります。我が旅団のライフル式マスケット銃ですら、現在の軍事教本を全て書き換えるだけの力があります」
今のマスケット銃はまともに撃ち合えるのが五十メートル程度だ。それ以上は当たらないし、威力の減衰も速い。だからこの距離で戦列を組む。
しかし二百メートル先の敵を殺せるようになると、二百メートルの間隔で撃ち合うようになる。
必殺の銃剣突撃も、この距離では歩兵の息が上がってしまう。重装備の歩兵は速く走れない。防御側は銃弾の再装填が余裕で間に合う。
銃剣突撃そのものは廃れないだろうが、主要な決着手段ではなくなる。
というような説明もしておく。
メディレン公は真剣な表情だ。
「城塞の銃眼なども改良せねばならぬな。では砲がどうなるか知りたい。ライフル式の砲は可能なのか?」
メディレン家の第四師団は海軍だから、艦載砲が一番気になるだろうな。
俺は答える。
「はい、ライフル砲が存在します。飛距離も命中率も飛躍的に高まるでしょう。艦砲も例外ではありません」
メディレン公の顔がパッと明るくなった。
「おお、そうか! では忌々しいアガン海軍の船を海底の記念碑にしてやれるな。……いや待て」
メディレン公は不審そうな目で俺を見る。
「貴官は言葉選びが極めて正確な男だ。その貴官が今、『高まるでしょう』と言ったな?」
「はい。小官はライフル砲には詳しくありません。滑腔砲が再び使われていると聞いています。新しい滑腔砲では砲弾が機械仕掛けの矢のようになっていて、射出後に矢羽を開いて正確に飛ぶのです」
実を言うと俺もよく知らないんだが、確か戦車砲がそうなっていると聞いたことがある。
メディレン公はとてもびっくりした様子で、ぽかんとした顔をしていた。想像できなかったのだろう。
「砲弾に……そのような仕掛けが?」
「はい。ただし小官は前世では軍人ではありませんでしたので、その機密を知ることはできませんでした」
こう言っておけばこれ以上詮索されないだろう。
メディレン公は非常に感銘を受けた様子で、しきりにうなずいている。
「なるほど……なるほどな。では船はどうなる? 貴官の世界では帆船は未だ現役か?」
「帆船は廃れました。次に来るのは鉄の装甲板を持つ蒸気船です」
「ジョウキセン?」
もしかしてこの会話、長くなる?
俺は蒸気機関の概念をメチャクチャおおまかに説明した。
「湯気の力で動く船です」
「ヤカンの蓋をカタカタさせる、あの力か?」
信じられないような顔をしているメディレン公に、俺は力強くうなずく。
「あの力です。わずかな薪では蓋を震わせる程度ですが、大量の石炭を燃やすことで猛烈な湯気を発生させ、歯車を回すことができます」
「う、うむ……。まあ信じよう」
信じてないだろ。なんだあの疑惑のまなざし。
じゃあもっと信じられない話をしてやろう。
「小官の時代では特殊な鉱物から熱を取り出し、やはり同じように歯車を回して、城ほどもある巨大な軍船で大海原を渡るようになります。その軍船には空飛ぶ機械が幾つも積まれており、その飛行機械は音よりも速く空を飛び、矢のような爆弾を放ちます。機械仕掛けの爆弾は地平線の彼方まで敵を追尾し……」
「待て、私の理解を超える。疑った私が悪かったから、知識の洪水で溺れさせようとするな。そんな先の未来は私の息子たちに教えてくれ」
「これは失礼いたしました」
わかればいいんだよ、わかれば。
俺は原子力空母の説明はやめることにして、メディレン公に言う。
「これから兵器は恐ろしい勢いで進歩します。兵器を開発するにも運用するにも、高度な専門家が必要になります。資源も大量に必要です。さしあたっては石炭と鉄鉱石が国家の血となるでしょう」
メディレン公が渋い顔をしている。
「ずいぶんと金のかかる戦争になりそうだな……」
「御慧眼です。石炭と鉄の時代では、軍事力は国家の生産力や経済力で決まります」
「夢物語のようで全く夢がない話だ。だからこそ信ずるに値する」
そう言って苦笑すると、メディレン公はうなずいた。
「だがそれだけ軍船が進歩するのならば、海を制することにそれだけの価値があるという訳だ。そうだな?」
「仰せの通りです」
このおっさん、なかなか察しがいいな。
メディレン公はフッと笑う。
「よし、決めた。この機に乗じて沿岸部の帝室直轄領を支配下に置く。港の領主たちに庇護を与えよう。それと石炭であったな。帝国の石炭は西の山脈より産出している。ジヒトベルグ公たちともいずれ和解せねばならんか」
この時代はまだ石炭があまり重視されていないが、帝国西部のシュワイデル山脈で大量に採れる。鉄鉱石もだ。
山脈を支配するジヒトベルグ家やミルドール家は、産業革命以降に莫大な富を手にすることになる。
メディレン公はそんな未来を見据えているらしい。やはり利に敏い人物だ。
彼は俺をじっと見つめる。
「今の説明、嘘偽りはなかろうな?」
「小官の前世の世界においては間違いありません。この世界も物理や化学の法則は同じのようですし、帝国建国時から現在までの流れも小官の前世の世界に似ています」
「似ているか?」
「と言っても三百年ほど昔の話ですが」
「貴官、さりげなく私を未開人だと馬鹿にしておらんか?」
「とんでもない」
メディレン公はアルツァー准将の甥だけあって、ツッコミの入れ方が似ているな。
前世の方が三百年ほど進んでいるのは事実だが、文明を発展させたのは俺ではない。この三百年間を生きた大勢の人々の功績だ。俺には誇れるものが何もない。
「有史以前からの祖先たちが数多の失敗と困難を乗り越えてきたからこそ、小官の前世があったのです。個々の時代の人々を軽侮するなどありえません。それはこの世界でも同じです」
俺の言葉にメディレン公は何か感じるものがあったようだ。ジト目で俺を見ていたのが、ハッと驚いたように目を見開く。
「なるほどな……。叔母上が見込んだのは、こういうところか」
どういうところ?
メディレン公は真剣な表情になる。
「貴官の実績と人柄は、それだけで重用するに値する。貴官の知識は船倉を満たす黄金よりも貴重だが、それだけに転生の秘密は守らねばならぬ」
メディレン公の庇護があるとはいえ、転生者だってバレたら異端審問だからな……。知識を伝えるにしても、うまいこと辻褄を合わせないと。
メディレン公は厳かに告げる。
「メディレンという名の船は、これより嵐の海を渡らねばならぬ。だが貴官の知恵があれば航海の無事は保証されよう。異界より来たる航海士よ。二度目の人生で嵐の海に挑む覚悟はあるか?」
そんなもん、とっくに覚悟は決まっている。
あの爺さんとコンビを組んだ日から。
「どこに生まれようが小官は小官です。嵐の海を越えねばならぬのなら、越えるまでです」
「良い気概だ。聞くまでもなかったな」
メディレン公は笑い、こう続けた。
「シュワイデル帝国は滅亡した。帝都ロッツメルが陥落し、皇帝陛下は虜囚となられたそうだ」
いくら何でも早くない?




