第61話「死神の軍議」
【第61話】
こうしてリトレイユ公逮捕の任務は、実行段階へと進んだ。
皇帝ペルデン三世はリトレイユ公に偽の密書を送る。
『ミルドール公は謀反人の弟でありながら、余をないがしろにしておる。これ以上の横暴を許しておくことはできぬ。余はメディレン公と共に東ミルドールを征伐するつもりである。その後はブルージュ公国からミルドール領を奪還し、帝室直轄とする予定である。貴公がブルージュと内通した件は不問と致すゆえ、余の元に集うがよい』
完全に騙し討ちだ。
だがこれでリトレイユ公の逮捕に失敗したら即座に内戦だろう。リトレイユ公は素直に罰を受けるような人間ではない。
帝国軍の総力を挙げて、リトレイユ領をシュワイデル兵の血で染めて食いちぎり、リトレイユ家を滅ぼすことになる。
もちろんアガン王国やブルージュ公国は大喜びするだろう。帝国軍が内戦で弱体化すれば隣接する領地は食べ放題だ。
領民や領主にとっては迷惑な話だし、俺たち軍人にとっても危険なだけで何もいいことがない。
そんなことを考えていると、早くも憂鬱になってきた。
とにかく内戦だけは回避したいので、今さら卑怯もクソもない。後世の歴史家にいろいろ言われるだろうが、ここは騙し討ち上等でいく。
ちょうどこの時期、リトレイユ公の影武者であるリコシェはジヒトベルグ領で調略に励んでいる。ジヒトベルグ公の流した偽情報にリトレイユ公が食いつき、存在しない離反者を囲い込もうとしているのだ。
リトレイユ公としては「ジヒトベルグ領で他家の家臣を寝返らせている最中なので行けません」とは言えない。表向き、彼女は本領にいることになっているからだ。そして実際に本領にいる。
そして帝国内で対立が起きるときに彼女がそれを座視することはない。
リトレイユ公ミンシアナにとっては、対立こそが黄金の鉱脈だからだ。喜々として帝都に乗り込んでくるだろう。
たぶん。
第六特務旅団の将校と下士長を集めた会議が開かれ、俺は参謀として今後の作戦計画を説明する。要するにいつものメンバーだ。
「リトレイユ公は本領にいるが、彼女には影武者がいる。名前はリコシェ。このリコシェはジヒトベルグ領で秘密工作中と推定される」
ロズ中尉とハンナ下士長が俺の説明をじっと聞いている。
実はロズたちにとっては、リトレイユ公に影武者がいることは初めて知る内容だ。
ここまでずっと秘密にしてきたが、秘密のままでは作戦ができないので彼らには機密情報を部分的に開示する。ただし一般兵士に通達するのは作戦開始直前だ。
「彼女はリトレイユ公の秘密を多く握っており、本物に成りすまして軍を動かすことが可能だ。従ってリコシェの身柄確保は作戦の必成目標となる」
リコシェが俺たちの協力者であることは、作戦開始直前まで伏せておく。もしここに敵の内通者がいた場合、リコシェが危険に曝されてしまうからだ。
俺は地図を示した。
「もしも今リトレイユ公が帝都に現れれば、調略を受けているジヒトベルグ家の家臣たちの視点だと『リトレイユ公が二人いる』状態になる。影武者の存在が明るみに出てしまいかねない。もちろん調略にも悪影響だ」
「あー……なるほど」
ハンナがコクコクうなずいている。他者を欺くことがとことん不得手な彼女は、視点整理が苦手なようだ。人狼ゲームでもやらせて鍛えようかな……。
とりあえず俺もうなずいておく。
「誰の視点から見てもリトレイユ公は一人でなくてはならない。そこでリトレイユ公は調略を中断し、リコシェを呼び戻す」
地図に挿した二つのピンを示す。リトレイユ公とリコシェの推定所在地だ。
「ただ伝令が到着するまでの時間差があるから、リコシェを本領まで呼び戻す猶予はない。途中のどこかで合流するはずだ。本物と影武者の位置を重ね合わせることで、リトレイユ公はまた一人に戻る」
するとロズ中尉が疑わしげな顔をする。
「別に合流しなくても、出発したらどこかで影武者が変装を解いちまえばいい。後はお忍びで本領に帰還ってところじゃないか?」
「いい指摘だ」
こいつも伊達に士官教育は受けてないよな。
俺はその点も説明する。
「リトレイユ公は自分の影武者を信用していない。自分の留守中に本領に帰すと、影武者が自分のふりをして叛旗を翻す恐れがある。過去の動きを調べた限りでは、手元に呼び戻す可能性が一番高い」
なんせ影武者本人から聞いた情報だから信頼性は高い。これはまだ秘密だけど。
「おいおい、自分の影武者すら信用できないのか……」
ロズが呆れて苦笑している。
俺もつられて苦笑した。
「リトレイユ公は猜疑心が強く、絶対に騙されまいという気持ちが強すぎて誰も信用できなくなっている。もともと内外に敵だらけだからな」
アルツァー大佐がぽつりとつぶやいた。
「王とは孤独なものだ。だがそれでも信じて任せねば領地を治めることはできない。さもなければ王が全ての農地を自分で耕すことになる」
絶対に騙されない必勝法は誰も信用しないことだが、それでは王として君臨できない。
俺はリトレイユ公の境遇を少し思い、溜息をついた。
「彼女は敵を作って倒すことで勢力を拡大したが、さすがに敵を作りすぎた。そして猜疑心の強さは彼女を敵から守るのに役立ったが、勢力維持に必要な人材確保では不利に働いた」
誰も信用できないんだから、優秀な人材も忠義の家臣も使いこなせない。
俺たちを信じて全てを任せ、着実に勢力を拡大してきたアルツァー大佐とは対照的だ。
「リコシェの動向なら、調略を受けているジヒトベルグ家の家臣たちが報告してくれる。領内にいる限り居場所は完全に把握できるそうだ」
ロズは半信半疑といった顔だ。
「寝返り工作を受けてるような連中だろう? 信用できるのか?」
「リトレイユ公はジヒトベルグ公の流した噂に騙されたんだよ。調略を受けている連中は全員、筋金入りの忠臣たちだそうだ」
俺が笑って説明すると、ロズも苦笑いを浮かべた。
「猜疑心が強い割に騙されてるのか」
「人間は信じたいものを信じるからな。追い詰められた人間は特に」
騙されないように気をつけたって、人間というのは案外あっさり騙される。人狼ゲームでもやればわかる。
ハンナが少し気の毒そうな表情で言う。
「リトレイユ公殿下は敵だらけなんですね……」
「そうだ。だが彼女を哀れむのは危険だぞ、ハイデン下士長」
俺は地図に新しいピンを挿す。
「リトレイユ公は第五師団を実質的に統率している。この一年ほどで増強されまくった帝国最大の軍団だ。国境を接するアガン王国と単独で渡り合えるだけの力がある」
リトレイユ家には帝室から大量のマスケット銃と弾薬が提供されていて、領民を半農の戦列歩兵にして戦争に備えているらしい。
「戦列歩兵は支援用の砲兵中隊を備えた大隊として編成され、相互に連携を取る形で国境線を完全に覆い尽くしている。推定兵力はおよそ六万。さすがのアガンも手出しできない状況だ」
「他の師団よりだいぶ多いですね……」
ハンナが深刻そうに言うので、俺もうなずいておく。
「帝室直属の近衛師団を総動員すれば叩き潰せるかもしれないが、そんなことをすれば帝国の軍事力は壊滅的な打撃を受ける。アガン軍がなだれ込んでくるだろう。従って帝国軍同士の衝突は最小限に留めなければならない」
言うのは簡単なんだけど、それを実行するプランを考えるのが俺の仕事なので大変だった。
「内戦を回避する計画をいくつか用意しているので、第六特務旅団はこの計画の実行を担当する。失敗したら他の師団から確実に恨まれるから、緊張感をもって取り組んでくれ」
「は、はい!」
ハンナがビシッと敬礼した。頼もしい。
俺はいかにも有能な参謀のような顔をして、サッとアルツァー大佐を振り返る。
「このような説明でよろしいですか、旅団長閣下」
「ああ、十分だ」
アルツァー大佐は椅子から立ち上がる。立ち上がると逆に小さく見えるので座っていた方がいい気もするが、とにかく立ち上がる。
「諸君、これは帝国の運命を決定づける歴史的な作戦だ。……まあ我々にとっては帝国がどうなろうが知ったことではないが、生活を保証してくれる愛すべき祖国だからな。給料分は働こう」
フッと笑うアルツァー大佐に全員が敬礼した。
会議の後、ロズたちは自分の役割を果たすために退出したが、俺は参謀面をして大佐の隣に控えていた。いや、実際に参謀なんだけど。
二人きりになると大佐は俺をじっと見上げる。
「この作戦が失敗すれば帝国は滅亡するな」
「成功しても滅亡するでしょうから、気負う必要はありませんよ」
俺がそう言うと、大佐は驚きもせずに微笑む。
「ミルドール領は既にズタズタだ。ジヒトベルグ領はキオニスの報復に脅かされ、転生派と安息派の両勢力の狭間で生き残りを図っている。リトレイユ領も今後かなり難しい舵取りを迫られるだろう。帝国領の大半が問題を抱えているが、皇帝にこの難局を乗り切る力があるとは思えん。長くはないだろうな」
「御慧眼かと」
俺が芝居がかった口調で応じると、大佐は机にぺしょりと突っ伏した。
「困ったな。どうにかならないのか、大尉? うちの実家だけでも助けてくれ」
「小官に言われても困るんですが」
便利屋扱いされている感があるけど、俺はランプの精じゃないぞ。政治家ですらない。
俺は溜息をつく。
「前に大佐にお願いした件がちゃんと準備できているのなら、この旅団とメディレン家ぐらいはどうにかできるかもしれません」
「あの件なら心配するな、とっくに準備できている」
それなら何とかなるかな。
「しかし面白いことを思いつく男だな、貴官は」
「過去の歴史に学びました」
「歴史を学んだだけで思いつくものか?」
「学ばずして着想を得ることはありませんよ」
俺は二つの世界の歴史を知ってるから、未来を予測する精度は普通の人よりも若干高い。しかも近代化や世界大戦のことも知っている。いずれこの世界にも訪れるものだ。
帝国の崩壊が不可避なら、崩壊後の動乱をどう生き延びるかを考える。その方法は歴史がヒントをくれる。
「帝国の滅亡は避けられませんが、なるべく流血を避けて平和に滅亡させましょう」
「平和に滅亡、か。相変わらず貴官は面白いな」
大佐は笑いながら顔を上げる。
「貴官となら滅亡も悪くない」
机上に長い黒髪を流して微笑む大佐は、ゾクリとするほど艶っぽかった。




