27 ヴァルエリム衛兵部隊
バルガスは焦っていた。
ビィル・ナ・ヴァルブリッジに巣食うモンスターの討伐作戦の決行時期においてである。
斥候の報告では、ビィル・ナ・ヴァルブリッジの中心にある、監視塔から出現するモンスターの数が、数年前と同レベルにまで増加しているという。このままでは、橋はモンスターで埋め尽くされ、ヴァルエリム衛兵部隊は、大勢のモンスター共をうまく対処できず、街を放棄しなければならなくなるのだ。
バルガスは、蝋燭の灯りを元に手に持った報告書を読みながら、顎に生えた髭を撫でるように手を動かしていた。
三年前、橋の向こう側にあるヴァルマルクの街の衛兵部隊と共同作戦を取り、橋に巣食うモンスター共を減らすことに成功した。いや、作戦としては、とても成功とはいえない代物だ。本来の目的は、500人もの兵量差をもってして、ヴァルマルク部隊との挟撃という形で攻め込み、モンスターと魔族を討伐し、橋を奪還することにあった。それはモンスターと魔族の激しい抵抗に遭い、失敗に終わっている。
辛うじて成功といえるのが、モンスターの数を減らした、ということだけである。
作戦時の被害は尋常ではなかったが、この三年間、少なくとも橋からやってくるモンスターの対処は難しくなかったのだ。人的被害もほぼ出ていない。
バルガスの悩みは決行のタイミングであった。
当時と同じように、500人もの衛兵を集めることはできない。今この関所の部隊をかき集めたとしても、150人もいかないであろう。しかし、どこかのタイミングで部隊を指揮し、モンスター共の数を減らさねばならない。
バルガスは溜息をついて、その思考を一旦考えないようにする為、別の報告書を取り出し深く読み始めた。
――いたぞ! 捕まえろ!
――お、おい! 待て!
衛兵達が声を上げている。外が騒がしいようだ。
椅子から腰を上げ、隊長室から扉を開けて長く続く通路へと出る。
バルガスは、近くを走り抜けようとする衛兵の一人に声を掛けた。
「どうした? なにがあった?」
「はっ! バルガス隊長殿! どうやら侵入者のようです!」
「侵入者? ここにか?」
ここはビィル・ナ・ヴァルブリッジとを繋ぐ関所のような場所である。モンスターの襲撃がないか見張る為、衛兵の見回りも夜通し行われており、金品をしまっておくような場所があるわけでもない。リスクを冒して侵入したとしても、大きな実入りがあるわけでもない。バルガスは侵入者の行動がいまいち理解できずに訝しんだ。
「はい! 今は西区画を抜けて、橋への侵入口方面へと逃走中であります!」
「……妙だな。外に逃げ出すこともなく、関所内を逃走しているのか?」
関所内にはいくつか外に出る扉があり、これだけ警戒されている状態で、例え凄腕の盗賊であろうとも、何かをしようとするのは困難を極めるだろう。
「はっ! 衛兵がその侵入者を見つけ声を掛けたところ、一目散に逃げだしたとの事です! 目的は分かりませんが、現在も関所内を逃走中であります!」
「分かった。非番の衛兵達も叩き起こせ。全員だ」
「ぜ、全員をですか!? 侵入者一人に!?」
「そうだ。わかったらすぐに――」
――ズガァァン!
「な、なんだ!?」
「な、なんでしょうか!? 橋への侵入口がある方角からです!」
「俺は侵入口へ向かう! お前は非番の全衛兵に通達しろ! 武装して中央区画に集まれとな!」
バルガスには不安があった。
これは、ヴァルエリム防衛部隊にとって、部隊そのものの存続が危うくなるような、何か重要な出来事が起きる前触れではないかと。
~
「どうした? 何があった? 侵入者は?」
「はっ! バルガス隊長殿! 申し訳ありません! 侵入者を取り逃がしてしまいました!」
衛兵の一人は緊張した面持ちでバルガスへと敬礼を行う。
バルガスが周囲を見渡せば、部屋の奥にある扉は無残に破壊されている。
木の机や椅子などでバリケードを張り、頑丈に補強されていたはずの扉はそこにはなく、壊れた扉の先には、長く続く橋が見える。
「侵入者は、あの扉を破壊して監視塔の方へ向かったのか?」
「はっ! その通りであります! まさか頑丈なバリケードを一撃で破壊して出ていくとは、我々も想定外でありまして……!」
バルガスは疑問に思った。
あれほど頑丈に固められた扉とバリケードを短時間で破壊できるほどの者は、人間とは思えぬ。どんな化け物なのか。
「他に損害はないか? 衛兵達への被害は?」
「負傷者はおりません! 扉を破壊された程度であります!」
「侵入者の顔は見たか? どんな奴であったか? 一人か?」
「そ、それが……」
侵入者の顔を見たであろう衛兵は妙に言葉を濁す。
「どうした?」
「い、いえ! エルフの少女です! 一人でありました!」
「エルフ? あのエルフか?」
「はっ! そうであります! 金色の長い髪と長い耳をこちらのディックも確認しております!」
ディックと呼ばれた衛兵も、バルガスに対して肯定するように敬礼をする。
エルフの少女というのはあまり的確ではないだろう。彼らの種族は見た目とは裏腹に長命である。どれだけ若く見えたとしてもそのほとんどが自分達よりも年上であり、百歳は優に超えることをバルガスは知っている。それよりも、その少女が侵入口を破壊した方法がバルガスは気になった。エルフといえば、魔法を得意とするはずの種族だが、話を聞く限りでは呪文詠唱などでの破壊ではなく、侵入口を力技で突破したことになる。種族的に非力といわれるエルフ一人に、そのような豪快な事ができるのであろうか。
「バルガス隊長殿! 侵入者への対応いかがいたしましょう!?」
「ああ。そうだな……」
バルガスは顎に生えた髭を撫でるように手を動かしていた。
考えているのはビィル・ナ・ヴァルブリッジに巣食うモンスターの討伐作戦の決行時期である。
もしも……もしもそのエルフの少女が、何かしらの女神の御使いであり、魔族やモンスターを討伐する力を持った者であるならば、これほどの好機はないといってもよい。また、ただのエルフの少女であれば、一人モンスター共の懐に飛び込んだ少女を見捨てていては、屈強たるヴァルエリム衛兵部隊の名折れではないのか。
決断の時なのだ。
バルガスは大きく息を吸い、大声で衛兵達に下知を飛ばした。
「少女の救出に向かう! 巡回中のパウルス隊以外の全衛兵を中央区画に集めろ! 少女救出と共に、かねてよりの作戦を実行する!」
~
~~
「押し返せぇぇぇ!!」
「アッラララィィ!!」
衛兵達が叫んでいる。
モンスターの数は、斥候の報告通りかなりの数であった。監視塔入口周辺は、橋を埋め尽くさんばかりのオークとミノタウロスで溢れている。この橋には部隊を複数展開できるほどの幅もなく、大きな起伏があるわけでもない平坦な所だ。隠れることなどできない為、特殊な陣形や奇襲などほぼ不可能な場所である。だからこそ、単純な兵力差こそが、勝利と敗北を色濃く分けてしまうのだ。小難しい奇策が通用しない場所なのである。
「陣形を維持しろォ!」
バルガスは、崩れそうな【ナイト】隊へと大声で下知を飛ばす。部隊の攻防は一進一退である。ミノタウロスの集団が、【ナイト】隊の陣形を崩そうと突撃してきたかと思えば、【ナイト】隊がバルガスの激により勢いよく盛り返し、はたまた【ナイト】隊が攻め込めば、ミノタウロスの集団の後ろから、オークの集団が突撃してきて、【ナイト】隊が押し戻され、陣形が先ほどの位置へと戻る。
「隊長! モンスターの数が多すぎます! ここは一度退却を!」
バルガスの傍で指揮の補佐をしていた副隊長が撤退を進言する。
「馬鹿野郎! 少女の安否も確認できずに退却などできるか! 口からクソを垂れる前に手と目と足を動かせ! ヴァルエリム魂を見せてみろ!」
衛兵部隊の旗色は悪い事はバルガスにも薄々理解できていた。
兵力差、陣形の維持の難しさ、このままでは部隊が総崩れになるのだ。しかし、監視塔入口周辺まで部隊を動かしてきたが、探している少女の姿が見当たらない。モンスターに襲われたであろう少女の遺体や、遺品すらない。
これだけのモンスターを見て怖気づいてどこかに隠れているのか? もしくは、エルフの少女は大量のモンスターを乗り越えて、監視塔にたどり着いたのか? バルガスは、エルフの少女が一体どこに行ったのか、撤退の決断をする前にどうしても確認しておきたかったのだ。
「グリフォンだぁぁ!」
「ちっ! 新手か! 【アーチャー】隊! 空を飛ぶグリフォンを、一匹でも多く撃ち落とせ!」
バルガスは自身の腰に携えた矢筒から、矢を抜きだし弓につがえて、空を飛ぶグリフォン目掛けて放った。
~
~~
~~~
バルガスは、【アーチャー】隊と共にグリフォンの相手をしながら、今の現状確認をする為、声を上げる。
「副隊長! 状況知らせぇ!」
「【ナイト】隊陣形はかろうじて維持できています! 【魔導士】隊、被害軽微ですが、魔力充填にしばらく時間が掛かるかと! 【僧侶】隊は総出で負傷者の治療にあたっております!」
馬を走らせながら、周囲を警戒している副隊長と呼ばれた衛兵が、それに応えるように叫ぶ。
「よし! 【ナイト】隊には死んでも陣形を崩すなと伝えろ! 他の部隊は――」
「!! 隊長! 上です! 空から――!」
バルガスがその叫び声に反応し、上を見上げたその時である。蝙蝠のような翼を持った魔族が、バルガスに向かって一直線に、凄まじい速さで突っ込んでくる。すぐに弓を投げ捨て、左腰の鞘から剣を抜き、魔族の長い爪を瞬間的に防ぐ。しかし、魔族の爪攻撃の衝撃は思った以上に重く、乗っていた馬からは弾き落され、地面に背中から倒れ込んだ。バルガスは小さなうめき声と共に、なんとか立ち上がる。
「……魔族か。不意打ちとはな!」
「今ので終わらせるつもりであったが……防ぐか人間。貴様も只者ではないな」
バルガスは、持っていた剣を両手で構え直し、魔族を睨みつけた。
「隊長!」
副隊長が声を上げる。
「構うな! 後の指揮は任せた! こっちは大丈夫だ。こいつは手負いだ」
バルガスは剣を握る手に力を込める。
「我らの戦いの邪魔をする愚かな人間よ! 我が力、いつまで凌げるか……試してやろう!」
魔族はそう叫ぶと、空を飛びながら、もう一度その爪をバルガスに向ける。バルガスは両手で持った剣で、その爪攻撃をなんとか防ぐ。しかし、魔族の一振りで生じた衝撃波のようなものが、床を、空気を、辺り一面を震わせる。
「ぐぅぅ!」
バルガスにかかる衝撃はその限りではない。一撃、二撃、三撃と切り結ぶ度に、腕が、足が、立っているのもやっとかというような激痛が、全身に走る。
だが、バルガスの表情は、苦痛に顔を歪ませながらも笑っていた。
それは、死への恐怖を紛らわせるためのものでもない。ましてや、この応酬の衝撃によって、頭がおかしくなったわけでもない。それは、一筋の希望を見つけた、喜びの表情であった。
――いる!
――魔族に傷を負わせることのできる者が、この橋の何処かにいる!
――右肩からはどす黒い血を流し、左腕には折れた矢を突き刺している魔族が、本来であれば、監視塔から出ることもなく、高みの見物をするような魔族が、今、此処にいる!
――何百、何千という兵士が、蛮勇たる戦士達ですら倒せなかった魔族という相手を、ここまで追い詰め、平静さを失わせる者が、今この橋の何処かにいるのだ!
――何らかの問題が起きて、魔族との戦いを一度切り上げている。時が経てば、もう一度魔族と戦ってくれるかもしれないと!
この作戦の最重要目的は、モンスターの討伐にある。しかし、今ここで、魔族を討伐せしめることができるのであれば、橋を取り戻すことができるのであれば、ヴァルエリム衛兵部隊のすべてを課してでも、賭けるに値する。それは、たとえバルガス自身の命を失ってでも手に入れたいと願う『勝利』だ。であれば、魔族を討伐せしめる者にそのすべてを託す為、今ここで、魔族の足止めを行いたい。
幾たびかの応酬の後、弾かれるようにバルガスが後ろへ後ずさる。全身は激しく悲鳴を上げている。もう一撃防げるかどうか、両腕の感覚すらも、痺れてよく分からなくなっている。
「フハハハハ! よく耐えるな! だが、もう限界であろう? 最後に何か言い残すことはあるか?」
自身の限界を、魔族にすら見抜かれていたかと思い、ゼェゼェと息を切らしていた呼吸を少し整え、バルガスは答えた。
「へっ……今際の際の台詞を聞いてくれるってか? 随分気前がいいじゃないか」
「喜べ。手を抜いてやっているとはいえ、ここまで堪えた人間は初めてだ。純粋なる賛辞である」
さて、もう少しお喋りでもして時間を稼ぎたいところだとバルガスが考えていると、目の端に、ヴァルエリムの衛兵達とは違う、金髪の髪を後ろに束ね、左手には弓を、右手には短剣を持った、一人の少女の姿が映った。
エルフの少女である。
頭からはうっすらと血を流しているようにも見える。しかし、その芯の強そうな蒼い瞳は、バルガスを一瞥した後、別のものを見据える。そして、静かに、それでいて素早く移動し始めた。その瞳は、常に魔族を捉えている。その動きは洗練されており、すぐに魔族の真後ろ、バルガスと挟撃のできるような位置へと移動する。
――仕掛ける気か。
――しかし、残念だが今の俺は体をまともに動かすことすらできない……
――だがせめて、この魔族の隙をつくることくらいならば――
「偉大なる魔族様が、こんな最下層の人間一人の相手をしてくれるなんて、ありがたい限りだ……」
「ハハハハハ! 随分と謙虚な台詞であるな!」
「だが気を付けるんだな。最下層に一度下りれば、どこまでも追い縋って、お前を地に叩き落すような奴が出てくるかもしれんぞ」
「なに?」
その時である。
魔族の背後にいたであろうエルフの少女が、勢いよく跳躍し、背中から生えている大きな翼目掛けて短剣による斬撃を放ったのだ。
「その醜い翼を置いていけ!」
一閃!
斬撃は見事に左の翼に命中し、魔族の左の翼が、どす黒い血を飛ばしながら、背中から切り離される。
「が……あっ!?」
完全に不意を突かれたのだろう。後ろを目で追いながらも、かなりの痛みでその顔は苦悶しているのが分かる。バルガスは只々驚いていた。短剣の、たった一撃である。それは、魔族の丈夫な皮膚を、肉を、そして骨を断ち、翼を切り離したのだ。並大抵の威力ではない。
「ちぃぃぃぃぃ!!」
左の翼は失ったはずだが、魔族はまだ空を飛べるようだ。だが、先ほど仕掛けてきたような高度へと飛ぶことができていない。器用に翼を動かしながら、塔へ一旦逃げるような動きを見せる。エルフの少女も同様に、魔族を追いかけようと駆けだそうとしていた。バルガスは、慌ててその少女を呼び止める。
「待て。エルフの少女」
その声に反応するように、エルフの少女はこちらに顔を向けた。
透き通るような蒼い瞳、横に伸びた長い耳、流れるような金髪の髪を後ろで束ねているが、頭から顔にかけて何処かでぶつけたのであろうか、少し血が流れている。しかし、その瞳は力強く、決して痛みを恐れている様子は微塵も感じない。
見れば、彼女は弓は持っているが、矢筒の中の矢は空のようだ。バルガスは、すぐに自分の腰に付けていた矢の入った矢筒を外し、彼女に向かって投げた。
「それを持っていけ。君の素性や動向、詳しくは聞かん。何か理由があるのだろう。だが、一つだけ教えてほしい。君なら奴を倒せるか?」
バルガスは確認しておきたかった。彼女であれば、魔族を倒せるのか。それは、彼女自身も答えに窮するのかもしない。しかし、知りたかった。魔族討伐という意思があるのかどうかを。この橋を、自分達の街を救ってくれる『勇者』であるかを。
彼女はこちらを見つめ、そして深く頷いた。
バルガスには、それで充分であった。
透き通るような蒼い瞳から、決して偽ることのない彼女の本心を見た気がしたからだ。
「わかった。ありがとう。よろしく頼む」
思わずこぼれた感謝の言葉だ。
バルガスはそう発言した事が、急に気恥ずかしくなって、橋全体に響き渡るような声で激を飛ばした。
「陣形組直せ! もうひと踏ん張りだ! 意地を見せろ!」
そしてそれに応えるように橋のあちこちで声が上がる。
「アッラララィィ!!」
エルフの少女はそれに背中を押されるように、魔族の向かった監視塔へと走り出した。
~
バルガスは、体の節々の痛みを我慢しながら、もう一度馬へ乗る。
そこへ、部隊を見て回っていた副隊長が、助言を聞きに馬を寄せてきた。
「隊長! パウルス隊に援軍を要請すべきです! 援軍が無ければ部隊が持ちません! 援軍はないんですか!?」
「寝ぼけたことを抜かすなッ! お前達が『勇者』の援軍だろうがッ!」




