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◇
稽古、初日――
ガンドリビの街、冒険者ギルドの隣には、小さな公園程度の訓練場がある。この訓練場は、よくある公園と同じように周りを木の柵で覆われており、柵の側には、木でできた打ち込み訓練用のカカシや、弓の的などが設置されており、冒険者達がいつでも自主的に訓練できるような、ちょっとした設備が揃っていてギルドの許可も特別に必要はなく使用することが出来る場所だ。訓練場の中央は、開けた広場のようになっており、この街に来た数日の間だけでも、ここで冒険者らしい二人組が、剣や槍を手に持って互いに切磋琢磨している姿を遠くからでも眺めることが出来た。もちろんそれは日中の、昼間の出来事であり、今現在の時刻、朝日すら昇る以前の深夜のことではないため、俺達三人以外は、暗闇の中に人っ子一人いないのであるが。
リューンが訓練場の周辺に設置された篝火へと、順番に火を灯していく。訓練場には、一応は夜でも鍛錬が出来るように、周辺にいくつかの篝火が設置してあり、こうして火を灯しておけば、訓練場全体を照らして夜でも利用できるようになる。
「セルビィ様!今日からよろしくお願いします!」
全身を鎧に包み込んだアッシュが、大きな声で挨拶をし、勢いよく頭を下げる。
こ、こいつ……確かに彼の稽古に協力する約束はした。約束はしたが、まさかこんな深夜から稽古を始めるつもりだったとは思わなかった。深夜に宿泊中の宿屋の部屋へ完全武装でやってきては、大きい声で挨拶をするものだから、他の宿泊客の迷惑になることを考えて無視することも許されなかった。宿屋の受付のおっさんが、何事かと凄い顔して出てきたときの空気は本気でやばかった……というか、アッシュと一緒に着いて来ていたリューンは止めてくれよ……
「明かりの確保終わりました。セルビィ様、これで稽古がやりやすくなりましたね」
「リューン。君までこの稽古に付き合わなくていいんだ。この稽古は、あくまで俺の個人的な鍛錬を、セルビィ様にお願いしているだけなんだから」
「セルビィ様がいるところには、極力同行しお側で付き従うこと、それが私がエルフの女王様から与えられた使命なのです。それに、もし万が一、稽古でお二人がお怪我をされた場合に、すぐに治療を出来た方がいいはずです。はい」
「なるほど。それもそうか!」
アッシュもリューンの言葉に納得したようで、リューンに向けていた視線をこちらに戻す。
「ですがセルビィ様。本当にその状態で、今から稽古を行うのですか?」
彼が言っていること、それはこちらの格好についてだろう。寝起きでボサボサになった髪の毛を軽くまとめただけのリボン、隙あらば出てくる欠伸をかみ殺す度に顔が歪むこと、眠気でうつらうつらして体が揺れていること、などではなく、こちらは、起き抜けにササっと着替えた布の服と使い古された煤けた靴、さらに片手に持っているのは訓練用に作られた木剣のみである。それに対して、アッシュには実戦用にも扱う真剣と頑丈な盾と鎧、ようは実戦用の装備をさせている。アッシュからすれば、これでは対等の稽古ができるとは思えないと感じていても致し方ない。
アッシュの特訓に付き合うに際して、三つの条件を付けた。この稽古が、よくあるタダの稽古では意味がない。実戦に勝る経験はない。稽古時間がそれほど取れないであろうことを考えて、納得できるレベルまで彼の能力、というか実戦経験を積ませる必要がある。
1.アッシュには武器、防具を実戦と同じように装備してもらい、扱える武器と防具の習熟を少しでも進めてもらう。それに対して、こちらは木で出来た訓練用の木剣を扱う。木剣で戦うのは、こちらが実戦用の武器を扱って稽古を始めてしまうと、おそらく彼はこちらの攻撃に耐えられないであろうからだ。こちらがあまり慣れていない剣スキルかつ、極端に攻撃力の低い訓練用の木剣であれば、与えるダメージを少なく抑えられる。もしも木剣が壊れる、壊されるような強力な攻撃が加わえられたのならば、その日の稽古は、無駄な力や稽古そのものに大きな負荷がかかっているとして続行不可能、終わりとする。
2.すべてのスキルや覚えている魔法の類も、使用はOKとする。実戦形式の稽古をするのであれば、当然だろう。
3.一日の稽古の終わりは、どちらかが自分からもう戦えないと降参した場合、どちらかが攻撃に耐えきれず意識を失った場合、こちらの木剣が壊れるか壊されるかした場合、さらに稽古中に不測の事態が起きてどうしても中止せざるを得ない場合、もしくは、見守り役のリューンによって稽古の終了や停止が宣言された場合として、原則的にこれ以外の場合では、稽古、攻撃を止めないということ。
アッシュには、これら三条件を提示して、一応納得してもらったのだ。だが、今、目の前にいる俺の姿を見て、稽古の内容が心配になったのだろう。
「これではこちらの攻撃やスキルで、簡単に木剣が壊れてしまう、もしくはセルビィ様へ攻撃が当たってしまい、すぐに稽古が終わってしまうのではないですか?」
彼の言うとおり、この条件ではこちらが明らかに不利だ。木剣にはそれほどの強度はないし、防具すら着けていない状態で、彼の攻撃が一撃でも当たれば、こちらが受けるダメージ量は大きくなり、こちらが降参や気絶をして稽古がすぐに終わってしまう可能性がある。彼がこう思ってしまうのは、彼自身が彼と俺の実力差がそれほどでもないと考えているからだろう。残念だが、その認識の甘さは命取りになる。明らかにこちら側が不利になる条件を提示してくる場合、何かしら裏があると考えるべきだ。あまり深い裏はないけど、答えは単純で、アッシュと俺との実力差は大きく、彼の攻撃がこちらにはまったく当たらない、かつ、こちらからの攻撃はしっかり当たり続けるというだけである。
「――わかりました。セルビィ様。稽古が始まった後では、手加減は出来ませんよ!」
木剣を構え、アッシュとの間合いを測る。互いに武器を構え相対し、少しの静寂が訪れる。
「二人ともよろしいですね?それでは、これ以降は多少の怪我や事故では稽古を止めません。お二人とも、始めて下さい!」
見守り役のリューンが、開始の合図とばかりに手に持った松明を天へ掲げる。
◇
「ぐっ!はぁ……はぁ……」
放った斬撃によってアッシュがよろめき、そのまま片膝を付く。稽古開始から四半刻ほど経ったか、彼にとっては永遠にも感じるほど長い時間だったかもしれない。
「こんなに……こんなに遠いのか……!」
彼は歯を食いしばり、悔しさを滲ませる。彼の攻撃は、この数十分一撃も当たらなかった。矢継ぎ早に放った剣スキルも、途中で放った苦し紛れの攻撃魔法も、何もかも、だ。それとは相反するかの如く、こちらの攻撃はそのことごとくが彼に命中する。攻撃を防ぐ目的の盾での固いガードも、力押しで弾き飛ばして隙を無理矢理生み出す。足を使ったかく乱と連撃によって、アッシュの体勢は崩される。崩れた体勢をどうにか元に戻そうとして、隙が生まれ撃ち込まれる。そこからさらにバランスを崩し動きが鈍る。悪循環だ。
「アッシュ様、大丈夫ですか!?今日はもうここまでにしましょう?」
リューンがこの一方的な稽古の展開に助け船を出す。彼女もまさか、ここまでの実力差があるとは考えていなかったようだ。訓練用の木剣の攻撃力とはいえ、与えた攻撃、斬撃は100は超える。少し慌てたようにアッシュに駆け寄って、回復魔法をかけようと膝をかがめる。
「ま、まだだ!」
リューンの魔法を手で制止し、よろめきながらも立ち上がる。
「アッシュ様……」
彼の目はまだ諦めてはいない。彼にも意地があるのだ。傍から離れるよう、リューンに目配せをして下がらせる。
「まだ……まだ戦えます!いけます!」
そう叫ぶアッシュだが、稽古開始前の威勢は消え、剣先は少し震えている。肩で息をしているのが見て取れ、明らかに疲れが窺える。彼の基礎能力的には、数十分間動き回る体力は十分あるはずなのだが、あまりの力量差に精神的な疲労もみてとれる。
リューンが諦めたように、松明を掲げ、稽古再開の合図を送る。アッシュ本人がまだ戦えるというのだ。提示した条件にのっとり、こちらもそのまま攻め手を続行する。
◇
肩、腕、膝に連撃、盾のガードが上がれば流れるように胴へ打ち込み、続けて右手に持った剣を打ち弾く。アッシュが大きくよろめくが、そのタイミングで体と腕を大きく一回転させて、無理矢理行った反撃を、飛び退いて回避する。
「はぁ、はぁ……」
彼の息は完全に上がっている。だが、動きの無駄は少なくなってきた。攻撃は最小限に抑え、しっかりと守りを固めながら、こちらへ反撃する隙を狙ってくるようになった。
動きはとても単調になったが、そのままで諦めるような様子もない。何か策があるのか、とはいえ攻め手を緩める気もない。アッシュが体勢を立て直したのを確認し、再度攻撃を仕掛ける。
剣と盾で守りを固くし、こちらの攻撃を凌いでいるが、守りきれているのは主に上半身のみだ。亀のように守りを固めても、どこかしら守りきれない部分も出てくる。アッシュの動きも次第に鈍くなっている。長引かせずに終わらせたほうが良い。ザッと踏み込み、下段切り上げから強固な盾を弾き飛ばし、そのまま気絶させて今日の鍛錬は終わりに――
「今だ!」
こちらの剣撃に合わせて、意を決したように飛び込んでくる。だが、この突進程度ではこちらの攻撃は回避しきれないはず――
ガキィン!!
彼の盾が鈍い金属音を慣らし、下段から切り上げた木剣を防ぐ。いつもなら盾ごと上方へ弾き飛ばすことが出来るはずだが、木剣の動きが止まる。切り上がらない。そして、アッシュの姿勢が妙に低い。その体は地面へすれすれまで沈み込んでおり、およそ攻撃を仕掛けられる体勢ではない。
――自分の全体重を乗せて木剣そのものを折りに来た!?
確かに稽古開始時に設けた条件では、木剣の破壊は稽古の終了を意味する。木剣が破壊されれば、この痛みや苦しみからひとまずは解放されるだろう。しかし、このタイミングでそれを狙ってくるのか!?
「うおおおお!!」
――こちらの一瞬の躊躇い。その隙を見逃さなかったかのように、アッシュは即座に盾を手放し、片足で盾と木剣とを無理矢理地面に押さえ込み、瞬間に手に持った剣を両手で握り直す。
「ここだぁ!まじん斬り――」
――やられた!一連の行動は木剣の破壊なんかじゃない。下段攻撃を誘発させての急接近、そこからの盾と体重を利用した相手の武器封殺。そして、回避不可能な距離での最大ダメージを出せる攻撃スキル。無理だ躱せない!ダメージを覚悟して目を瞑る――
◇
数秒間の静寂が流れる。痛みが……ない。恐る恐る目を開けると、剣を振りかぶったまま横でうつ伏せになって倒れているアッシュがいた。
「アッシュ様!大丈夫ですか!?」
リューンが先ほどと同じように駆け寄って来る。どうやら最後の攻撃は、正真正銘の最後の力を振り絞った攻撃だったようだ。攻撃が当たる、という喜びからか、緊張の糸が切れたのか、悲しいかな、ほんの少し自身の余力を読み間違えた、といったようなところか。とはいえ、彼は今日のこの短時間、本当に全身全霊で稽古を行っていたということだ。特に最後の攻撃は、完全にこちらが読み違えて危なかった。隙を逃さずに攻勢に転じることができるほどに彼は成長できたと思える。最後の攻撃は、完全に一本取られたようなもの、見事というほかないな。
◇
薄っすらと東の方角が明るくなってきて、朝が近いことを知らせてくれる。
「……どうしてアッシュ様はここまで自身の鍛錬に拘るのでしょうか……」
倒れているアッシュに回復魔法を施しながら、リューンが話し始める。
「アッシュ様は少しでも時間が出来ると自分を鍛えようと鍛錬を始めてしまいます。いつも少しお休みになられてはと嗜めるのですが、あまり受け入れてはもらえません……」
リューンはアッシュが何故それほどまでに自身を追い込んでいるのかが疑問のようだった。確かに、突然俺に稽古をつけて欲しいといったことに驚いていたようだし、彼女の疑問もわからなくもない。
「魔神を倒す為に、少しでも強くなりたいというのは分かります。ですが、お一人だけで魔神と戦うわけではありません。セルビィ様や私達がおります。それなのに、アッシュ様は一体、何を焦っているのでしょう……」
アッシュが執拗なまでに鍛錬を続ける意味、か。リューンの話や、今日の稽古の感覚から少しは理解できそうかもしれない。これは恐らく、魔神を倒したい、父や母の仇を討ちたい、その為に強くなりたいというのとは少し違う、もっと、彼の個人的な感情の部分になるのだろう。とはいえ、これは明日もやるであろう稽古の時にでも、その確証を得たいと思う――




