5 巣立ち
「じゃあ、行ってくるね」
「うむ、がんばるのだぞ」
さくらは王都城下町ブルーウッドでの出店を目指し、ついにこの日を迎えた。
転生してからこれまで、数々の困難を乗り越えてきた。言語習得に明け暮れた日々に、綿や麻といった繊維を栽培し服を作り、木を加工してバケツや皿をこしらえ、さらには異国の旅人を捕まえて情報を得たりと、多少強引な手段もあったが、どうにか文化的な生活と身なりを整えることができたのだ。
「……寂しくなるわね」
母猫はとても悲しそうにしている。この日が近づくにつれ落ち着きを失い、この“Xデー”を拒むかのような態度を見せていた。
「母猫ちゃん、またすぐ遊びに来るよ。そしたら、またいっぱいお話ししようね」
さくらは母猫の首筋をぎゅっと抱きしめる。母猫は少し顔をそむけ、静かに涙を流した。
「なに、さくらがこれから死ぬわけでもあるまい。それよりも、さくら。ついては一つ提案がある」
「うん? なぁに?」
「うむ」
父猫はそう言うと、一匹の子猫を差し出してきた。
子猫とはいえ、少しは成長している。この世界の動物は成長が遅いのか、それとも魔獣特有の性質なのか。
「にゃんにゃんにゃん」
「この子が……どうしたの?」
「連れて行け」
「えっ」
父猫がそう言うと、子猫はさくらに擦り寄ってきた。転生してすぐに出会い、当初からずっと懐いてくれていた、さくらにとっても大切な存在だった。
「ど、どうして? この子だけ離れちゃったら、かわいそうだよ」
「いや、こやつらはいずれ野に放たねばならん。そういう時期が来ただけのことだ」
さくらは足元に擦り寄る子猫を見下ろした。小さな前足でさくらの足に手をかけようとするので、彼女はしゃがみ込み、その身体を抱き上げて目を合わせた。
「うん……わかった。よろしくね、ネコちゃん」
「さくらの護りとなり、良き理解者となるだろう」
「えへへ、そっかぁ。君は私を守ってくれるのかぁ」
さくらは子猫の顔をもみしだき、子猫も目を細めて、にっこりと笑ったように応えた。
「では、名前をつけよ」
「うん? 名前? そうだね、必要だよね」
さくらはしばし考える。明るい橙色に、赤褐色の模様が入り混じった毛並みを見つめ、今まで心に抱いていた感覚をそのまま言葉にした。
「きなこ」
「なに?」
「きなこにしよう! 君は今日から『きなこ』って名前だよ!」
さくらがきなこを抱き上げた、その瞬間――
ーーーーシュインシュインシュインシュインーーーー
眩い光がきなこから放たれ、あたり一面を照らし出す。七色の光線が渦を巻き、まるで大きな当たりでも引いたかのような派手な演出が広がった。
やがて光は収束していく。するときなこの頭頂に、一筋の白い差し色のアホ毛が出現した。
「……なんと」
父猫は驚愕し光から目を覆い、母猫はいつの間にか伏せの姿勢をとり、まるで神を迎えるような所作を見せた。
「わぁ……」
さくらはしばらく放心していたが、ようやく自我を取り戻した。
「さくら」
「へ?」
子猫がしゃべった。
「さくら、ありがとう! ボク、やっとさくらと話せるにゃ!」
「わわ! 言葉を話せるの?」
「うん、ずっとずっとさくらとお話したかったんだにゃ。すごくうれしいにゃ」
さくらは、きなこが少し大きくなったような気がした。
「ふむ、急に覚醒するのも珍しいが、これほど従順な態度を示すのは我らの種族でも稀だ。さくら、お主は特別なものを与えたのかもしれぬな」
「特別……私はそんな大層な人間じゃないと思うけど、でもうれしい。これからよろしくね、きなこ!」
「にゃ!」
二人は見つめ合い、笑顔でこの瞬間を大切に心に刻んだ。
「よし、じゃあ改めて……行ってきます!」
「うむ、気をつけるのだぞ」
「おとうちゃん、おかあちゃん、ボク、がんばってくるにゃ」
「きなこ……立派になって……母はうれしいですよ……」
それぞれが胸に思いを抱き、さくらは出立した。
「さてと……きなこ、いよいよ王都ミンチェスティの扉を開くよ。心の準備はいい?」
「まかせといてにゃ」
きなこはドンと胸を叩きつける。なんとも心強い言葉ではあるが、その自信がどこから来るのか、なにの確信なのか、さくらは少し不思議に思う。
今のきなこの大きさは、四つ足で立った状態でさくらの膝あたり。背伸びをするとお腹に届く程度であった。夫婦猫ほどの迫力はまだないが、普通の野良猫よりはひと回り大きい。
さくらはきなこのために麻布で作った襟巻きを巻いており、頭頂の白いアホ毛も相まって、普通の猫とは一線を画す姿になっていた。
「止まれ」
門兵に当然呼び止められた。
二人は通行許可証を提示する。これは普段から旅人と交流していたおかげで手に入れたものだった。……もちろん本物だが、裏取引で手に入れたものには違いないので、さくらは不安だった。
「……ふん。よし、通れ」
思いのほかあっさりと通され、さくらときなこは胸をなで下ろす。第一関門を突破した安堵に、二人は顔を見合わせてハイタッチを交わした。




