第48話「謀略の帝都」
【第48話】
俺が旅団長室に入ると、当番兵の女の子がカップを片付けているところだった。誰か来ていたらしい。
「すみません、出直しましょうか?」
「いやいい。重要な連絡がある」
「実は小官もです。ここ座りますよ」
俺がソファに腰掛けると、当番兵の子が気を利かせて紅茶を運んできてくれた。
「どうぞ、参謀殿」
「ありがとう、悪いな」
するとその子はお盆を手に照れくさそうな顔をした。
「いえ、さっきのお客様が早く帰られたので、お出しする紅茶が余ってしまったんです」
「なんだそうか。では貴官の手間を無駄にしないためにも、ありがたく頂くよ」
当番兵の子が退出した後、ちっこいアルツァー大佐が拗ねた顔をして腕組みしていた。
「階級に関係なく、機会は平等にあるべきだと考えている」
「なんです急に」
「どうして貴官は肝心なところで察しが悪くなるのか」
何言ってんのこの人。
少し考え、言わんとする意味を理解する。ああ、そういうことか。
「お言葉ですが、それは考えすぎでは?」
「貴官は我が旅団唯一の独身男性で、温厚で誠実で有能だ。見た目もいい」
「いいですか?」
「かなりいいぞ」
なんで力説するんだ。
このままだと話が全然先に進まないので、俺は大佐に話を促す。
「それで閣下、連絡とは?」
「ああうん、まあそうだな。そちらが先か」
アルツァー大佐は咳払いし、ソファに腰掛ける。
「リトレイユ公の政治工作が激しくなってきた。彼女は国内を二分するつもりだ」
「二分……」
俺は少し考え、ハッと気づく。
「ジヒトベルグ家、それにミルドール家を帝国の敵に仕立て上げるつもりですか?」
「そうだ。さすがに察しがいいな」
喜んでる場合じゃないよ、大佐。
大佐はさらに続ける。
「ブルージュ公国相手に失態を演じたミルドール家。キオニス連邦王国への遠征で大敗したジヒトベルグ家。彼女は両家を『五王家の恥』『帝国の敵』と強く批判しているらしい」
「ジヒトベルグ公を元帥に推薦しておいて何を言ってるんですか、彼女は」
「そこを掘り返すと皇帝陛下の任命責任が浮上するからな。我がメディレン家としても反論しづらいそうだ」
序列第二位のジヒトベルグ家と、第三位のミルドール家。
この両家が悪者扱いされており、残りは序列首位の帝室と第四位のメディレン家、そして第五位のリトレイユ家だ。
「閣下、この流れだと皇帝陛下はリトレイユ家を重用するのでは?」
「そうだな。序列ではメディレン家の方が上だが、当家はここに至るまで何もしていない。日和見主義もここに極まれりだ」
大佐はそう言ってから、フッと苦笑する。
「そのせいか最近の当主殿は私に優しくてな。元々私には何かと便宜を図ってくれていたのだが、今は私を頼りにしているようだ」
「対ブルージュ防衛戦、対キオニス遠征の両戦役で武功がありますからね、閣下は」
「私の武功ではない。貴官の献策と献身あってこその勝利だ」
褒められると嬉しいけど照れくさいな。
「小官の提案をここまで認めてくださるのは閣下だけです。小官にとって閣下は帝国随一の名将ですよ」
「褒めたつもりが褒められてしまったな。だが貴官にそう言われれば悪い気はしない」
大佐はニコッと笑い、そして話を元に戻す。
「ともあれ、我々の思惑とは裏腹に我々は政争の具となった。この陰謀劇の舞台から降りることはできないだろう」
「確かに」
リトレイユ公にしてみれば、俺たちなんか「生き残ればまた使える」程度の道具に過ぎなかっただろう。
だが俺たちはしぶとく生き残り続け、リトレイユ公にとって役立つ道具になった。
と同時に、ミルドール家やジヒトベルグ家、そしてメディレン家にとっても無視できない存在になっている。何せ戦争には負けていても俺たちの旅団だけは勝っているのだ。
「閣下の発言ひとつで帝国の勢力図が一変しますよ」
「嬉しくないな」
大佐は頭を掻き、それから俺を見た。
「まあいい。とにかく面倒事が増えるぞという連絡事項だ。私の方は以上だが、貴官の用件は何だ?」
「ああ、そうでした」
俺はロズ中尉から聞いた話を大佐に報告する。
「ミルドール家はリトレイユ公への反撃を考えているようです。ブルージュ侵攻で、例の大砲の件を嗅ぎつけた模様です」
「さすがはミルドール家というべきだな。黙って殴られているばかりではない」
大佐はそう言って腕組みをする。
「どちらが勝つ?」
「まだ何とも言えません。どちらを勝たせたいですか?」
「ミルドール家に恨みはないし、ミルドール家一門衆のシュタイアー中尉は大事な部下だ。それにリトレイユ公が勝つ未来は見たくない」
そりゃそうだよね。
「では水面下でミルドール家に協力しますか?」
「そうだな……いや待て」
アルツァー大佐はにんまり笑う。ちょっと怖い笑みだ。
「方針としてはミルドール家に与するが、直接のやり取りはやめておく。リトレイユ公がそれを警戒していないはずがないからな」
「なるほど」
リトレイユ公は他人を陥れる策謀に長けている。ということはもちろん、自分を陥れる策謀に対しても敏感だろう。
大佐はこう続ける。
「そちらの工作は私が直接行う。高度に政治的で……あと、貴官のような正直な男には向いていない任務だ」
「正直ですか」
別に正直ではないと思うけど、正直だと言われたらやっぱり嬉しい。人間、正直が一番だ。
大佐は妙に優しい顔で俺を見つめる。
「貴官は己の内の正義に反することはできないだろう? だが私はできる。貴官は正直なままでいてくれ」
「ありがとうございます、閣下。今後とも正直な参謀としてお役に立ちます」
正直な参謀ってあんまり強そうじゃないけど、大佐の厚意を無下にはしたくないからな。
このやり取りのあった数日後、俺と大佐に出頭命令が下った。
それも師団司令部や陸軍総司令部じゃない。
帝都のビオリユア大宮殿。皇帝の御座所であり、シュワイデル帝室の中枢部でもある。
そして魑魅魍魎が蠢く陰謀の巣窟でもあった。
俺が何をしたっていうんだ。
アルツァー大佐は慣れた様子でコートを着込みながら言う。
「どうせキオニス遠征の件だろう。査問会でなければいいのだが」
「冗談じゃないですよ。小官まで出頭させる意味がわかりません」
すると大佐はニヤリと笑う。
「出頭命令がなければ私一人で行かせたか?」
「それは……まあ、参謀としてはお側にいるべきかと思いますが」
なんでもかんでも相談してくるからな、この人は。
「閣下は小官に髪結いのリボンの色までお訊ねになりますので」
「何を質問しても誠心誠意考えてくれるのが嬉しくてな。このコートを新調したのだがどう思う?」
ひどい。
俺はコートをじっと見つめ、それから答える。
「よくお似合いです。閣下は厚手のコート、特にファーのついたものがよくお似合いになります」
「そうか?」
ふふっと笑う大佐。
それから急に真顔になる。
「待て、それはもしかして『もこもこに着込んでいると子供みたい』だからか?」
「はい」
中学生みたいで可愛いんだ。
大佐は急に不機嫌になり、恨めしそうな顔で俺を睨む。
「誠心誠意考えたからといって、いつも望む答えをくれる訳ではなさそうだな」
「申し訳ありません」
「おい、笑うな」
可愛いと思うんだけどな。
* *
俺たちはシュワイデル帝国の中心部、帝室直轄領のど真ん中にある帝都ロッツメルへと到着した。偵察騎兵の子たちと歩兵科の選抜射手たちが数名、護衛として同行してくれる。
留守番はいつものようにロズ中尉だ。将校が留守番をしてくれるのはありがたい。
「帝都ロッツメルは初代皇帝が最初に獲得した領地だ。反乱鎮圧で武功を挙げ、五人の仲間と共にこの地を拝領した。当時は何もない寒村だったと聞く」
馬車にガタゴト揺られながら、大佐が女の子たちにそんな話を聞かせている。
「その後もさまざまな動乱を見事に立ち回り、わずか一代で大帝国を築くまでに至った。五人の仲間には広大な領地を与えて王にしてやったが、その一人が我がメディレン家の初代当主という訳だ」
成り上がり者の皇帝が頼りにし続けたのが、五人の仲間たちだ。彼らは皇帝の期待に応え、大帝国の礎となった。
それだけに皇帝の信頼は篤く、彼らは家臣ではなく盟友として「王」を名乗ることを許され、帝位継承権も与えられている。
まあ数十年前にブルージュ家が裏切ったけど。
アルツァー大佐はメディレン家の先々代当主の実子。本物のお姫様だ。
馬車に随行する旅団の子たちも、そんな大佐にメロメロらしい。
「由緒正しい家柄なんですね。大佐殿、カッコイイ!」
「そうだろう、そうだろう」
「そのコートももこもこで可愛いです!」
「うんうん……うん?」
尊敬のされ方に首を傾げたアルツァー大佐だったが、彼女は俺を見る。
「ここから先は誰が敵で誰が味方かはわからない。そして敵味方はすぐに入れ替わる。肝に銘じておいてくれ」
「承知しております」
やだなあ。




