第60話「死神は大鎌を研ぐ」
【第60話】
リトレイユ公逮捕の勅命を受けた俺は今、帝都でリトレイユ公と対面していた。
「警備のお勤め、御苦労様でした」
外套を羽織ったリトレイユ公が薄く笑っている。相変わらず怖い笑い方するなあ。
だが今日のリトレイユ公から漂う香水の香りは、清潔感のあるシトラス系の香りだった。
つまりこのリトレイユ公は影武者、リコシェの変装だ。
よく見ると、酷薄そうな笑みの中にも目元には優しい表情が浮かんでいる。本物の目は爬虫類や猛禽みたいでもっと怖い。
今日は五王家当主が集う御前会議の日だ。半年に一度のこの会議では、五王家間のトラブルや外交課題など重要案件が話し合われる。
さすがに普通はリトレイユ公も本人が来るのだが、警戒した彼女はこの重要な会議に影武者をよこした。
会議でリコシェは立派に影武者として辣腕を振るい、リトレイユ家の権益を堅守した。
ただやはり本物の政治家ではないので、アルツァー大佐に言わせると「あと一歩の踏み込みが足りない」らしい。もう少し図々しくても良いそうだが、平民の悲しさでついつい遠慮してしまうようだ。政治って難しいな。
リコシェの無事を久しぶりに確認できた俺は安心し、わざとらしく敬礼して彼女を見送る。
「長時間の会議、お疲れ様でした。道中お気を付けください」
「ありがとう。あなたも息災で」
偽リトレイユ公は馬車に乗り込むと、本領への帰路に就いた。
彼女の無事を祈りながら見送っているとジヒトベルグ公がやってくる。こっちは本人だろう。
「クロムベルツ大尉、本当に捕縛しなくて良かったのか?」
「捕縛してはいけません。あれはおそらく影武者です」
俺とアルツァー大佐はあれが影武者であることを知っているが、それは表に出せない情報だ。あくまでも推測の形で話す。
「リトレイユ公は影武者を使っているという情報があります。今回のように捕縛される危険性があるのなら、必ず影武者をよこすでしょう」
「影武者か……。頻繁に顔を会わせる間柄ではないから、影武者と本物を見分ける自信はないな」
ジヒトベルグ公はそう言って溜息をつき、それから俺に笑いかけた。
「さすがはアルツァー大佐の名参謀。相手の手の内は何もかもお見通しか。気骨も知謀もある頼もしい男だな」
別にそういう訳じゃなくて、影武者の方から助けを求めて飛び込んできたんだよな。
事情を説明する訳にもいかないので誤解しておいてもらおう。
「それよりも殿下、平民と親しげにしてよろしいので?」
確かジヒトベルグ家の当主って、平民と私的に会話するのも許されないんだよな?
俺は彼を「殿下」と呼んでいるが、実際のシュワイデル語には「陛下」と「殿下」の中間に位置する五王家専用の敬称があり、それを使っている。
何せ五王家は「王家」だ。序列こそあれ、皇帝とも対等の立場にある。
しかしそのお偉いジヒトベルグ公は、さりげなくとんでもないことを言い出した。
「心配は無用だ。貴官は私のシルダンユーにしてある」
シルダンユー? なんだそれ?
日本語話者としては背筋がゾワゾワするんだが。
するとジヒトベルグ公はふと気づいたように言う。
「おお、そうか。貴族社会の古い言葉だから、さすがの貴官も知らぬだろう。『特別な取り次ぎ客』や『裏口の友人』ぐらいの意味だ」
特別? 裏口?
「要するに、身分を越えて親しくしたい平民に与える待遇だ。例えば愛人であったり」
ますます背筋がゾワゾワしてきたぞ、おい。
「また平民の棋士や詩人のような文化人にもシルダンユーとして礼を尽くす。身分制度を保ちつつ、社会の風通しを良くする知恵だ。貴官のことゆえ、てっきりメディレン家のシルダンユーになっていると思ったが」
違います。シルダンユーシルダンユー言うな。いや悪気がないのはわかるんだけど。
「貴官はジヒトベルグ家が正式に認めたシルダンユーだ。当家を私的に訪問することが許されるし、貴族の客人と同様に扱われる」
知らないうちにずいぶんと良い待遇を与えられていたようだが、響きが気になって話が頭に入らない。今世ではこういうことが頻繁にある。
とりあえずお礼は言っておこう。
「ありがとうございます、殿下」
「なに、貴官には亡父の名誉を守ってもらった借りがある。本当は領地を与えたいぐらいだ。それに貴官を招聘することをまだ諦めてはいないのでな」
ありがたいけど、俺はアルツァー大佐の参謀をやめるつもりはないよ。
大佐は俺を信頼し、俺の好きなように仕事させてくれた。仕事が楽しいと思ったのは生まれて初めてだ。
だから一生ついていく。
ジヒトベルグ公は俺の横顔を見て、フッと笑う。
「皆まで言うな、忠義者。貴官を家臣にできるとは思っておらん。だが困ったことがあれば何でも言ってくれ」
「それでしたら、御相談したいことが」
「おお、言ってみるがいい」
そこで俺は事情を説明し、ジヒトベルグ公に協力を求める。
彼はすぐさま快諾してくれた。
「その程度なら当家の力をもってすれば造作もない。帝国の安寧のため、そして恩人のために一肌脱ぐとしよう」
「ありがとうございます、殿下」
俺が礼を言うと、ジヒトベルグ公は楽しげに笑う。
「どうやら少しは借りを返せたかな。この件が落ち着いたら墓参がてら飯でも食いに来るといい。貴官の部下たちの墓は『四聖女の墓地』として当家が守っているからな」
俺の肩をポンと叩くと、ジヒトベルグ公は外套の裾を翻して去っていった。
* *
その後も宮中の行事が何度かあったが、俺はその全てをスルーした。どうせ来るのは影武者のリコシェだ。
しかし俺に後始末を命じた人々は、俺の仕事ぶりに不満のようだ。
アルツァー大佐が苦笑しながら、勅書をヒラヒラ振ってみせた。
「『なぜ今回も逮捕しなかったのか』と、皇帝陛下がお怒りだ」
うるせえな。俺に任せたんだから黙って見てろよ。使えない皇帝だな。
……と思ったが、それを大佐に言っても仕方がない。
「今までの宮中行事は全て、暦通りに毎年行われているものです。予定が事前にわかっていますから、影武者を使うのに何の障害もありません」
「確かにな。リコシェがいる限りリトレイユ公は領内から出てこないだろう」
そうなんだよな。かといってリコシェを排除する訳にはいかない。彼女の安全は俺たちにとって最優先事項のひとつだ。
「リトレイユ公本人が必ず来るように仕向けるには、影武者が使えない時期に予定外の急用で呼び出すしかありません」
スケジュール調整がつかないタイミングに、絶対に来なければならない用件で呼び出す。これしかない。
「リコシェ殿は秘密工作で領外に出ることも多いようです。狙うなら彼女が領外に出払っている瞬間です」
俺がそう言っただけで、アルツァー大佐は全てを理解したようだ。
「なるほど、そのときは影武者を帝都によこすことはできない。それに『秘密工作で領外に出ていて不在』とは言えないな」
表向きの所在地と実際の所在地が一致していて、しかも影武者が使えないタイミング。
リトレイユ公を逮捕できるのはそのときだけだ。
「ジヒトベルグ公の協力で『ジヒトベルグ公と家臣団との間に亀裂が生じ、譜代の家臣に多数の離反者がいる』という情報をリトレイユ公に流すことができました」
「いつの間に……」
「先日お会いしたときに頼みました」
なんせ俺はジヒトベルグ公のシルダンユーだからな。
「うまくいけばリコシェ殿をジヒトベルグ領に引っ張り出せます」
リトレイユ公は敵を作って攻撃することで勢力を拡大してきたが、おかげで敵だらけだ。新しい味方を必要としているから、買収できそうな人材がいればすぐさま声をかけるだろう。
もちろん、そのときはリトレイユ公……の影武者が会いに行くだろう。俺のときもそうだったが、「リトレイユ公本人が来た」と思わせられるのはインパクトが大きい。あれはびっくりするよな。
リトレイユ公も決して無能ではなく、彼女なりの人心掌握術を持っているから手強い。
アルツァー大佐は満足げにうなずいた。
「ジヒトベルグ領はリトレイユ領から最も遠い上に、途中で第六特務旅団の近くを通る。行動を監視しやすいし、リトレイユ公を逮捕すればすぐに身柄を保護できるな。良い案だと思う」
「恐縮です」
これでも参謀らしく、寝ないで一生懸命考えたからな。策を考えるよりも、リトレイユ公にバレないように根回しするのが一番大変だった。しかしこれも参謀の仕事のうちだ。
「後はこの時期に合わせてリトレイユ公を呼び出すよう、偉大なる皇帝陛下に一働きしていただきましょう。勅命を出せるのは陛下だけですから」
あのおっさんには何も期待していないが、せめてそれぐらいはやってくれないと困る。
アルツァー大佐はおかしそうに笑う。
「心配するな、それは私が手綱を握っておこう。長々と政治工作をさせて済まなかったな。では次は兵を動かす段取りだ。本来の参謀の職務として戦争の準備をしてもらうぞ。貴官も嬉しいだろう?」
人を戦争の猟犬みたいに言わないでほしい。
「御冗談を。戦争ほど嫌いなものはありませんよ」
「それでこそ私の参謀だ。ずっとそのままでいてくれ。私は貴官のそんなところが好きだからな」
ニコッと笑った大佐は、なんだかちょっと可愛かった。
この人の隣にいると安心するな……。もっと役に立ちたい。
だからこそ、リトレイユ公との戦争計画を練らなくては。
彼女に抵抗する暇を与えないためにも、ありとあらゆるものを使おう。




