44 リューン故郷へ帰る3
世界樹の根の根、中心であるこの空間、いや、部屋というべきだろうか、天井にも木の根、蔦、私でも知らないような植物が多く生い茂っており、神秘的な光景を目の当たりにしている。ところどころには、発光する植物や虫達が、根の隙間から光を零している。
「コルー、ご苦労様でした」
「はっ」
そこに座っていた白いレースのワンピース状の服を着た、恐ろしいほど肌の白い、金髪のエルフの少女に、コルー様が深く頭を下げる。私もコルー様にならって同じように頭を下げたが、アッシュは軽く頭を下げた程度だ。金髪の少女の瞳には、精気のある者にみられるような輝きはなく、まるで眼が見えていないような気がした。その背後には巨大な木の根がみえて、それがおそらく世界樹ユグドラシルの根であろう。そこから伸びた根の何本かが彼女の背中に刺さっており、その光景は、およそエルフの少女という風貌には似つかわしくない、異形の者としての輪郭を現していた。
「リューン、アッシュ、よくぞ来てくれました。私がエルフの女王、そして、このユグドラシルと共に生きる者。まあ、まずは座ってくださいな」
そういって指し示された場所に、木の根がいくつも絡み合い、二つの小さな椅子が出来上がる。女王様に促されるまま、私達はその椅子に座る。
「では。私の事はコルーから聞いていますね?」
「はい」
答えたはいいが、緊張からか少し声が掠れた。
「単刀直入に。あなた達を呼んだのは他でもありません。我々の悲願、魔神の討伐、今がその時なのです。あなた達には、その魔神討伐を手伝って頂きます」
いきなりの女王様の発言に、私とアッシュは唖然とする。先ほどの話を聞いていれば誰だって驚くだろう。六英雄が封印する事しかできなかった魔神を、私達に打ち倒してほしいということだ。
「し、失礼ながら女王様。アッシュさん、はともかく、私はこの里の一介のエルフです。魔神を討伐するということ、私には荒唐無稽すぎて信じられません。私にそんな力は――」
「いいえ。力があるない、ではないのです。あなた達は破滅的な運命を変える存在。いえ。運命を変える存在と接触し、新しい未来へと進む可能性を手にしたのです。我々がなし得なかった力……」
「運命を変える存在? 一体それは?」
「待て。リューン。一つ一つ説明しよう。女王様、よろしいですかな?」
「ええ。お願いするわコルー」
女王様は少し笑ったような気がした。
「はい。女王様には、魔神を倒す方法を探す為、長い年月で培った二つの能力がある。【千里眼】と【万里眼】じゃ。【千里眼】の能力は、今起きている遠方の出来事や隠れているものを見通せる能力。アッシュ殿、お主の名前や今何処で何をしているか、といった事は、女王様はこの能力によって調べたり見つけ出したりすることができるということじゃ。そして【万里眼】。この能力では【千里眼】よりもさらに高度な能力、あるいはこの世界以外の、異世界すらも垣間見ることができる能力じゃ。そして、この二つを組み合わせることで、俗にいう未来予知すらも可能な能力となる。これから起こる事、百年、千年先の未来をもその眼に写す。それは異世界も、魔神の復活も、くるであろう世界の崩壊すらもな」
「未来を予知できる能力……」
「【千里眼】も【万里眼】も万能な能力ではありません。未来予知ではこれから起こる物事は予知できても、その細かな時期や状勢などを読み解くことはできない。魔神の復活時期においてすら、十数年単位のズレが起きてしまった。この時の為に手に入れた能力でしたが、もう少しこの能力の事を理解していればと悔やんでなりません……そして、私がこの二つの能力を使って見た未来のひとつは、この世界が魔神と魔族に支配され、いまある種族すべてが死滅した未来です」
「すべてが死滅……!?」
「そんな……!?」
「そうです。それはおぞましい世界の姿でした。このような未来にしてはいけない、どうにかして未来を変えることができないのか、その方法がどこかにないかを【千里眼】と【万里眼】で探すうちに、ひとつの異世界を探し出しました。その世界は、この世界と大きな違いはなく、魔神や魔族や強靭なモンスター共に侵攻されて、我々と同じように世界が危機に陥っている異世界です。ですがその異世界には、この世界と明らかな違いがありました。私達があの時、死に物狂いで封印した魔神や魔族を、ものともしないような凄腕の戦士達がいたのです。さらにその戦士達は一人、二人だけが強いというわけではありません。何千人も、何万人も、魔神と魔族を苦もせず打ち倒す、武勇に秀でた人々がその世界にはいたのです。彼らは我々と姿形は同じです。言葉も何ら変わりません。何も変わらないように見えるのに、その強さだけは、我々には到底及ばない領域にいる」
「その人々は本当に、我々と同じ……なのですか?」
その問いに女王様は首を振った。
「分かりません。ですが明らかなのは、姿形は同じ人間、獣人、エルフやドワーフだったとしても、我々とは生きる理の違う人々であるということです」
「ありえない! あの魔族共をそんなに簡単に倒せるはずが……!」
アッシュが驚いたように声を上げる。何処にぶつけるでもない怒りのような叫びが辺りにこだまする。
「落ち着きなさい。あなたは私の垣間見た世界の光景を知らない。彼らの戦いは、私達の想像を絶するものです。彼らが戦うものは魔神だけではありませんでした。もっと強大な邪悪、冥府を統べり亡者を操る死の王、世界のそのすべてを破壊せしめる力を持つ暴竜、天変地異すらも引き起こす魔力を持つ太古の神々すらも」
立ち上がったアッシュはストンと椅子に座り込む。それほどに淡々と、恐ろしいものを語るように、女王様は話を進める。
「彼らはたとえ腕がもげて、自身の腹に穴が空き、どうみても死んだと思われる状態でも、一人の術者が呪文を唱えれば傷が癒えて蘇り、襲い来る敵を倒すその時まで戦い続ける。何度となく死んでも蘇り、その度に自分達の動き、行動、タイミングを切り替え、相手に合わせて最適化させて、最後の最後にはどんなものをも討ち滅ぼす。そしてまた、新たな相手を探し求める。彼らは私達の知らない魔法、術、技を持ち、満たされるまで戦いを求める者達」
「死人を蘇らせる魔法……そんなものがあるなんて」
息を飲む。常識としては考えられない。禁術や外法の載った書物には、そのようなものの記述はいくつかあったが、実現できたものはいないとされている。与太話として一蹴されてきた魔法である。
「彼らをもし、この世界に呼ぶことができれば、魔神すらも容易く打ち倒すことができる。私はそう考えて、長い年月をかけて、異世界からの召喚を可能にする魔法術式を完成させました」
「その魔法術式が成功、したんですね!?」
アッシュの一言に女王様は押し黙り、少し言葉を選んだように話す。
「スヴァン公の子よ、グランドリオの次代の王リアンよ。そう。あなたはアッシュではなく、皇子リアン。あなたを呼んだのはこれを、このことを伝えるためなのです。あなたの父スヴァン公は立派な王でした。最後まで魔神の前に立ちはだかり、封印の一族の末裔として、誇り高い最後を遂げました。そしてあなたの母君、エメラダ王妃もまた、誇りと慈愛に満ちた女性です。ですが彼女は……」
「母上! 母上が何処にいるか知っているのですか!?」
アッシュ、いや、リアン様が声を荒げて立ち上がる。
皇子リアン。アッシュは偽名であり、冒険者ギルドで名を隠して活動していた。王都グランドリオ、スヴァン公の長子。私はヴァルデジャン王国からの依頼で、皇子の同行者、冒険者パーティーの一人として、彼らの旅に同行してほしいと依頼を受けて行動を共にしてきた。このことを知っているのは恐らく、ヴァルデジャン王国の一部でしかなく、リアン様の正体を見抜いていた女王様のその能力は、間違いなく本物であるということになる。
「それは……」
少し言い淀んだ後、女王様は告げる。
「エメラダ王妃。彼女は、我々から召喚術式を教えられた後、たった一人でその術式を用いて、異世界から一人の少女を呼び出してしまったのです」
「母上が一人で召喚を……!?」
「彼女は誇りと慈愛に満ちた女性です。これは誰もが否定などしないでしょう。ですが、彼女にとって一番大事だったのは、あなたと妹のレーナだった。彼女には、焦りがあったのかもしれません。悠々として進まない召喚の準備、迫り来る魔族やモンスター。彼女の中で、子供達だけは守りたいという意志が何よりも優先されて、どうにかして欲しいというあまり早まった行動をしてしまった。本来であれば、もっと時間をかけて召喚術式を完成させなければならないもの。彼女の焦りと焦燥の代償は、あまりにも大きかった……彼女が呼び出したエルフの少女は、本来であれば使えていた一切の魔法が思う通りに使えず、この世界の言葉もうまく話せない、そんな状態でした。正しい方法で呼び出されていれば、少女の魔法や鍛え抜かれた能力によって、魔神や魔族を圧倒していたことでしょう。それほどまでに強い……強い人なのです。呼び出された少女は、召喚された日から今まで、彼女は幾たびも命の危機に陥り、その度に戦い抜いて生き延びてきた。決して諦めず、挫ける事もなく。勝手に呼び出されたこの世界の危機のことなど放っておいて、元の世界へ戻る方法を探すこともできたでしょう。ですが、そうはしなかったのです。少女は、私達の倒すべき敵と今も戦い続けている。たった一人で。我々の宿敵と戦ってくれている」
女王様はどこか悲しそうに目を伏せた。少しの後、リアン様を見つめるように顔を上げた。
「リアン。あなたは彼女を助けねばなりません。あなたの母君が犯した情による過ちを、息子であるあなたが正さねばなりません。この世界の未来のために、償いをせねばならないのです。皇子リアン。あなたを呼んだのは、ここで、魔神との戦いで示さねばならぬからです。それは、次代の王としてなさねばならぬ責務です」
「リアン様……」
「俺は……スヴァンの子です。エメラダの子です。父の仇は必ず討つと。母上を必ず見つけ出すと。天に、神に誓ったのです。冒険者ギルドに入り、人々を助け、自分を鍛え上げ、そしていつの日か必ず、魔神を倒すのだと。強くならねばならぬと。ですが、まだ力が足りぬ、まだ奴らには勝てぬと思い込み、心の底では戦うことから逃げていたのかもしれません。ですが、もしも今、この力が必要であるならば、俺は皇子としての立場を捨ててでも成し遂げたいとすら思います。この拙い力が、魔神を倒すための一助になるのであれば、必ずや……!」
「ありがとうリアン。次代の王よ。その勇気と慈愛と少しばかりの不器用さ。ふふっ。やはりあなたはあの人の子孫なのですね」
女王様は昔を懐かしむように微笑んだ。
「ですが女王様。その話では、やはり母上は……」
「ええ。一人での召喚術式は、魔力、生命力そのすべてを捧げても決して成し得ません。だからこそ、時間をかけて召喚術式を確立させる必要があるのです。残念ですが、あなたの母君、エメラダ王妃は、もうこの世にはおりません……」
「そう……ですか……」
リアン様が力なく呟く。エメラダ王妃の死を悔やむように、その拳は力強く握られていた。
「リューン。あなたは我々エルフの代表として、この戦いのすべてを見届けなさい。魔神との戦いも、少女の事も、そのすべてを傍で見聞きし、次代への記憶、記録とするのです。エルフの女王として、あなたにその使命を与えます。この戦いを、この時代に起きたことを、必ず未来へと繋げてください」
「は、はい!」
「異世界から来た英雄を助けなさい。彼……彼女はこの世界の、破滅的な運命を変える存在。私達が頼るべき最後の希望。世界の未来は彼女に託されたのです。少女セルビィとともに――」
セルビィ。女王様からその名前を聞いてドクンと胸が高鳴った。まさか、とは感じていたが、実際に名前を出されるとこれほど動揺してしまうとは思わなかった。どことなく不思議な印象を受けるエルフの少女。どこかで別世界の人であってほしくないと思っていた。ただのエルフで、なんてことはない少女で、戦いをやめて争いもないところで普通に生活をしていて欲しいという願いがあった。
「女王様。そろそろ……」
「ええ。そうね。二人とも、今日はありがとう。最後にお話ができてよかった。コルーや侍女以外と話をするのも久々で……私の寿命はもう長くない。次に会うことはもうないでしょう……二人とも、未来を頼みましたよ。コルー。あなたも今までよく仕えてくれました」
「じょ、女王様……!」
コルー様が肩を震わせワッと泣いた。初めて見る涙だ。
「あの、女王様。女王様はセルビィさ……セルビィ様の事を何かご存じでしょうか? 彼女には謎が多く、私達でも掴み兼ねる所があって、何か分かることがあれば、教えて頂きたいのですが……」
最後。寿命。恐ろしい言葉が頭の中で反芻し、思わず声を掛けてしまった。少しでも話を引き延ばして、女王様がここにいた証を、自分の中に落とし込みたかった。もう会うこともないなんて……そんな言葉、聞きたくはなかった。
「私の能力でみた彼女は……いえ。やめておきましょう。あまり他人に広めるものでもないわね。でも、とても誠実な人。一度だけでも、実際に会ってみたかった……心からそう思える人。大丈夫。これからは彼女と一緒に行動するのだから、そこで嫌というほどわかりますよ。気にする必要はないわ……リューン。あなたは優しいのね。ありがとう」
そう言って微笑んだ女王様の笑顔は、どことなく、私の知っている少女に似ている気がした。
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長い長い螺旋階段を登り、聖堂院を出た頃には、日も沈み、夜の帳が下りようとしていた。冒険者ギルドのほうへ戻ろうと歩き始めたところで、コルー様が私達を引き留めた。
「明日の早朝には人数分の早馬を用意しておく。セルビィ様は数日のうちにガンドリビの街へたどり着くだろうということだ。明日のうちに馬でここを出れば、六日もかからずにセルビィ様に合流できるであろう。女王様の話では、時が来ればお一人でもグランドリオへと旅立ってしまうとのこと。それだけは絶対にさせてはならん。必ず間に合え。それと、女王様から戦いの助けになるであろう武具や貴重品を預かっておる。明日の出発の時にまとめて渡す。準備を怠るなよ。ではまた明日な」
ギルドまでの道を歩いているが、私も、リアン様も、一言も会話の無いまま時が過ぎる。それほどまでに、女王様の話が衝撃的すぎたのだ。特にリアン様の母君、エメラダ王妃が既に亡くなっているという話は、彼にとって感情の落としどころがないのではないだろうか。少し心配になり、何か声をかけるべきかと思案していたが、もう既にギルド前の広場へと歩いてきてしまった。傍にある宿屋の前に、三人の人影がみえ、こちらに声をかけて近づいてきた。
「アッシュ殿ー! もうよろしいのですかな!?」
「遅かったな。一体どんな話だったんだ?」
「お姉ちゃん。里長様にこんな時間まで絞られるなんて……どんな悪い事したの? 心配したよ?」
「セフィ……」
ちょっと抜けている妹の顔をみて、ホッとして肩の力が抜けた気がした。どうやら、気づかないうちにかなり緊張していたみたいだ。
「オグニル。明日の朝、すぐに早馬を走らせて、ヴァルデジャン王国へ走ってくれ。トルキン。君には大聖堂へ走って伝えて欲しいことがある」
「なんと!?」
「突然だな。一体何があったんだ?」
「この里の女王様から話を聞いたんだ。だから、伝えて欲しい。俺の母、エメラダ王妃はもうこの世にはいない、と。そして、スヴァン公の長子、リアンが、英雄とともに必ず魔神を討つ。その旗を掲げたことを。必ず、我らが王都を奪還してみせるということを」
「……遂にご覚悟召されましたか。リアン皇子」
オグニルは、今までの態度とは裏腹に、リアン様に片膝をついて頭を垂れた。
「おいおい。エメラダ王妃が死んだ!? それを大聖堂に、俺が伝えんのか!? あの婆さん達が納得するとは思えねえが、それに妹さんの事はどうすんだ? 俺には説明しきれねえぜ!?」
「後で、押印した書簡を書くよ。頼むトルキン」
「……マジなんだな」
「ああ」
「大聖堂か……遠いぜあそこは。まあ、分かったよ皇子様」
「ごめんねセフィ。明日にはもうここを発たなきゃいけなくなったの。また今度ゆっくり会いに来るわね」
「ううん。きっとそんなことだろうと思ってたから大丈夫。でも、全部終わったら、きっとまた戻ってきてよねお姉ちゃん」
全部終わったら。また戻ってきて。次にここを訪れる時は、魔神との戦いの後だろう。魔神との戦いに勝てなかった時、私達にまたはあるのか。たとえ戻って来たとしても、その時まで女王様はご健在であろうか。色々な不安が襲い気持ちが晴れなかったが、妹に心配はさせまいと少し気を張って返事を返す。
「ええ。きっと戻ってくるわ。まかせて」
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