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マスケットガールズ! ~転生参謀と戦列乙女たち~  作者: 漂月


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第73話「未来への脱出」(地図あり)

【第73話】


 シュワイデル帝国を支える五王家のうち、序列第二位のジヒトベルグ家と第三位のミルドール家が隣国ブルージュ公国に寝返った。

 もちろん領地ごと。



 そして両家の境界線上に間借りするような形で駐屯していた第六特務旅団は、敵中に孤立した形になってしまった。

 この旅団はメディレン家ゆかりの部隊なので、第二師団や第三師団と一緒に投降してしまう訳にはいかない。そんなことをすればアルツァー准将の実家に迷惑がかかる。



「閣下、まずいことになりましたね」

 全員に撤収命令を出しつつ、俺とアルツァー准将は執務室で会話を交わす。暖炉で機密文書を燃やしながらだ。



 准将は険しい表情だ。

「ミルドール家が丸ごと寝返る可能性は想定していたが、そのときは貴官の提案通りにジヒトベルグ領を経由して脱出するつもりだった。まさかジヒトベルグ家まで寝返るとはな」

 面目ない。さすがにこれは読みきれなかった。



「今思い返せば兆候はありました。ジヒトベルグ家は勅命でキオニス遠征を行い、先代当主が戦死しています。麾下の第二師団も壊滅し、おまけにリトレイユ公の讒言で皇帝からは悪者扱いです。帝室に忠誠を誓う理由なんかないでしょう」



 あのときもジヒトベルグ公は冷静に対処していたが、腸が煮えくりかえるような思いだったに違いない。そうでなければ、ちょっと口を挟んだ程度の俺をシル……いや客分待遇になどしなかったはずだ。



 リトレイユ公は死んだが、彼女の負の功績は燦然と光り輝いていた。俺たちが知っているシュワイデル帝国は分断され、既に崩壊している。

 こういうときに未練や楽観は命取りだ。損切りは素早く。逃げ足は速く。



 そうしないと、前世の俺みたいにクソ案件の始末をさせられた上に社内外で孤立する。俺以外のヤツが逃げるからだ。

 だから俺は一瞬の躊躇もなく撤収を進言したし、その場で准将に承認された。そして今こうしているという訳だ。



「幸い、ブルージュ公国側からは宣戦布告などの敵対的な反応はありません。もちろんこのまま居座れば退去を命じられるでしょうし、場合によっては攻撃を受けるでしょうが」

「情勢が一気に悪くなると彼らも困るから、態度を曖昧にしているのだろう」



 アルツァー准将はうなずき、ふと苦笑してみせる。

「ここは私や貴官にとって重要な場所ではない。兵たちもほとんどがメディレン領出身だ。貴官の言う通り、さっさと逃げるのが正解だな」



「撤収命令が出ていませんので、厳密には持ち場を放棄したことになりますが……」

 よくこんな提案をしたなと自分でも思う。軍法会議ものだ。

 だが准将は気楽な表情をしている。



「なに、気にする必要はない。我が帝国の五指は『人差し指』と『中指』が離反し、『小指』もガタガタだ。この状態で『薬指』をへし折るような真似はできまい」

「閣下も悪党ですな」

「貴官から言われるのは褒め言葉だな」



 そんな会話をしているうちに、どうにかこうにか機密文書を全部焼却できた。灰の塊を火かき棒で潰し、解読できないように完全に破砕する。

 そこにロズ中尉がやってくる。



「閣下、物資の梱包が完了しました。兵たちは下士官たちが各小隊を統率しています」

「よろしい。大砲はどうする?」

 准将の問いにロズは軽く答える。



「軽便なので運べるところまでは運びましょう。撤退戦で使うかもしれませんし、邪魔になれば置いていけばいいだけの話ですから」

「確かにな。ところで貴官の妻子はどうした?」



 するとロズは頭を掻く。

「それなんですが、馬車に便乗させてもらえませんかね。妻はともかく、娘はまだ三歳なので危なっかしくて」

「もちろんだ。貴官の分も座席を手配しているぞ」



「いやあ、小官は歩きますよ」

「無理をするな、貴官は脚に後遺症を抱えている。家族の側にいてやれ」

 アルツァー准将はそう言って明るく笑う。俺の上司は相変わらずの男前だな。惚れる。



 准将は俺に向き直ると、机上の地図を示した。

「最後の確認だ。撤退の目的地はメディレン領西端の城塞都市、パッジェ。想定ルートは全部で三つ。そうだな?」



「はい、閣下。北の街道沿いにミルドール領を通って帝都に至る帝都ルート、南の街道沿いにジヒトベルグ領を通る迂回ルート、そして」

 俺は何もない場所をトントンと叩く。

「迂回ルートからさらに分岐し、エオベニアとの国境近くを踏破する山岳ルートです」



「できれば山岳ルートは避けたいな。大砲や馬車が通れないし、帝国南部とはいえ山岳部には積雪があるはずだ。それに同行する軍属たちは山岳訓練をしていない」

「とはいえ、街道を通行できるかどうか甚だ怪しい情勢です。街道が通っている土地はもう、ブルージュ公国の領土になっていますから」



 俺は渋い顔の准将に告げる。

「今は騎兵斥候を出して偵察に行かせているところですが、おそらく良くない報告を持って帰るでしょう」



 やがて騎兵隊の斥候から、南北の街道沿いの砦にブルージュの軍旗が確認されたという報告が入る。それほど大規模な軍勢ではなかったようだが、攻撃を受ける可能性があるため近づけなかったという。



 予想通りだ。俺が敵の司令官なら帝国の准将、しかもメディレン公の叔母を逃がすつもりはない。身柄を確保できれば交渉材料にできる。

 准将が渋い顔をしている。



「彼らも狡猾だな。旅団司令部を包囲すれば敵対的な軍事行動になってしまうが、街道に兵を配備するのは通常の対応だ。そして我々は敵地に閉じ込められた」

「まあそうですね」

「この城は砲撃に脆い上、籠城したところで援軍は来ない。いっそ投降するか?」



 俺は首を横に振る。

「いえ、ジヒトベルグ公やミルドール公がまともな人物で助かりました。穏当な方法で退路を断ってくれたおかげで、こちらも穏当に退却できます」

「できるか?」

 どうかな……。あんまり自信はないので正直に言う。



「率直に言ってかなり厳しいですが、まだ山岳ルートがあります。これで無理ならそのときに投降しましょう」

「それもそうだな。となると大砲と馬車はここに置いていくしかないか……」

「いえ、それはそれで使い道がありますので」



 俺は頭の中で素早くプランを更新する。

 計画がうまくいかないときにどうするべきかは、士官学校の演習でさんざんやった。あと前世でもさんざん経験した。

 俺には二回分の人生経験がある。



「ところで俺、この世界ではまだ海を見たことがないんですよね。新鮮な海の幸が楽しみです」

「この状況でも逃げ切る気まんまんだな……いいぞ、好きなだけ食わせてやる。貝のオイル煮でも焼き海老でも馳走してやろう」

「勤労意欲が湧いてきました」



 よーし、海でも見に行くか。

 俺たちが司令部前の演習場に出ると、大荷物を担いだ兵士たちが緊張した面持ちで整列していた。

 後方には食堂や工房のおばちゃんたちもちらほらいる。近隣の村落に避難するか我々に同行するかの二択で、後者を選択した人々だ。

 アルツァー准将が号令を下す。



「これより第六特務旅団は旅団司令部を放棄し、敵勢力を迂回しつつメディレン領パッジェへと向かう!」

 言うほど簡単ではないことは全員がわかっている。

 だからこそ、司令官である准将は明るく言い放つ。



「諸君たちの多くにとってメディレン領に良い思い出はないだろうが、諸君はリトレイユ公の反乱を阻止した救国の英雄だ! 胸を張って堂々と凱旋するぞ!」

 准将の人心掌握術は頼りになる。苦難のときに心を支えるのはプライドだ。



 そして准将はニコッと笑った。

「まあ心配するな。うちの参謀がいろいろ考えてくれている」

 俺は提案するだけだよ?



 何か言い返したかったが、みんなの目に力が戻ってきているのを見ると黙るしかなかった。兵を統率するのは俺の職務ではない。

 准将は慣れた動作で軍馬に乗ると、高らかに叫ぶ。

「帰郷したら諸君に新鮮な海の幸をたらふく食わせてやろう! 出発だ!」


   *   *   *


【過去から来た男】


「連中は本当にこちら側に来るのか?」

 ブルージュ軍大尉の階級章を付けた男は、やや不安そうに背後を振り返る。

「師団長命令だから私の部隊は貸してやるが、シュワイデル人どもが逃げるなら国境方面だろう。方向が真逆だぞ?」


挿絵(By みてみん)


 すると軍服姿の老人が薄く笑う。ブルージュ軍の青い軍服と異なり、彼の軍服は灰色だ。近隣で灰色の軍服を採用している国はない。

「心配性だな。あんたは兵を貸してくれればいい。そこから先は俺の職分だ。それよりも」



 老人は真顔で質問を投げかける。

「第六特務旅団の参謀の名前はユイナー・クロムベルツで間違いないな?」

「ああ、そうだ。『死神クロムベルツ』だよ。リトレイユ家の反乱を阻止した本物の死神さ。ゼッフェル砦の防衛もヤツの仕業だと聞いている」



 ブルージュ軍の大尉はそう答え、だいぶ薄くなっている頭を掻く。

「その死神参謀とメディレン家の女将軍が帝国領に脱出するのを阻止しろと、ブルージュ公が仰せだ。だがジヒトベルグ公もミルドール公も知らん顔をしている。やりづらいったらありゃせんよ」



 灰色の軍服の老人は答える。

「同情するよ。誰しも立場と事情があるからな」

「貴様に同情されてもな……。くどいようだが、本当にこちら側に展開させていいんだな?」



「無論だ。この状況で国境にノコノコ向かうようなバカどもなら、とっくにキオニス戦役でくたばっているさ」

「ふむ。確かに帝国との国境地帯はブルージュ軍が埋め尽くしているからな。しっかり偵察しているのなら選択肢から外すだろう。だが、こちら側に来るとも限るまい? 普通なら籠城するのでは?」



 しかし灰色の軍服を着た男は静かに笑う。

「いいや。ヤツは必ず来る。あの坊やは生きるか死ぬかの分かれ道をよく心得ているのさ」



 そのとき、野戦司令部のテントに伝令が駆け込んでくる。

「街道の北側からシュワイデル軍の軍旗を掲げた部隊が接近中です! 軍旗は第六特務旅団!」

「まさか!?」

 大尉が腰を浮かせて驚くが、灰色の軍服を着た男は薄く笑う。



「な、言っただろ?」

「貴様……いったい何者なんだ? ただの傭兵ではあるまい」

 大尉の問いには答えず、灰色の老傭兵はゆっくり立ち上がる。



「さて、契約履行の時間だ。あんたらはここを封鎖しててくれ。エオベニア方面に抜けられると厄介だ」


   *   *   *


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― 新着の感想 ―
[良い点] 爺さんの古強者感
[一言] ユイナーの生い立ちを埋めるためだけのモブかと思ったら実は大物だった? そう言えば特製弾丸と銃身のことも知っているのだよな。
[一言] 大脱出、敵地からの長距離行軍! 寝返った貴族は一応見ない振り聞こえない振りしてくれてるんですね。でも公国は本気だし、また被害が出るだろうなあ。
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