31.小宮山さんと浮気調査
今日はバイト休みの好実は昨夜覚悟した通り、朝から忙しく始まった。
溜まった家事を片付けながら高城君とラインを始め、本当に彼は仕事をしているのか疑うほど途切れてくれず、そうこうしているうちにまた塁生が来た。
今日は大学が午前中だけだった塁生と午後は遊びに出掛けて、無難にランチとショッピングモールを歩き回り、塁生と別れたのは午後五時過ぎ。
そして、今日最後となる予定は――――
「まずいまずい、遅刻だぁ」
弟と別れたあと今度は駅に急いだ好実は、ちょうど帰宅中の元同僚とホームで遭遇。
ひとしきり再会を喜べば当然電車に乗り遅れ、次の電車から降りるや走ってバイト先に到着。
ど、どうにか間に合った……。
「あ、好実ちゃん、ぴったりだね」
「こ、小宮山さん、今日は、よろしく、お願い、しま、す……」
「走ったの? 大丈夫?」
なんて心配もされてから、仕事を終えたばかりの小宮山さんと共に駐車場へ。今日は彼の車で目的地まで向かうためだ。
今日休みだった好実がわざわざ小宮山さんと共に行動するのは、もちろん今日が兄の浮気DAYだから。
兄のレシートを分析したことにより、毎週火曜日に浮気相手と会っている可能性大と見極めた二人がこれから向かう目的地は、とりあえず目星をつけたラブホテル。
「どれどれ……ふーん、ここが松尾町のラブホか」
「松尾町にはラブホが一つしかないので、おそらくここで間違いないです。でも獅山町は二つ……兄が利用したコンビニから近いのは、こっちのラブホです」
「ふんふん。じゃあまずは松尾町と獅山町、どっちにするか決めるか」
今日は十九時半から行動を開始したので、時間的にも少し余裕。なので小宮山さんの車に乗り込んでから、まずは作戦会議。
先々週と先週の火曜日、兄が利用したかもしれないラブホテルを三軒目星をつけた好実は、もちろん今日三軒回れるはずない。
今日は一軒に絞るため、小宮山さんと共にスマホを眺めながら慎重に悩み始める。
できれば今日選んだラブホテルで、兄と浮気相手を見つけたいものだが……こればかりは運だな。
「先々週が松尾町。先週が獅山町だったよね」
「はい、確か」
「となると、今日は松尾町のラブホの方が可能性ありかもね。あいつも二週連続で同じラブホには行かないだろ」
「そんなもんですか?」
「浮気だからね。用心はしてると思うよ。万が一、足がつかないように」
……何だか小宮山さん、探偵か刑事さんみたいだな。じゃあ好実は相棒か。
でもふざけてると思われるので、こんなことは口にしない。
「あいつが利用するラブホはもっとあるかもしれないけど、俺達が今予想できるのはこの三つ。今日から一個ずつ張ってみよう。まず、今日は松尾町のラブホだ」
「はいっ」
まずはここまで作戦を立てると、小宮山さんの車は松尾町のラブホテルへ向かい始めた。
「ここのラブホ、コンビニから目と鼻の先でしたね」
「うん。これはラッキーだね」
兄の浮気を突き止めるため二人が張り込みを始めた場所は、松尾町のラブホテルから100mも離れていないコンビニ。
先週、やはり小宮山さんと共に兄お気に入りのラブホテルを探りに行った際は、小宮山さんが駐車場まで潜入して、兄の車があるかを確かめてくれた。
今回のラブホテルは中心市街地から離れていて、駐車場は建物内にある構造。兄の車を確かめることはできず、すぐ近くのコンビニで待機。
でも小宮山さん曰くラッキーらしい。
「ここはあいつが利用したコンビニだからね。これからラブホに向かうかもしれないあいつは、ここに立ち寄るかも。先々週も時間的に、ラブホに行く前に立ち寄ったから」
「なるほど……でも、兄はもうラブホに入ってるかも」
「だったら帰りに立ち寄るかもしれない。このコンビニを素通りしても、俺達がここで見張ってれば、素通りしたあいつの車を追うことができる」
やっぱり小宮山さんがいてくれてよかったー。足がない好実が一人で行動したって、ラブホ前でコソコソ見張るしか思いつかなかったよ。
とにかくラブホテルの行きか帰りにコンビニに立ち寄るかもしれない兄を待ち、兄の車がコンビニを素通りしてもそのまま追いかければOK。
小宮山さんの言う通り、ラブホの近くにコンビニがあってラッキー。
「……うーん。もしかしたら、今日のあいつは行動が早かったかもな」
「やっぱり、もうラブホにいるんですかね?」
もちろん、あくまでも兄が今日松尾町のラブホテルを利用するとしたらの話だが、前回はラブホテルへ行く前にコンビニに立ち寄ったこの時間帯、今日の兄は一向に来る気配がないままとっくに過ぎてしまった。
だったら兄はすでにラブホにいると仮定して、あとは兄がラブホを出てからに賭けるしかない。
「……小宮山さん、ラブホって何時間くらい利用するもんですか?」
「そこまで俺に聞く?」
「え? だめでした? 見張り中で調べられなくて」
「一般的には二、三時間じゃない? そこのラブホ、サイトあるんでしょ? 料金プランとか調べてみれば? 俺が見張っとくから」
一旦見張りを任せて、助手席の好実はスマホに視線を落とし始める。
でもこんな気を抜けない時でも高城君からのラインに気付いて、当然今は無視することに。ごめんね高城君、あとで見るから。
えーと、料金プラン、料金プラン……ふーん、なるほど。休憩だと三時間で5400円か。
5400円……え? 高っ! ラブホってこんなにするの?
知らなかったよ。たった三時間で5400円。しかも兄は毎週火曜日の浮気DAYにこの出費。
くー……浮気に金かけんで家計潤せやー!
「ずいぶん時間かかってるね。わかった?」
「はい……浮気一回5400円です」
「いや、料金じゃなくて時間」
「ああ……三時間の浮気で5400円です」
「はははっ、あいつの浮気は一時間1800円か」
うっかり笑ってしまった小宮山さんはすぐに口を押えて、また真剣に見張りを続ける。好実も再び前を見つめた。
今日は最低三時間張り込みか。ただ付き合わせている小宮山さんには本当に申し訳ない。
「あっ、小宮山さん、私ちょっと離れていいですか?」
「あいつは当分来ないだろうから大丈夫だよ。トイレ?」
「そんな感じです。ちょっと行ってきまーす」
好実は一旦車を出ると、そのままコンビニ内へ向かった。
「お待たせしましたー。じゃーん」
「うおっ……すごいね」
小宮山さんへのお礼を込めて、今日はコンビニ商品を大袋一つ分購入してきた。
これで小宮山さんと夕食を済ませよう。
「小宮山さん好みのものを想像でチョイスしました。外れてたら、ごめんなさい」
「ははは、ありがとう。一人でこんなに買わせちゃってごめん。俺も払うよ」
「そんなこと言わないでください。今日のお礼なんですから。でも小宮山さんが好きなハンバーグはやめときました。手軽に食べれるものだけ。はい、お茶」
おにぎりや総菜パンがメインに入った袋から、まずお茶を取り出して渡す。
受け取った小宮山さんはなぜか「いいな……」と呟いた。
「ん? こっちのルイボスティーがよかったですか? どうぞ」
「いや……そうじゃなくて、こんな時に不謹慎だけど、高城さんが羨ましくなった。好実ちゃんと友達なだけで、理由がなくても一緒にご飯が食べられる」
突然そんな理由で高城君が羨ましがられ、好実は反応も難しい。それに、少しだけ疚しさも生まれる。
高城君はもう友達じゃないことを、まだ明かしていないせいで。
どうせ小宮山さんはそのうち勝手に気付くだろうが、それまでは内緒にしておきたい。
そんな気持ちは、好実の劣等感から生まれたのかも。恋人になった男性は最上階の人間で、高嶺の花だから。
「一緒にご飯っていっても、まだ二、三回程度ですよ。なかなか合わなくて」
「……時間が?」
「そうですね。休みも違うし……でも一番合わないのは身の丈ですかね? ははは」
小宮山さんがふいに高城君の名前を出したせいで、張り込み中の車内でこんな会話まで生まれてしまった。
まあいっか。当分兄は来ないだろうから。
「……高城さんは身の丈に合わなくて、身構えちゃう?」
「身構える……あーそうかもしれないです。きっとコンプレックスを刺激されちゃうんですよね。本当は粗を見せないように、毎日会うのは避けたくなっちゃうのかも」
「好実ちゃんにコンプレックスなんてあったの?」
「ありまくりじゃないですか。身の丈に合わないことも、ある意味そうだし……何より私、今まで男性と関わりない人生だったから、きっとそれが一番のコンプレックスなんです」
二人ともまだお茶にも手を付けないまま、何だか人生相談みたいな雰囲気になってしまった。
小宮山さんにはつい本音が出てしまうと初めて気付いた好実は、慌てておにぎりを差し出す。
「はい小宮山さん、食べましょ」
「好実ちゃんは素直だよね」
「めちゃくちゃ捻くれてますよ。今はポロッとしちゃっただけです」
「俺が相手だから?」
「まあ、そうですね。つい……」
「俺とは相性が良くて安心ってことだよ。付き合う相手もさ、本当は…………何でもない。おにぎり食べよう」
二人はようやくコンビニ商品で腹を満たしながら、再び真剣に張り込みを始める。
それからは会話も時々ポツポツ程度で済ませた。夜に長時間、車内で二人となれば、さすがに好実は気まずさくらい生まれた。
いくら相手が小宮山さんとはいえ、やはり一緒にいるのは男性なのだと初めてしっかり意識させられる。
そのうち慣れるかなと思っているうちに、時刻はとうとう二十三時を回った。
「……今日も空振りだったね。ごめん」
「え? 何で小宮山さんが謝るんですか?」
「いや……俺が今日は松尾町のラブホを予想したから」
「助かっただけなのに、謝らないでください。私こそ、小宮山さんの大切な時間を……」
「あーやめやめ。二人でしんみり反省し合うのはやめよう。また来週だ。来週」
先週に続き今日も空振りに終わった好実は、小宮山さんと共にちょっと落ち込んでからコンビニを離れた。
今日も空振りだったからこそ身に染みたのは、浮気現場を突き止めるなど、やはり素人では限界があるということ。
当然、来週も空振りの可能性は高いかもしれない。
また小宮山さんの時間を無駄にするのかと思うと、協力者にしてしまったことすら後悔が生まれる。
だったら、来週は弟と行動した方がいいかもしれない。
「好実ちゃんらしくない顔してる」
「……え? 小宮山さん、よそ見運転はだめですよ」
「よそ見はしてないよ。何となくわかっただけ」
じゃあよそ見していない小宮山さんさえ気付くほど、好実の顔はあからさまだったのか。
代わりに好実が彼の横顔に視線を向ける。
「……私らしくない顔って、どんなのですか? 図々しくない顔?」
「自分のこと図々しいって思ってるの?」
「まあまあ思ってます。でも、来週は……」
「だめ。好実ちゃんの相棒は俺だから」
暗い車内でも、小宮山さんの横顔が二ッと笑ったのがわかった。
今夜ばかりは好実も家に着くまで、高城君からのラインを再び思い出すことを忘れてしまった。




