第16話「戦地の乙女たち」(図あり)
【第16話 戦地の乙女たち】
第六特務旅団の兵はゼッフェル砦の中庭にテントを張り、ようやく腰を落ち着けることができた。
「参謀殿、設営完了しました」
俺のテントにやってきたハンナ下士長が報告し、びしりと敬礼する。
それからこう言った。
「ところで砦の守備兵が男性ばかりなんですが……」
「そりゃそうだろう」
帝国では若い男性が慢性的に不足しているが、さすがに女性兵士は滅多にいない。
「貴官たちは守備隊の兵士には少々刺激が強いかもしれん。危険を感じたり、嫌な目に遭ったりしたときは遠慮無く俺か旅団長に報告しろ」
「あ、ありがとうございます!」
ほっとした表情で再度敬礼するハンナ。
並みの男性兵士が見上げるほどの長身を誇るハンナでも、やはり男性は怖いらしい。この世界の男は乱暴だから無理もないか。前世基準だと、ちょっと眉をひそめたくなるような野蛮さだ。
思わずつぶやく。
「世の男どもは妻や恋人を殴るのが男らしい振る舞いだと思っている。呆れて物も言えん」
「そう……ですよね?」
なんで不思議そうな顔なんだ。
もっとも前世でも何十年か昔はそんなものだったと聞く。「常識」はめまぐるしく変わるものだ。
「旅団長と俺が貴官たちを守る。無礼な真似をされたら遠慮無く言え。向こうの師団長に抗議してやる。この師団は助けに駆けつけた友軍に相応の礼節も保てないのか、とな」
「はい、参謀殿!」
にこにこ顔のハンナは、俺の机にもう半歩ほどにじり寄ってきた。
「参謀殿はなんだか不思議な方ですね? 平民っぽくないですし、貴族っぽくもないです」
「よく言われる。路上育ちだからかな」
適当にはぐらかしておいたが、俺は転生者だから価値観が全然違うのは当たり前だ。
ハンナはもっと何か言いたそうな顔をしていたが、そこにアルツァー大佐が入ってきた。
「ここにいたか、少尉」
「これは閣下」
俺は立ち上がってハンナと共に敬礼する。
大佐はハンナを見て命令を下す。
「ハンナ、すまないが中隊員の食事を頼む。それと洗濯場を借りる手配をしたので、交代で洗濯を済ませるように。言うまでもないが肌着類は隠して干せ。ここは旅団本部とは違う」
俺も少し付け加えておこう。
「あと、どんな場合でも複数人での行動を徹底させてくれ。特に手洗いに行くときは着剣した銃を持った護衛を表に立たせた方がいい。テントの中以外では決して制服のボタンを外すなよ」
「りょ、了解しました。ええと……メモしますので少々お待ちを!」
俺たちの言葉をメモしてから、ビシッと敬礼して駆け出していくハンナ。下士長は兵士たちのお母さんだ。
それから大佐は俺に向き直ると、声を潜めてこう切り出した。
「砦の内部を見たか?」
「見ました。博物館でなければ骨董屋ですよ」
酷いものだ。
「外観からわかってはいましたが、ここは弓と投石器でやりあっていた時代の砦です」
俺はテントの隙間から見える城壁を示す。
「高い城壁は歩兵や石弾の侵入を阻むためのもので、火砲を想定していません。横殴りに強烈な一撃をくらえばあっけなく崩壊します」
大佐は腕組みし、軽くうなずいた。
「ここはもともと地元領主の城館だったらしいからな。山賊退治と街道警備の拠点だったとか」
時代遅れの上に戦争用じゃないのか。こりゃ防御力は期待しない方がいいな。
「少尉。ここで起こりうる、あらゆる事態に対して作戦を立案できるか?」
大佐の問いに、俺はちょっと格好つけて答えてみせる。
「もちろんです。参謀肩章は飾りではありません」
こんなボロ砦でどうにかできることなんてたかが知れてるから、逃げる算段を整えておかないとな。逃げてしまえば安泰だ。
司令部で留守番をしてる第三小隊に連絡を送っておこう。
そんなことを思いながらふと隣を見ると、大佐が微笑みながら俺を見ていた。
「まったく頼もしいな、貴官は」
「恐縮です」
「私たちは戦場を知らんからな。経験豊富な将校がいてくれるのは心強い」
美人の上司から褒められるのは悪くない気分だ。前世ではこんなこと一度もなかったし。
大佐の期待を裏切らないよう、これからも励むとしよう。
と思っていたら、大佐がふと思いついたように言う。
「少尉、悪いが兵たちに戦況の説明と防衛戦の講義を頼む。自分の頭で考えられる兵に仕上げたい。内容は任せる」
「承知しました」
期待が大きいのはいいんだけど、結構いろいろ頼まれるな……。
* *
俺はみんなを集め、大佐に命令された通りにレクチャーを始めた。
「ゼッフェル砦は、あのゴドー要塞の支城にあたる。見えるか、あの要塞?」
砦の西側、山の頂上に黒々とそびえ立つ国境警備の拠点だ。ここからでも威圧感がある。
「ゼッフェル砦は要塞につながる街道を守る役割を担っている。この砦が健在なら、敵は要塞を完全には包囲できない。援軍や物資が街道を通行できるからな」
もし敵が砦ごと要塞を包囲すると、その包囲網は長大で薄いものになる。破るのは容易になるだろう。
要塞をどう攻めるとしても厄介になるのが、このゼッフェル砦だった。
すると兵士の一人が挙手する。
「参謀殿」
「なんだ?」
「敵がゴドー要塞より先にここを攻撃してきたら、どうなります?」
不安そうな顔をしているな。
俺は笑顔で応じる。
「その場合、ゴドー要塞からの猛烈な砲撃が敵を襲うだろう。さらに街道から援軍が到着すると、敵は要塞と援軍に逆包囲されることになる」
ということは要塞が陥落したらここもおしまいなのだが、そこは黙っておく。なんせこの講義、守備隊の連中もチラチラ見ている。やりづらいな。
「このゼッフェル砦にいるのは第三師団の砲兵中隊だ。戦力は六門の小型砲と護衛の歩兵が三十人ほどで、残りは砲兵と軍属しかいない。不足している歩兵を補うために我々が派遣された訳だ」
まあ、ここで撃ち合いになるとは思えんのだが……。
「ゴドー要塞には他にもいくつか支城があり、ゼッフェル砦が攻撃されるのは他の支城があらかた陥落した後になる。我々が必要とされるときは負けたら後がないと思え」
リトレイユ公がここに第六特務旅団をねじ込んだのは「政治的な理由」らしいから、まあ戦いにはならないだろう。
ならないと思う。……ならないといいな。
だんだん不安になってきた。まあ、ちょっと覚悟しておくか。
最悪の事態でも対処する猶予はあるはずだ。なかったらもう知らん。
「各自、装備の点検はしておけ。それと砦の構造を把握しておくように。それだけ済んだら待機任務だ。交代で休養しろ」
いつ戦闘が始まるかわからないので、今から殺気立っていたら体がもたない。
俺は後のことを下士長たちに任せ、ゼッフェル砦の周辺を見て回ることにした。
* * *
【戦列乙女たちのささやき】
「ようやく休める……」
「といってもテントだけどね」
「野宿よりはマシよ。怖くて眠れないもん」
第六特務旅団の女の子たちは銃の点検をしながら、わいわいと雑談する。雑談は数少ない娯楽だ。
「ねえねえ、ここって体洗うとこあるのかな?」
「ないんじゃない? 水汲んできて布で拭くぐらいがせいぜいでしょ」
「うえー」
話題はやがて新任の参謀のことになる。
「そういやさ、クロムベルツ参謀っていつも身綺麗だよね」
「うん、男臭さが全然ない。ていうか、体臭が何にもない」
シュワイデル人は滅多に入浴しないが、日本人は毎日入浴する習慣がある。
クロムベルツは入浴できない日も清拭しており、体臭の濃いシュワイデル人の中ではやや浮いた存在になっていた。
「身綺麗なのはいいんだけど、あたしはちょっと物足りないかなあ」
「私は男臭いのダメだから参謀好き」
「カッコいいしね。親切だし怒らないし」
「確かにここの守備隊の人たちと比べると破格の物件よね。狙っちゃおうかな?」
銃身のクリーニングをしていた兵士がそう言うと、隣の兵士が首を横に振った。
「ライバル多いからやめといた方がいいわよ。ハンナ隊長も狙ってるみたいだし」
「まじで!? うあー、勝ち目ないじゃん」
若い女性兵士はクリーニングロッドを握りしめて天を仰いだ。
「参謀はハンナちゃんを見ても驚かなかったし、背が高いのをからかったりもしないんだよね」
「うん、今までの参謀とは全然違う」
しかし女性兵士は拳を握って力強く言う。
「でも誰を選ぶかは参謀が決めることだから! 私にもチャンスはある!」
「あるといいねえ」
* * *




