第32話「おしゃべり中尉と砲兵乙女たち」(地図あり)
【第32話】
ブルージュ軍の侵攻から数ヶ月が過ぎ、国境地帯はしばらく平穏を保っていた。
ミルドール家率いる第三師団は弱体化したため、国境地帯の警備はリトレイユ家の第五師団が引き受ける形になっている。
しかし第五師団は積極的な作戦は行わず、両国の国境地帯はブルージュ軍が実効支配したままになっていた。
ミルドール家としては内心穏やかではないだろうが、兵力を借りている立場なので文句も言えない。ゴドー要塞と支城網も再建途中だ。
少々気の毒に思いつつも、この小康状態は第六特務旅団にはありがたかった。なんせ装備の更新と兵の訓練ができる。
おかげさまでピカピカの砲兵隊が誕生し、鼓笛隊も誤りなく指示を伝達できるようになった。騎兵たちも馬の扱いに慣れ、見ていてハラハラすることはなくなった。
だがもちろん、あのリトレイユ公が何もしてこないはずがない。
* *
唐突に旅団長室に現れたリトレイユ公は、にこやかに微笑みながらえげつないことを言い出した。
「キオニス連邦王国との戦争をいたしましょう」
俺とアルツァー大佐は無言のままだ。静寂の中、外でロズ中尉が砲兵隊をバシバシ鍛えている声が聞こえてくる。
大佐が俺をちらりと見たので、俺は溜息をついてリトレイユ公に質問した。
「戦争計画の提示をお願いします」
「お引き受けくださるの?」
「断れるのなら断りますが」
「あら、それは無理ですよ」
リトレイユ公はクスクス笑い、こう続ける。
「キオニス側はもう戦う気まんまんですから」
大佐が不快そうに吐き捨てる。
「話がまわりくどいのは無能の証拠だ。貴公は無能か?」
するとリトレイユ公はスッと目を細める。やっぱこの人、すごく糸目だ。
糸目美人は割と好きなんだが、この人は性格が最悪だからな……。
「『五王家』序列第二位にありながら、かのジヒトベルグ家は愚かにもキオニスの遊牧民と諍いを起こしました。今はまだ一氏族が戦っているだけですが、じきに他氏族にも飛び火します。第二師団の戦列歩兵では太刀打ちできません」
リトレイユ公が真面目になったので、俺も真面目に質問する。
「太刀打ちできそうか判断するのは我々です。そう思われた根拠をお願いします」
即座に封書が机上に置かれた。
「第五師団の参謀たちによる最終報告書です。第二師団の戦列歩兵は練度が低く緩慢、野戦ではキオニス騎兵の機動力に対抗できないとのことです。戦列歩兵二千に対してキオニス騎兵五百の机上演習では、第二師団の勝率は二割以下でした」
大佐が目線で「貴官が読め」というので報告書をざっと読んだが、分析結果はプロの参謀が過去の統計を元に綿密に計算したものだった。俺にはおかしな点が見つからない。
俺は士官学校で習ったことを思い出しながら大佐に説明する。
「キオニス騎兵は練度が高く、散開しながら弓で襲撃することができます。この方法を採られると戦列歩兵側は敵の一部しか叩くことができません。また騎兵突撃を敢行された場合、方陣への隊列変更が間に合わずに大打撃を受けるという分析です」
「貴官はどう思う?」
「異論を差し挟む余地がありません。士官学校の教本の対騎兵戦術に書いてる通りです」
「そうか……」
大佐はしばらく沈黙し、それからリトレイユ公を見つめる。
「ちょうどいい位置に第六特務旅団がいるな。高く売りつけるつもりか?」
「さすがに第五師団はこれ以上展開できませんから、そうして頂けると助かります」
大佐はすかさず問う。
「見返りは何だ」
「予算と人員の規模を増やし、旅団に相応しい兵力にするよう陸軍総司令部へ働きかけましょう。皇帝陛下への提言もいたします」
『五王家』の当主が働きかければ陸軍総司令部といえども無視はできないだろう。『五王家』の当主は形式的には帝位継承権すら持っているのだ。皇帝だって無視できない。
それにリトレイユ公が実質的に支配している第五師団は、今やアガン王国やブルージュ公国との戦いになくてはならない戦力だ。軍内部での発言力はかなり大きくなっている。
俺は大佐に耳打ちする。
「閣下、お買い得です」
「わかっている。それにジヒトベルグ領が危うくなれば、どのみち我が旅団にも出撃命令が下る」
大佐は不承不承だがうなずき、リトレイユ公を睨んだ。
「相変わらず貴公の申し出は不健全極まりないな。だが気に入った。その約束、決して破るな」
「肝に銘じておきましょう」
リトレイユ公は微笑むと立ち上がった。
そこにハンナ下士長が入ってくる。
「失礼します。シュタイアー中尉が砲撃演習を閣下に御覧入れたいと……」
そこまで言って、彼女はリトレイユ公に気づいてギョッとした顔になる。
「しし、失礼しましたっ! ご来客中とは知らずっ!」
しかしリトレイユ公は穏やかに微笑み、首を横に振った。
「構いませんよ。ハイデン下士長、お疲れ様です」
今日は人当たりがいいな。交渉がうまくいったからだろうか。
軍服コスプレの美女はハンナに軽く会釈し、大佐に向き直る。
「これ以上はお邪魔でしょう。用件は済みましたので、本日はこれで」
「来るだけで邪魔なのだがな。貴公とはあまり会いたくない」
「それは……そうでしょうね」
ふふっと笑うリトレイユ公。
そして彼女はびっくりするぐらいさっさと帰ってしまった。
アルツァー大佐は椅子の背もたれに体を預け、長い黒髪が流れるのも構わずにずるずる滑り落ちていく。
「やれやれ、今日は口説かれずに済んだぞ。いつもこうだといいんだが」
「お疲れ様です」
大佐の心労はよくわかる。俺だって陰湿そうな糸目のイケメンに言い寄られたら同じ反応を示すと思う。
「それよりも閣下、砲兵隊の視察を」
「わかっているから少し休ませてくれ……」
よっぽどリトレイユ公が苦手なんだな……。
* *
砲兵隊の仕上がりは上々で、ロズ中尉も御機嫌だ。
「いや、後進の育成もなかなか楽しいな。人が育つのを見るのはいいものだ。殺すよりもずっといい」
発言がなんだか物騒だが、こいつは先日までブルージュ人に砲弾を当てる仕事に就いていたから仕方ない。
砲兵へと転身した女の子たちも楽しそうだ。
「銃よりこっちの方がやりやすいです!」
「当たったときの達成感が凄いですよ、大佐殿!」
汗とススにまみれている砲兵ガールたちを、大佐が慈しむように見つめている。
「どうせ戦うなら自分に合ったやり方がいい。昨今では大砲が戦場の主役であり、重要性は今後ますます高まる。……と、うちの参謀が言っている」
言いました。
大佐はさらに言う。
「お前たちは帝国史上初の女性砲兵となる。もちろん我が旅団にとっても初の砲兵だ。責任重大だぞ。シュタイアー中尉からしっかり学ばせてもらえ」
「はいっ!」
人望あるなあ。いいなあ。
俺は参謀だから指揮官ほどは人望がなくてもたぶん大丈夫だが、かといって嫌われる必要はない。
でもどうやれば好かれるのか全然わからない。相手は若い女の子だ。
まあいいやと思って黙っていると、ロズのやつが余計なことを言い出した。
「なんだなんだ、みんなユイナーがお気に入りか? ダメだぞ、こいつはうちのマーレットの婿にするからな」
「冗談はよせ。お前の愛娘はまだ二歳だろう」
俺は士官学校の同期をじろりと睨み、それからもっと大事なことを言う。
「それに誰と結婚するかは当人が決めることだ。父親に決定権はない。違うか?」
ロズの妻であるユリナは、父親のミルドール公弟と大喧嘩してまでロズにくっついてきた。
当然、ロズの娘のマーレットもそうなるだろう。そうあってほしい。
するとロズは頭を掻いて苦笑する。
「はは、こりゃ参ったな。お前の言う通りだ。……どうだ、みんな。やっぱりこいつは興味深い男だろ?」
砲兵の女の子たちの中に、うんうんとうなずいてる子が数名いる。
ああ、なるほど。そういうことか。ロズは俺がこう答えることをわかった上で、わざと絡んできたのだ。俺の評価を少しでも良くするために。
昔からこいつはそういうヤツなんだ。
俺は溜息をついて異世界の友人に釘を刺す。
「俺のことはいいから自分の仕事をしてくれ。お前は昔から人が好すぎる」
「お前に言われたくないぞ。何が『死神クロムベルツ』だ。士官学校じゃ『助っ人ユイナー』で通っていたくせに」
士官学校では実力で這い上がってきた平民と、実家の看板を背負わされた貴族との間でいろいろあった。
俺は平民側で極力おとなしくしていたが、何かある度に仲裁役を押しつけられていた。おかげで貴族の御曹司たちから憎まれたものだ。
「お前らが巻き込むからだろ……」
「巻き込めば必ず何とかしてくれたお前が悪い」
聞きましたか女子の皆さん? こいつこんな男ですよ。今の言い草ってある?
「おかげで俺がどれだけ困ったか」
「いいじゃないか、お前は平民にしちゃデカいし剣術の名手だ。知恵も度胸もある。貴族の坊っちゃんがたもビビるのさ」
「今気づいたんだが、俺がどこの門閥のコネも作れなかったのはお前らのせいだよな?」
「気づいてなかったのか? おいおい、なんてお人好しだ!」
ロズ中尉はおおげさに天を仰いでみせた。
「前言撤回だ、やはりこんな底抜けのお人好しの婿殿は困る! みんな、こいつの嫁になると苦労するぞ!」
「だからやめろって」
恥ずかしいだろ。兵が見てる。
大佐たちまで笑ってるじゃないか。勘弁してくれ。




