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30.一触即発を避けた夜


 今夜は、高城君が一口しか食べなかったタラコパスタの残りを頂戴してしまった。そんな好実はタラコパスタほぼ二人分平らげたというのに、結局は奢らせてしまう。

 次回のランチは奢ろうと決めて、再び彼の車に乗せてもらった。

 こうしてファミレスデートを終わらせた二人は帰路につくことに。


「小名山町……じゃあ、ご実家とそう離れてないんですね」

「はい。歩いてでも帰れる距離です」


 高城君の車で送ってもらうため、大まかな住所を教えると、その流れで実家話にも。

 高城君と友達になったのは八日前。それからあっという間に交際に発展して、まだ交際四日目。

 なので、お互いまだまだ知らないことばかり。実家話をするのも、今が初めてか。

 

「兄の子供が、四人いるんですけど」

「四人? へえ」

「私にとっては甥三人と姪一人で、まだ赤ちゃんの姪は天使なんですけど、甥三人は悪魔で……あ、間違った。ヤンチャで」


 高城君は好実の自宅に向かって順調に車を走らせながら、好実の話にもちゃんと笑ってくれる。

 高城君って、些細な冗談にもしっかり反応してくれるから優しいんだよな。

 思いきりジョークかましたら、比例して大笑いしてくれそう。

 でも美形が膝叩いて爆笑するのは絵面的にいただけないので、それはやめとこう。


「ヤンチャな甥か……でも折原さんは優しいから、言いなりになっちゃいそうですね」

「優しいわけじゃないけど、言いなりは当たってます。もしくは下僕。ある時は馬」

「馬? ああ、お馬さんごっこ?」


 高城君、また笑ってくれた。好実がまた車で緊張しないよう、笑い多めにしてくれてるのかも。もしくは、またウトウトしないように。

 居眠り確実な高城君の天国車も幸い少しは慣れたのか、今のところ眠気は再発しない。よかった。


「俺の家は白宇町です」

「え? じゃあ同じ方面ですか?」

「はい。折原さんの家より、おそらく7.8km先ですが」


 えー……じゃあ、高城君は好実より通勤に時間かけてるんだ。

 好実は毎回兄の車を頼りにする通り、通勤時間は結構取られるのだが、彼はそれ以上。きっと彼なら、勤務先のオフィスビル近くにある高級タワマンだって住めるだろうに。

 近くは選ばず、あえて遠くか。出来る男の選択って感じ。

 それとも、まだ実家暮らし? いやいや、彼は好実と同中なのだから、そうではないのか。


 こうして勝手に推測するより、聞いちゃった方が早いのだろうが、好実もまだまだ遠慮してる部分があるのだ。

 恋人の基本的な情報など、普通は知っていて当然かもしれないのに、なかなか質問するまでに至れないなんて。

 自ら踏み込めず、彼が教えてくれるのを待つばかりなのは、それとなく彼からそういう雰囲気を感じ取れるからかも。

 結局、美形はミステリアスということか。


「……白宇町は住みやすそうですね。治安いいイメージ」

「はい。人も店も少なくて、穏やかですよ。俺はそこが気に入ってるけど、若い人には退屈かも」

「高城君も若いのに……」

「俺の心はもう初老くらいです」


 好実がふふと笑うと、運転中の彼のテンションも上がったのを感じた。


「折原さんにも、早く来てほしいな」

「え?」

「……望みすぎですか? すみません、性急でした」


 えっと……こういう時は、どう対処すればいいのだろう。

 このまま気まずくなる前に、それを回避する答えを発したいのだが。

 ……でも、確かに彼が急ぎすぎたのは間違いないかも。相手が好実だけに。

 彼の家なんて、まだファミレスが限界の好実には敷居が高すぎる。


 こうやって結局返事も躊躇うままなら、好実こそ壁を作っているのだろう。

 まだまだガードが固すぎるあまり、恋人の彼でさえ踏み込ませられない。

 彼のことを知ろうにも自ら踏み込めないのだって、本当は彼がそうさせないんじゃなくて、好実がわざと踏み込まないだけなのだ。

 踏み込んだら、その分踏み込まれて、彼との距離が狭まる。

 恋人同士なら限りなく狭まって当然でも、その段階に到達することをまだ望めない。


 自分と全く違う彼との間には、まだ目には見えない障害がいくつも隠されている。

 おそらく好実はそれを感じ取ってしまうから、こうして怖気づくのだ。



(まだ九時……)


 自宅まであと少しとなったところで、車の時計を確認した好実には安堵が生まれる。

 本当はファミレスを出てから、時刻だけは度々気にしていた。

 今夜は弟が来る日でもあるからだ。三日に一度は必ず来るので、今日はその日に当たってしまった。

 しかし今日は急遽昼にも会った弟は、その時点で今日バイトがあると言っていたのだ。

 バイト終わりに来る時は九時半を過ぎるので、今夜は好実の安心に繋がった。


 間違っても高城君に送ってもらった姿など、弟には見せられない。

 世間的に恋人を兄弟に見られて怖がるなど稀だろうに、好実は稀の一人になってしまう。

 高城君と平穏に付き合いたいなら、弟と会わせるなどもっての外なのだ。

 そんな危機感を持っている時点で、以前義姉と約束した姉離れ弟離れの実現などまだまだ無謀な証拠。タイムリミットはあるというのに。


「……あ、そこのコンビニで大丈夫です。ありがとうございました」


 弟はまだ来ていない時間でも、念のためアパート近くのコンビニで降りることにする。

 しかし変わらず運転する高城君はコンビニを通り過ぎてしまった。


「もう夜ですよ。家の前まで送ります」


 参った……親切なばかりの彼に対して、さすがに断れない。それでも断れば、家を教えたくないと疑われ、彼のことだから傷ついてしまう。

 ここは諦めた好実は、自宅までの道を細かく教え始める。

 それでもまあ大丈夫だろう。バイトがある弟は、必ず九時半を過ぎるのだから。


 高城君の車がアパート前の道路で一時停止すると、好実は遠目で自宅の玄関ドア前を確認してからシートベルトを外した。


「送ってくれて、ありがとうございました。あと……今日は楽しかったです」


 あっさり降車するのは悪いと思い、好実はまた余計な一言を足してしまった。

 普通なら余計でもないだろうが、今は間違いなく失敗。

 高城君の気持ちをちゃんと煽り、手を掴まれてしまう。

 彼の顔もはっきり切なさを滲ませ、まだ離れたくないと訴える。


「折原さん……」


 彼の求める声と共に距離が近まり、好実はもう逃げるしかなくなった。


「さようなら、また明日……じゃなかった。明後日」


 彼にとって酷なことを二重に告げてしまった。でもやむを得ない。

 もう離れなきゃいけないし、明日はバイト休みなので会えないのだった。


「明日はラインしますね。じゃあ」


 恋人と離れるというのに、もはや焦りばかりで素っ気ない。その勢いで手を離し、車からも降りてしまった。

 あとは彼の車が去るだけ。


「最悪だ、私……」


 最後は彼以外のことばかり気にして、無理やり諦めさせるように帰してしまうなんて。

 高城君の車が去ってから、張りつめたものが切れたと同時に自己嫌悪が待っていた。

 この後押し寄せるのは、どうせ彼への罪悪感。

 せめて明日はこっちから積極的にラインしようと、さっそく罪滅ぼしを考えるしかない。


 「はぁ……ごめんなさい」とアパート前の歩道で項垂れた好実は、「何が?」といきなり顔を覗き込まれてしまった。

 もちろん驚きすぎて、そのまま思いきりのけぞる。


「危ないよ。何してんの」

「……る……塁生……いつの間に」

「は? 今来たんだけど」


 今日に限ってバイトが早く終わったらしい塁生は、のけぞるままの姉に怪訝な顔を向ける。しかし好実は追加で冷や汗までかき始めた。

 それも当たり前だ。塁生が来るのがあと三十秒でも早ければ、高城君の車を見送る自分を目撃されてしまった。

 ギリギリで免れたものの、ギリギリだったからこそ今更恐怖。


「ねえ、何でさっき謝ってたの?」

「えっ、忘れた……」

「じゃあ、何でここにいたんだよ」

「それは……塁生が遅いと思って」


 とってつけたような誤魔化しに、それでも塁生は「えっ!」と驚いた。

 ……こいつ、よくこんなに目がまん丸になるな。一重の姉には信じられないぞ。

 くう……その可愛い顔、姉に譲れ。


「俺、今日バイトだって言ったじゃん!」

「そうだね。忘れてた……」

「バカッ。夜に一人こんな所にいたら危ないだろっ」


 最後は姉をごめんと謝らせた塁生は怒り声と裏腹に、まあ嬉しそうな顔だこと。無自覚なんだろうね。

 顔ニヤけてるよなんて指摘したら、今度こそ本気で怒るな。

 姉に心配かけるのが本当は大好きなので、小さい頃などヤンチャ甥三人まとめて×2したくらい厄介な弟だった。


「……そういやあんた、公園の階段から落ちたことあったよね」

「公園の階段? ああ……書道教室の帰りね。あれは失敗だった」


 今更姉が思い出したせいで悔しそうな顔までする塁生は、昔けっこう急な階段から見事に落ちたことがあったのだ。

 怪我がいくつもの擦り傷のみで済んで、奇跡だったほど。

 でも今の塁生は失敗と言って、今でも悔しがる。どうせ姉はその意味をわからないと高を括っているのだろうが、姉だってそこまで鈍感じゃない。


 書道教室の帰り、好実は塁生と手を繋いで公園に続く階段を降りたのだ。

 けれど塁生は姉の手を振り切って、勝手に落ちてしまった。

 そんな自作自演な塁生の失敗は、擦り傷程度しか作れなくて、姉を長らくは心配させられなかったこと。

 この弟は姉を心配させるためなら、骨の一本や二本折ったって構わないのだ。


「好実、俺らの家入ろっ」

「私の家ね」

「じゃあ俺らの家にするから、合鍵ちょーだい」

「だめ」


 ようやく家に入るため、姉弟はくっつきながら動き始める。

 塁生は必ず三日に一度来る上に、外でも平気でくっつくので、以前同じアパート住人に同棲していると疑われた。

 ここは単身用なので、管理会社にまで報告され、同棲しているのかと確認の連絡まで入ってしまった。

 弟が時々泊まりに来ると事情を説明して、事なきを得たのだ。

 顔が似ていないから、外に出ればもう恋人同士にしか思われない。


「ごめん。私はご飯食べたから、塁生の分だけ作るね」

「何食べたの?」

「えー、コンビニの値引き品をつい買っちゃって……」


 と誤魔化しながら冷蔵庫を開け始める。

 塁生はイタリア料理店でバイトしていても、賄は食べない。なので塁生が来る時はいつも一緒に夕食をとる。


「ねえ好実、ファミレス行った?」

「……えっ」

「タラコパスタ、食べたでしょ」

「!!!」


 さっき姉にくっついただけでここまで当てる塁生が怖い。

 すでにコンビニの値引き品を食べたと偽った手前、好実はもう謝るしかなくなる。


「ごめん……」

「誰と行ったの? 正直に言えば許してあげる」

「前の同僚の田島さん。偶然コンビニ来てくれて、そのまま……」

「ほんと? 小宮山のオヤジじゃないよね?」


 ブンブンと頭を振る好実は、それでも塁生が鋭すぎて尚更怖ろしい。今日は違うが、小宮山さんとはすでに二回ファミレスに行っているから。


「カ……カレーでいい? 昨日の残り」

「いいよ。でも何で動揺してるの? 小宮山のオヤジともファミレス行ったことあるから?」

「違う! 塁生が疑いすぎるからドン引きしただけ!」


 最後はしつこいと怒った好実は、どこぞの不倫夫みたいだな……妻の疑いが的中しすぎて、逆切れで誤魔化すという。

 それでも小宮山さんしか疑われなかっただけマシか。塁生はまだ高城君の存在をわずかも知らないからね。

 高城君だけは、このまま隠し通さなきゃ。


(隠し通して、逃げ続けるのか……)


 弟のためにカレーを温め始めながら、好実の頭はようやく振り出しに戻る。

 弟との問題から逃げ続けるのはお終いにしようと決めたのに、また忘れてしまっていたのだ。

 目の前に弟が現れてしまうと、姉離れ弟離れが必要な姉弟の現実が頭から飛んでしまうのだ。

 結局、好実自身がまだまだ覚悟など決まっていないから。


「好実、明日バイト休みでしょ? 遊びに行こ」

「大学は?」

「午後から休み」


 「ふーん……じゃあいいよ」とまた纏わりつく弟にOKしながら、明日はバイト休みなのに忙しくなると覚悟する。

 さっきやや強引に帰してしまった高城君に罪滅ぼしのラインをマメに入れて、でも弟に気付かれてはいけなくて、その弟とは午後お出掛け。

 そして好実にとって明日の目玉は、夜から小宮山さんと兄の浮気調査。

 本当、精神的にも忙しい一日となりそうだ。


 ようやく弟にカレーを食べさせ始めながら、好実はこっそり明日への溜息を零すのだった。


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