第59話「白羽の矢」(地図あり/再掲)
【第59話】
* * *
シュワイデル帝国皇帝ペルデン三世は、苦り切った表情で三人の男を見ていた。
皇帝の御前に立つのは、ジヒトベルグ公、メディレン公、そして新たにミルドール公を名乗っているミルドール公弟の三人だ。
つまりリトレイユ公を除く五王家の当主がそろい踏みしたことになる。
皇帝は本当に渋々といった様子で口を開く。
「こうなっては仕方ない。まず貴公らの話を聞こう。ただし判断するのは余だ、よいな?」
「もちろんでございます、陛下」
そう答えたのは皇帝に次ぐ序列第二位のジヒトベルグ公だ。
まだ若いジヒトベルグ公だったが、今日の彼は堂々としている。
「先代ミルドール公は未だに帝室への畏敬の念を捨ててはおられません。元はといえば、リトレイユ公がブルージュに攻城砲を融通したことが原因です。敵国に武器を貸し与えるなど、陛下への裏切りとしか申しようがありません」
皇帝はますます渋い顔をする。
「その件は余の方でも調べさせた。ただ、リトレイユ公は証拠は全て偽造だと主張しておるのだが……」
皇帝の言葉は微妙に歯切れが悪い。
居並ぶ諸侯はあくまでも無言だが、明らかに圧力があった。リトレイユ公が敵国と取引をしていたことは事実であり、その目的がミルドール家の失墜だったことも議論の余地はない。
とうとう最後に皇帝は小さく咳払いをする。
「リトレイユ公がミルドール家を陥れるために策謀したことは、ほぼ確実であろう」
「おお……」
老齢のミルドール公弟が安堵の表情を浮かべる。
しかし皇帝はすぐに取り繕った。
「いや待て、リトレイユ公は余に忠誠を誓っておる。あの者を断罪すれば、アガンとの国境を守る第五師団に乱れが生じるかもしれぬ」
するとメディレン公が静かに奏上する。
「その件でしたら、第五師団の古参将校たちから嘆願書を預かっております。現当主はあまりにも横暴で、人事権を乗馬鞭のように使いすぎるそうです。このままでは第五師団が疲弊してしまうと」
彼はさらに言う。
「リトレイユ公が失脚しても、第五師団の古参将校たちが軍を統率します。彼らは現当主に疎まれて閑職に身をやつしておりますが、元々は第五師団の幹部です。一線に復帰すれば実務面では何の問題もありますまい」
「むう……。だがリトレイユ家にも体面というものがある。先代当主とて愛娘が捕らえられては悲しむだろう。我が帝室は先代には借りがあるのだ」
皇帝にとってはこれが最後の抵抗だったが、メディレン公はそれを封殺する。
「その先代当主殿が嫡男セリン殿に家督を譲りたがっておいでです。今すぐにでも代替わりさせたいと」
帝室に貸しのある先代当主がそう言っているのであれば、もはや反対しているのは皇帝一人だ。
長い沈黙の後、皇帝はすがるような目で諸侯を見回す。
「しかし……余はリトレイユ公が恐ろしい……。あの者の容赦のなさは存じておろう? 誰があの者を捕らえるというのだ?」
「確かに難儀ですな」
ミルドール公弟がうなずいたが、彼は落ち着いた口調でこう続ける。
「ですがメディレン公の年下の叔母・アルツァー大佐の配下に適任者がおります。私の娘婿の同僚でして、先のブルージュ侵攻の折にめざましい軍功を挙げた優秀な若手将校です」
すかさずジヒトベルグ公が口を挟む。
「陛下もお会いになっておられます。ユイナー・クロムベルツ参謀大尉。キオニス遠征では第六特務旅団をほぼ無傷で生還させた不死身の猛将です」
「クロムベルツ……。うむ、記憶にあるな。あまり印象にないが、それほどまでに優秀であったか」
皇帝の言葉に五王家の諸侯たちは微かに苦笑する。実際には失笑といったところだが、もちろんそれを悟らせるようなことはしない。
あくまでもさりげなくジヒトベルグ公が補足する。
「当初はリトレイユ公の子飼いだと思われていた平民将校ですが、先の御前会議ではリトレイユ公の主張に堂々と反論し、我が亡父の名誉を回復してくれました。平民ではありますが誇り高さは貴族と変わりません。まさに男の中の男です」
クロムベルツのことを覚えていないということは、皇帝ペルデン三世は御前会議の細かいやり取りを覚えていないということになる。ジヒトベルグ公が味わった屈辱も覚えていないのだろう。
それは諸侯を失望させるのに十分だった。
だが当の皇帝はそんなことに気づいた様子もなく、何度もうなずく。
「言われてみれば、確かにそのような者がいた気がするな。よかろう、適任である。やらせてみようではないか」
「陛下の御英断、恐れ入ります」
ジヒトベルグ公は静かに頭を下げる。
皇帝は満足げにさらにうなずいた後、ふと心配そうな表情をした。
「これで帝国の安寧は守られるであろうか?」
その問いにメディレン公がとびきりの笑顔で応じる。
「そのために我ら一同が努力いたしておりますゆえ、どうか御安心を」
「うむ、信じておるぞ」
こうして極秘裏に決定がなされ、それはただちにクロムベルツ大尉に伝えられた。
* * *
「俺にですか!? ……失礼しました、小官にですか!?」
さすがに俺もちょっとびっくりしちゃったぞ。軍隊生活は驚くことばかりだが、今回のは特別だ。
アルツァー大佐は淡々とうなずく。
「『リトレイユ公ミンシアナを逮捕せよ』というのが、第六特務旅団に与えられた勅命だ。私は旅団長として、この命令を実行するための作戦案を貴官に要請する」
これ以上ないぐらい正規のルートで命令が下りてきた。えらいことになったぞ。
「小官は憲兵将校ではないのですが」
「リトレイユ公は軍人ではないからな」
さらりと返された。これは手強い。
正規の手続きを経て命令が来たら、軍人としてはやるしかない。俺は覚悟を決める。
「作戦の期限、および与えられた兵力をお聞かせください」
「兵力は第五師団以外は全て使えるように手を回しておいた。作戦完了の期限は約半年。ただし作戦案の提出は三日以内に行うように」
卒論より難しいことをやるのに与えられた猶予が三日なの、絶対におかしいと思うよ?
もっとも今の俺は大学生でも士官候補生でもなく、現役の参謀大尉だ。やるしかない。
「命令を受領いたしました。ただちに任務を開始します」
「ああ、よろしく頼む。すまないな、こんな急な話で」
アルツァー大佐もさすがに気の毒そうな顔をしてくれた。
「皇帝陛下は自身がリトレイユ公を切り捨てたことに怯えておいでだ。見捨てられたと知れば、リトレイユ公が何をするかわからないからな」
「彼女の本性を見抜く程度の先見性がおありなら、初めから頼らなければいいでしょうに」
あのおっさんは、リトレイユ公がヤバいヤツだと知りつつ頼りにしていた訳だ。中途半端な賢さに呆れてしまう。
すると大佐は溜息をついた。
「人間は自分だけは何とかできると思いたがるものだ。それは平民でも貴族でも変わらないが、貴族は平民に後始末をさせられるのが違うな」
後始末を命じられた身としては大変迷惑だな……。
もし計画が失敗すれば、リトレイユ公は俺を抹殺対象の上位に位置づけるだろうし、皇帝や諸侯も俺に責任を被せようとするだろう。損な役回りだ。
だがこれも仕事なので仕方ない。やるならさっさとやってしまおう。
「どうせリトレイユ公のことですから、皇帝陛下の心変わりはもう察知してるんでしょうな」
「そうだな。聞き及ぶ限りでは領外での活動が急に減ったようだ。領外での活動はおそらく影武者のリコシェが一人で回している」
さすがは保身の名人というべきか。リトレイユ公は危険を察知して素早く本領に引っ込み、捕縛や暗殺の可能性を最小限に保っている。
だがそれは俺にとって非常に都合がいい。
「それぐらい慎重に行動してくれるのなら、危険をちらつかせるだけでリトレイユ公の動きを鈍らせることができますね。適当に情報を流して警戒心を煽りましょう」
「いい方法だ。だがそれでは逮捕できないぞ?」
大佐の疑問に俺は笑って答える。
「動きを鈍らせている間に外堀を埋め、最後は勅命で帝都に召喚します。背けば叛意ありとみられますので、渋々応じるでしょう」
「そうかな?」
「応じざるを得ないのです。リトレイユ領は北のアガン王国と常態的に戦っていますので、南側の帝室直轄領から討伐軍を差し向けられれば挟撃となり、とても防ぎきれません」
「リトレイユ領には港もあるが、まさか……」
「はい。メディレン家が保有する第四師団の艦隊で海上封鎖します」
俺はそこまで説明し、にっこり笑う。
「ですので、リトレイユ公は戦うことも逃げることもできません。彼女には軍人としての力量はなく、配下の第五師団ではリトレイユ公を支持するかどうかで内部対立が起きています。彼女は政治の舞台でしか踊れないんですよ」
だから本領に引っ込んでしまった時点でリトレイユ公の命脈は尽きている。
「後はリトレイユ公がアガン王国との連携を模索しないように監視する必要があります。これはミルドール公の伝手を頼って、ブルージュ公国に一肌脱いでもらいましょう」
大佐はしばらく黙っていたが、ぽつりとつぶやいた。
「普段とのギャップが凄いな、貴官は。なるほど、恐れられる訳だ」
「職務に忠実なだけですよ?」
仕事に手を抜くというのがどうしてもできない。
大佐は苦笑した。
「皆、そういうところを信頼している。では今の方針に基づいて作戦計画書を提出せよ」
「はっ!」
俺は敬礼すると、自分の仕事を開始した。




