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【魔族】
赤みがかった髪を持つ、眼鏡をかけた青年が、こちらを見ている。顔だけ見れば、ファンタジー世界によくいる、整った顔立ちであろう好青年かもしれない。だが、そのすべてをぶち壊すように、その両腕は常人よりも大きく、指の先には、鋭利な爪を持ち合わせている。頭には、二本の角が生えており、首にいくつもの髑髏をあしらった首飾りをつけている。着ているローブについては、まるで返り血が固まったように、全身が赤黒い。そして何より特徴的なのは、背中に生えた悪魔のような羽だ。
「おやおや。タイミングの悪い。人間種の皆さん。ごきげんよう。マガラツォ様を封印する為に、【黒曜石】を集め、こそこそと動き回っているようで。私は魔族四幹部の一人、ラマトラー。少し邪魔をさせて頂きますよ」
全員の動きが止まっている。当たり前だ。このような場所で出会う相手ではない。奴はゲーム内で見たことがある。魔神復活を目論む魔族の筆頭格、魔族四幹部のうちの一人、『ラマトラー』魔神討伐を目指して、王都グランドリオに乗り込んだプレイヤーを待ち受ける、俗にいう中ボスのうちの一人だ。挑むべきパーティの推奨レベルで表現すれば、50を超える。
「馬鹿な……何故」ガドラーが呻く。
「何故? 我々が何もしないまま手をこまねいているとでも? マガラツォ様を、かつて封印した方法と同じ手段を用いて今度も封印できるという浅ましい考え、邪魔が入らないなどと、本気で思っていたのなら、人間種の知能の低さに呆れてしまいますね」
ガドラーは、ラマトラーがここに来た意味を知っているようだった。ガドラー、フッド、ナナリは手に持っている武器を構える。ナナリの表情は、ここからは、見えない。だが、手に持った【ロッド】の先端が小刻みに震えているのが見て取れた。ガドラーやフッドの背中も、今までのモンスターを相手にしてきた時のような余裕を感じさせない、張り詰めた空気が流れている。
ラマトラーは手を大きく広げて、俺達を挑発するような動きを見せる。
「しかし、念には念を入れて、私のようなものが出てきてみれば、出会う相手は雑魚ばかり。本当に呆れてしまいますね。他の【黒曜石】が採れる場所も、歯ごたえのないものばかりでてきて。まあ、どちらも二度と使い物にならないでしょうけど」ラマトラーが高らかに笑う。
「てめえ……!」
少し考えればわかることだった。ゲームの世界であれば、敵モンスター等は、基本的に各敵拠点に配置されて、特殊なイベントなどが起きなければ街を攻めてきたりはしない。だが、この異世界は、ゲームをベースにした現実なのだ。そこには人々の生活があって、人々の考えがあって、それは、人間種だけではなくて、魔族やモンスターにもある。魔族の利益になるように考え、動き、人を殺す。ゲームの世界だと、どこかで高をくくっていた。違う。なぜ、王都グランドリオは陥落したのか、なぜ、『王女エメラダ』は、自分の身を犠牲にしてまで、『救世の勇者』を召還したのか、それは、今の世界が、この世界に生きている人々にとっては、とてつもなく危険な状態であるということだ。太古の英雄にすがらなければ、救いは訪れないと思うほどに。今までの、己の思慮の無さに辟易し、奥歯を噛みしめる。
「さて。貴方たちはどうでしょうかねぇ。【黒曜石】の鉱脈を壊すより先に、死なないでくださいね」
ラマトラーは少し後ろに飛ぶと、右腕を前に突き出し、呪文詠唱を始める。特大の火の玉を作り上げようとしている。
「くそっ! みんな! 俺の後ろに隠れろ! 」ガドラーが叫ぶ。
その呪文はまずい! 俺は、ガドラーの横を駆け抜け、跳躍し、呪文詠唱中の奴の顔面に、右の拳を叩き込む。
「セルビィちゃん!?」
拳は奴の顔面を捉え、呪文詠唱を中断させる。「……ぐっ!」ラマトラーは若干後ろに吹き飛び、眼鏡にヒビが入るが、すぐに体制を立て直す。駄目だ。畳み掛けろ。後ろの三人へ向けての攻撃呪文を唱えさせるな。ラマトラーの攻撃には、三人は恐らく耐えられない。動け。お前が『救世の勇者』であるならば。救って見せろ。相手の懐に飛び込むように、さらに距離を詰める。
「非力なエルフ種風情が!」
奴の拳が俺の腹部に刺さる。……! 痛い! だが、耐えられる。恐れるな。即座に右の腕を動かし、もう一打を放つ。ゲームと同じ能力であるならば、距離を取られると全体攻撃呪文を放ってくる。接近して、撃たせないように、打ち続けろ。奴と俺とのすさまじい乱打戦となる。右拳をひたすら相手に叩き込みながら、奴の攻撃がくるタイミングで、左手で薬草を口に放り込む。こうやって回復し続ければ、打ち続けて勝てる。奴は回復魔法を使えないはず。手数と威力があれば! あとは信じるしかない!
「ぐうう! なんですかあなたは!」
奴が拳の打ち合いを止め、後ろに大きく飛ぶ。そのタイミングで簡易な呪文詠唱を行い、先ほどより小さな火球をこちらに向けて放つ。左手に掴んだ薬草を口に咥え、腕を十字に重ねて頭を守りながら、その火球に向かって突撃する。
「なに!」
熱い。だが、エルフの魔法耐性を考えれば、奴の拳よりもダメージは少ない。火球を抜け、驚愕している奴の懐に再度潜り込む。それと同時に、口に咥えた薬草を飲み込む。まだいける。決して離されるな。こちらから攻め続けるしか、勝機はない。
――痛い!
右拳から血が出ているのが分かる。だが、この動きを、流れを止めるわけにはいかない。奴のHPとこちらの薬草分を含めたHP、どちらが持つか、奴と俺との持久戦だ。打ち込む度に薬草を掴み、打ち込まれる度に口に放り込む。
幾たびかの攻防の後、一瞬。ほんの一瞬だ。体が思うように動かず、止まる。それは奴と俺だけに分かる、刹那。
――しまった!
奴がニィと笑ったような気がした。腹部に衝撃が走る。耐えられるはずの痛みだ。だが、その一撃は今までとは違う、奴の爪が深々と腹部に突き刺さっている。激痛と共に、身体に衝撃が走る。がはっ! 動いていた腕が、体が、俺の中のすべてが止まる。奴がその隙を見逃すはずもなく、すさまじい速さで袈裟蹴りを喰らい、俺の身体は大きく吹き飛ばされた。
吹き飛ばされた俺は、立ち上がることもできないまま、地面へと倒れ込んだ。




