4 チャンス到来
さくらはまた、王都郊外の高台へと足を運んでいた。
しばらくは偵察を続け、その道すがら食糧になりそうなものを拾い集めたり、少し寄り道をして温泉地を発見したりもした。
自生する植物は猫たちの溜まり場周辺で栽培し、農作業を工夫してなるべく収穫できるように整えた。
さくらにとって土づくりなどはお手のものだ。
「さくらはなんでもできおるな」
父猫は、もはや以前のように横柄で尊大な態度をとることはなくなっている。
むしろ毎日聞かせてもらえる日本や地球の物語を楽しみにし、さらには温泉でのくつろぎもすっかり覚えてしまったのだ。
「は〜……気持ちいいね〜……」
天にも昇る心地を身体いっぱいに味わうさくらと猫一家。
——猫は水が苦手なんじゃなかったっけ?
そんな思いを胸に抱きながらも、この団欒にさくらは喜びを感じていた。
「さくら、また今日も日本の歴史について聴かせてくれ」
父猫はとりわけ歴史に関心が強い。
さくらはそれほど詳しいわけではなかったが、戦争体験談や近代史については多く語ることとなった。
そんな暮らしにも慣れ始めた頃、王都で何やら動きがあった。
王都ミンチェスティを目指す旅人が、急に多く往来し始めたのだ。
ブルーウッド地区へと向かう旅人や、王都へ直接入る馬車や荷車なども増え、街道は活気づいている。
「なにやら、きな臭いな……」
父猫が眉をひそめて独り言をもらす。
「……というのは、戦争が始まるかもしれないってこと?」
さくらは少し不安になりながらも、この状況をもっと深く知ろうとする気持ちを抱いていた。
「……いや、昨今の戦争に向かう気配とは違う。この空気は、そうだな……むしろ良い兆しに思える。なんとなくだが」
父猫の説明では、もし戦争に関わることであれば傭兵団や武具を鍛える鍛冶屋の姿が目立つはずだ。
だが今はそうではなく、むしろ多く行き交っているのは商人たちだった。
「なるほど……じゃあ、もしかしたらどこかに『お触れ書き』みたいなものがあるかもしれないね」
さくらは少し古風な言葉を選んで父猫に話した。
「ふむ……あり得るな。よし、我に任せよ」
「あっ、父猫さん……行っちゃった」
父猫はさっそく駆けだし、王都から出てくる旅人の前に立ちはだかる。
遠くから見守るさくらの目には、驚きつつも話を聞く姿勢を示す人々の様子が映った。
やがて父猫は戻ってきた。
その口には、一枚の紙をくわえている。
「さくら、読めるか」
「えっと……うん、なぜか読めるよ。どれどれ……」
しばらく目を走らせたさくらは、やがて驚きの表情を浮かべ、父猫に詰め寄った。
「父猫さん! チャンスが来たよ!」
彼女は珍しく大声を張り上げた。
その表情は輝かしく、瞳は大きく見開かれ、口元も大きく開いている。
「な、なんだ。どうしたというのだ。早くその紙の内容を説明せよ」
圧倒されながらも父猫は続きを促した。
「王都の城下町で『商売をする人』を募集するんだって!」
「なに? 商売だと? どういうことだ」
父猫は訝しむ。商売など常に人が入れ替わり立ち替わり行っているものではないのか、と。
商いは博打のようなもので、運に左右され、うまくいくとは限らない。根気が必要で、いい時も悪い時もあり、必死に耐えねばならない。廃業も多く、店舗の入れ替わりは日常茶飯事だ。
父猫はそのあたりを理解しているからこそ、さくらの言葉にすぐには納得できないでいた。
「そう、商売ってきっと難しいよね。でも、このお触れ書きにはこう書いてあるの。——『今まさにこの王都を盛り立てるため、商売人を募る。三年間の賃貸料は国が負担し、さらには仕入れなども極力国が協力する』って。だから最初の障壁はかなり低いと思う。……もしかしたら、私でもできるかなって」
さくらの胸に、前世の記憶がふいに蘇った。
死の間際に一瞬だけよぎった後悔——「定食屋さんか居酒屋さんをやりたかったな」という、淡い夢。
その想いがフラッシュバックし、気づけば声を荒げ、父猫に迫るように言葉を重ねていた。
その勢いに父猫もたじろぎ、子猫たちも目をまんまるにして口をぽかんと開けるばかりだった。
「なるほど……まさに千載一遇の機会であるな」
父猫もようやく納得した様子だった。
だがそれ以上に大きな障壁がある。——見た目の問題、言語の問題、そして資金の問題だ。
「追い剥ぎでもするか?」
「いやいや、それは絶対ダメ」
さくらは即座に否定した。なるべく正攻法で挑みたいと考えていたからだ。
「いさせてもらってこう言うのも気が引けるけど……そんなに急いで動く必要はないと思うの」
お触れ書きには期限は記されていなかった。
数日でなんとかせよ、というものではなく、数週間から数ヶ月かけても問題はなさそうだった。
「まあ、さくらが不自由でなければいつまでいてもかまわん。妻も子供たちも楽しそうだし、我もお主の歴史談義がなくなるのは寂しいのでな」
父猫にとって、さくらはもはや“ただの人間の娘”ではなかった。
お互いの心の中に小さな絆が芽生え、かけがえのない存在となっていた。
「うん、ありがとう。これからもよろしくね。もし向こうに行くことになっても、かならずここに戻ってきたいと思う」
その夜、さくらは日本の唱歌を焚き火の囲いで歌い上げる。
父猫は静かに耳を傾け、母猫はにこにこと微笑みながら一緒に口ずさみ、子猫たちも声を合わせて歌った。




