第13話「陰謀の小指」
【第13話 陰謀の小指】
「ごきげんよう、アルツァー様」
「私をその名で呼ぶな」
アルツァー大佐は嫌悪感を隠そうともしなかった。
旅団司令部のソファに腰かけているのは、上級将校用のコートを羽織った金髪の美女。
応接間に入った大佐は座ろうともせずに、戸口で冷たく言い放つ。
「リトレイユ公、ここは民間人の立ち入りは禁止されている。お引き取り願おう」
しかしリトレイユは動じない。
「アルツァー様がさんざんおねだりしておられた『優秀な参謀』を手配して差し上げましたのに、つれないのですね」
「私が頼んだ相手は陸軍総司令部だ。貴公ではない」
「実際に動いたのは陸軍第五師団、つまり当家の部隊でしてよ?」
これは事実だろうと、アルツァー大佐は思う。リトレイユ宗家が協力しなければ、あのような逸材は回ってこなかったはずだ。
「貴公の口添えには感謝しているが、それとこれとは話が別だ。退去して頂く」
「相変わらずせっかちなお姫様ですね。でも、そんなところも好きですよ?」
ねっとりと絡みつくような視線に、アルツァー大佐は嫌悪感をあらわにした。
「私は貴公が嫌いだ」
「ではちょうど釣り合いが取れていますね」
「訳のわからんことを言うな。帰ってくれ」
だがリトレイユは動じない。
「私の友情に応えてはくださらないの?」
「貴公との間に友情はない」
「では仕方ありません。協力を求めるのは諦めましょう」
そう言ってリトレイユが立ち上がったので、アルツァー大佐は不審に思う。
「待て、何を企んでいる?」
「協力しないのでしたら、知らない方がお互いのためでしょう」
アルツァー大佐は真正面から金髪の美女を見据えた。
「まさか貴公、弟君を実力で排除するつもりか」
「ええまあ……戦列歩兵など使わずとも、薬瓶の一滴で苦しみは取り除かれますから」
実弟を毒殺することも厭わないリトレイユに、アルツァー大佐は吐き捨てるように言う。
「毒婦め」
「協力してくれないあなたが悪いんですよ? 嫡男が継承権を放棄すれば、誰も死なずに済むのですから。姉と弟が殺し合う哀しい物語など見たくないでしょう?」
わざとらしい物言い。しかし本気なのは間違いなかった。
「セリン殿は確かまだ四歳だったはずだが」
「ええ。可愛い盛りですよ。いずれ私から家督を奪う、とても可愛い弟……」
ねちっこく、それでいてひんやりとした声だった。
アルツァー大佐はしばらく黙り込み、それから押し殺した声で問う。
「要求を聞こう」
リトレイユが大佐に歩み寄ってくる。貴族にしてはかなり小柄な大佐は、リトレイユに見下ろされる形になった。
「第六特務旅団の実力を、そろそろ見せて頂きたく思います。最近はブルージュ公国の兵が国境付近をうろついていますから、彼らを躾けて頂ければ、と」
「ブルージュの山岳猟兵か」
見下ろされてもアルツァー大佐は動じることなく、ぐいと睨み返す。
「第六特務旅団などといっても、我が旅団は歩兵一個中隊しかない。作戦遂行能力は限定的だ」
「ええ。もちろん国境警備の第三師団は動かします。ミルドール家への政治工作はお任せを」
「いいだろう」
アルツァー大佐はうなずき、それからこう言った。
「貴家の第五師団は動かさないのか?」
「第五師団はアガン王国との国境地帯に張り付いていますから」
それは事実だが、アルツァー大佐は冷たく笑う。
「第五師団の将軍たちは、いずれ弟に追い落とされるであろう新米当主の命など聞くつもりはないらしいな?」
「そう……ですね」
リトレイユ公は少し視線を落とし、唇を噛む。
それを見たアルツァー大佐は頭を掻く。
「すまん、今のは私が言いすぎた。貴公のことは嫌いだが、非礼を働いて良い理由にはならない。許されよ、リトレイユ公」
「謝罪よりも好きになってくれる方が嬉しいのですけれど」
「好かれる努力もせずに図々しいことを言う」
小さく鼻を鳴らして腕組みをするアルツァー大佐。
「さあ、用件が済んだら帰ってくれ。私の貞操を狙っている不埒者と同室では落ち着いて仕事もできん」
「それはそうですね。そろそろお暇いたしましょう」
リトレイユ公はスッと引き下がり、軽く会釈する。
アルツァー大佐は不機嫌そうな表情のままハンナ下士長を呼ぶ。
「リトレイユ公をお送りしろ」
「はっ!」
ハンナは敬礼したが、リトレイユ公は彼女を振り向きもせずにアルツァー大佐に言う。
「平民の見送りなど不要です」
「そうか」
アルツァー大佐はうなずき、こう尋ねた。
「ではクロムベルツ少尉ならどうだ?」
「それは……まあ」
リトレイユ公は少し言い淀み、ちょっと苦笑した。
「さすがに将校を平民扱いするのは少々問題ですね。彼の見送りなら我慢しましょう」
「我慢か。やはり貴公とは仲良くできそうにもないな」
アルツァー大佐はリトレイユ公に背を向けると、ハンナに命じる。
「リトレイユ公の御希望だ、クロムベルツ少尉にエスコートさせろ。ハンナはリトレイユ公がお帰りになった後、この部屋を徹底的に掃除してくれ。お高い香水の匂いが消えるまでな」
「え? ええ……?」
相手は国内屈指の大貴族なので、さすがにハンナがうろたえている。敬礼しかけたまま、手がうろうろしていた。
とうとう彼女は困惑の声をあげる。
「旅団長殿、あんまりであります」
「あらあら」
リトレイユ公は長身のハンナを見上げ、クスッと笑った。
「粗野な女戦士だと思っていたけれど……あなた、なかなか良い顔をするのね?」
「私の部下にまで手を出すな」
「冗談ですよ。では御機嫌よう」
リトレイユ公が去った後、しばらくアルツァー大佐はこれ以上ないぐらい不機嫌な顔をしていた。白手袋をはめた拳をギュッと握りしめる。
だが最後には何かを諦めたように溜息をついた。
「乗るしかないか……」
そして時計をチラリと見てからハンナに命じる。
「クロムベルツ少尉を呼べ。まだ城門前にいるはずだ」




