第42話「キオニス退却戦(前編)」
【第42話】
俺が馬車から降りると、戦列歩兵の子たちが馬車の荷台から銃を取り出しているところだった。
「ほら急いで! 紙薬莢も忘れるな!」
「こっち一挺足りません!」
「そこに予備がある! 持ってって!」
敵が近くにいるらしい。
慌てて大佐のところまで馬を走らせる。
「閣下!」
「来たか、中尉」
大佐の周囲には鼓笛隊と数名の護衛しかいない。下士長たちは戦闘準備の真っ最中だ。
「先ほど、偵察騎兵から報告があった。後方からキオニス騎兵の集団が接近しているそうだ。こちらの轍を追っているらしい」
草原には馬車の轍がくっきりと残っている。大佐は悩んでいる様子で言う。
「二台ほど囮にして進路を変えようかと思ったのだが」
「難しいでしょう。本隊の轍は隠せませんし、草原では馬車を隠すことができません。追跡側が圧倒的に有利です」
逃げ隠れできない草原だから、こちらも潔く諦めて馬車の車列を作っている。今さら隠れるのは無理だ。
「では迎撃するしかないか」
「はい。敵の規模はどれぐらいですか」
「追撃を受けたので確認する余裕がなかったそうだが、百騎ほどに見えたそうだ」
「まずいですね」
こちらの戦力は戦列歩兵が約六十人と野戦砲が五門。
あとは偵察騎兵とラッパ手、そして輜重兵だ。いずれも戦力にはならない。
大佐は険しい表情で言う。
「こんな平原では教本通り方陣を組むしかないが、せめて馬車をうまく活用したい」
「いえ、方陣はやめておきましょう」
「どういうことだ?」
大佐が意外そうに俺を見た。
「騎兵相手なら方陣だろう? まさか横隊で迎え撃つのか?」
「そのまさかです」
「横隊を組めば敵は必ず側面から突っ込んでくるぞ。そうなったら壊滅だ」
時間がないので俺は手短に伝える。
「六十人の方陣では一辺に十五人の射手しか配置できません。敵が都合良く斜めから突っ込んできたとしても、二辺分の三十人しか射撃を行えません。百騎前後の騎兵を相手するには全くの火力不足です」
方陣はどの方向に対しても攻撃可能な隊形だが、火力が低下してしまうのが難点だ。数で負けているときに使うと騎兵の突撃を止めることができず、蹂躙されてしまう。
「では回り込まれないようにする方法があるのだな?」
「はい。閣下が仰ったように馬車を使います。とはいえ、単に並べただけでは意味がありません。一工夫します」
キオニス騎兵は近隣では最強の騎兵だ。教本通りの対応では勝てない。
そして何よりも厄介なのが、擲弾の存在だ。
幌馬車を防壁にする場合、あれを油袋と一緒に投げ込まれると幌馬車が燃えかねない。大砲なんか危なくて使えなくなるし、戦闘に勝てても物資の欠乏で詰む。
敵が擲弾を携行しているかどうかは不明だ。持っていない可能性に賭けるという手もあるが、それでは参謀がいる意味がない。
おっと、キオニス出身のサテュラに確認しておこう。
「サテュラ下士補、キオニス騎兵は戦士と認めた者にしか慈悲を示さないんだよな?」
「はい。敵と交渉して戦士と認めさせる気ですか?」
「冗談だろ?」
せっかくなので、その可能性についても参謀らしく考えてみよう。
キオニス人の流儀に則って、どうにかこうにか俺たちを戦士と認めさせたとする。たぶん決闘とか試練とか大胆な交渉とかする。
『おお、そなたは異教徒なれど真の戦士だ。そなたに敬意を払い、追撃はせぬ。またいつか戦場でまみえようぞ』
とかなんとか言われたとしてだ。
その言葉を信じて退却できるか、という問題がある。相手は敵だ。
軍事行動中に私情ひとつで態度を変えるような連中は、どうせまた私情で態度を変える。信用できない。
敵の気分次第で生殺与奪が決まるようなプランに旅団全員の命を賭けさせる訳にはいかない。
「騎士道精神で戦えるのなら光栄だが、俺は騎士じゃなくて参謀だからな。そこでキオニス騎兵の性格をもう少し詳しく教えてくれ」
するとサテュラは困ったような顔をして、頬に手を当てながら一息に言う。
「誇り高くて勇敢ですが、それは傲慢と粗暴の裏返し。異教徒や女子供はおろか、戦士以外の全てを見下しています。仲間内でも見栄を張りたがります」
「要するにシュワイデル人の男と大して変わらない訳か」
「まあそうです」
重い溜息が聞こえてきた。苦労したんだな。
だが、おかげで方針は決まった。俺は大佐に向き直る。
「閣下、小官が交渉の使者になります」
「今のを聞いて、よく交渉する気になったな?」
大佐が呆れたように言うが、俺は首を横に振る。
「交渉の使者になりますが、交渉をするとは言ってませんよ」
「また何か企んでいるな」
大佐は困ったように頭を掻き、それから諦めたように笑う。
「いいだろう、好きにやってみろ。ただし勝手に死ぬな」
「無茶を仰る」
俺は苦笑して制帽を被り直す。死神などと呼ばれていても、人の生き死にだけはどうにもならない。
「詳細は陣地構築と並行して御説明します。まずは馬車を配置しましょう」
絶対に負けられない戦いが、また始まった。
* *
俺は軍馬にまたがり、白い旗を掲げて進み出る。
『聞こえるか、キオニスの勇敢な戦士たちよ!』
サテュラに翻訳してもらったキオニス語の文章を読み上げ、彼らの出方をうかがう。幸い、『死神の大鎌』は反応していない。
弓矢やマスケット銃が届かないギリギリの距離に、キオニス騎兵の集団が展開している。横に広がり、突撃横隊を組む直前だ。幅はちょうど俺たちの陣地と同じぐらい。数は七十……いや八十騎ぐらいか?
俺の横にはもう一騎、丸腰のサテュラ下士補が控えている。通訳兼アドバイザーだ。
敵から反応はないので、このまま続けます。
『我々はもう祖国に帰る! 争いは無意味だ! 兵を退け!』
やっぱり反応がない。
サテュラがぼそりと言う。
「当然ですが、相手にされていませんね」
「そりゃそうだろうな」
熟練の弓騎兵である彼らから見れば、俺の手綱捌きは素人同然。おまけにシュワイデル軍人は弓が使えない。これでは戦士として認めるどころか、話を聞く価値すらないだろう。
だが彼らも馬鹿ではない。俺が将校であることは軍服で見抜いている。俺を殺せば手柄になり、シュワイデル兵を動揺させられることもわかっている。
彼らの表情は見えないが、明らかに馬鹿にされている感じだ。この空気、士官学校時代を思い出すな。
まあいいや、もう少し続けよう。
『言っておくが、我々には強力な兵器がある! 伏兵もいるぞ!』
その瞬間、彼らがどっと笑った。
「笑ってますね」
「当たり前だ。伏兵がいるなんて教える敵将がいる訳ないからな」
どうやらこれで話は終わりのようだ。
敵のリーダー格っぽいのが何か叫ぶと、彼らは一斉に弓を構えた。
まずい、『死神の大鎌』が反応してる。
「参謀殿、来ます」
「見りゃわかる。逃げるぞ、サテュラ下士補」
俺がそう言ったときには、サテュラの軍馬は十メートル以上離れていた。さすがに早い。
「はあっ!」
俺は白旗を投げ捨てて馬首を転じたが、軍馬が駆け出した直後に風切り音が聞こえてきた。幸い、もう『死神の大鎌』は反応していない。弓の射程外に出たか。
と思っていたら、結構勢いのある矢が地面にプスプス突き刺さっている。当たったら痛そうだな。
そのとき、味方陣地から砲声が聞こえてきた。野戦砲の曲射による支援砲撃だ。
「撃てーっ!」
ハンナの元気な声が聞こえてくる。なんて頼もしい。
砲弾は俺たちの頭上を飛び越え、敵陣めがけて降り注ぐ。たった五門では牽制程度だが、敵の出足をくじくには十分だった。キオニス人は砲撃に慣れていない。
今のうちだ。
「参謀殿!」
サテュラが振り返りながら叫ぶが、俺は叫び返す。
「前だけ見ろ! 俺に構うな!」
こっちも頑張って馬を走らせているんだが、なんせ乗馬の技術が違いすぎる。トップスピードに到達するまでが遅い。
その間も砲声が轟き、俺の背後に着弾している。当たっているかどうかはわからないが、もともと時間稼ぎの砲撃だ。
背後からは蹄の音。騎兵突撃が始まったか。そりゃそうだろう。敵の将校が丸腰同然で目の前にいるんだ。ヤツらが逃がすはずがない。
さすがにこのままだとヤバいので、俺は味方陣地に叫ぶ。
「支援砲撃はもういいぞ! 次のフェーズを始めてくれ!」
「だったら射線を塞ぐな、さっさとどけ!」
今度は大佐の声だ。わかってるけど馬が言うこと聞かないんですよ。
かろうじて進路を斜めに取ると、ハンナの叫ぶ声が聞こえてきた。
「水平射撃、開始!」
砲声が草原を震わせた。




