第5話「アルツァー大佐」
【第5話 アルツァー大佐】
城内には女の子しかいなかった。みんな若い。十代や二十代の子ばかりだ。
もしかしてここの旅団長は、女好きのゲスい貴族将校か何かなんだろうか。女性兵士ばかり集めてハーレムを作っているとか……? 想像するだけで気持ち悪い。
嫌だなあ。参謀は補佐する指揮官との距離が近いから、性格が合わないときは地獄だぞ。
「こちらですよ、少尉殿」
「あ、ああ。ありがとう」
寒々とした長い廊下の奥に旅団長室があった。
ハンナがドアをノックする。
「旅団長閣下! ハンナです!」
「聞けばわかる」
あれ、若い女の子の声だ。まさか旅団長まで女の子か?
俺の動揺をよそに、ハンナが告げる。
「クロムベルツ少尉をお連れしました」
「ああ、もう来たのか。入ってくれ」
旅団長室に通された俺を待っていたのは、長い黒髪の若い女性だ。ハンナより少し年上だが、それでも二十代なのは間違いないだろう。こんな子が旅団長とは。
おっと、敬礼しなきゃ。
「失礼いたします。ユイナー・クロムベルツ参謀少尉であります。転属命令により着任いたしました」
美しい黒髪の旅団長閣下は立ち上がり、軽く敬礼する。
「この第六特務旅団を預かるアルツァー・メディレン大佐だ。軍の慣習上、正式な名乗りは省略させてもらう。聞きたいかな?」
「遠慮しておきます」
シュワイデル帝国貴族のフルネームは長いから覚えきれない。両親の家系とか一族での地位とかが全部わかるようになっているので、とにかく長い。
「そうそう、姓はあまり呼ばないように頼む。『家庭の事情』というヤツなんだ」
「承知いたしました、アルツァー大佐殿」
ははあ、「家庭の事情」か。メディレン家というと、リトレイユ家に並ぶ帝国屈指の名門だな。どうせ分家筋のお嬢様だろうけど色々あるんだろう。
「ありがとう。ようこそ、クロムベルツ少尉。貴官を歓迎する」
それから彼女は黒髪を揺らし、俺に問う。
「旅団長が女で驚いたか?」
「いえ」
言われてみればシュワイデル軍で女性士官は初めて見たが、前世の感覚だと女性の上司ぐらい驚くことじゃないからな。
「こちらが転属命令書と小官の軍務経歴書です」
俺が全く驚いていないのが、アルツァー大佐には少し珍しかったようだ。不思議そうな顔をしている。ちょっと可愛い。
「ええと……御苦労だったな。長旅で疲れただろう?」
「いえ、念願の参謀職ですから張り切っております」
あまり堅苦しくするのも良くないかと思い、そう言って笑ってみせる。
アルツァー大佐はうんうんとうなずいた。
「それなら良かった。貴官には専用の執務室と寝室を用意している。当番兵に貴官の身の回りの世話をさせたいが、風紀上の観点から少し悩んでいてな」
「それは自分でします。お気遣いありがとうございます」
ここにいるのは女の子ばかりのようだから、変な誤解があると俺も困る。
俺の答えにアルツァー大佐は満足そうに笑った。
「貴官は紳士だな。ところで、こちらに来る途中で変な女に会わなかったか?」
「会いました」
迷わず即答する。
するとアルツァー大佐は軽く溜息をついた。
「やはりあの女か……。当ててみせようか、リトレイユ公だろう?」
「はい、リトレイユ……リトレイユ公ですか!?」
あのコスプレ女、リトレイユ家の当主なの? あんな若い女性が?
確認しておこう。
「リトレイユ家の家紋入りの軍服を着た二十ぐらいの美人で、ちょっと糸目っぽい感じでした」
「そう、そいつだ。彼女は軍人ではなく政治家だが、黒い噂の絶えない要注意人物だ。よく正直に教えてくれたな」
そりゃ俺の給料はリトレイユ家じゃなくて帝国軍から出てるんだから当然だよ。
「小官は軍人ですので」
「大変結構だ。うん、だんだん貴官が気に入ってきた」
フッと笑うアルツァー大佐。リトレイユ公と違って、アルツァー大佐の笑みは悪い気がしない。
彼女たちの関係はわからないが、俺はアルツァー派でいこう。
大佐は俺の経歴書をパラパラとめくり、ふむふむとうなずく。
「ユイナー・クロムベルツ……。クロムベルツは聖名か。非礼を承知で聞くが、姓を記載しない事情は?」
「幼い頃に親に捨てられましたので姓がわかりません」
「ああ、なるほど。すまない」
「いえ、お気になさらずに」
聖名というのは帝国国教団から与えられた名で、出身地と聖名がわかれば教区台帳で身元を証明できる。普通は省略するが、俺みたいに姓がない者は便宜上これを名乗る。
「弱冠十五歳で士官学校の入学試験に一発合格か。……その割には卒業時の成績は今ひとつだな」
「平民出身ですと色々ありますから」
貴族の子弟たちと競えば陰湿な嫌がらせを受ける。彼らは平民と貴族は別種の生き物だと本気で思っているのだ。競争そのものが許されない。殺されなかっただけでもマシだ。
「卒業後は歩兵少尉に任官し、以降ずっと戦列歩兵の小隊長か」
「はい。本当は主計科を希望したんですが、通りませんでした」
主計科の士官は経理が主な仕事だが、シュワイデル軍では兵站や統計など雑多な業務を幅広く受け持つ。事務系の技術士官だ。
俺は前世では数学が今ひとつだったが、さすがにシュワイデル帝国の平民としては相当にできる方に入る。秀才が集まる士官学校でも平均以上にはできた。
問題だったのは俺の生まれだ。
「平民出身の将校は何を勉強しようがだいたい歩兵科に配属されるそうです。後方勤務の主計科は貴族の跡取りだらけでした」
「そうだろうな。不服か?」
ちらっとアルツァー大佐が俺を見てきたので、俺は渋い顔をしながらも答える。
「いえ、優秀な頭脳を平民同様に戦死させる訳にはいきません。彼らの脳味噌には金がかかっていますから」
あいつら大金を積んで、超一流の学者に個人授業をしてもらうんだぞ。ニュートンやケプラーみたいな連中が家まで教えに来る……らしい。
そのときに支払われる莫大な授業費のおかげで、学者たちは存分に研究に打ち込める。だから「貴族はズルい!」と憤慨するのも少し躊躇われた。
アルツァー大佐は苦笑してみせた。
「貴官は物わかりがいいな」
「合理的であろうとしているまでです」
「大変結構だ。ますます気に入ったぞ」
嫌味だろうか? 初対面だからわからん。
しかしこの人、苦笑してても可愛いな……。いい上司を手に入れたかもしれない。




