40 ナナリ
「イヒヒヒヒ……これを狙っていたんですよォ!」
「キャアア!」
――全身に衝撃が走る。体は壁に激突したような衝撃に見舞われ、声にならないような呻きが口から洩れた。崩れるように床にへたり込み、全身に力が入らない。強い衝撃は全身を揺さぶり、ぐわんぐわんと頭が混乱し、思考がまとまらない。瞼は落ち、意識の混濁が起こる。体は壁の中に沈み込むような感覚でもたれ掛かり、ここで倒れては死んでしまうという危機意思すらも揺らいでいる。
「ナナリ! 逃げろォ!」
ガドラーさんの声が聞こえる。
情けない。たった一撃だけだ。魔族の攻撃を、たった一撃。
ガドラーさんも、フッドさんも、こんなことくらいでは倒れないだろう。
だけど、私は――
無理を言ってガドラーさんのパーティーに同行させてもらっているのに、この様だ。二人のパーティーに同行していれば、魔族との激しい戦いになることは分かっていたのに。私の回復魔法や補助魔法は、きっと二人の力になると思っていたから。きっと、皆を助けることができるって。でも、皆の傷を癒さないといけない私が、最初に、死ぬ?
どうして、私は――、あの時も――
そういえば、彼女はどうしたのだろう。彼女は、魔族の攻撃にも決して怯まず、屈せず、ボロボロになりながらも、戦い続けた。そして、最後には――
彼女は――
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「――! ――! 大丈夫?」
「……お、お母様?」
「どうしたの? ボーッとして。 このお話がつまらなかった?」
「ううん。……ちょっと考え事してたの」
「嘘だぁ! 絶対寝てただけだろう!?」
「寝てないもん! ちゃんと起きてお話聞いてたもん!」
「ほらほら。このお話ももう少しで終わるんだから、それが終わったら、今日はもう寝ましょうかね?」
「えー! もっとお話し聞きたい……」
「ほら。もう頭がふらふらしてるじゃないの。最後まで頑張れる?」
「ん……大丈夫……」
「そう? じゃあお話を続けるわよ」
「はやく! はやく!」
「はいはい。"勇者と魔王の長い長い戦いの末、勇者の剣が魔王の額へと突き刺さります。魔王は最後の雄たけびを上げて、その姿は消えていきます。遂に魔王は倒され、魔王に苦しめられていた王国に平和が訪れました。勇者は魔王を倒したその剣を、国の王様に預けて、また何処かへ旅立って行こうとしています。魔王討伐後から数日経った旅立ちの日、勇者は沢山の人々の見送りや、王国へと引き留めようとする人々の前でこう話します。僕は助けを求める人々を放ってはいけないんだ。今もどこかで困っている人々がいる。僕はそんな人々を少しでも助けたいと思うし、その為にこの力を使いたい。だからもっともっと旅を続けるよ。人々は強い意志を持って歩む勇者を、引き留めることができません。どんどんと遠ざかっていく勇者の後ろ姿を、いつまでもいつまでも見続けましたとさ” おしまい」
「勇者様かっこいい! 僕もいつか、お話の中の勇者様に近づけるかな?」
「そうね。困っている皆を助ける気持ちがあればきっと大丈夫。お母さんは、きっと誰にだって勇者様になれる資格があると思っていますよ?」
「頑張って僕も勇者になりたい! へへっ!」
「レーナは……あら?」
「……すぅ」
「おいレーナ! ソファの上で眠っちゃうなんてだらしないぞ!?」
「あらあら。もう今日はおしまいにしましょうね」
「えー! 今日は別の絵本も呼んでくれるって約束だったのに!」
「こらこら。あまり我儘をいうと、お父様に言いつけますよ?」
「そ、それだけはやだ。はい。今日は寝ます」
「よろしい。ほら。ベッドまでレーナを運びましょう。リアン――」
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「女王様! お子様達も! ご無事でしたか! お怪我は!?」
「私達は無事です。臣下達とスヴァン公が囮になってくれたおかげで、どうにか地下通路から逃げ出すことができました……」
「では、スヴァン公は……」
「王は己の使命を果たしておいでです。……エフィンの里の女王の予言は、時期はズレておりましたが正確でした。魔族の復活の時期を読み違えた我々が甘かったのです……!」
「本当に魔神の復活なのですか!? 神話の世界の話であり、これが事実であるならば、我々では対処のしようが……」
「太古の歴史においては、我々にも黒曜石での封印は可能でした。でなければ、王都の地下に魔神の封印を施すことなどできません。スヴァンは、封印の一族の末裔の一人として、その最後の役目を果たそうとしています」
「おお! やはりスヴァン公には何か策が……!」
「魔神による被害を最小限に収める為の手段と聞いています。魔神や魔族達をもう一度封印できるようなものではありません。どちらにしても、今の私達には逃げることしかできません」
「分かりました。すぐに馬に御乗りください。王子様はこちらの馬へ!」
「まずは急ぎ大聖堂へ。あそこにおられる司祭様に報告をしなければ!」
「はっ!」
「……リアン? どうしました?」
「お母様! お城が……お城が燃えています! お父様は何処に! 無事なのでしょうか!?」
「リアン。今は我々が逃げ延びる事が先決です。なによりも生き延びることを最優先とするのです。悔やむのは後にしなさい。王族の血を、使命を、絶やしてはなりません。王の遺志を継ぐのです!」
「お父様……」
「お母様……」
「レーナ。大丈夫。夜が明ける頃には大聖堂へとついているでしょう。今は少し眠ったほうが良いのです。大丈夫。お母さんが傍におりますよ……」
「はい……」
「オグマール。行きましょう! リアン! オグマールの馬に!」
「急ぎ大聖堂へ向かいます! はっ!」
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「何故です兄様! どうして!」
「レーナ……母様は何も言わずに俺達を大聖堂に預けて旅立っていった。もう何年も連絡すら届いていない。魔族やモンスター共の侵攻は、いまでも多くの人々を苦しめている。母上は大聖堂で待っていろといっていたが、もう俺はここに留まり続けることはできない! 何もせず、奴らの好きにさせるわけにはいかないんだ! 奴らの恐怖から、少しでも多くの人々を救いたい! それに、旅をしていれば、何処かで母様の情報が入るかもしれない。世界を回って、母様が今何処で何をしているのか、探してみたいんだ。……お前には大聖堂で、母様からの連絡を待っていて欲しい」
「どうして……」
「行こうオグマール! まずはヴァルデジャン王国へ!」
「兄様!」
どうして、私を置いていってしまうのだろう?
どうして、共に母様を探そうといってくれなかったのだろう?
魔族やモンスター達に苦しめられている、多くの人々を助けたいという気持ちは、私にもあるはずなのに。
母様を思う気持ちがあるのは、私も同じはずなのに。
小さくなる兄様の背中に、何度も言葉をぶつけようと口を開く。
連れていってくれと。
共にいきたいと。
しかし、言葉を投げる事ができない。
私は、心の何処かで自分が足手まといになるのではないかと思っていたのだ。
魔族やモンスターと戦うという、決して踏み込めぬ世界があると。
逃げている。
戦いから。
恐怖から。
大聖堂を出てしまえば、見ないふりをしてきた真実を知ってしまう。
どうして……
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静かだ。
薄れゆく意識の中で、はっきりとしたことが分かるのは、昔の記憶。
母様と一緒に読んだ絵本も、母様の腕の中から見た遠くに燃える城も、旅立つ兄様のあの背中も。
これが走馬灯なのかもしれない。
感覚が分からない。でも、本当に静かだ。
重い瞼をうっすらと開ける。頭は重い。意識も混濁している。
霞んだ光の先に、人影をみる。
先ほどまで対峙していた魔族の前に立ちはだかる人影。
長い金髪をリボンで束ね、背には少し色褪せたマントを翻し、右手には厳つい棍棒のようなものを持ち、左手には金色十字の装飾を施された小さな盾を構えている。霞む光の先に見た姿は、母様が読み聞かせてくれた勇者の伝説の絵本に記された、その人物と酷似するような。いや、正確には違う。だけどそれからは、記憶の中で見た、絵本の挿絵を強烈に思い起こさせた。伝え聞く勇者の姿。
そして、金髪と横顔を垣間見て、一人の少女の名を呟く。
「セル……ビィ……ちゃん?」
瞼の重みに耐えきれなくなった私は、もう一度意識を闇の奥へ沈みこませた。
……
…………
………………
「――どうだ? ナナリは無事か?」
「――ああ、大丈夫そうだ。壁に強く叩きつけられて、気を失っているだけみたいだ。しばらく寝かせておいてやれば、自然と意識も戻るだろう」
「ここ数日は長旅が続いていたからな。もう少し休ませてやるとするか」
ガドラーさんとフッドさんの声が聞こえる。
「また助けられちまったな? 前回の分も含めて、きちんと礼はいっておくぜ。ありがとよ。本当に助かった」
「けっ! なんだかな。俺達は、何日も準備して魔族討伐の算段をつけてここまでやってきたっていうのに、お前は苦戦もせず、飄々と奴をぶっ飛ばしやがって。死ぬ気で戦ってきたこっちが虚しくなるぜ……」
「そういうなよフッド。彼女がいなければ、ナナリは確実に殺されていた。ナナリがいなけりゃ、俺達はパーティーとして瓦解しちまう。勝ち目はほぼなかっただろう。何の因果か二度も助けられたんだ。おとなしく礼はいっておくもんだぜ」
「しかし、魔族の住むこんな場所で会うとはな。ラムドラの医者の話じゃ、命に別状はないらしいって事だったはずだが、ずっと眠り続けていていつ起きるかもわからないとまでいわれていたんだぞ」
「……ともあれ、すこぶる健康そうで何よりだよ。……セルビィ。魔族の根城であるこのスレモッジ砦まで出向いてきたってことは、お前さんも俺達と同じで、魔族討伐が目的だったんだろう?」
セル……ビィ……ちゃん!?
ガドラーさんとフッドさんの会話からは、あの日別れた少女の名前が聞こえる。
命を救ってくれた恩人であるにもかかわらず、ずっと眠り続けていてお礼すらいえなかった彼女。
今、ここにセルビィちゃんがいる?
きちんとお礼を言うんだ。その思いだけが先行し、体を跳ね上げて飛び起きる。
「セルビィちゃ――がぁ!?」
ゴッ! 勢いよく体を跳ね上げたせいで、何かに頭がぶつかる。
衝撃を受けて、思わずぶつかった頭を手で押さえる。痛みを堪えながら、眼だけを動かし、ぶつかった何かを覗き込むように見やる。
そこには、長い金髪をリボンで束ね、エルフの長耳を水平から少し下げながら、赤くなった鼻を押さえるエルフの少女が、困ったように笑っていた。




