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晴れていれば星々がみえるであろう夜空は、厚い雲に覆われていて、今にも雨が降り出しそうな様子である。暗闇の中に微かに見える光は、はるか遠くにみえるヴァルマルクの街の灯りであろう。橋の下に流れている川の、静かで、それでいて何もかも飲み込むような、深々とした水流の音が聞こえてくる。石造りの床とブーツとの音が響いている。橋の中央にみえる監視塔は、今超えてきた関所や奥にみえる街灯りといった周りの景色とは違う雰囲気、とても薄暗く不気味にみえる。
ヴァルエリムの街の関所から飛び出して数分、先ほどから監視塔に向けて走っているのだが、まだつかない。
ビィル・ナ・ヴァルブリッジ
橋の幅は数メートル。車が五台ほど横に並んで走っても十分すぎるほどの橋幅を持ち、全体は石造りでできている。ビィルガリア大陸最大の橋の名は伊達ではなく、その長さも数キロにおよぶほどでとても長い。ディバト川も、見方を変えれば海のように見える程の川幅であり、この川を舟で渡るのはなかなかに難しいことを証明している。
監視塔へと向かいながら色々と考えを巡らす。
ベースがゲームだからこんな巨大な橋もできるのだろう。本当に人の手で作ったものか怪しいぐらい、とにかく長い。まあ、長いだけならば別段問題ないのだが、ところどころにモンスターがポップしている。体躯は人間そっくりであるが人を襲うことにためらいが無く醜悪な顔をしているオークや、牛頭人身の怪物であるミノタウロスなどが、かなりの数、橋のあちこちにうろついているのだ。まだ監視塔前だというのに、すでに数十体のモンスターとすれ違っている。こちらを見かけると襲い掛かってこようとするのだが、素早さステータス的にこちらには到底追いつけていない。
――この数はなかなかに異常だと思う。
モンスターのポップポイントは決まっているし、既にポイントにモンスターが存在していて、倒されて数が減っていない場合であれば、復活しないのがゲームでは基本なのだが、本物の魔族魔神の影響なのか、関係なく数が増えているようだ。監視塔周辺に沸いたモンスターが、こちらまで流れて来ていると考えるのが普通だろうか。このままいけば、大量に増えて、橋がモンスターで埋まり、街の関所まで埋め尽くされるかもしれない。早急に何とかしたいところではあるが。
~
進行を邪魔するように襲い掛かってくるオークやミノタウロスの攻撃を躱しながら、目の前に迫っている監視塔を見上げる。
この上に魔族がいる。
まるで黒い靄がかかったように、監視塔自体はひっそりと、それでいて夜の闇に掻き消えそうなほど、おどろおどろしく暗くみえる。
すぐに監視塔に入りたいところなのだが……入口手前にはオークとミノタウロスの集団が、斧やこん棒を構えて待っている。監視塔入口の守りを固めるように、侵入を許さないように陣取っている。
……本当に数が多いな。監視塔の中にもかなりのモンスターがいるのだろう。
走りながらぎんの短剣を構える。まだここで弓矢は使えない。このレベルのモンスターには短剣で切り抜けるほうがよい。いちいちこれらのモンスターの相手をしていては時間が掛かる。
重要なのは魔族の討伐なのだ。
魔族を仕留めればこの橋にポップしているモンスターは消えるはずだ。
大きな斧を振り上げてこちらに襲い掛かってくるミノタウロスの脇を駆け抜けながら、次のオークに【キャンセルブロウ】を放って動きを止める。体を回転させながらオークを抜ければ、こちらの速さについてこれずに泡を食っている次のミノタウロスに【乱れ突き】を、その顔面に叩き込む。怯んだ隙にまたその脇を抜けて監視塔の入口へと駆けていく。
流れるようにモンスターを抜けながら、倒しもせずに逃げるように走り抜ける。後を追って来ようとするモンスターもいるが、すぐに追いつけないと悟って足を止めている。手間取ることもなく塔へと侵入できた。
塔の内壁には、上の階へ上る為の階段が螺旋状に設けてあり、中央には大部屋のようなものがある。塔は確か五階建てで、階段と各階にある、中央の大部屋を抜けていかないと最上階には着かない構造になっていたはずだ。ボス前である四階には、体を休めることのできる女神の泉がある。
階段を上っていると、人一人が顔を出せるような窓がいくつか設置してあり、そこから外を覗いてみる。ヴァルエリムの関所の灯りを、うっすらと見ることができた。ここからなら街の様子も確認できるようだ。
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四階中央大部屋に到着し、ボスモンスター前のお約束、女神の泉を見つけた。女神の泉の奥には、人の二倍はあるような大扉があり、その先にある階段を上っていけば、五階にいる魔族とのご対面だ。女神の泉、ここはいわゆるセーフゾーンのようで、螺旋階段を追ってきていたモンスターも、諦めて階段を下りていったようだ。ゲームでもあった女神の加護は異世界でも健在らしい。
女神の泉で口を潤し、持っているものの確認を行う。落さないように紐で縛っていたコンボジットボウと矢筒を、きちんと装備する。矢筒は背中に肩掛けのベルトを通して身に着け、弓は左手で持つ。鞄の奥に今まで来ていたマントをしまい込み、回復薬などをすぐに取り出せるように整理する。動きやすく、それでいて弓矢の取り回しができるように、身軽であった方がよい。
よし。行こう。
大扉を開けて階段を上り、ボスモンスターである魔族のいる部屋へと入る。
~
魔族『アムデ』
人間に近い風貌であったラマトラーとは違い、アムデの姿形は悪魔そのものである。二本の捩じり上がった角を持ち、耳は先端まで尖っている。頭はスキンヘッドであるが眼光鋭く、先が矢尻型の尻尾と蝙蝠のような翼を持ち、そして全身がどす黒い。筋肉隆々とした体つきで、特にその両腕から繰り出される攻撃スキルや爪攻撃が、アムデ最大の武器であるといえる。そして当然、無駄にプライドが高い。
「エルフの女よ。まさか一人でここまできたのか?」
空中に胡坐を組んだ状態で悠々と浮かびながら、こちらを睨みつけてくる。
「我々魔族も舐められたものだな。人間の優良種と戦い、それを打ち破ることこそ我が最大の望みであったが……待ち望んだ相手が貴様のような小娘一人とはな……」
落胆の色を隠さないアムデが、目を瞑りかぶりをふる。
「まあよい。オークやミノタウロスを凌いだその力をみせてみろ。できるものならばなぁ!」
弓を構え、背中の矢筒から矢を抜き取り、つがえる。
相手は常に空を飛んでいる。これを短剣で仕留めろというのはなかなかに難しいだろう。
魔族が呪文詠唱を始め、詠唱が終わったと同時に両腕から凄まじい電撃を放っているのが見えた。
電撃をまとった腕をこちらに突き出し、凄まじい速さで閃光が飛んでくる。
――ダメージ交換をしてでも弓をきちんと使えるかどうか確認してやる。
つがえた矢を放つ。
ヒュンとした音が響き、矢が弧を描いて飛んでいく。
矢が命中したか確かめるより先に、電撃がこちらの身体に命中し、小さな痛みと共に目を瞑ってしまう。
「が……あぁ!?」
いいようのないうめき声が聞こえる。
目を開ければ、放った矢がアムデの右肩に深々と刺さり、驚愕と苦しみの表情をしているのが見えた。
「あ、ありえぬ! ただの弓矢でここまでの威力だと!? ありえぬ!」
――効いている! まっすぐに飛んだぞ! やってみるもんだね!
魔族アムデは、右肩に突き刺さった矢を激しく抜き取り、こちらに向かって突進してくる。
爪による接近攻撃のようだ。
その表情は、激しく怒っているのがこちらからでも見て取れる。
次に確かめるべきは弓のスキルだ。
うまく使えるかどうかの確認だ。
次の矢を背中の矢筒から抜き、弓につがえる。
「何者だ貴様は! 今まで殺してきた奴らとは、明らかに違う!」
大きく爪で切り裂く。だが、それは虚しく空を切る。
弓のスキル【スワロウ・ショット】
攻撃できるタイミングを捨て、相手の物理攻撃を完全に回避し、それと同時に矢を放つカウンター的なスキルだ。しかしその威力は、弓による通常攻撃の0.6倍程度のダメージで、常用するには火力が足りないスキル。主な目的がダメージを上げるためのスキルではなく、物理攻撃専門の回避スキルに近い使われ方をする。
「がぁ!」
今度はアムデの左腕に矢が突き刺さる。先ほどよりは刺さりが甘い。
――よし! スキルも問題なく発動し、ダメージも与えられる!
――あとは持久戦だ!
「貴様ぁ!」
叫びと共に、矢が刺さったままの左腕を、こちらを薙ぎ払うように動かす。
それを躱す為、後ろへ大きくジャンプする。
「くらえ!」
呪文詠唱と共に、先ほどよりも大きな電撃が、こちらに向けて放たれた。
さすがに続けてダメージをもらうつもりはない。
電撃を回避するように、大きく左へ飛び、前転する形でその電撃を紙一重で避ける。
――バシャァ! カランカラン……
ん? なんか変な音が……
体勢を立て直し、アムデを正面に捉え、弓での反撃をしようと矢筒から矢を引き抜こうとして、右手が虚空をつかむ。
スカッと。そこにあるはずのものがない。
……ん?
あれ?
さっきまであった矢の重さが背中に感じない。
……嫌な予感しかしないぞ……
ちょっと周囲を見回すと、自分の後方、先ほど前転した少し先の地点に、矢筒に入っているはずの矢が散らばっているのが見えた。
矢、矢、やぁー!?
まさかの現実的な物理法則処理!?
回避行動を取ったら、矢筒から矢が飛び出していくってのはバグなのでは!?
ゲームのプロモーションムービーとかでは、【アーチャー】が三回転半宙返りとかした後も素知らぬ顔で矢筒から矢を取って射ってましたよ!?
い、いかん! 矢がないと弓による攻撃手段がないぞ!
か、回収せねば……!
「戦いの最中に背を向けるなどと!」
アムデの爪攻撃が飛んでくる。
矢の回収をしようと焦ったあまり攻撃を回避するタイミングを逃し、爪攻撃による衝撃と共に壁に叩きつけられる。
「この位置からでは逃げられまい!」
背には壁、前方にはアムデという、逃げ場の無い状態となる。
そして、アムデの右拳が赤く光を放ち、何らかのスキルが発動していることが分かった。
――これは躱せない!
咄嗟に両腕で防御を取り、ダメージを少しでも抑えようとする。
叩きつけられた拳は、激しい衝撃と共に腕から全身に響く。激しい痛みに目を瞑り、衝撃音と共に、一瞬意識が飛んだような気がした。目を開ければ空には厚い雲がみえ、首を少し動かせば、大きな川が見える。どうやらアムデの攻撃によって、監視塔の壁を突き破り外に叩き出されたようだ。
――ここは五階。外にたたき出されたら後は落ちるだけである。
――落下しながらも、アムデが今さっき放ったスキル攻撃について、考えうる対策を――
――ダンジョン壁のようなオブジェクトを破壊可能って反則なのでは?




