33.内緒の理由
「……あっ、お茶も二つ下さい」
「はーい」
危ない危ない、今日もお茶を忘れるところだった。でもウェットティッシュはすでにカバンの中だし、今日は完璧。
一昨日行ったファミレスでは奢ってもらったので、今日のランチは好実が奢る番。
なので午前の仕事中も悩んでしまったが、今日はコンビニじゃなく、お洒落な弁当屋さんで購入。
ここは初めて高城君と昼食を共にした時、彼が選んだ弁当屋さん。その時は予約購入してくれたが、予約せずとも陳列している弁当があるので、それを選んでみた。
休憩時間は限られているので、店から出れば待ち合わせの広場まで急ぐ。
それにしてもお洒落な弁当は高いな。
先に待っていた高城君が今日も簡易クッションを用意してくれたので、有難く座る。今日も尻が快適ー!
でも反対に、高城君の顔がちょっと不満げなことに気付く。
あ……クッション返した方がいい? 好実だけクッションずるいって?
「あの、クッション……」
「折原さん、あの弁当屋で購入したんですか?」
クッションじゃなくてそっちか! 高城君が不満なのは、好実が真似して買っちゃった弁当?
あそこの弁当屋では高城君しか買っちゃいけないって?
ごめんなさい……やっちゃいました。
「あそこの弁当は少し高いでしょう? 無理したんじゃないですか?」
「……え?」
バ……バレてる……無理したことがバレてる……。そんな貧乏オーラ出ちゃってる?
「この前だって、折原さんはコンビニにしては高めのパスタをご馳走してくれました。折原さんは俺が相手だと無理してしまう証拠です。申し訳ないですが、今日は折原さんが選んでくれた食事に喜べません」
……確かに好実は高城君に奢る際、前回同様今日もちょっと無理をした。そして、高城君にもちょっと無理した自分がバレていた。
でも、ちょっと無理したくらいの好実はここまでシリアスムードで落ち込ませるほど?
暗い顔でしっかり俯いてしまった高城君、ちょっと大袈裟すぎない?
この前みたいに単純に喜んでくれれば、好実としては幸いなだけなのに……やっぱり貧乏オーラがいけないのか?
「あの……じゃあ今度から気を付けます。なので、今日は気にせず……」
「気になりますよ。俺が無理させたんですから。今度から気を付けるっていっても、折原さんはどうせまた無理します」
「……じゃあ、どうすればいいんですか? 解決策を教えてください」
高城君がしつこくて、少し辟易してしまった。もう次回からどうすればいいかだけ教えてくれ。
「今度から、俺がいつも奢ります」
なるほど、そうきたか。高城君、その方向にもっていく為にわざとしつこく落ち込んだのかも。
でも、「はい。じゃあよろしくお願いします」なんて言えるわけないだろう。
「それはちょっと……」
「俺は彼氏だから、彼氏らしいことをしたいんです。いいでしょ?」
美形が可愛い顔して覗き込まんでくれー。まだ決断できない好実も一気にぐらっぐらだぞ。
「でも……」
「じゃあ決まりですね。弁当食べましょう。あ、今日はローストポーク弁当とオムライス。美味しそう」
好実の最後の一渋りは誤魔化した高城君は、ようやく今日の弁当に喜び始めた。
好実としては一食ごとに奢り奢られることで、対等な恋人同士を目指したかったのだが、現実は収入格差が邪魔して無念ということか。
きっと、高城君は事前に避けたのかも。奢られる度に無理もさせて、好実がいずれ彼との交際自体も無理に感じてしまうことを。
だったら、このまま彼に甘えることも大事なのだろう。二人の交際を長続きさせるためには。
「折原さん、どっちにしますか?」
「……私はどっちも好きです。高城君が選んでください」
「じゃあローストポーク」
「はい……あの高城君、今日の朝は誤魔化してごめんなさい。せっかく迎えに来てくれたのに……。あと、昨日の夜は心配かけて本当にごめんなさい。ただ疲れて寝ちゃっただけなんです」
ランチに関しては高城君の気持ちを汲み取ったのを機に、好実は今更二つのことで謝罪もする。
今朝は突然迎えに来られた挙句、兄と一緒だったせいで変わらず兄の車に乗ってしまったこと。
そして昨夜は兄の浮気を突き止めるため彼からのラインは放置した挙句、深夜の帰宅となってやっと確かめれば、彼からのラインが三十件以上に増えていた。もちろん電話も同件ほど……。
うわーと思いながらもすでに深夜だったので、実はライン一つ返して寝てしまったのだ。
高城君は突然音信不通になった好実を必死に心配してくれたのに、好実は『ずっと寝ちゃってました。ごめんなさい。おやすみなさい』で済ませたのだから、これぞ最悪対応。今日謝らなきゃいけないのは当然だったのだ。
今朝突然迎えに来たのだって、彼は心配を引きずってのことだろうに。
「折原さんが無事だったなら、それでいいんです。でも……俺のことは、お兄さんに内緒にしたいんですか?」
やっぱ気になる所そこだよねー高城君。わかるよ、うんうん。
二度も兄の前で好実に誤魔化されたのだから、高城君が疑って当たり前。
でも内緒にしたいのは好実の本心なので、せめて事情を説明せねば。
石椅子に並び座る二人はまだ弁当に手を付けないままに、視線が向き合う。
「実は……兄だけじゃなくて、家族にはまだ内緒にしたい理由があるんです」
「……それは重大な理由ですか? もしかして折原さんはお祖父様によって決められた顔も知らない許婚がいて、許婚との結婚を強要……」
「え? いえいえっ、全然そんなんじゃないです。そんなんじゃ」
残念ながらそんなロマンス風味な事情じゃないんですよ、高城君。
そもそも今の時代いるの? おじいちゃんが決めた許婚がいる女性。
高城君、よくそんなこと思いつくなぁとむしろ感心したところで、気を取り直し説明。
「あのですね、私には兄だけじゃなく弟もいるんですけど……」
「はい、知ってます。塁生君ですよね?」
「そうそう、うちの弟は塁生……へっ!? なぜ……」
「当たり前です。俺も会ったことありますから。書道教室で一年間」
……はあああ!!! そういうこと! ビビッて損したー!
うっかり高城君の財力で身辺調査されちゃったかと思ったよ。
よかった……高城君が付き合う女性の家族や過去や経歴がまともかどうか調べる男性じゃなくて。
ここで改めて説明すると、好実が初めて高城君を知ったのは中学時代じゃなく、小学六年の時に通った書道教室だったのだ。
一年間だけ通った理由は、三つ年下の弟の付き添いのようなもの。
当時、塁生は字がへったくそで、無理やり書道教室に放り込まれることになったのだが、抵抗した塁生は姉も一緒ならOKと、好実を巻き添えにしたのだ。
仕方なく小六にして書道教室デビューとなり、そして同教室にはすでに高城君が通っていた。
でも当時の好実は同じ書道教室に通う一人の男の子という印象しかなく、喋ったこともないまま書道教室を卒業してしまった。
反対に高城君は好実だけじゃなく、いつも好実の隣にいた弟も覚えていたのだ。
しかもいまだに名前を忘れていなかったなんて、何たる記憶力! パチパチパチ。
さすが最上階にいる人間は頭の作りまで違う。
「それで? 塁生君がどうしました?」
「あっ、はいはい。そうでした。高城君が覚えていたその塁生なんですが、えーと……つまり何と言えばいいんですかね。その……あっ、そうそう、塁生は姉の私に対して心配性なんですよ。心配性」
「心配性……シスコンじゃなくて?」
「へっ?」
「すでにずいぶん昔のことですが、俺の目には塁生君はお姉さんが大好きなシスコンに見えたので……今も変わってないのかと」
ヤバい。高城君が鋭すぎる。今の塁生は知らないというのに、しっかり当ててくるなんて。
でもすでに塁生は二十二歳。来年社会人。
弟の名誉のために、やはりシスコンじゃなく心配性に変えておこう。
「違います違います。塁生はただの心配性なんです。そうそう! ちゃんと事情もあるんですよ。昔、塁生が間違って私を庭の池に落としちゃって、それで塁生は罪悪感から心配性になっちゃったんです。私は怪我一つしなかったのに」
「そんなことが……なるほど」
「塁生は繊細でナイーブな性格なんで、仕方ないんです。だから大きくなった今でも、私に対して心配性なことだけは変わらなくて……。それでですね、私が男性と交際することも心配センサーが発動しちゃうというか、高城君には失礼なんですが、私が傷つくんじゃないかとか、騙されるんじゃとか、勝手に思いついちゃうんです」
むしろシスコンを心配性に置き換えたお陰で、説明にも現実味が生まれた感じ? 高城君もしっかり頷きながら聞いてくれた。
無事に好実の弟は心配性と信じてくれたようだ。
「……わかりました。だから折原さんは塁生君を心配させないために、俺との交際自体を内緒にしたいんですね」
「はい、そうなんです……だから兄にも内緒にしたくて、今朝は誤魔化してしまいました。ごめんなさい」
それと、今はちょっと説明に嘘が入ってしまってごめんなさい。
好実が心の中だけで追加の謝罪をすると、高城君は好実の手に優しく触れた。
「塁生君が心配する気持ち、すごくわかりますよ」
「……高城君にもお姉さんが?」
「いえ、俺には兄しかいないけど……折原さんは、俺を初めての彼氏にしてくれたから」
「…………」
「お姉さんに初めての恋人ができたなら、余計に心配してしまうのは当然です。むしろお姉さんを初めて奪った俺を簡単に信用しちゃいけません」
……なんか高城君、優しい口調のままけっこうしつこく強調するよね。好実にとって彼は初めてだと。
まあ事実だから何も言い返せないけど。
きっと高城君にとっては嬉しいだけなのだろう。好実にとっては一番のコンプレックスだけど。
やっと彼から逃れ俯いた好実は、すでに辱められたかのような顔で口を開いた。
「……また言いますけど、慣れてなくてごめんなさい。私がこんなだから、弟も……」
「折原さん、それ以上言わないで。愛しすぎて耐えられない。これでも場所的に自制してるんです」
苦しげに止められた好実がまず思ったのは、高城君もTPOを気にするんだ……だった。
だって、今までどんな場所でも平気で人間くさくアプローチしてくれたから。
今は昼間の広場にいるから、手を握りしめるだけで耐えてくれる高城君か……。何か新鮮。
「ご飯、食べなきゃ……」
「折原さん、慣れていないことを恥じないで。俺は絶対に恥じません。好きな人は、いつも折原さんだから」
「……え?」
「せっかく買ってくれたのに、まだ食べたくない。あなたといれば、ずっとこうしていたいんです」
昼間の広場でも、好実は彼の熱の籠った目と声で口説かれ始めたかのよう。
前回も途中からそうなってしまったが、今日は目的の昼食にすらありつけない。
彼の熱い手も許してくれない。空腹すら忘れさせられてしまう。
彼の熱にやられ、好実の頭もクラクラし始めた。
「好実さん」
「……え? はい……」
「そろそろ、折原さんを卒業してもいいですか?」
ファーストネームで呼んでから、そんな許可を取るなんて。
でも許可待ちの彼は期待と緊張が入り混じった顔をしている。
素直で可愛いな。彼の顔はどんなに美形でも、好実は人間くさい彼が一番好き。
「尚君」
彼に許可する代わりに、好実も呼んでしまう。愛しい貴方の名前を。
まだまだ恥ずかしくて、たまーにしか口にできないかもしれないけどね。
恋愛初心者なので許してください。




