7.夜の広場で
「あの、高城君」
ファミレスから連れられるままの好実がようやく彼の背中に声を掛けた。ちょうど時計塔のある広場を通り掛かったのを機に。
それに好実個人の事情では、ファミレスからそう離れるわけにはいかなかった。
こんな突然連れ出された状況であっても、今日は自分の都合で小宮山さんと約束した以上いい加減なことはできない。
小宮山さんとの約束時間までにはファミレスに戻らなきゃ。
そのために初めて呼び止めれば、彼もすぐ足を止めてくれた。
そのまま振り向かれたので、好実は自分が呼び止めたくせにタジタジとしてしまう。
正直、こんな美形にいきなり振り向かれると心臓に悪い。
「あの……あ、そうだ。ドリンクバーのお金返さなきゃ」
「……折原さん、俺を覚えてたんですね」
あわあわと財布を取り出そうとしたが、やはり彼の声で止められた。
彼は、好実が彼の名前を呼んだことで覚えられていると気付いたのだろう。
でも今の表情に喜びはない。なぜか彼にとっては落胆だったらしい。
しかし好実だからこそ、彼が落胆した理由にたどり着けた。自分が昔、彼を振ってしまったから。
彼は素直に落胆するほど、昔の自分を忘れていてほしかったのかもしれない。
けれど、思い出させたのは彼自身なのに。
コンビニで再会した時、彼がちゃんと好実に気付いて、好実の名前を確認してしまったから。
「ごめんなさい……思い出しました」
好実も素直に罪悪感を滲ませながら謝ると、彼の顔が初めて羞恥に歪んだ。
美形は顔を歪ませても尚更美しい……なんかずるいな。好実など普通に不細工になるだけなのに。
でも彼にこんな顔をさせてしまった好実だからこそ、彼を見てはいけなくなる。
周囲にはほんの少しの騒音があるこの広場で、好実は彼と向き合いながらも俯き始めた。
もう自分からは話し掛けることすらできなくなる。
「……俺は卑怯だから、今は恥ずかしいです」
好実は彼を覚えていたことで羞恥を与えてしまったのに、静かに言葉を続けた彼は自分のせいにした。
好実はまだ視線を戻せず、耳だけで彼の感情も拾う。
「あなたがあのコンビニにいるのを初めて見た時、俺は話し掛けたにもかかわらず勘違いされました。芸能人じゃないかと……。そのお陰で、あなたに覚えられていないとわかった俺は希望を持ってしまいました。昔の俺を覚えていないあなたになら、また近づけるんじゃないかと」
一度は俯いてしまった好実がほんの少し顔を戻すと、彼の握りこぶしが見えた。
強く握りしめているのに、やはり震えていた。
どうして彼は、昔好実と初めて向き合った時とこんなに変わらないのだろう。
すっかり大人の顔になってしまったのに。もう十年前の面影もほぼなく。
彼を初恋の相手にした好実だって、最初はまったく思い出せないほどだったのに。
それでも今の好実には、彼は昔のままにしか思えない。
昔と同じく、彼の握りこぶしは震えていた。
でも昔と違うのは、今の彼は好意を伝えるためじゃなく、卑怯な自分を教えるため。
好実にとって彼のずるさは些細なことでも、彼はこんなに恥じるほどに今は後悔している。
「……昔の俺は、あなたの傍に行きたくて焦ってしまったんです。あなたはろくに俺を知らないというのに、突然想いを伝えにいってしまいました。当然断られて、そこでやっと目が覚めたかのように大後悔しました。最初は友達になることを望むべきだったと……。それでも昔の俺は勇気がなくて、リベンジなんてできませんでした。あなたにもう一度近付くなんてできなかった。怖くて……あなたに怖れられてしまうのが怖くて。だから十年経ってあなたに忘れられた俺は、卑怯になったんです。昔の俺なんて覚えていないあなたにならと……」
好実の耳に伝わる彼の声に恥や後悔だけじゃなく、初めて悲しみが含まれた。
まだ視線を戻せなかった好実もとっさに確認してしまう。
でも再び視界に入れた彼の顔はただ好実だけを強く見つめていた。
どんなに恥と後悔だらけでも、彼の目だけはずっと好実から離れなかったのだ。
好実はようやく昔とは違う彼と向き合った。
まるで好実も逃げてはいけないかのように、初めてまっすぐ彼と見つめ合う。
「俺はもう逃げません。もう卑怯にもなりません。どんなに怖くても、まだ俺を覚えていたあなたと始めたいんです。今度こそ、あなたにちゃんと近づきたいんです。昔のやり直しでもない。折原さん、まずは俺と友達になってくれませんか?」
最後にようやく目を離した彼が「お願いします」と言いながら、ガバリと頭を下げた。
好実はこんな時なのに、そういえば彼は昔野球部だったことを思い出した。
中学ではスポーツ刈りだった彼でもあんなに絶大な人気があったのだから、今の美形を引き立てるだけの髪型をしている彼など凶器レベルだろう。
そんな彼にこんなお願いまでされてしまった好実など、まさに立っているのがやっとなのだが。
見事に心臓を撃ち抜かれてしまった。
でも昔みたいな突然の告白じゃなく、今回はちゃんと友達から始めようとしてくれる彼は、完全に好実のためのようなもの。
なんせ好実なんて絶大人気の彼と違って、本当に恋愛初心者なのだから。
実は今まで好きになった異性だって一人だけ。
だからもちろん、誰とも付き合ったことがないのだ。
こんなこと白状しちゃったら、さすがに引かれるかな。
それはやはり嫌だったので、いずれバレる時まで内緒にすることにした好実は、まだ頭を下げる彼に自ら一歩近づいた。
好実も初めて勇気を出さなければ。もう絶対に後悔しないために。
「はい。よろしくお願いします」
ファミレスで待ち合わせしている小宮山さんを再び思い出したのは、このすぐ後。
約束を破らずに済んで、とりあえずよかった。




