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6.見上げる最上階


(先輩に呼び出されたフリしてキャバクラ通いかと思いきや、実際は浮気か……。マジで小賢しいな、あのクソ兄は)


 今回は妻だけじゃなく妹まで騙し浮気中らしい兄を振り返れば、好実は仕事中でもついつい顰め面が絶えない。

 しかし小賢しい兄が相手なものだから油断禁物。まずは浮気相手を探るにしたって、とにかく慎重にいかなければ。

 こうして今回ばかりは仕事中でも兄の浮気問題に頭を持っていきがちな好実は、ちょうど外の掃除を始めた店長を発見。

 客が途切れたのがチャンスとばかりにさっそく店内を抜け出した。


「小宮山さん、ちょっといいですか?」

「ん? 何?」

「プライベート事ですみません。あのですね……小宮山さんって兄の先輩じゃないですか」

「……そうだけど、だから?」

「ちょっと兄に関して協力してほしいことがあるんですけど……もちろん兄には内緒で。どうかお願いします!」


 もちろん仕事中に突然こんなお願いをされても何のことかさっぱり顔の小宮山さん。


「協力……まあ別にいいけど。俺で役に立つの?」

「それはまだわかりませんが、協力者は一人でも多い方が早期解決に繋がるんで」

「ふーん、それで? 俺はまず何をすればいいの?」


 小宮山さん、何のことかさっぱりなままでも協力を求められればけっこうノリノリかも。

 仕事も忙しいのに、顔がいつになくイキイキしてきたぞ。仕事ばかりだからこそ刺激が欲しいのかな。


「あのですね、まずは協力してほしい内容を詳しく話したいので、少しお時間作っていただけませんか? 今日の夜とか……私、何でも奢ります」

「今日の夜かぁ。でも俺、九時になっちゃうけど」

「大丈夫です。何時でも構いません。私待ってますから」

「すごい意気込みだね。俺もワクワクしてきた。じゃあ好実ちゃんはそこのファミレスで待ってて」

「ファミレスですね! 了解です!」


 好実の意気込みにつられ、小宮山さんも更に好奇心が掻き立てられたようだ。

 協力してほしい内容が兄の浮気調査なんて、まだ知らないからね……。

 でもよかった。兄の先輩である小宮山さんをすんなり巻き込めて。

 妹ですら警戒している兄でも、先輩に対しては油断してくれるかもしれない。


「……あ、好実ちゃん、後ろ後ろ」

「え? 後ろ?」


 突然小宮山さんにこそっと教えられ、好実はそのまま振り返る。

 コンビニ前を掃除中だった小宮山さんと共にいたせいで、今日は初めて外で彼と向かい合ってしまった。

 今日もコンビニを利用しに来た様子の彼は、それでもまだ店内に入らず好実と目を合わせる。今日は挨拶一つ交わさないままに。


「いらっしゃいませー。さあ、どうぞどうぞ」


 代わりに小宮山さんが最近一番の常連客と言ってもいい彼を愛想よく店内へ促す。

 好実もそうだが、彼もそれで我に返ったようだ。だが小宮山さんの促しは無視する形で背を向けた。

 彼はコンビニを利用せず、そのままオフィスビル内へ去ってしまった。


「……あ、ヤバ。もしかして誤解させちゃった?」


 小宮山さんがついでに気付いたお陰で、好実も気付いた。彼が今日はすぐに去ってしまった理由に。


「小宮山さん、私が掃除します。あとはガラスですか?」

「え? ……うん」


 そのまま小宮山さんを店内に戻した好実は黙々とワイパーを使ってガラスを拭き始めた。

 平常心を保ち、これでいいのだと思いながらも、好実はやはり忘れられなかった。

 さっき去っていった彼は、昔自分が傷つけたあの時の彼と同じだったことを。


 ふいにワイパーを動かすのを忘れてしまった好実は、気付けば呆然としていた。 

 そのまま無意識にオフィスビルを見上げる。

 好実の目が見上げたのは最上階。彼はもうあそこにたどり着いただろうか。


(これでいいんだ)


 再び現実に戻った好実はまた黙々とコンビニのガラスと向き合い始めた。



 ※ ※ ※



 失業をきっかけにコンビニでアルバイトを始めて約一カ月。好実は大抵兄の仕事終わりを待つが、今日は兄の車に頼らず、仕事が終わればコンビニからそう離れていないファミレスに移動した。

 約束した通り、小宮山さんの仕事上がりを待つためだ。

 今日は妹の送迎を免れた兄がこのまま羽を伸ばさなければいいのだが、今日はやむなし。兄の監視は諦めて、小宮山さんをしっかり協力者にしなければ。


(小宮山さんが来るまでドリンクバーか……)


 そう思う割には、だったらポテトくらい頼もうという発想は生まれない。本当は腹も減ってなかった。

 小宮山さんがファミレスに来るまであと二時間半はあるが、好実はその間にどう協力を仰ぐか考えなきゃいけない。

 なんせ義姉のピンチなのだ。あの目を離せば平気で女の子と遊んでしまう兄のせいで、今まで義姉には何度もピンチが訪れたが、今までは妹の好実が食い止められるほどで済ませられた。

 つまり兄だって妹に邪魔されれば浮気まではしなかったのだ。

 女の子と楽しく食事したりカラオケ行ったりと健全な遊びだったとしても、義姉にとっては十分浮気だが。


 しかし今回は義姉の勘によると、本当の浮気。

 だから義姉の最大のピンチであり、好実も慎重に行動しなければならない。

 とりあえず兄の大切な先輩でありながら、兄とは違ってちゃんとしている小宮山さんの協力は絶対必要だ。

 妹の説得はもう聞かなくとも、小宮山さんなら――

 夜のファミレスでドリンクだけと向き合いながら、好実も義姉のために対策を練り続ける。

 兄の浮気を早期解決させなければいけない今は、他のことを考えている暇もない。

 だからこそ、好実はファミレスであってもこんなに気を引き締めているのだ。空腹も忘れるほどに。


 それなのに、好実が座る席の窓からはちょうどオフィスビルが見えた。

 いつもあそこで働いているから目についてしまったのに、どうして好実の目はこんな時でも最上階に向かってしまうのか。


 ファミレスからオフィスビルが見えるせいでつい気が緩んでしまった好実は隙を狙われたかのように、席の傍に誰かが佇んだ。

 気配だけで気付き、でも小宮山さんにしては早すぎると思いながら振り向くと、好実の目はまた彼の姿を見つけてしまった。

 今日はこれで二度目。そして今日は二度とも客と店員としてじゃなく、こうして不意打ちで。

 でもさすがに今の不意打ちは驚きしか生まれない。ここはいつものコンビニじゃないのに。

 何より好実は、すでに今日の一度目で彼を傷つけたはずなのに。

 もうコンビニにすら近づかれることはないと思っていたのに。

 好実もそれでいいのだと。


 なのに今の彼は傷ついたままじゃなく、初めて強い眼差しを好実に向ける。

 何かを吹っ切り、何かを決意したように。


「折原さん」

「……はい」

「ここを出ませんか。俺と一緒に、ここを出てください」


 彼の決意の眼差しはあまりにも強くて、好実に戸惑いすら与えさせてくれなかった。

 小宮山さんを待たなきゃいけないのに、彼の言う通りにするため席から立ち上がってしまった。

 今の好実は完全に彼に抵抗できないだけだった。


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