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ここは、ラムドラの街にある病院の待合室だ。
多くの人が出入りしている。モンスターとの戦闘で傷を負った者、子供が風邪を引いているのか、咳をしながら呼ばれるのを待つ子供連れの親子、半分ボケた老人、よく喋るおばちゃん。
退院の手続きの為に、ここで待っているのだが、もうかなりの時間待たされている。異世界に来ても病院で半日近く待たされる羽目になるなんて、どんな世界も病人だらけだな。
体を待合室の椅子に預け、背もたれに背を当て、腕を大きく上にあげてグッと伸びをする。体が鈍っているようだ。長いこと眠っていたのでしょうがないのかもしれない。腕を下に降ろして、今、手元に抱えている大鞄に目をやる。
洞窟へ向かう前は、パンパンに膨らんでいたはずの鞄に、ものが少ししか入っていない。数枚の羊皮紙と羽ペン、切れかけたインク、入門書。大量にあったはずの薬草は、ほとんどすべて使ってしまった。悲しいくらいスカスカだ。最後の希望、数百ゴールドも、今となっては心もとない。さらに着ているローブや服は、魔族ラマトラーの戦いにおいて、ボロボロになってしまった。特に、腹部に空いた穴がみすぼらしさを増大させている。余りの酷さに、この病院の看護師から、病衣を使ってほしいと差し出されたほどだ。それは寝間着として使うよ。
しかし何もなくなってしまった。病院代はナナリ達が払ってくれていたようなので助かったが、どうもクエストの報酬分がそれで消し飛んだようだ。今日こそ本当に野宿するしかなさそうだ。ラムドラの街は、ハジ村やコドリの街よりも規模も大きく、この病院のように、ほかの街にはないような施設が数多くある。大きな街の宿屋代がどうなるかなんて、考えたくもないな。寒気で身が震える。
「セルビィさん。こちらへどうぞ」
長いこと待たされて、受付の看護師さんからやっと呼び出された。まあね。住所不定無職の名前しか分かってない人の手続きって何をどうするんだろうね。
「一応、栄養剤を数日分出しておきますね。もう二度と倒れるような無茶な生活はしないでくださいね」
それはどうだろう。今の感じだと即無茶する羽目になるんですけど。苦笑いを浮かべながら薬を受け取る。
「それと先に旅立たれた冒険者さんの皆様から、荷物と手紙を預かっていますよ。なんでも退院するときに渡してほしいってことだったみたいで」
ゴトンと机の上に革袋が置かれ、その横に丸めた羊皮紙が置かれる。革袋は片手で持てるほどだが、結構な重さと大きさである。これはもしかして……
「お大事にしてくださいねー」
革袋と羊皮紙を受け取り、病院を後にする。
革袋の中身を確認してみると、こ、これは!
ゴールド! それもかなりの量だ! これは五桁ゴールドいっているのでは!?
クエストの報酬は吹き飛んだわけじゃなく、きちんと利益がでていたのか!
丸めた羊皮紙を読んでみる。
「ごめんね。急用ができて、すぐに出発しないといけなくなりました。病院代はこっち持ちで払っておくから安心してください。あと、クエストの報酬分は皆の分とで分けて病院に預けておいたから、退院する時に必ず受け取ってね。なんだか、ガドラーさんとフッドさんがだいぶ追加してたみたいだけど、きっと感謝の気持ちを込めたんだと思う。助けてもらったのに、傍にいれなくて、本当にごめんね……。そして、ありがとう。 ナナリ」
許すよ。むしろこちらからは感謝しかない。
【黒曜石】のクエストはこれほどまでに儲かるのか。こりゃ、いよいよ炭鉱夫デビューするべきかな!
でもあのクエスト受けるにはギルド登録しないとダメか。うーん。
手に入れたゴールドを手に、街を歩きながら防具屋を探す。さすがにこの格好のままでは、街中を動き回るのもはばかられる。まずは着るものだろう。大通りに面した道を歩き、道具屋、武器屋を過ぎると、防具屋が見えた。扉を開けて中に入る。カランカランとドアベルの音が鳴った。
「いらっしゃいー」
防具屋のカウンターに頭に獣耳のはえている獣人種の女性が座っている。カウンターまでの両脇の通路には、各種鎧や手甲、ブーツなどが並んでおり、中央に置かれた机には、魔導士や僧侶用のローブや神官服、兜や帽子が綺麗に並んでいる。カウンターの奥には、姿見の鏡や、壁にズラッと盾が掲げられている。
「ありゃ? 女性のお客さん? 珍しいねー」
目的のものがないか、店内を見渡す。ゲームの知識を引きずり出せば、この街の防具屋には目当てのものがあったはずなので、確認しながら見て回る。
あった。【ぎんのむねあて】! 3000ゴールド!
高い。でもね。買えるんですよ。なぜなら俺は今、小金持ちだから! レベルが高くてもね、やっぱり装備って大事だよってのは、ラマトラーとの戦いで分かりました。実質ボロクソだったし。装備が貧弱なままだと死に直結する。【たびびとのふく】だと薄すぎるんで、やっぱ鎧みたいなのを着たほうが、安心感あるよね。でも【魔導士】って基本、鎧って着れないんです。ほんとは全身プレートアーマーみたいなので、ガチガチに守っていきたいんですけど。その点【ぎんのむねあて】は【魔導士】でも装備できるし、銀製だけど胸部や腹部も広範囲に保護してくれるので、これで行きましょう。
カウンターに座っている定員さんを、手を挙げてこちらに呼ぶことにする。ほいほいと声を上げながら駆け寄ってくる。羊皮紙に「これが欲しい」と書いて見せる。
「ありゃ。お客さんお目が高い! なかなかいいでしょこれ」
「あっ。これちょっとお客さんとサイズが合わないかも。仕立て直さないとぶかぶか過ぎて、このままじゃ着れないよ?」
ゲームみたいに装備すればパパっとジャストフィットしたりしないのか。そりゃそうか。これじゃ仲間と装備の着回しできないじゃん。今仲間いないけど。
「だいじょぶ、だいじょぶ。採寸させてもらえば、明日の昼までにはちゃちゃっと合わせちゃうから!」
採寸用のメジャーらしきものを引っ張りだしながら、ニタリと笑っている。今後のことも考えると、きちんと合わせてもらったほうがいいよな。しょうがないか。「お願いします」と書いてみせる。すぐにでも採寸を始めるかと思いきや、獣人種の店員は、こちらを確認するように上から下まで視線を何度も動かした後、すごく可哀そうなものでも見るかのような眼で俺を見ている。
「お客さん。苦労してるんだね……そのローブもボロボロじゃん。穴空いてるし。サービスでそっちも直してあげるよ……ほら。脱いでね……」
同情されたらしい。くそっ。ローブをもそもそと脱いで、採寸の準備をする。
「え。お客さんエルフだったの!? 女性のお客は珍しいけど、エルフのお客はさらに珍しいよ! こりゃ、腕によりをかけて頑張っちゃうよ!」
しばらくの間、採寸を受けながら、店員さんの顔を伺うと、時々涙ぐんで顔を背けることがあった。いや。服に穴が空いているからってそんなにひどくないでしょ。ダメージジーンズとかと同じようなもんでしょ。むしろ本物のダメージ入っててかっこいい系でしょ。ちょっとしたおしゃれ的なものでしょ。あれえ。
修繕の為にローブを預けてしまったので、顔を隠すものが何もない。新たに、フード付きのマントを購入しておこうかな。この前みたいな戦いが続くと、外套って戦う度にボロボロになる気がする。あっても困らないよな。【ぎんのむねあて】の料金と一緒にゴールドを払う。
「毎度あり! じゃあ、明日のお昼頃取りに来てよね! ちゃんと完成させておくからね! うおおお!」
そういうと獣人種の店員は、ガリガリと何かを紙に描き始めた。妙に気合が入ってるな。ペンの音を後ろ手に聞きながら、店を後にする。
次にその二つ隣の道具屋に入る。扉を開けると、こちらもドアベルがカランカランと音を立てた。
「へいらっしゃい!」
道具屋の中年の男性が、威勢のいい声を上げている。羊皮紙に必要なものを書いて、店員に見せる。必要なものが多いときは、これが一番よい。
「ちょっと待っててくれよな」
あっちこっちに移動しながら、欲しいものを店員が集めてくれた。羊皮紙、インク、薬草、回復薬、毒消し草、地図、生活に必要なちょっとした日用品など。特に重要なのは、回復薬だ。これは、HPを回復するアイテムで、薬草よりもはるかに回復量が大きい。ビン形状の中に各薬草やその他健康に良さそうなものをすり潰してドリンク状にしたものだ。薬草だけだと死にかけたので、これは是非とも鞄の中に入れておきたい。ゴールドを払って、購入品を鞄の中に入れていく。あれ? この回復薬、数を入れると思いのほか、かさばるな。しかもこれ、ビンだから、激しく動き回ると割れるんじゃないか。や、薬草のほうがよかったかな。失敗した?
道具屋を出ると、太陽が西の空に沈みかけていた。もうこんな時間か。今日の宿屋を探さなければ。街の中を速足で歩く。いや。泊りたい宿屋の目途はついている。探している宿屋には、あれがあるのだ。そう。『銭湯』が。
『お風呂』があるのである!
このラムドラの街の宿屋には、BCO開発が、水着で入れる『銭湯』を宿屋に併設してくれているのだ。ラムドラと同じような他の大きな街には、この『銭湯』は大体設置されている。『温泉』が沸いているところもある。開発が結構力を入れていたようで、無駄にでかい脱衣所や大量のアメニティ、ファンタジー感をぶち壊すシャワー室だの、打たせ湯だの、これでもかと『銭湯』に力を入れていた。
もちろんゲームの進行や、特殊なイベントが起きるものではない。キャラクターが水着に着替えて、気持ちよさそうにお湯に浸かったり、打たせ湯を浴びたり、マッサージチェアに座ったりするだけだ。完全に開発の趣味だろう。だが、ここは異世界で、今現在唯一の異世界内における日本文化に触れる機会である。これに触れずして何が大和男児か。
目的の宿屋を見つける頃には、完全に日が暮れていた。宿屋の看板の横には、温泉のマークがきちんと入っている。ここだ。宿屋に入り、カウンターにいる店主に宿泊の手続きを行い、ゴールドを払う。
「お客さんなんだか嬉しそうだね。いいことでもあったのかい?」
そんなこともないけど。まあ、これからいいことっていうか、いいとこっていうか。
部屋に荷物を置き、着替えを持って、いざ『銭湯』へ。そう。今の俺は可憐な少女『セルビィ』堂々と女湯へと入ることができるのだ。これは、何人たりとも邪魔することはできまい。いかなる名探偵でも、中身が完全に男であるなどと推理はできても、俺の行動を、進行を止める術はないであろう。ふふふ。いざ。
入口は完全に日本の銭湯のそれであり、青色の『男』赤色の『女』の暖簾がかかっている。少し戸惑ったが『女』の暖簾をくぐり、脱衣所への引き戸を開ける。靴箱があるので靴を脱ぎ、そこに入れる。脱衣所はやはり結構な広さだ。さすがにマッサージチェアみたいなものは置いていない。
浴場へ入っていく人を見れば、体にバスタオルを巻いている。さすがに水着のようなものはないだろうと思っていたが。ちっ。日和ったか異世界。もっとオープンでもいいんだぞ。バスケットに荷物を押し込み、着ていた服を脱いで、ポイポイと投げ込む。タオルを片手に浴場の扉を開ける。
なんか妙に湯気がすごいなこれ。おいフォグ処理頑張りすぎだろ! 目の前半分くらいしか見えてないぞ!
なんとか洗い場を見つけて、木の椅子に座る。シャワーがある! 石鹸、シャンプー、リンス完備じゃないか! 最高! 頭や体を洗いながら、嬉しさで頬が緩む。川で水浴び程度はしてきた。それでも全身綺麗に出来たわけじゃない。異世界に来て早三週間近く、こんな形で体を洗える機会があるとは思ってなかった!
湯船に浸かりながら、変な声が出そうになるのをギリギリで堪える。タオルは髪が濡れないように頭に適当に巻いている。目の前には別の意味での絶景のパノラマだ。幹の太い大木や枯れ木も見えるが、時々桜や梅のような彩豊かな木々も見えるので良しとしよう。眼福眼福。満足満足。鼻歌が出そうになるのを顔を湯船に半分まで沈めてブクブクとかき消す。
ふと、自分の左腹部に目をやる。そこには、ラマトラーに攻撃によって出来たであろう傷。皮膚を抉るような傷が三つほど、恐らく爪で貫かれたのであろう傷が出来ていた。医者の話では【回復魔法】では、皮膚の傷跡までは治療できなかったのだという。傷跡を指でなぞりながら考える。
あまり考えないようにしていたことだ。この世界、『セルビィ』と『俺』が召喚されたのではなく、もしも『セルビィ』という少女が、この世界に元から住んでいて、『俺』が彼女の意識を乗っ取るように召喚された可能性があるとしたら、『セルビィ』という少女の意識はどこへいったのだろうか。
『セルビィ』はゲームで育てていたキャラクターだが、この世界の住人といってもいいのだろう。『俺』が元の世界に戻ったとして、この体に意識が戻った『セルビィ』は、自分の傷ついた体を見て、何を思うのだろうか。
魔神を倒したとして、よくわからないものに自由に体を使われたという事実、彼女はその状況に耐えられるのだろうか。この傷や戦いの結果を、受け入れてくれるのだろうか。『俺』が『セルビィ』であり続ける限り、答えがでないであろう問いをかき消すように、湯船に頭の先まで沈めていく。湯の中から空を見上げれば、頭に巻いていたはずのタオルが、空との境界に浮かぶように流されていき、天井の光をうっすらと透かしてみせた。




