第65話「死神街道」(※図解あり)
【第65話】
俺は腰の両手サーベルをトントンと叩き、気持ちを落ち着かせる。兵の指揮は久しぶりだが、今回は人数が多い。
「大尉殿、敵斥候が本隊に戻りました。発見された様子はありません」
「わかった。もうしばらく辛抱して隠れててくれ」
こちらの斥候からの報告に俺はうなずいた。
ここはリトレイユ領の外れにあるベリューン城へと続く、たった一本の街道だ。
ベリューン城は百年以上前に廃城となって荒れ果てていたが、リトレイユ公が雇った一万人の傭兵がひしめいている。さっき斥候を送って確認した。
シュワイデル傭兵たちは万単位の大規模な軍事行動を計画することも、指揮することもできない。命じられた通りに戦うのが彼らの仕事だ。
だからリトレイユ公は戦略家や指揮官として子飼いの将校たちを送った。
今から彼らを迎撃し、傭兵隊との合流を阻止する。
ここは峡谷になっており、眼下の街道に対して左右の斜面から攻撃を加えることができる。うまい具合に身を潜める岩場も多数あった。
戦列歩兵を並べるには不向きな地形だが、散兵戦術を採るなら申し分ないだろう。
やがて斥候から報告が入る。
「大尉殿、所属不明の部隊が街道北側から接近中です。銃を持たない騎兵が十余り、戦列歩兵が千から千五百ほどです」
騎兵はたぶん将校たちだろうな。戦列歩兵は配下の部隊だ。
懐中時計を見ると、あと二時間ほどで日没だ。
今頃はアルツァー大佐がリトレイユ公を尋問しているだろう。今夜中にリトレイユ公の戦力を削いでおかないと、皇帝の気が急に変わって和睦などと言い出しかねない。
俺は伝令歩兵を通じて、配下の一個小隊五十名に命じる。
「指示あるまで待機。射撃合図は『妖精の踊り』、後退合図は『私を捕まえて』だ。各班で再確認しろ」
「はっ!」
大丈夫かな。戦場では命令を正しく伝えるだけでも難しい。聞き違いや勘違いによって兵が勝手な行動を始めることがざらにある。
だが野戦で三十倍の兵力を相手にするときには、どんなミスも許されない。緊張してきた。
眼下の街道は大きく湾曲し、山裾を迂回している。その山裾に布陣しているのが俺たちだ。
「敵最後尾が予定地点を通過しました」
「姿が見えなくなるまで待ってから荷車で封鎖しろ。騎馬の通行を確実に塞げればいい」
まずは敵の退路を断つ。
それと前後して、俺の位置からも敵の隊列が見えてきた。第五師団の戦列歩兵たちだ。騎馬はやはり将校だ。騎兵はいない。大砲もない。
勝てる……かな? ねえ『死神の大鎌』、そのへんどうなの?
俺の頼りない予知能力は何も教えてくれないが、俺が死ぬことはないらしい。俺の生き死になんかどうでもいいから、この戦いの勝敗を知りたいんだ。
よし、俺は負けたらここで戦死してやるからな。どうだ?
……やはり反応がない。いつものことだ。
やっぱり信頼度の低い予知能力に自分と部下の命を預けるのはやめておこう。今の俺は臨時で指揮権を預かった参謀、つまり作戦の立案から実行まで全部やらないといけない身だ。
やがて「敵の退路を封鎖した」という報告が入る。もうやるしかない。
俺は傍らを振り返った。鼓笛隊長のラーニャ下士補が微笑んでいる。彼女は竪琴を持っていた。軍服に似合っていないが、今回はこれが必殺の兵器となる。
「一曲いかがですか、参謀殿?」
「ではお願いしよう」
俺はなるべく冷静を保ちつつ、旅の女楽士だったラーニャにリクエストする。
「『妖精の踊り』を」
「はい」
ラーニャがすぐさま、軽快なメロディを奏で始めた。
峡谷に竪琴の音が響くが、敵の隊列は乱れない。さすがにこれが攻撃命令だとは思わなかっただろう。
だがすぐに山肌のあちこちから狙撃が始まる。
「一番端まで命令が伝わった。止めてくれ」
俺がそう言うとラーニャは演奏を止め、心配そうな顔をする。
「ずいぶん離れてますけど、本当に届きますか?」
「従来のマスケット銃なら届かない。だがライフル式マスケット銃なら届く」
こちらは五十人が散発的に撃つだけなので、もちろん大きな被害は出ていない。だが敵の隊列は大きな的なので、撃てば大抵誰かには当たる。
近くにいる味方が撃たれれば兵は動揺し、指揮官としても対応策を考えなければならない。
「こちらの狙撃兵はわずか一個小隊だから、敵の指揮官の判断は『構わずに駆け抜ける』が正解だ。だがそれはできない」
「なぜですか?」
ラーニャが問うので、俺は苦笑してみせた。
「走った先に伏兵がいれば挟撃されて全滅だからな。索敵を行っていない場所に兵を動かさないよう、士官学校で徹底的に教え込まれる」
「そういうものですか」
「ああ。そしてリトレイユ公の子飼いの将校たちは従順で扱いやすいタイプばかりだ」
反骨心旺盛で決断力に優れた将校なんて、リトレイユ公が重用するはずがない。彼女が好きなのはお行儀の良い人形だけだ。
彼らはついさっき斥候を放ち、ここの安全を確認した。だが襲撃を受けた。
当然、この先にも敵の待ち伏せがあると思うだろう。
実際は何にもないんだが。というか、そんなに潤沢に兵を動かす余裕はない。
俺の副官を務めるミドナ下士長が言う。
「大尉殿、敵の反撃が」
「有効打にはならないから構わず撃ち続けてくれ」
こちらは高所に布陣し、岩場に隠れながら撃っている。しかも距離は百メートルほど離れているので、ほとんどの敵弾は届かない。届いたとしても殺傷力をほぼ失っている。
一方、こちらの射撃は敵後列まで完全に射程内に捉えている。撃ち合いは一方的だ。
「さて、リトレイユ公子飼いの将校どもが無能でなければ突撃してくる頃合いだな」
弾の届かない地点で撃ち合いをしても無意味だ。被害だけが増える。
となれば距離を詰めるしかないので、斜面を駆け上がってくるだろう。こちらの狙撃は精密だが少数で、接敵までの間に出る被害は大したことがない。
案の定、突撃ラッパが聞こえてきた。千五百の兵で斜面を駆け上がり、そのままこちらを蹂躙するつもりだ。戦力差が三十倍だから、そんな力押しも可能だろう。
もっとも俺だってそんなことはお見通しだ。
ミドナ下士長が緊張した表情になる。
「大尉殿、敵が!」
「落ち着け。ラーニャ、『英雄凱旋曲三番』だ」
「は、はい」
ラーニャ鼓笛隊長が竪琴を演奏する。この合図が何を意味するかは、第五師団の軍人には絶対にわからない。
わかるのは俺たち第六特務旅団だけだ。
あともうひとつあった。
「大尉殿、第四師団の射撃が始まりました」
「そのようだな」
街道の反対側の崖から、第四師団麾下の歩兵大隊が斉射を開始していた。
彼らの銃は旧式のマスケット銃だが、こちらも高所から撃ち下ろす形だ。しかも反乱軍は第四師団に背を向けており、将校たちも無防備な背中を晒している。
既に反乱軍は突撃態勢に入っているので、隊列は完全に乱れていた。
「大混乱だな」
第四師団から借りられたのはわずかに一個大隊五百人ほどだが、この規模の弾幕が降り注ぐと反乱軍が一斉にバタバタと倒れていく。それも後列の将校や下士官が。
あの中に俺の同期がいないことを祈りつつ、俺はつぶやく。
「挟撃は時差を置くことで、左右ではなく前後からの挟撃になる。……初等戦術演習で習っただろ」
陽動側を向かせることで、無防備な後背を主力側に向けさせる。基礎の基礎だ。
既に敵の指揮系統は混乱している。突撃命令と退却命令のラッパが同時に鳴り響き、戦列歩兵たちはどの命令に従うべきかわからなくなっているようだ。
斜面を駆け上がってきた敵兵も途中で勢いが弱まり、こちらの狙撃で次々に倒れていく。
「意外と元気なヤツが多いな。ラーニャ、『私を捕まえて』を頼む」
「はい、参謀殿」
俺は第六特務旅団の子たちを後方に下げ、敵との距離を取ることにした。散兵戦術を終わらせ、俺の周囲に集めさせる。
反乱軍の選択肢は少ない。こちら側の斜面を駆け上がっても戦闘には勝てない。ここには一個小隊しかいないからだ。おまけに狙撃兵たちはどんどん逃げる。
かといって反対側の斜面を登って第四師団と戦おうにも、あちらの斜面はほぼ崖だ。急すぎて駆け上がれない。
崖が石垣と同じ効果を果たしているので、これは純粋な野戦ではなく攻城戦に近い。となると三倍の兵力差でも厳しい。おまけに挟撃されて敵の隊列はグチャグチャだ。
まともな指揮官なら、もう戦おうとは思わないだろう。
ラーニャが演奏しながら、ふとつぶやく。
「あら? 敵が逃げ出しましたね」
「そりゃ逃げるだろう。逃げられはしないが」
街道の両端は石を積んだ荷車で塞いである。左右は垂直に近い急斜面だ。歩兵なら迂回できるだろうが、騎乗した将校は無理だ。
第四師団はここぞとばかりに盛大に撃ちまくり、第五師団の死体を積み上げていく。彼らに「同じシュワイデル人」という感覚はない。第四師団にとって第五師団は他家の軍隊だし、特に反乱軍は謀反人の一味だ。帝国の敵でしかない。
今回、俺は古巣の第五師団からも皇帝の第一師団からも兵を借りることができなかった。
メディレン家の第四師団に派兵要請が受諾されたのは、アルツァー大佐の実家だからに過ぎない。この国では何をするにも実家のコネが重要になる。
そんなことを考えていたせいだろうか、ミドナ下士長が心配そうに尋ねてくる。
「大尉殿、どうかなさいましたか?」
「何でもない。つまらない戦争だなと思ってな」
「つまらない……?」
「いや、面白い戦争がある訳でもないんだが」
失言だったかな。
俺は眼下の反乱軍が壊滅的な状態に陥っているのを見て、作戦計画の最終段階を実行することにした。
「店じまいにしよう。ベリューン城方面の街道封鎖地点に向かう。目標は敵士官だ。一人も通すな」
「了解しました」
五十人の狙撃小隊が一丸となって移動を開始し、封鎖地点で右往左往する敵を片っ端から撃ち殺す。軍馬を乗り捨てて先に進もうとする将校たちを容赦なく撃つ。
廃城に集められた傭兵たちに反乱軍の将校が合流しなければ、傭兵たちは動かないだろう。仮に動いたとしても、指揮官不在では農民一揆と大差ない。
だから将校だけは通せない。
やがて敵歩兵の大半が戦意を失い、リトレイユ領方面へと逃散していった。
しばらくして、確認できた敵将校全員を射殺あるいは捕縛したという報告を受ける。
「こちらの被害は?」
「ありません。……あんな大軍と戦ったのに」
ミドナ下士長は驚きを隠せない様子だったが、俺は首を横に振る。
「そうなるように作戦を立てて、貴官たちはそれを忠実に実行した。当然の帰結だ。それより早く帰らないと大佐に叱られる」
「はい、大尉殿」
ミドナ下士長とラーニャ下士補は顔を見合わせ、なぜかクスクス笑った。




