3 なんでも出来るさくら
ある日、さくらは父猫と数匹の子猫を伴い、街の様子を見に来ていた。
もっとも街に近づくのではなく、遠くの高台——木の陰からこっそり観察する程度だ。
さくらは回復した視力をさらに凝らし、街の動きを見つめる。
「さくら、どうだ」
「うん、思ったとおりだよ。身につけている服や小物、家や建物の形……」
さくらの予感は的中していた。遠くからでもわかるその景色は、古いヨーロッパのような雰囲気に包まれていて、口の動きから言語もなんとなく理解出来そうだと、さくらは感じた。
「ふむ……さくらは言葉を覚えるのが早そうだな」
「そうかな。そうだといいけど」
こうして父猫と会話していることに、さくらはもはや疑問を抱かない。それもまた、魔獣の力ゆえなのかもしれない。
父猫は街を指さして告げる。
「あの街は『王都ミンチェスティ』の城下町、『ブルーウッド地区』だ。王政の国だが、現国王はまさに善政を敷いておる。国民からの信頼も厚く、この周辺国にしては珍しく治安が良い」
「珍しく……って、このあたりの国々は、それほど政治や治安が悪いの?」
「今はどの国も膠着状態でな。戦にかまけ、国力は疲弊しておる。結果、税は高くなり、国民の不満も募るばかりだ」
父猫の語りは重みを帯びていた。
どうしてここまで人間界の世情に詳しいのだろう。さくらはそう思いながらも、胸の奥に「自分にできることはあるのだろうか」という思いを秘める。
やがて偵察を終え、さくらと猫たちは溜まり場へ戻ることになった。
帰り道、小麦の生えている地帯を見つけ、いくつか摘み取って持ち帰った。
さくらは小麦を挽いて粉にし、水と混ぜてよくこね、しばらく寝かせる。
そうしてできたパン生地を窯で焼き上げた。焼きたてのパンを子猫たちに分け与えると、夫婦猫も大いに喜ぶ。
余ったパンは軽く火を入れてカチカチにし、すりつぶしてパン粉に。
さらに父猫が狩ってきた大きな鳥から卵を取り出し、あらかじめイノシシ系の魔物から取っておいた脂身でラードを作る。準備は整った。
鍋にラードを熱し、そこに小麦粉・卵・パン粉をまとわせた肉をくぐらせ、高温の油へ投入する。
「おお……」
父猫や子猫、母猫までもがよだれを垂らす。
とたんに香ばしい匂いが辺りを支配した。初めはチリチリと小さな音だったが、やがてパチパチと弾ける音へ変わっていく。
「……さくらさん、これは一体なにを作っているの?」
母猫が興味津々に問いかける。
さくらは「まあ、見ていてよ」とだけ答え、説明は後回しにした。
やがて揚げる音がコロコロと転がるように変わる。それが揚げ上がりの合図だ。
枝で作った菜箸で摘み上げ、まな板の上でサクッと切り目を入れる。
まずは子猫たちに小さな器へ盛りつける。
「フゥフゥして、慎重に食べてね」そう声をかけると、子猫たちはシャクシャクと美味しそうに食べ、あっという間に一切れずつ平らげた。
親猫たちにも分け与えると、二匹も夢中で食べ尽くしてしまう。
「ふむ……これほど美味い肉は初めてだ。さくら、これはなんという料理なのだ」
「これは『とんかつ』っていうんだよ。本当は野菜や果物を煮詰めて作った『ソース』をかけると、もっと美味しくなるんだけどね」
母猫はその「そおす」とやらに目を輝かせた。まあ、それはまた後々作っていこう、とさくらは思う。
その夜。
父猫とさくらは焚き火を囲み、しばし語らっていた。
「面白い。地球とやらの人間模様がなおのこと興味深い」
ここ最近、さくらが父猫に地球や日本のことを語るのは、すっかり日課になっている。
父猫はさくらの言葉ひとつひとつに耳を傾け、心地よさそうに相槌を打った。
母猫は、さくらの歌に魅了されていた。
さくらが歌う童謡や唱歌は、子猫たちをもうっとりさせ、独特の日本の節回しに猫たちは皆、愉悦と恍惚を味わう。
そんな漂泊のような状況にありながら、さくらはなぜ強い心を保てるのだろうと自身が不思議だと思っている。
これまでの人生で様々な経験はあっただろうが、サバイバルなど当然なく、風呂や着替えといった基本的な文化的生活からは遠く隔たっている。
それでも、さくらの胸には小さな灯火がともっていた。
「なんでも、やればできるんだ」
この世界に舞い降りて以来、猫たちのおかげで食糧には恵まれてきたが、それ以外はすべて自分でこしらえてきた。
これから自分は、何ができるだろう。
猫の家族に歌を聴かせながら、さくらは煙の上がる夜空を見上げ、遥かなる地球への幻影を心に描く。




