第64話「奸雄の落日」
【第64話】
* * *
【奸雄の落日】
私は今、リトレイユ公ミンシアナと向き合っていた。彼女は塔の最上階に幽閉されている。やや狭いが内装は豪華で快適だ。貴人の監獄としては相応しい。
リトレイユ公はソファで優雅に足を組み、微笑みながら窓の外を眺めている。
「陛下を懐柔するとは驚きです。しかしこんなことをすれば、帝国が崩壊しますよ?」
リトレイユ公はそう言って、困ったように笑いかけてくる。
「執拗に南下政策を採り続けるアガン王国を食い止めているのは、私の第五師団です。私に何かあれば北の守りがなくなります。そんなことも忘れたのですか?」
私は若干の不快感を覚えつつも、務めて事務的に返す。
「第五師団は貴公の軍隊ではない。あくまでも皇帝陛下の軍隊だ。資金を出しているのはリトレイユ家だが、それとてリトレイユ公個人の資産ではない。……そんなことも忘れたのか?」
多少不愉快だったので、虜囚相手に意趣返しなどしてしまった。我が身の不徳を恥じる。
私の言葉の意味するところは明白だ。
現当主のミンシアナがどうなろうが、リトレイユ家が消えてなくなる訳ではない。
先代当主も健在だし、弟のセリン殿もいる。当主を務める者なら代わりがいるのだ。
だが私の言葉にリトレイユ公は肩をすくめる。
「私の影響力を侮っているようですね。既に帝国直轄領の近くに精鋭二万を配置しています。私を守るためなら皇帝にすら銃を向ける忠義の勇士たちですよ。その実力はアガンの侵攻を阻んでいたことで証明済みです」
並みの帝国貴族なら震え上がるだろうが、あいにくと私にそんな脅しは通用しない。
私には頼もしい参謀がいる。
「うちのクロムベルツ大尉がその第五師団の出身で、アガン軍と戦っていた張本人だ。第五師団の内情なら筒抜けだぞ」
もちろん私も全てを知っている訳ではない。
だがこの女も全てを知っている訳ではないだろう。
私とリトレイユ公は睨み合い、互いに牽制し合う。
なんとかして彼女から有益な情報を引き出したいが、こいつは嘘つきだから普通の方法では無理だ。
少し揺さぶってみるか。
「帝室直轄領の近くをうろついている第五師団の部隊なら、とっくに捕捉している。だが数は二万もいない。この程度なら反乱を起こされても第一師団で抑え込める」
私がそう言うと、リトレイユ公はほんの一瞬だけ薄く笑った。
あの笑い、妙に引っかかる。何かとても嫌な感じだ。
しかし私が考え込もうとすると、リトレイユ公が嘲るように言う。
「まさか一戦交えるつもりですか? アガンが攻め込んできますよ。ブルージュの二の舞になりたいのですか?」
この女の狙いはこれだ。国内での政争では隣国の脅威を盾に使う。
私はさっきの懸念を払拭するため、いったんここを出ることにして立ち上がる。
「貴公はもっと別の心配をするべきだな。窓の外をよく見ておいた方がいい」
次第に沈んでいく夕陽を眺めながら、私はリトレイユ公に冷酷な事実を伝える。
「あれがお前の見る最後の日没だ」
* * *
これが俺の見る最後の日没だろうか……。ふとそんなことを思う。
俺の目の前には、第五師団の幹部将校たちがひしめいている。将軍もいれば、参謀長や連隊長クラスの佐官もいた。
俺は今、第五師団の司令部にいる。目的はもちろん、第五師団を説得するためだ。
もちろん部外者の大尉ごときが何を言っても無駄なので、切り札を用意した。
リトレイユ公だ。
「皆、軽挙妄動は慎みなさい」
毅然とした態度で一同に告げているのは、リトレイユ公……にそっくりの影武者。つまりリコシェだ。
帝都近くの山荘にいた彼女を救出した第六特務旅団は、そのまま彼女をリトレイユ領まで極秘裏かつ大急ぎで連れていった。
俺も合流し、こうして第五師団の司令部に乗り込んだという訳だ。
リコシェはリトレイユそっくりの口調と仕草で続ける。
「私はこれより帝都に向かいますが、何があろうとも皇帝陛下の御沙汰に従うのですよ。あなた方が忠誠を誓うのは本来、帝室なのですからね」
将軍たちは無言だ。
ここにいる誰がリトレイユ公に味方しているのか、正確にはわからない。というのも大半は日和見を決め込んでいるからだ。旗幟鮮明にしている者はごくわずかだし、それすらパフォーマンスである可能性があった。
リコシェは語気を強める。
「私はこれまでの行いを反省し、過去を清算します。それゆえ帝室への反抗は許しません。これはリトレイユ家当主としての命令です。いいですね?」
「……仰せのままに」
諸将が頭を下げた。
第五師団のお偉いさんたちが意外とすんなり従ったので助かった。中にはリトレイユ公に与する者もいるはずだが、彼らも自分の地位と出世が何よりも大事なんだろう。
将軍たちが退出した後、俺はリコシェに笑いかける。
「申し訳ありません、殿下。またしてもこのようなお役目を」
「いえ、こういうときのために私がいるのですから」
リコシェはにっこり笑う。見た目はリトレイユ公そっくりの糸目美女だが、こちらには人をホッとさせる温かみがある。人徳の差だな。
さて、これで第五師団の指導部は抑えた。リトレイユ公直々の命令となれば、彼らには静観する大義名分になる。
もしかすると、このリトレイユ公が影武者であることに気づいている者もいるかもしれない。だが気づかなかったと言っておけば何も問題はない。
「では帝都に戻りましょう、殿下」
「そうですね」
公式記録では、リトレイユ公はここで第五師団の将校たちに帝室への忠誠を示すよう訓示し、帝都に戻って幽閉されることになる。
ここを出ればリコシェは変装を解き、そしてもう二度とリトレイユ公の影武者には戻らない。
その後はアルツァー大佐が身柄を保護し、リコシェを下士長待遇で軍属にしてくれるそうだ。秘書官として身近においてくれるという。
彼女は変装を解いてもリトレイユ公に似ているので、余計なトラブルに巻き込まれやすい。リトレイユ領から離れ、第六特務旅団の軍属として軍服に身を包んでいれば安心だ。
帰りの馬車に案内しようと思ったとき、不意に背後から声をかけられた。
「クロムベルツ少尉、いや今は大尉だったか。立派になったものだ」
そういやここは俺の古巣だった。俺は内心で溜息をつきながらも、笑顔で振り返る。
振り返った先にいたのは第五師団の副師団長だった。
階級はもちろん将官相当の将軍。俺にとっては雲の上の人だ。確かリトレイユ宗家の分家筋で、彼もリトレイユ姓を名乗っている。
「これは副師団長閣下。御挨拶が遅れて申し訳ありません。火急の折ですので」
俺が敬礼すると、白髪の老将軍は軽く手を挙げた。
「貴官の言う通りだ。挨拶はいい。しかし貴官はリトレイユ公と親しい間柄であったかな?」
嫌なこと聞いてくるな、この爺さん。
副師団長クラスなら、俺が帝室御前会議でリトレイユ公に喧嘩を売ったことは知っているだろう。そしてリトレイユ公がそんなヤツを許しておかないことも。
副師団長は俺の返事を待たず、偽リトレイユ公に向き直る。
「良い香りですな。いつもの雄鹿香ではないようですが」
こいつ、本物と影武者が香水で識別できることも知ってるみたいだぞ。偽者だと気づかれている。
だが副師団長がその気なら、さっきの訓示のときに「こいつは偽者だ」と言えば済んだはずだ。
黙っていてくれたということは……つまり、そういうことなんだろう。
俺が軽く目配せすると、リコシェはその意を酌んで穏やかに微笑む。
「ええ、こちらが私のまとうべき香りですから」
「なるほど……」
リコシェがあっさり「私は影武者ですよ」とバラしたので、副師団長は少し驚いたようだ。
だが怪物の巣のような師団司令部で最高幹部まで登り詰めただけあって、副師団長は取り乱すことはなかった。
「私もこの香りが当主に相応しいと存じます」
驚いたな。この爺さん、偽者の方がマシだとぶっちゃけたぞ。
それから副師団長は偽リトレイユ公に質問してきた。
「ところで例の者たちはどうなさいますかな?」
「例の者、ですか?」
「ええ。お雇いになった傭兵一万が、そろそろベリューンの廃城に集結した頃合いでしょう?」
何それ。初めて聞いたぞ。
貴族たちは使用人の一種として傭兵を召し抱えることがあるが、一万は桁違いだ。
傭兵は小作人や芸術家たちとは違い、雇っても利益を生み出さない。国内外で勝手な略奪などできないから出費だけだ。
だから貴族たちは傭兵を軍事力の調整に用い、ごく少数しか雇わない。必要がなくなればすぐに契約を打ち切る。
つまり一万人もの傭兵を雇ったこと自体が、これから軍事行動を起こす証拠と言える。
帝国軍が存在する今の御時世、軍事力を切り売りする在野の傭兵団はそれほど多くない。大半は素人同然のゴロツキだろう。統制は取れておらず、補給もまともにできないはずだ。
山賊と大差ないだろうから、放置しておくのはまずいな。
俺の表情を読んだのか、リコシェがすぐさま質問を重ねる。
「すぐにその者たちを呼び戻しなさい」
「我々は帝国軍人ではない者に命令はできません。御前の御命令なら聞くでしょうが、『代理の者』では難しいかと」
リトレイユ公はリコシェを信用していなかったから、影武者が勝手なことをしないように策を講じているのだろう。副師団長の言葉はそれを示唆している。
ベリューンの廃城といえば、帝都の喉元だ。傭兵たちが帝都を襲撃すれば大変なことになる。
だが俺は諦めない。
この副師団長はどうにかする手段を知っているからこそ、影武者に敢えて情報をリークしたのだ。取引の材料にするために。
そう考えてみると、指揮官の不在が気になるな。傭兵たちは戦術レベルの作戦なら立てられるが、戦略レベルの作戦は手に余る。帝室相手に戦争するなら士官教育を受けた専門家が必要だ。
攻略法があるとすれば、その辺りかな。俺は尋ねてみる。
「傭兵たちを指揮するのは誰ですか?」
すると副師団長は俺をじっと見て、それから静かに答えた。
「今動いている若手将校たちだよ、クロムベルツ大尉。彼らは本来の部下に加え、傭兵たちも指揮するよう命じられている。そうでしたな、御前?」
「……はい、そうでしたね」
それなら彼らを止めれば済む話だな。
俺は笑顔を見せる。
「では問題ありません。こちらにはリトレイユ公殿下もおられますし、後はお任せください」
副師団長は俺を値踏みするような目で見た。嫌な目だ。
「元より第五師団は軽々には動けない。兵は出せないが、全て任せていいのかね?」
「ええ。御安心を」
これだけ裏事情を知っている副師団長は、第五師団内部の親リトレイユ派トップに違いない。リトレイユ公が逮捕された後、報復人事の嵐が吹き荒れて親リトレイユ派は更迭される。
だから危険を冒して情報をリークし、手を汚さずに恩だけ売りに来たという訳だ。
考えようによってはなかなかにダーティな処世術だが、こちらとしては大変助かる。
だから俺の裁量でこう答えておく。
「第六特務旅団のアルツァー大佐は、閣下を大変高く評価しておられるはずです。小官も第五師団の一員だった者として、改めてそう進言するつもりです」
今後はアルツァー大佐が後ろ盾になるかもしれないよ。そう伝えておく。
案の定、副師団長の表情がわずかに柔らかくなった。
「そうかね。光栄なことだ」
ごく簡素な返答だったが、これは契約成立とみていいんだろうな。
日和見主義者のおかげで重要な情報が入ったのはいいが、これでまた面倒臭いしがらみがひとつ増えてしまった。
俺は副師団長に挨拶した後、リコシェを馬車に乗せる。護衛はうちの旅団の騎兵たちだ。
「このまま真っすぐ帝都にお戻りください。後はアルツァー大佐が何とかしてくれます」
「恩に着ます、クロムベルツ大尉殿。ですがあなたは?」
心配そうなリコシェに俺は敬礼した。
「予定通り、帰る前に残りの仕事を片付けてきます。馬車を出してくれ」
火種は全部消しておかないとな。




