32.朝一登場の高城君
ドンドンッ! ドンドンッ!
「おい好実っ、さっさと出てこい」
「はいはいごめーん。もうちょっと」
まったく、ヤクザかよ。好実は荒々しい兄にうんざりしながらも準備を急ぐ。
「はいはーい。ごめんねー」
「謝り方が軽い。どんだけ待ったと思ってんだ」
「五分くらいでしょ? ほら、急ご」
今朝は少し待たせてしまった好実はようするに寝坊したのだが、兄は急がせたにもかかわらずアパート前からまだ動かない。
「会社遅れるよ」
「……そういやお前、一昨日のあの男とはどういう関係だ?」
あ……そういえばこの兄には疑問を残させたままだった。昨日はバイト休みで、兄とは会わなかったから。
ついでに昨夜の兄の浮気も突き止められず。
とにかく今はしっかり誤魔化さなきゃ。兄の口から弟の耳に入ったら厄介なことこの上ない。
「駐車場で説明した通りだよ。中学の同級生で、オフィスビルに勤めてる人。コンビニの常連だから話すようになった程度」
「そんな程度の関係なら、お前目当てで待ち伏せなんてしないだろ。しかもえらい男前だったけど……もしかしてお前、騙されてんじゃないの?」
「え?」
「結婚詐欺だよ。結婚詐欺」
あー……なるほどね。この兄にはそっち方向の疑いが生まれちゃうのね。
でも助かったのか? ここは兄に疑わせ続けとく?
いやいや、それじゃ高城君の信用がゼロになっちゃうだけだな。
「えっと、高城君は駐車場で私の落とし物を拾ってくれただけなの。私は落とし物を返されただけ」
「何だ。それだけ?」
「うん」
「まあそうだろうな。結婚詐欺師だって、お前みたいなコンビニアルバイトは狙わないか」
ムカつくなーこいつ。一言多いんだよ、こいつはいつも。
せめて心の中だけで兄をこいつ呼ばわりしてやる。浮気野郎だしなっ。
「お兄ちゃん、早く行こうよ」
「はいはい。じゃあ行くか」
「おはようございます。お兄さん」
……へ? 今、うちの兄に挨拶したのは誰?
明らかに好実の耳には高城君の声に聞こえましたけど?
ついでに兄の前に近づいたのは高城君に見えますが、あなたはどなた?
いやいや、正真正銘高城君やん!
好実は内心一人ボケツッコミした後、当然アワアワ。
「あっ、噂をすれば好実の知り合い」
「僕を覚えてくれたんですね。ありがとうございます。でも僕はただの知り合いじゃなくて、好実さんの……」
これ以上続けられたらマズいと察知した好実は慌てて二人の間に滑り込む。
「高城君、今日も落とし物を届けてくれてありがとうございます」
「……落とし物? いや、今日は折原さんを迎えに」
「ハッ……! そうだったんですね! 高城君の家もこの近くだから、私を見かけたついでに拾ってくれようとしたんですね! お気遣いありがとうございます! でも私は兄の車があるんで大丈夫ですよ!」
よし、このくらい言っとけば大丈夫だろ。もう一度兄を誤魔化せたはず! はず!
「じゃあお兄ちゃん、行こっか。高城君さようならー。またコンビニで―」
無理やり兄を引き連れ高城君から離れた好実は、無事兄の車にも乗り込んだ。そのまま兄を急かして出発させる。
はあ……朝から冷や汗ものだった。
高城君って突然現れる率高すぎ! さすがに後で注意する!
「……やっぱあの男前、結婚詐欺師なんじゃね?」
「本当に通り掛かっただけのついでだって! もう私達、高城君のことは忘れよ!」
彼との交際が兄から弟に伝わることも、彼が結婚詐欺師と疑われることもどっちもマズいなら、あとは忘れさせるしかないだろう。
このまま話も逸らすか。
「あっ、そういえばお兄ちゃん、昨日のあれ見た?」
「あれ?]
「エムステ! お兄ちゃんが大好きな桃色ジッパー出てたじゃん」
この兄はすでに四児の父親でも昔からアイドル好き。推しグループの桃色ジッパーは絶対見逃さないほど。
……そういや今頃気付いたが、兄の最推しメンバーはドジが売りの小動物系。小宮山さんに教えられた通り、兄のドンピシャタイプじゃないか。
「昨日はエムステに出る予定じゃなかったけど……出たのか?」
「出た出た! 最新曲歌ってた! お兄ちゃんが見逃すなんて珍しいね! もしかしてエムステの時間帰ってなかった?」
「あー……まあな。昨日は遅かった」
「そうなんだー、残念だね。めっちゃ可愛かったのに。また小宮山さんと飲んでたんでしょー」
「まあな」と肯定しただけで話を終わらせた兄はさりげなく疚しそう。鎌をかけた好実だからこそ、兄の疚しさを見逃さない。
もちろん昨日のエムステに桃色ジッパーが出たかなど好実も知らない。でも昨夜は好実が小宮山さんと一緒だったのだ。
昨夜は遅く帰宅した上、小宮山さんと飲んでいたと偽った兄は、嘘をつくほどの隠し事を持っているということ。
そして、昨夜はその隠し事を実行していた。
(やっぱ浮気か……でも昨日はどこで?)
昨夜、小宮山さんと一緒に張り込んだ松尾町のラブホテルは空振りだったのだから、他に目星をつけた獅山町のラブホテルということか。
それとも兄は、好実が目星をつけた以外も利用しているのか――――
やはり兄の浮気&浮気相手を突き止めるには時間を要するだろうと、今も覚悟させられる。それでも翠さんを思い出せば、好実は奮起しなければいけないのだった。
やはり兄の浮気に関しては急がば回れの精神で行こう。
※ ※ ※
「佐紀さん、邪魔なんですけど……」
「折原さんこそ、客に対しての態度じゃないよね。俺は弁当眺めてるだけでーす」
とうとう箒での撃退を避けたのか、今日の佐紀さんは好実が箒を持たないコンビニ店内に現れた。
もちろん客のフリして、弁当を補充している好実の隣にわざと居座る。
「ちゃんと弁当買ってから帰ってくださいよ」
「俺クラスの男になると、コンビニ弁当は口に合わないから」
「ムカッ……じゃあ佐紀さんクラスの男性は普段何を食べてるんですか?」
「俺? 俺はー……」
「いえ、佐紀さんの食事に興味ないです。佐紀さんクラスの男性です」
「素直じゃないなぁ」と呆れながら、佐紀さんの口がポンポン教え始める。
「この辺りだと、昼なら洋食岡田とかTrattoria Lucca。トンカツ食べたくなったら吉勝亭に行くかな。弁当を注文するなら丸善か Kodama Deli」
「めちゃこだわってそうな答え、ありがとうございます……ちなみにファミレスは?」
「俺は行かなーい。チェーンやフランチャイズ店は基本NG。俺クラスになると、食材が見える店しか行かなくなるもんだよ。ふふん」
ホントかなー。佐紀さんが言うと冗談にしか聞こえないんだよな。つまり全く信用できん。
でも高城君もコンビニ食は買わないしな……佐紀さんが言ってるのと同じ感じの食生活かも。
一昨日ファミレスに付き合わせたし、その前はコンビニのパスタを食べさせてしまった好実はやっぱり無理させたのかな。
「あいつが普段何食ってるか、気になる? 教えよっか」
「もういいです。帰ってください」
「あいつはねー……あれ? 俺も知らないや」
「……え?」と、好実はさすがに弁当を持ったまま視線を向けてしまった。
同じ最上階にいる同僚なのに、そんなもん?
「そういや、あいつが何か食べてる姿見たことないな。外に食いに行こうって誘っても、断られるだけだし……。あいつ、食わなくても生きていける体質なのかも。この前も折原さん不足で丸二日食わなかったし、こりゃあり得るな」
「あり得ませんよ。サイボーグじゃあるまいし。ほら、さっさと帰ってください。でも散々眺めた弁当は買ってくださいね。はいこれ、私のお勧め」
いつも気分転換で好実の元に来る佐紀さんを今日もようやく追い払う。
でも今日はちょっと喋りすぎたかな。ついでに高城君の食生活まで聞かされてしまった。
いや、食生活じゃなくて、食のない生活?
そういや、この世界には食べずに生きる人も存在するって聞いたことある。
高城君もそうだったりして……。
(だったら私とランチなんてしないか。やめよやめよ)
非現実的な高城君への疑惑をさっさと振り払った好実は、今日のランチは何を用意しようとこっそり悩み始めるのだった。




