第6話「五王家」
【第6話 五王家】
アルツァー大佐はさらに書類をめくる。
「しかし毎度毎度、派手に戦功を立てているな。なんでまだ少尉なんだ?」
「平民ですから……」
もう説明するのが面倒になってきた。
しかしアルツァー大佐は薄く笑う。
「確かに平民出身の貴官は『五王家』のいずれにも属していない。栄えある我が帝国軍において、五王家の後ろ盾がないことは出世の妨げになる」
『五王家』はシュワイデル帝国建国時から続く名門だ。この地を征服した五人の騎士の末裔ということになっている。
メディレン家やリトレイユ家は五王家のひとつであり、宗家の当主は帝位継承権を持つ。ただしあくまでも名誉的なもので、実際に即位したことは一度もない。
この五王家の権威は絶大だ。どれだけ金や土地を持っていても、五王家との血縁を証明できなければ貴族とは認められない。
だから貴族たちは五王家との関係を重視し、五つの門閥を形成していた。
もっとも、平民でも結婚や養子縁組を使えば貴族になれる。
同期の平民将校の中には貴族出身の嫁さんをもらったヤツもいた。それなりに幸せそうだ。昇進も早く、みんな中尉になっている。
「そういえば貴官、結婚はしていないのか?」
「独身です」
実を言えば俺にも縁談は多少来ていたのだが、全部断った。
結婚すれば、嫁さんの実家の利益のために働くことになる。嫁さんの実家には頭が上がらないし、一族の中では「あの平民」ぐらいの扱いだという。
ギスギスした身内付き合いはもう懲り懲りだ。
だから俺は正直に答える。
「そういう面倒は苦手でして」
「なるほどな。まあ今後は第六特務旅団が貴官の面倒を見る。政争からは遠い旅団だから安心してくれ」
「それは助かります」
するとハンナがそそっと寄ってきて、身を屈めながら耳元でぼそぼそささやく。
「旅団長殿の御実家は『薬指』、つまりメディレン宗家ですよ」
「宗家!? 同名の分家じゃなくて!?」
俺が思わず叫ぶと、アルツァー大佐が苦笑する。
「そうだ。困ったことに家督の継承権も持っている。序列は低いが」
「それはさすがに驚きました」
五王家の中にも儀礼的な序列があり、五指に例えられることがあった。
メディレン宗家は序列第四位の『薬指』だ。第四位とはいえ、分家筋や旧家臣団など何十という門閥貴族の家を従えており、途方もない影響力を持っている……らしい。
「私は先々代の後妻の子でな。現当主は私の甥になるが、四十四歳だ。ちなみに私は二十二歳なので誤解はしてくれるなよ?」
「……なるほど」
二十二歳年下の叔母か。現当主もやりづらいだろうな。
しかし先々代の当主、頑張ったなあ……。
俺が失礼なことを考えていると、アルツァー大佐は溜息をつく。
「私がなるべく姓を伏せるようにしているのは、当主殿に迷惑をかけたくないからだ。貴官のように聖名を名乗った方が良いかもしれない。いや、しかしな……」
なんか悩んでる様子だったので、思わず質問してしまう。
「大佐殿の聖名は何ですか?」
すると大佐は少し恨めしげな顔をして俺を見た。
「笑うなよ? 『ナイツァー』だ」
アルツァー・ナイツァー。
「ふふっ」
思わず笑ったのは俺ではなくハンナだ。
アルツァー大佐は露骨に不機嫌な顔をする。
「笑うなと言っただろう。名前が『アルツァー』なのに、わざわざ韻を踏んで『ナイツァー』にしなくてもいいだろうに。私の名前は詩ではないのだぞ。忌まわしい教区大神官め」
俺も危うく笑いかけたが、どうしても日本語で読んでしまうのでそれは許してもらいたい。転生者の悲しい宿命だ。
それにしても、あるのかないのかどっちなんだよ。
『五王家』周辺は巨大な権力と富を持っているので、ちょっとした言動が命取りになる。帝国貴族名鑑は「変死」した貴族だらけだ。
アルツァー大佐はそれを警戒し、敢えて権力から遠ざかることで保身を図っているのだろう。
そんな大佐は不機嫌そうだ。
「ハンナ、貴官は私の聖名を知っているだろう? なんで毎回笑うんだ」
「し、失礼しました! ふっ、ふふっ……」
ハンナが敬礼しながらプルプル震えている。
アルツァー大佐は溜息をつきながら立ち上がる。あれ、意外とちっこいな?
シュワイデル人は身分によって体格がだいぶ違うが、五王家の人間なら体格には恵まれているはずだ。でも見た感じでは百五十センチ足らずだろう。平民女性の水準だ。
俺は路上生活時代に危険を冒してタンパク質を摂っていたおかげか、身長はたぶん百八十センチぐらいある。ハンナは俺より数センチ高い。いずれも平民としては珍しい長身だ。平民は男性でも百六十ぐらいしかない。
大佐はじろりと俺たちを睨む。
「なんだ?」
「いえ……」
「私が小柄なのは母親譲りだ。父は小柄な女性が好みでな」
先々代のメディレン家当主、晩年にやりたいこと全部やった感がある。
ちっこい大佐はそれでも威風堂々と俺に歩み寄り、下から俺を見上げた。見上げているのに威圧感があるのは、さすが貴族というべきか。
そして彼女は真顔で言う。
「貴官、体よく厄介払いされたな。参謀だろうが少尉は少尉だ。そしてここでは戦功を立てようがない。そして私は貴官を手放すつもりはない」
「そのようですが、小官はそれで構いません」
「本当にいいのか?」
アルツァー大佐は少し意外そうな顔をした。
「この旅団は空っぽの箱だ。本来なら複数の連隊を指揮下に置くべき旅団が、戦列女子歩兵の一個中隊百五十人しか備えていない」
なるほど。『五王家』の直系が預かる部隊だから、形だけ旅団にしてあるんだな。
そういうの好きだよ。
俺が動じていないのが不思議なのか、アルツァー大佐は俺を試すように言う。
「貴官はこれから定年まで女軍人たちの世話をして過ごすことになる。男性士官にとっては屈辱だと思うのだが……」
いいじゃん。
めちゃくちゃいいじゃん。
最高の職場を手に入れたぞ。
興奮してきた俺はビシッと敬礼する。
「いえ、苦労して戦ってきた甲斐がありました。任務に精励いたします」
露骨に困惑している大佐。
「本気で言ってるのか?」
「もちろん本気です」
やっぱり異世界転生は最高だな。
大佐はまじまじと俺の顔を見つめ、珍獣でも見つけたかのような表情になる。
だがすぐにフッと笑った。
「ようやく『当たり』を引いたようだ」
「はい?」
すると大佐は微笑んだまま、こう言った。
「貴官のような変わり者をずっと捜していた。改めて貴官に要請する。私の参謀になってくれ」
よくわからんが歓迎されてるようだ。
俺はすぐさま直立不動で敬礼した。
「はっ! 誠心誠意お仕えします!」
「ありがとう、期待している。貴官の経験と知識を見込んで頼みたいことがある」
「なんなりと」
やっと俺にも運が向いてきたぞ。




