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33 リューン



「あの……皆さん、セルビィさんを見かけませんでしたか?」


 ここは山岳都市クライスの宿屋に併設されている食堂だ。既に太陽は朝というには高く登っており、街の人間のほとんどは朝の身支度などを終えている頃である。食堂の席はすべて埋まっているというわけでもなく、パラパラと宿泊客が朝食を取っている。


 声を掛けた先の机と椅子に腰かけている、私のパーティメンバーの二人、ドワーフのオグニルと、盗賊のトルキンが、パンや少々の野菜と干し肉を前に、片手で持てる大きさの木樽で何かを飲んでいる。朝からお酒を飲んでいるとは思いたくないのだが、ソリの合わない二人が揃って何かをしている時は、大抵乾杯をしている事が多い。


「……ん?」

「いや。見掛けてはおらんが?」


「やっぱり……」

「なんだい。また今日も部屋にいなかったのか?」

 トルキンが呆れたように答える。


「昨日もその前日も、朝早くから何処かへ出掛けているみたいなんです。宿屋のご主人にセルビィさんが何時頃戻ってきているか伺ったら、夜遅くにしか戻ってきていないって事みたいで……少し心配です……」


「心配しすぎだろう。セルビィ殿は子供ではないのだろうし」

「リューンは妙にあいつの事を気に掛けるみてえだな。ま、同郷なら当たり前か」


 セルビィという少女は、この街に来て出会ったエルフの少女だ。正確には、街の近くの森の中、さらに言えば、モンスターとの戦闘中が正しいのだろうか。鮮やかな金色の髪をリボンで束ね、透き通るような蒼い目を持った少女で、私と同郷であるエフィンの里出身であるらしい。


「しかし、この前はたかが夕食代が払えないような貧乏人だったはずなんだが、次の日の夜には、全額耳をそろえて返して来たような女だ。何かやっているのは間違いないな」

 トルキンが鼻で笑いながら言う。


「……何かって何ですか?」

 私はトルキンをじろりと睨む。一抹の不安がよぎる。


 不思議な少女だ。まだ出会って数日と経っていない。

 私がこんなにも彼女の事を考えてしまうのは、同郷であるエフィンの里出身であるということ以外にも、あの日、『銭湯』でみた、彼女の姿が記憶から消えないからだろう。


 彼女の左腹部や肩口に深く抉られたような傷跡、その体に残る無数の切り傷、打ち身の傷跡等を見れば、今までどのような人生であったかを十分に想像できてしまったのだ。


 世界を旅する冒険者という括りでみれば、多少の怪我は負っていても何ら不思議ではない。【僧侶】がそばにいれば、回復魔法ですぐに治癒することでほとんどの傷は癒える。そう。生命に関わるような致命傷でなければ。その体の傷跡の数々は、彼女が幾度となく死地を生き延びてきたという証明だった。

 

 私には妹がいる。エフィンの里に残してきた妹だ。私が里を旅立って、もう五十年余り直接は会って話してはいない。冒険者ギルドを介した手紙のやり取りは何度かしており、元気にしていることは分かっている。セルビィという少女は、出会った時からその雰囲気が、私の妹によく似ている気がしてならなかった。


 もしも、私の妹が全身に傷を負い、それでもその傷を隠すこともせず、強く生きていこうと、困難に立ち向かおうとしているとわかった時に、その背中を押して上げることができるのだろうか。今後も彼女一人に痛みや苦しみを背負わせることに、何故だかひどい悲しみと後悔の念に胸が苦しくなった。自分の心を落ち着かせるように、その時は彼女を抱きしめてしまったのだ。


「おいおい。そんなに怖い顔で睨むなって」

 トルキンに言われて、強張った表情で見つめていたことに気づく。トルキンはこちらの表情に気圧されたのか少し焦ったようにおどける。


「予想通りなら、ただの金集めだよ。金のない奴がよくやる。まあ少々荒っぽいだろうが。しっかし、いつの間にそこまで入れ込むようになったんだ? まだ出会って五日も経っていないんだぜ?」


「それは……」

 言い淀む。彼女の体の傷跡は、恐らく彼女自身の私的な事であり、あまり人に話して良いようなものではないだろう。


「い、妹によく似ているのです。どうしても気になってしまって……」

 咄嗟に思い付いた言い訳を口にする。確かに雰囲気は妹によく似ているのだが、だからと言って気にかける理由には少し弱いかもしれない。


「ふむ。似ておるのか。同じ里の出身というセルビィ殿のいうことは本当ではないのか?」

「いえ。なんとも。里の者に聞いてみないと……それは……」



「よし。じゃあ、跡をつけてみるか」

「えっ?」


「えっじゃない。朝早くから何処で一体何をしているのか、尾行して調べるんだよ」

「そんなっ! 女性の跡をつけるなんて、失礼ですよ!」


「おいおい。毎日神妙な顔で何処に行ったか知りませんかって聞かれる、こっちの身にもなってくれよ。ここはひとつ、はっきりさせておくべきだと、俺は思うね」

「はっはっはっ。毎日朝食時に思いつめた顔で現れるのは、もはや名物であったからな」

 そんなに顔に出ていたのであろうか。両手に頬に手を当て、グニグニとごまかすように頬を動かす。


「それに王国と大聖堂からの連絡は当分来ないんだろう? まだ数日はここで足止めなんだ。下手に遠出もできないし、ちょうどいい暇つぶしだ」

「アッシュ殿はどうする? 連れていくのか?」


「いや駄目だ。あいつは直情熱血野郎。尾行や偵察なんてのはまるで向いてないし、とてもできやしない。まあ、ほっといても一人で特訓ばかりしているから特に知らせなくても問題ないだろう。とりあえず、今日はセルビィが何処まで行ったかは分からないから、尾行は明日からだな」


「……わかりました。でも、明日もセルビィさんが出掛けるとは限らないと思うんですが」

「いや。出ていくね。大体何やっているかは想像がつく。俺の直感がそう囁いてるぜ」

「本当ですか?」

「まあ、その辺りは明日だ。とりあえず、今は朝飯を食べようぜ」



~~

~~~



 まだ日も登らない、街は夜の静寂に包まれている。早朝というよりも、真夜中といったほうがいいのかもしれない。宿屋から少し離れた路地裏から、トルキン、オグニルが宿屋の入口の扉を見つめている。もちろん私もだ。


「出てきたな」

 トルキンが静かに呟く。それと同時に宿屋の扉が開き、セルビィさんが外に出てきた。マントを着ているようだが、それほど大荷物をもっている様子もなく、出会った頃と大きな変化はないように見える。


「本当にこんなにはやくに出ていくんですね……」

「よし。つけるぞ。【スニーキングスキン】」

 トルキンのスキルが発動し、二人の身体が少し薄くなったような錯覚を覚える。もちろん私の身体も同様にそのスキルの恩恵を受けたように、手や足が少し薄く見える。


「こいつを使えば、人やモンスターから見つかりにくくなる。尾行や偵察にはもってこいの能力だ。行くぞ」

 トルキンはそういうと、セルビィさんの後、気付かれてもいつでも隠れることができるほどの距離を保ちながら歩き出した。私はその後ろをついていくように、オグニルとともに歩く。


 彼は、私やアッシュ、オグニルのように、ヴァルデジャン王国から冒険者ギルドを通して仕事を受けているわけではない。大聖堂からの要請を受けて、私たちの旅に同行している。その為、彼の素性は三人ともはっきりとは分かっていない。深くは聞いていないが、彼の話では元【盗賊】業で多くの仕事をしており、過去には盗みを働いたこともあったようだが、色々とあって大聖堂の人々に協力する事にしたらしいとの事。大聖堂からは腕の立つ者としてかなりの信頼を受けているようで、多くの特殊なスキルを持っており、この手の物事には慣れているようだ。



 クライスの街を出てからかなりの距離を歩いた。朝の光が潮のように暗闇を追い出していき、森の中に朝霧の空気が広がる。セルビィさんは黙々と前を歩いており、どうやら何処か目的地へ向かっているようで、モンスターの多い場所でも逃げることなく突き進んでいく。こちらもつかず離れず、突然現れるモンスターに気を付けながら尾行を続ける。


「あの……トルキンさん……セルビィさんが何をしているか、思い当たる節があるみたいでしたけど、それってなんなのでしょうか?」

 黙々と歩く二人に、昨日から気になっていた疑問を投げかける。


「いや……ただの予想で大した事じゃねえよ。冒険者ギルドにも属さずに、モンスターを一人で倒せるような奴が、手っ取り早くゴールドを集めるには何をするかってだけの話だ。正直、こんな森の奥深くまで来るとは思わなかったが……」

 トルキンにはセルビィさんが何をしているか、何をするかの検討がついているようだった。


「おっと……ここでしばらく様子見だ」

「えっ? 追いかけないんですか? 見失ってしまいますよ?」

「木々が少なく、岩場が多くなってきた。身を隠せる場所が少ないんだ。これ以上近づくとさすがに見つかる」

 周りを見渡すと、一面に生い茂っていた木々が少なくなっており、岩場が増えてきている。人が身を隠せる場所が少ない。


「正直、ここから先のモンスターとは出来る限り戦いたくはないんだが……あいつはどこまで行く気なんだ?」

「おい。見ろ。セルビィ殿が何か準備し始めたぞ」


「何か探しているみたいですけれど……遠すぎてよく見えませんね。もう少し近づけませんか?」

「……ちょっと無理だな。これ以上はさすがにバレる。何をしているのか遠くから確認したいっていうなら、そういう時には……こいつだ」

 トルキンは道具鞄をごそごそとあさったかと思うとおもむろに何かを取り出した。

 片手で持てるほどの遠眼鏡、望遠鏡だ。


「ここから見える位置でコトを始めてくれて助かるぜ。モンスターに見つからずに済む」

 そういうと、その望遠鏡を遠くで何かをしているセルビィさんに向ける。


 セルビィさんがモンスターに向かっていったようにも見えるが 私の目からでははっきりとは分からない。


「うへぇ。マジかよ……」


「一体、セルビィさんは何をしているんです?」

「あー……うん。そうだな。オグニル。お前はどう思う?」

 そういうと、目頭を押さえながらオグニルに望遠鏡を渡す。渡されたオグニルもその望遠鏡を覗く。


「うむ……そうだな。いや……うむ……」

「一体何なんですさっきから!? 私にも見せてくださいよ!」


「いや……まあ見なくてもいいと思うが……刺激が強すぎるかもしれんぞ」

 オグニルが諦めたようにこちらに望遠鏡を渡してくれた。

 まあ見てみろという感じなのだろうか。

 望遠鏡に目を当て、遠くに見えるセルビィさんにピントを合わせる。



「お前の……なんだっけか……妹に雰囲気が似てる……んだったか? その妹、笑いながら周りのモンスターの頭を勝ち割って回ってるんだが……本当に妹に似てるって事にして大丈夫か?」



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