第63話「死神クロムベルツ」
【第63話】
「リコシェの救出、うまくいっているといいんですが」
「貴官はその話ばかりだな……」
俺と大佐は帝都の宮殿で紅茶を飲みつつ、リトレイユ公逮捕のために待機していた。
あまり大勢でぞろぞろ動く訳にはいかないので、ここにいるのは俺と大佐、それに歩兵科の子たちが数名だけだ。
そして大佐は微妙に機嫌が悪い。
ビスケットにベリーのジャムを塗りたくり……というか積み上げると、暴力的な糖質の塊を乱暴に口に放り込む。
「リコシェの身柄確保には、ライフル式騎兵銃を持たせた精鋭チームを派遣してある。それに指揮官のライラ下士補は山の達人だ。これで無理なら私の兵ではどうにもならないだろう」
しゃべりながら食べるから、口の端からジャムがはみ出してきてる。
「閣下。口、口」
「わかってる」
「袖で拭わないで」
これから五王家の一角であるリトレイユ公を逮捕するのに、袖がジャムまみれの指揮官じゃ格好がつかないだろ。
リコシェの話題になると機嫌が悪いのは、やっぱりリトレイユ公に対する怒りなんだろうか。リコシェの境遇にずいぶん同情していたから、たぶんそうだろう。
……フォローしておくか。
「小官は閣下を心から尊敬しております。閣下の参謀になれたのは小官最大の幸運でした」
「なんだ急に」
「大事なことは言えるときに言っておかないと、いつ言えなくなるかわかりませんので」
人間は急に死んじゃうからな。前世の俺みたいに。
今世の俺だっていつ死ぬかわからない。
アルツァー大佐はしばらく俺の顔を見ていたが、表情が目に見えて明るくなっていた。どうやら機嫌が直ったらしい。やはり敬意を伝えることは重要だ。
「貴官の敬意は心地良いな。失わぬように気をつけるとしよう」
「なんでそんなに心配そうなんですか。大丈夫ですよ」
彼女の果断だが慈悲深い人柄はこの一年半でよくわかっている。俺は一生、この人の参謀を続けるつもりだ。
この人が皇帝だったら良かったのにと思いつつ、俺は参謀としての職責を果たす。
「予定通り、選抜射手によるライフル小隊がリコシェ救出に向かっています。連絡用に騎兵二名をつけていますが、今のところ定時報告だけです」
「演習地に残した一個小隊からは?」
「そちらからも騎兵の定時連絡が。みんなで石窯を作って無発酵パンを焼いているそうです」
「楽しそうでいいな」
「陣地構築の練習ですよ。留守小隊は半数以上が新兵ですから、これぐらいが良いかと」
今回、帝都に来ているのは一個小隊。我々がここにいるのは極秘だから、あまり多数を動員する訳にはいかない。
旅団の精鋭は前述の通り、リコシェの救出任務だ。
「砲兵中隊は護衛の一個小隊と共に所定の位置で待機中です」
増員で三個小隊に戻った戦列歩兵だが、これで全部使ってしまっている。予備戦力は他師団頼みだ。
大佐もそこには気づいているようで、少しだけ表情を曇らせた。
「何をするにも兵が足りないな。もう少し増やしたいところだが、戦列歩兵になる女性など少ない方がいい」
「それは男性もですよ」
「確かに」
戦場で死ぬ人間は少ない方がいいに決まっている。
ただ、兵が足りないのも事実だ。今後の課題だな。
そのとき、ドアがノックされて旅団の女の子が入ってきた。
「旅団長殿、参謀殿、お時間です。作戦区域に異状ありません」
大佐が立ち上がりながら、当番兵の女の子に問う。
「皇帝陛下は?」
「先ほど急に予定を変更して、離宮に移動されました。足を引っ張りたくないとの仰せだそうです」
「なるほど、そういう考え方もあるな。確かにいない方がマシだ」
大佐は軽く溜息をつき、装弾した騎兵ピストルを腰のホルスターに収める。
俺も愛用の両手剣仕様のサーベルを腰に吊ると、大佐に笑いかける。
「また急に心変わりされて計画を台無しにされても困りますので、おられない方が好都合です。さっさと片付けましょう」
すると大佐は苦笑する。
「五王家の当主を『さっさと片付ける』か。貴官には怖いものがないらしいな」
「怖いものなら他にいくらでもあります。閣下を失うこととか」
「ふふっ」
嬉しそうだな。
「では予定通り、作戦終了まで貴官に旅団の指揮権を与える」
それから大佐は当番兵を振り返る。
「全て予定通りだ。変更はない。総員に通達しろ」
「はい!」
なぜか当番兵は呆れた顔で俺たちを見ていたが、大佐の声にハッとして敬礼した。それから慌てて駆け出していく。
それを見送った後、大佐は俺に微笑んだ。
「さて行くか。終わったら貴官の淹れたコーヒーを飲ませてくれ」
どうやら大佐は俺に「戦死するな」と言っているようだ。最近わかるようになってきた。
俺は敬礼する。
「では焙煎したてをお淹れしましょう」
自分で言ってて死亡フラグみたいだなと思う。
でも『死神の大鎌』は何も言わなかった。
* *
リトレイユ公は宮殿の一室に通され、皇帝が来るのを待っているはずだ。
もちろん皇帝は来ない。あのおっさんは土壇場で急に怖くなり、とっくに避難済みだ。少々情けない話だが、偉い人はそれぐらい慎重でもいい。
廊下の窓から中庭を見ると、リトレイユ公の馬車が停めてあった。周囲には二十人ほどの騎兵が下馬して待機している。
大佐がぽつりと言う。
「中庭の指揮官はライラ下士補にやらせたかったな」
「狙撃の名手ですからね。ただ山岳活動のエキスパートでもありますので」
「わかっている。リコシェのいる山荘に派遣したのは正解だ」
俺たちはそれっきり無言で廊下を歩き続けた。
背後には六名の女子戦列歩兵が従う。今回は戦闘能力よりも度胸を重視し、肝の据わった子たちを旅団から選りすぐった。リトレイユ公が相手でも怯むことはないだろう。
目的の部屋の前には近衛師団の兵士たちがいる。リトレイユ公の警備担当だ。中尉の階級章をつけた若い貴族将校もいた。厄介事を押しつけられた若手だな。
平民とはいえ俺は大尉なので、彼は緊張した顔で俺に敬礼する。
「で、では後はお任せします」
皇帝だけでなく、皇帝直属の近衛師団も今回の件からは距離を置きたいらしい。日和見主義者だらけだ。
だが火中の栗を拾うのは慣れている。俺は無言で答礼した後、ドアを軽くノックした。
「誰です?」
リトレイユ公の声だ。
俺が返事をすると声でバレかねないので、ここは近衛師団の中尉に取り次いでもらおう。
だが若い中尉は真っ青になってガタガタ震えている。
「中尉、返事を」
俺が押し殺した声で威圧すると、彼はようやく声を発した。
「陛下の使いが参りました。通してもよろしいでしょうか?」
「入れなさい」
招かれたら吸血鬼も死神も部屋に入れる。ただの参謀ならなおさらだ。
俺はドアを開けて入室した。
「失礼します」
広い客間で紅茶を飲んでいたのは、紛れもなくリトレイユ公だった。室内に護衛はいない。丸腰の従者と侍女が数名いるだけだ。
リトレイユ公は俺の顔を見た瞬間、全てを察したらしい。
「お前は!?」
「リトレイユ公ミンシアナ殿。貴方を逮捕するよう勅命が下りました。御同行願います」
俺は皇帝発行の逮捕状を広げてみせる。
次の瞬間、リトレイユ公はスカートの中から短銃を抜いた。王宮では許可された軍人以外が銃を携行するのは禁じられているが、護身用に隠し持っていたらしい。
「お下がりなさい! 近寄れば撃ちます!」
ほぼ同時に味方の戦列歩兵たちが銃を構える。銃の数は六対一。こちらの銃口は全てリトレイユ公を狙っている。
だがリトレイユ公は平然としていた。
「お前たちに私が撃てますか?」
嫌なとこ突いてくるヤツだな。撃てないんだよ。
俺たちが皇帝から命じられたのはリトレイユ公の逮捕だ。処刑でも暗殺でもない。撃てば命令違反になる。
だから命令書に「生死を問わず」という一文が欲しかったんだがな……。
大佐が溜息をついている。
リトレイユ公は銃を構えたまま、配下の使用人たちに命じる。
「ここは退きます。お前たち、中庭にいる兵に合図しなさい」
「合図?」
俺は片手を挙げた。
「合図というのは、こういうのですかな?」
俺が指をパチンと鳴らすと、戦列歩兵の一人が窓ガラスを撃った。銃声と同時にガラスの割れる派手な音が響く。
直後、雷鳴のような轟音が中庭の方から聞こえてきた。シャンデリアが揺れる。
「な、何を!?」
リトレイユ公が驚くのも無理はない。ロズ中尉率いる野戦砲中隊が馬車周辺を砲撃したのだ。
年配の従者が窓に駆け寄り、悲鳴のような声で叫ぶ。
「御前! 当家の護衛たちが!」
中庭にいたリトレイユ公の騎兵たちは、今ごろ野戦砲の散弾で壊滅している。馬が気の毒だが、騎兵たちに逃げられると困るんだ。
砲声はなおも轟いている。
ロズの砲撃は念入りなんだよな。「おしゃべりロズ」の大砲は、ロズと同じぐらいやかましい。
「ひいぃっ!?」
「きゃああああっ!」
使用人たちはパニックだ。
リトレイユ公もあまりの事態に動揺し、銃口と視線が違う方向を向いた。
チャンスだ。
俺は素手のままリトレイユ公に向かって走り出す。
「覚悟!」
「クロムベルツ大尉!? おい待て、何をやっている!?」
背後で大佐の怒声が聞こえたが、ちゃんと考えあってのことなので許してほしい。
俺が踏み込んだ瞬間、リトレイユ公が憤怒の表情でこちらを睨んだ。銃口が俺に向けられる。
「こっ、この無礼者ぉっ!」
だが「死神の大鎌」は何も言わない。だから俺は構わずに突っ込んだ。
次の瞬間、リトレイユ公は躊躇なく引き金を引いた。「ガキン!」という音がして火打石が火花を散らす。
「大尉!?」
アルツァー大佐の声はほとんど悲鳴だった。
幸い、銃は不発だった。俺は無傷のまま、リトレイユ公にタックルを決めて絨毯の上に引き倒す。本当はこのままジャーマンスープレックスでも決めてやりたかったのだが、やり方がわからないので裏投げで我慢しておく。
すかさず大佐が叫ぶ。
「制圧せよ! 大尉を死なせるな!」
俺がよっこらしょと起き上がる頃には、戦列歩兵たちの銃剣がリトレイユ公の胸元に突きつけられていた。
俺は制帽を整えながらリトレイユ公に告げる。
「帝国法では任務中の将校を殺傷しようとした者は軍事裁判にかけることになっていますが、抵抗するなら射殺しても構いません。殿下は小官を撃ちましたのでこの法律が適用されます」
リトレイユ公は体を起こしながら俺を睨む。
「まさか、それを狙って!? どうかしているわ! 死ぬつもり!?」
「殺すつもりだった貴方に言われたくないものですな。殿下を拘束しろ」
戦列歩兵たちがリトレイユ公を取り囲み、乱暴に立たせると手首を縄で縛る。
「痛っ!? やめなさい! お前たちが触れていい相手ではないのですよ!」
だが旅団の女の子たちは無言だ。表情に怒りが満ち満ちている。リトレイユ公の陰謀でキオニスまで遠征させられ、騎兵に襲われて死にかけたんだから無理もない。
リトレイユ公は連行されていったが、すれ違いざまに俺を憎々しげに睨んだ。
「死神クロムベルツ……。やはりお前は排除しておくべきでした」
「同感です。もう手遅れですが」
俺がそう答えると、リトレイユ公は妙な笑みを浮かべる。
「まさか私がこれで終わるとは思っていないでしょうね?」
「終わりですよ。貴方の罪が今、貴方に追いついたのです。連れていけ」
リトレイユ公は両脇を抱えられたまま、宮殿の一角に建つ塔に送られていった。塔の最上階には貴人用の監獄がある。
とりあえずこれでひとつ片付いたな。
そう思っていたら、背後から物凄い圧を感じて振り返る。
ちっこい大佐が仁王立ちになって腕組みしていた。
今までに見たこともないような表情で、大佐がギラリと笑う。戦列歩兵の銃口よりも怖い。
「あんな無茶を許可した覚えはないぞ、ユイナー・クロムベルツ参謀大尉」
「それはですね……あの銃を見た瞬間に不発だとわかりましたので……」
これは嘘だ。単に『死神の大鎌』に反応しなかったので、当たっても致命傷ではないと判断しただけだ。
「そうか」
アルツァー大佐はリトレイユ公の短銃を拾うと、ゴテゴテと装飾のついたそれを天井に向かってぶっ放した。
パァンという破裂音が轟き、豪奢なシャンデリアの一部が粉々になる。
雪のように舞い散るクリスタルの欠片を背に、大佐は凄みのある微笑みを向けてきた。
「二度とするなよ?」
「……肝に銘じます」
ごめんなさい。もうしません。
たぶん。
大佐は銃を投げ捨てるとツカツカ歩き出した。
「次だ。ここは私とシュタイアー中尉で抑えておく。貴官はただちに出発してくれ。くれぐれもさっきのような無茶はしないように」
「はっ」
ここからが大変なんだよな……。




