第55話「『替えの服』たち」
【第55話】
リトレイユ公の影武者が「主君から守ってくれ」と駆け込んでくるのは、どう考えても尋常じゃない。
政治闘争的には大変ありがたい展開だが、参謀としては罠を疑ってしまうぞ。
だがアルツァー大佐は笑っている。
「にわかには信じがたいだろう? だがこれには理由がある。リコシェ、話してやってくれ」
「はい、閣下」
影武者のリコシェは素直にうなずき、俺を見て微笑んだ。今さらではあるが、その顔で微笑まれると凄く怖い。
「私はリトレイユ公の影武者、そして彼女の権力の代行者として様々な場に顔を出しました。あの方はプライドが高いので、謝罪や要請……つまり人に頭を下げなければならないときに私をお使いになるのです」
なんていうか、それは君主としてダメなヤツじゃないかな。そういう大事な用件を他人任せにしてしまうと、肝心なところで足下をすくわれかねない。
俺が考えたことを見抜いたのか、大佐が苦笑している。
「貴官が何を考えているかはわかるぞ。だが話を聞いてやってくれ」
「わかりました」
考えてみれば実際に足下をすくわれてるよな。影武者が離反しちゃってるんだから。
リコシェは続ける。
「リトレイユ公の影武者として謝罪や要請を行うには、かなり深い事情を知らなければなりません。また、そういった場でさらに深い事情を知ることもあります。そのうち、それが恐ろしくなってきました」
なるほど、「知りすぎてしまった影武者」というヤツか。漫画とかでは最後に消されるのがお決まりのパターンだ。
影武者は本人に成りすますことができる上に、存在が非公表だ。秘密裏に消される確率は格段に高くなる。
俺が少し気の毒な気持ちで聞いていると、リコシェは苦笑した。
「そんなに同情していただけるとは思いませんでした。続けてもよろしいですか?」
「ああ、どうぞ」
俺、そんなに同情してる表情だったのか?
ちらりと大佐を見ると、彼女も苦笑していた。
「私は貴官のそういうところを一番頼もしく思っているぞ」
「恐縮です」
ふと見ると、リコシェと大佐が視線を交わして微笑んでいる。お人好しの参謀だって思われてるんだろうな。
リコシェは前よりも打ち解けた雰囲気で説明を続けた。
「リトレイユ公は平民を軽蔑していますし、決して信用しません。実は私以外にも影武者がいたのですが、全て処刑されています」
処刑とは穏やかじゃないな。しかしなぜ?
「私が影武者になったときはまだ他に二人いたようなのですが、一人は敵対者の襲撃を受けて顔を切られ、大きな傷を負いました。用済みとしてその場で処刑されたそうです」
リトレイユ公と違う顔になってしまった以上、もはや生かしておく価値はない……ということか。恐ろしい。
「もう一人の影武者とは顔見知りだったのですが、うっかり『もう完全に御主人様の代わりを務められますよ』と言ってしまい、処刑されたそうです」
確かにリトレイユ公は、そういう発言を許さないだろうな。しかしなんでそんな無謀なことを言ったんだ?
「その影武者は忠誠心が高く、リトレイユ公の役に立てることが嬉しかったようなのですが、リトレイユ公にはその心は通じなかったようですね。忠誠を捧げるに値しない主君だった、ということです」
リトレイユ公も怖いけど、この人も怖いな……。
リコシェの言葉が真実だという保証はないが、リトレイユ公の器が垣間見えるエピソードだ。彼女に人の上に立つ資格はないのは明らかだし、信憑性がある。
リコシェは淡々と続ける。
「これ以上、リトレイユ公に影武者を増やさせては死人が増えるだけだと思いました。そこで私は唯一無二の影武者となるよう努力し、さらに処刑されないよう細心の注意を払って今日まで生き延びてきました」
もし本当なら壮絶な人生だ。リトレイユ公の暴虐の犠牲者となった者は大勢いるが、かなりの上位者だろう。同情するしかない。
「一方、アルツァー様にはリトレイユ公の影武者として何度もお会いし、次第にお人柄を尊敬するようになりました。それにこの旅団では私と同じ平民女性が良い待遇で暮らしていますし、羨ましくなったのです」
あー……そりゃそうだよな。この旅団だって別にそんなに快適な場所ではないが、失言ひとつで処刑される影武者生活よりは遥かにマシだ。
俺は何か言わねばと思い、やや無理をして口を開く。
「なるほど、リコシェ殿は苦労されてきたのですね。信頼も尊敬もできない主に忠誠を誓う辛さ、小官もかつて第五師団で似たような経験を幾度もしたものです」
「はい。私のような者を信頼なさる時点で、人を見る目はお持ちではないと思いました。そのような方に大それた謀略など成し得られません」
痛烈な皮肉だ。だが本音だろう。
忠義者を処刑し、主君を見限った者を重用する。暗君のお手本だ。
だが俺は参謀なので、それでもまだいろいろ疑う。ここはしっかり検討だ。
リトレイユ公が影武者の本心を見抜いた上で、それでもなお利用しているという可能性はないだろうか? 彼女は有能な影武者だから、忠誠心がなくても他に替えがいない。
とはいえ、影武者が「いつどこで誰に会って、どんな話をしたか」を敵に流し始めたら、さすがに生かしておけないだろう。影武者自身が本物を暗殺しようとする可能性だってある。
いやいや、リコシェの裏切りそのものが偽りという可能性もあるな。偽情報を俺たちに信じ込ませるには強力な一手だ。
しかしこれにしても、別に影武者を使わなくても他の側近で同じことができる。離反しそうな人材には事欠かない君主だ。
影武者は存在を気づかれていないときが最も強いのだが、この計略は成否にかかわらず影武者の存在を相手に知らせてしまう。計略が成功すればまだいいが、失敗すれば大損だ。
人間を駒のようにしか見ていないリトレイユ公からすれば、「駒損」といえる一手だろう。そんな肝の太い奇策を打ってくる人物には思えない。
うーん……疑い始めるとキリがないが、ここはいったん信用してみるか。
疑って追い返したところで何の利益にもならないし、何よりも彼女が本当に助けを求めているのなら放っておけない。
士官学校でいろいろ教わったせいで、無駄にいろいろ邪推する癖がついてしまったな。
考えるのに疲れてしまったので、俺は制帽を脱いで苦笑いしてみせる。
「確かに納得できる話です。ただ疑うのが参謀の仕事なので、今もまだ混乱していますよ」
すると大佐が笑う。
「それを正直に言ってしまえるのが、貴官の面白いところだな」
「リコシェ殿の話は限りなく真実に聞こえます。素直に信じて彼女の手を取るのが人の道でしょう。ただ戦争そのものが人の道に反していますので……」
やらなくてもいい戦争で敵も味方も大勢死なせてきた身だ。今さら人の道など説けるはずがない。
俺の言葉に大佐は微笑む。
「先ほど少し話を聞いたが、私の知る限り、リコシェが提供してくれた情報に誤りはなかった。彼女の人柄は信用できそうだし、耳を傾ける価値はあると思う」
「閣下がそうお考えなのでしたら、小官はそれをお手伝いするまでです」
決断するのは司令官の仕事だ。参謀は計画を作って提案するだけであり、決定は全て司令官に委ねる。
大佐は大きくうなずいた。
「ありがとう。もちろん彼女も全ての情報を握っている訳ではない。彼女が我々に報告できるのは、自分が誰と会って何を話したかぐらいだ」
それだけでもリトレイユ公を追い詰めるだけの力はあるだろう。
リトレイユ公の影武者による裏切り。
謀略戦において勝利を確信できるほどの一撃だ。
だがそれだけに全ての可能性を疑う必要はある。そんな都合のいいことがそうそう起きるはずがない。
しかし一方で、疑ってばかりでは影武者を味方に引き込めないというジレンマもある。こちらが半信半疑では、リコシェも裏切りを躊躇するだろう。
そのときふと、俺は「死神の大鎌」の力を思い出した。
そこで俺は心の中で、こう強く念じる。
(俺はリコシェを「全面的に信じる」ことにする)
もしこれがいずれ俺の命取りになるようなら、「死神の大鎌」が反応するはずだ。
幸い、特に反応はない。どうやら大丈夫そうだ。あくまでも「今のところは」だが。
あと俺以外の誰かが死ぬことについて「死神の大鎌」は一切反応しない。大佐やハンナたちが殺されようが反応しないし、俺が投獄されるような未来でも反応はしないと思う。
逆のパターンで検討してみよう。
(俺はリコシェを「一切信用しない」ことにする)
こちらの場合でも、やはり「死神の大鎌」は反応しなかった。要するにこれだけで俺の生死が決まる訳ではないらしい。……今のところは。
ちょっとがっかりしたが、そんな俺にリコシェが心配そうに声をかけてくる。
「あの、どうかされましたか?」
「ああいえ、少し考え事を」
「参謀殿ですものね」
穏やかに微笑むリコシェ。リトレイユ公のそっくりさんだが、物腰や言葉遣いの端々に優しさが感じられる。本物もこんな感じだったら良かったのに。
そうだな、やっぱり彼女を見殺しにはできない。罠かもしれないが、人として為すべきことをしよう。
俺は大佐に向き直る。
「閣下、何としてもリコシェ殿を守りましょう。彼女は我が旅団の女性兵士たちと同じ境遇です」
その途端、大佐が嬉しそうな顔をした。
「どうだ、リコシェ。私と全く同じことを言ったぞ」
「……本当ですね」
どうやら俺が来る前にいろいろやり取りがあったらしい。二人で顔を見合わせて笑っている。
「クロムベルツ様のお言葉を聞いて安心いたしました。私の正体については、アルツァー様とクロムベルツ様、お二方だけの秘密でお願いいたします」
「わかった。誰にも言わないと約束する」
大佐もうなずいた。
「リコシェの身の安全を考えれば、それが最善だろうな。秘密を知る者が私一人では何かあったときに彼女を守りきれないが、あまり増やす訳にもいかないだろうし」
大佐はそう言うと俺に向き直り、真面目そのものの口調で命じた。
「本日をもって、我が旅団はリコシェの安全を守る。これはリトレイユ公から我が旅団を守るのと同じ優先度とする。これは旅団長命令だ」
「了解いたしました」
俺は敬礼し、それからリコシェに笑いかける。
「今日から小官もあなたの味方です。危険を感じたら、すぐにここに避難してください。あらゆる手を尽くしてあなたを守ります」
リコシェは落ち着いた様子だったが、どこかホッとした様子で頬を赤らめている。保護の確約を得られて嬉しかったのだろう。この約束は必ず守ろうと心に誓う。
「あの……本当にありがとうございます。これからも末永く、よろしくお願いいたします」
リコシェはそう言うと、俺に深々と頭を下げた。




