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3.生まれる羞恥心


「ありがとうございましたー」

「ったく。昼間からサラリーマンがゴム買う神経がわからん。会社でこっそりナニでもしてるのか?」

「……ナニ? ゴム?」


 ちょうどお客さんが途切れた後、好実は隣のレジにいた小宮山店長の愚痴にしっかり耳がピクリ。そのまま興味津々と近づいてしまう。

 このオフィスビル内のコンビニを経営する小宮山さんは、兄の高校時代からの大切な先輩で、好実がこのコンビニで働くきっかけになった人。

 だがちゃらんぽらんで女の子大好きな兄と違い、真面目な人だと思う。

 まだ二週間の付き合いだからよく知らないけど、とりあえず今は昼間から避妊具を買いに来たサラリーマンに軽く憤慨中。好実は興味津々だというのに。


「えー、じゃあ昼間からそういうことを? まだ三時前なのに……相手は誰なんだろ。まさか、同じ職場の……? ヒャー」

「はいはいはい。好実ちゃんは女の子なんだから、そんな下世話な興味持たないの」

「興味くらいいいじゃないですかー。芸能人の恋愛とか不倫気にしちゃうのと一緒ですよ。でもさすがですね。やっぱりここのお客さんはレベルが違う……」


 もはや小宮山さんを取り残し、好実は一人納得までしてしまう。

 なんせこのコンビニの客は好実予想で90%以上、この馬鹿高いオフィスビルで働く社員。

 きっとさっき避妊具を買いに来たサラリーマンも同じだろう。

 くー……好実もこの目で覚えておきたかったぁ。今度またそのサラリーマンが来たら、内心でニヤニヤできたのにぃ。

 つまり何が言いたいかというと、このオフィスビルで働く男女は見た目お洒落なだけに、芸能人並みにそっち関係も派手なんじゃないかとモブの好実は興味をそそられるわけだ。


「……あれ? そういやこのビルって何個くらい会社入ってるんですか? 五個? 六個?」

「桁が違うよ。今は四、五十って聞いたかな」

「へっ? そんなたくさんの会社が? びっくり」

「まあ、会社っていっても大も小も様々だから」

 

 なるほど……道理でうちのちゃらんぽらんな兄もこの立派なオフィスビルで働けるわけだ。

 しかも兄はコンビニ真上の二階フロア……。


「小宮山さん……やっぱりこういう沢山会社が入ったオフィスビルって、上に行けば行くほど高いんですかね?」

「ああ、賃料のこと? そりゃそうだね」


 ふーん、そっか。やっぱりマンションと一緒かと子供みたいな納得をしているうちに、また新たなお客様が。


「いらっしゃいませー……」


 今は商品より先に偶然客の顔を確かめたのがいけなかったのか、好実は今日も訪れた彼と目を合わせてしまった。

 思わず商品をスキャンすることも忘れてしまう。


「こんにちは」

「こ、こんにちは。昨日は芸能人と間違っちゃってごめんなさい」


 挨拶されたからっててんぱり、わざわざ昨日の失敗まで蒸し返してしまうなんて……。

 でも昨日も訪れた彼は、昨日の時点で好実の名前をわざわざ確認したのだ。「折原さんですか?」と。

 ということは、彼はすでにちゃんと好実を把握しているということ。中学の同級生だと。

 十年経っても、一応忘れないでくれたのだ。

 折原のネームプレートで思い出しただけに過ぎないだろうけど。


「162円です」


 ようやくちゃんとコンビニ店員に戻りながら、好実の目はもう彼の姿を見ることはなかった。

 彼もスマホ決済を済ませると、商品を持って去ってしまうだけ。


「好実ちゃん……なんか顔赤いよ?」

「気のせいですっ!」

「ああ、わかった。さっきのお客さんがやけに男前……」

「あっ、おにぎり補充行ってきまーす」


 小宮山さんからも逃げると、好実の手は黙々とおにぎりに集中し始めた。さっき指摘された通り、まだ顔は熱いままに。


 ……きっと好実は今の自分を恥じてしまったのだ。

 二十五歳で失業して、再就職を面倒くさがったついでに寄り道してアルバイト。

 こんな自分の逃げといい加減さが、今は恥ずかしさとなって思い知らされた。

 コンビニが大好きだから再就職前に初挑戦なんて、二十五歳にもなってふざけすぎている。

 店長の小宮山さんや他の従業員にも失礼な気持ちが生まれてしまった。彼との再会一つで。


(せめて、本気で頑張ろう)


 ふざけすぎていた自分をようやく自覚したからといって、このままアルバイトを辞めるわけにもいかない。

 まだ始めてひと月も経っていない。まだ完璧な仕事もできていないのだから、せめていっぱい役に立ってから。

 彼との再会に、今日の好実は遅ればせながら気持ちを入れ替えさせられたのだった。


 ※ ※ ※


「そもそもお前はガキだからなぁ」

「何の話?」

「いい男が来ただけでボーっとしちゃったんだろ? 仕事も忘れて」


 仕事終わり、兄の車に乗り込んだらさっそく呆れられた。

 きっと小宮山さんが今日の無様な好実をさっそく教えちゃったのだ。

 くー……けっこう口軽いんだから。でも別に、彼に対してボーっとしたわけじゃ。


「そんないい男だったの? メクロくんよりも?」

「……メクロくん? 誰?」

「お前、メクロくん知らないの? スノーメンのメクロくんだよ。俺でも知ってるぞ」

「ああ……スノーメンのメクロくんね。だったら最初にスノーメンって言ってよ。メクロくんだけじゃわからん」

「お前、おばちゃんだな」


 ミーハー気質はあるのに芸能人にハマったこともない好実は、そもそも何かと情熱が足りないのかも。

 兄のように奥さんに内緒でキャバクラの女の子に夢中になるよりマシだと思うが。


「お兄ちゃん、絶対浮気だけはしないでよ。絶対ね?」

「はあ? 何で急に俺の浮気?」

「ハッ……ヤバい」


 まだ出発前の車中で兄と雑談していた好実はいきなり身を隠した。助手席でできる限り丸くなる。


「どしたの? お前」

「いいから黙ってて」


 そのまま約一分ほど兄を黙らせてから、恐る恐る確認……よかった。もういない。

 やっぱり彼も、好実がアルバイトするオフィスビル内で働いてるんだな。

 ついさっき偶然専用の駐車場で見かけてしまったことで、ようやく思い至る。

 だったら昨日も今日もオフィスビル内のコンビニを利用した彼は、どうせまた来るのか。


「つら……お兄ちゃん、帰ろ」

「何だよ。嫌な客でも見かけた?」

「ううん」


 もちろん嫌な客でもないし、本当は辛くもない。

 好実はどうせまた来るだろう彼に今さら戸惑いすぎているだけなのだ。

 彼はコンビニを利用するだけなのに、どうして好実は店員なだけでこんなに意識しなきゃいけないんだろう。

 彼に名前を確認されなければ、気付きもしなかったくせに。彼が初恋相手だということも。

 

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