第29話「中尉への昇進」
【第29話】
その後、俺たちは無事に第六特務旅団の本部へと帰還した。奇跡的に一人も欠けることなく、帰ってくることができた。何人か死ぬのは覚悟していただけに、戦死者ゼロという結果は嬉しい。
もっとも死人が出なかっただけで、負傷者や病人は結構出ていた。左手の人差し指を吹き飛ばされた子や、片目を失った子もいる。かすり傷程度の負傷者なら山ほど出た。
交戦距離が遠かったおかげで運良く死ななかったが、失った体は戻らない。まだ若い彼女たちの今後を考えると、参謀として重い責任を感じる。
俺の執務室で、小隊長のハンナが遠征中の報告書を提出してくれた。
「負傷者の他にも、行軍や籠城戦で体調を崩した子が十人以上いました。それと生理痛が重くて戦えなくなっちゃった子が何人かいますね」
「仕方ないな。兵士だって人間だ、疲れれば体調ぐらい崩す」
「あ、でも参謀殿が第三小隊を迎えに呼んでくれてたおかげで助かりました。あの馬車、すごく評判良かったですよ!」
「ははは、そうか」
あれはもともとゼッフェル砦が陥落した後、負傷兵を乗せて退却するための馬車だ。策としては空振りになってしまったが、みんなが喜んでくれたのなら何よりだ。
それに、こういう保険は空振りになるのが一番いい。
俺は安堵の溜息をつく。
「今回、誰も死ななかったのは本当に幸運だった。普通はこんなことはありえないからな。俺も初めてだ」
大柄なハンナが報告書をぎゅっと抱きしめ、ニコッと笑う。
「みんなが噂してますよ、大佐殿と少尉殿が死神を追い払ってくれたんだって」
死神は俺だよ。
一応、釘は刺しておく。
「こんな『幸運』が何度も続くとは思わない方がいい。ゼッフェル砦の守備隊は十人以上死んでる」
「は、はい」
実のところ、これは「幸運」でも何でもない。友軍に損害を押しつけただけだ。
今回も俺のせいで歩兵が十人以上死んでいる。ゼッフェル砦守備隊の歩兵に限って言えば死亡率は四割近い。半数近く死ぬのが俺の用兵だ。
俺はいつか、第六特務旅団の子たちを半数近く死なせる日が来るのだろうか。それは困るな。もっと良い参謀にならないと。
俺は頭を掻く。
「結果的に何とかなったが、今回も反省点ばかりだ。名参謀とは程遠いな」
「そうですか? みんなメチャクチャ褒めてますよ?」
「そう言ってもらえるのはありがたいんだが……」
俺は机上の地図を見る。
「全体としては、今回は帝国側が一方的に損をするだけの戦いだった。ゴドー要塞と周辺の砦は破壊され、第三師団は多数の兵と士官を失った。現在、国境地帯はブルージュ軍が優勢になっている」
もっともブルージュ軍も派手にやった割に得るものは少なかった。第五師団がミルドール領に駐留し、警戒を続けている。
おそらく第五師団はこのまま永続的にミルドール領の一部を支配するつもりだろう。
「得をしたのはあいつだけか」
「あいつ?」
「いや、何でもない。得をしたのは死神だよ」
得をしたのはリトレイユ公ただ一人だ。俺なんかより彼女の方がよっぽど死神だと思う。
彼女の本性と謀略については、俺と大佐だけの秘密にしておく。リトレイユ公は秘密を知る者を逃がさないはずだ。味方にならなければ排除するぐらいは平気でするだろう。
と思っていたら、ハンナが俺をじいぃっと見つめている。
「何か隠し事をなさってませんか、参謀殿?」
「してないよ?」
のんきに見えて意外と鋭いんだよな、この人。
俺は立ち上がって制帽を被る。
「さて、大佐殿と仕事の打ち合わせでもしてくるか」
「あっ、ずるい!?」
何がずるいんだ。
「ハイデン下士長は兵の世話を頼む。特に負傷兵の心に寄り添う任務は貴官が頼りだ」
「それはがんばりますけど……」
なんだかすねているハンナを残して、俺は廊下に出る。あんな良い子を貴族たちのドロドロの陰謀に巻き込みたくない。
俺は長い廊下を歩いて旅団長室に向かう。
だが途中で足が止まった。この甘ったるい香水の匂い。
あの女だ。
リトレイユ公が向こうから歩いてくる。
なんでここにいるんだよ。
そう思いつつも反射的に帝国軍の慣習に従い、俺は立ち止まって敬礼した。
するとリトレイユ公も立ち止まる。
「さすがは『死神クロムベルツ』ですね」
面と向かってそれを言うヤツは滅多にいないので、さすがに俺も腹が立つ。味方を大勢死なせるのは軍人として恥ずべきことだ。
「小官はユイナー・クロムベルツ参謀少尉です。それ以外の名は持ちません」
「そうですか」
リトレイユ公は悠然としている。俺が何を言おうがどうでも良いのだろう。
彼女に尻尾を振る気はない。人間的に好きになれないのもあるが、彼女に尽くしても報われないのがありありとわかるからだ。リトレイユ公は協力者を切り捨てることを何とも思わない。
だから嫌われておくことにした。
「死神の名は貴女にこそ相応しい」
「あら、ありがとうございます。光栄なことだと受け止めておきますね」
スッと目を細めて笑う糸目の美女。見た目だけは本当に綺麗なんだけどな……。
俺の言葉が何を意味するか、リトレイユ公はわかっているはずだ。
『俺はお前の本性を知っているし、それを恐れるつもりもない』
そう伝えたのに等しい。
せっかくだから、もうちょっと嫌われておくか。
「ですが死神も死ぬことをお忘れなきよう」
「心得ておきましょう」
なんかこいつ、俺を殺そうと思ってないか? 背筋がぞわぞわするんだが。
リトレイユ公は俺に会釈もせずにゆっくり歩き出した。やれやれ、この楽しくないおしゃべりも終わりか。
だが次の瞬間、彼女はすれ違いざまにぼそっとつぶやく。
「次は『二番目』です。たくさん殺しましょうね?」
今なんて?
二番目って、もしかして「五王家」の序列第二位のこと?
ヤバいぞ、この女。
彼女の足音が遠ざかっていく。俺も無言で歩き出す。
俺は敢えて振り返らなかったが、背後から漂う恐怖の匂いが凄く怖かった。彼女の香水の匂いが掻き消されるほどの恐怖の匂い。
これからどうなるんだ、この国……。
* *
「これからが楽しみだな、少尉。いや……」
大佐は嬉しそうな顔で笑った。
「中尉」
俺は唐突に中尉に昇進した。
このタイミングで?
俺があっけにとられていると、大佐は苦笑した。
「リトレイユ公が裏で手を回していたようだ。ゼッフェル砦防衛が評価されたのはもちろんだが、第五師団長からの『第五師団在籍中の軍功抜群、比類無き逸材。さらなる裁量を与え、帝国に奉仕させるべき』と推薦状がついたのが大きい」
「はあ……」
リトレイユ公の性格はもうわかっている。彼女は公正な人事になど興味はないし、恩を売るつもりもないだろう。彼女は恩義というものに価値を置いていない。
「まあ、くれるというならありがたくもらっておきますか……」
「そうだな。中尉になれば給料も増える。それに貴官の年齢で中尉昇進ということは、佐官への昇進を見据えた人事を意味する」
まあそうだよな。貴族将校と同じペースだ。平民将校は五十代で大尉になれたら上出来だが、貴族将校は三十代で少佐になるからな。
大佐は俺を気の毒そうな顔で見る。
「リトレイユ公は貴官をずいぶん気に入っている。骨までしゃぶり尽くすときの顔をしていた」
「貴重な情報に感謝します。知りたくありませんでした」
俺たちは苦笑して、それから大佐が言う。
「貴官の発言力が増せば、私としてもありがたい。これからもよろしく頼む」
「閣下のためでしたら喜んで」
俺は敬礼し、中尉の階級章を受け取った。
まあ仕方ない。みんなのためにがんばるか。




