22.もう一人の協力者
「んっ……トリュフ塩パスタ、うまー」
さすが弟、イタリア料理店でアルバイトしているだけある。
でも塁生はウェイターで、見よう見まねで姉にも作ってくれただけなので、才能か? それともバイト先で貰ったというトリュフ塩のお陰なのか?
とにかくコンビニで最近大人気のトリュフ塩パスタより美味しいし、好実の舌にもあった。
「出来立てと温め直しの違いも大きいんじゃない? まったく、俺が作るまで待てばよかったのに」
今夜は姉の家に来た塁生は、先にコンビニのトリュフ塩パスタを食した姉に不満たっぷりの顔。
塁生が今度作ってあげると言っていたのだから、確かに今日は姉が悪い。
「でも、塁生のパスタが一番美味しいよ。次はミートソースよろしくぅ」
「しゃあないな。でもタラコはやだよ。見るのもやだ。ゾクッ……」
ふふふ、集合体恐怖症だからね。そのせいで、好実も一、二に好きなタラコパスタはファミレス限定。
パスタに和えるだけの簡単なやつも売ってるけど、それを買ってまでは食べたくないんだよな。
「コンビニでバイトしてるからって、あんまりコンビニ食に頼っちゃだめだよ。舌馬鹿になるから」
「舌馬鹿? そう?」
「化学調味料どんだけ入ってると思ってるの? ピリッてこない?」
「こないよ」
「じゃあもう舌馬鹿だ」
「コンビニより、ラーメン屋さんの方がすごいって。私でも舌ピリピリするもん。あ、でもねー、コンビニのトリュフ塩パスタは、トリュフ塩のみで勝負してるらしいよ」
「馬鹿だなぁ、そんなわけないだろ。裏の表示見てみろよ。それに、マジで調味料はトリュフ塩だけでも、そのトリュフ塩に色々入ってるんだよ」
塁生はまだ大学生なのに、食のことになるとけっこう煩いんだよな。内定貰ってる会社も食品系だしね。
「俺の目標は、好実を完全に餌付けすること」
「は? どういうこと?」
「好実の舌には、俺が作ったご飯しか合わなくさせるんだよ。そしたら好実は、コンビニ食もファミレスも嫌になるだろ?」
健康志向に姉を巻き込みたいのか知らんが、塁生の目標を聞かされた好実はドン引き。
好実だって基本は自炊なのだから、時々コンビニとかたまにファミレスとか、自由にさせてくれー。
「そんなの頑張ったら自分の首絞めるだけだよ。毎日三食、私のご飯作んなきゃいけなくなる」
「いいよそれで。俺達いっつも同じの食って、一生健康に暮らせばいいじゃん」
そうだよね。塁生にとっては苦痛じゃなく喜びだから、そんな目標や夢だって生まれちゃうんだよね。
この前義姉に言われた通り、好実は塁生の希望通り来年から一緒に暮らし始めたら、本当に自由がなくなる。
つまり弟だけに縛られ、弟の言うことを聞くだけの人生。なぜかって、好実がどうせ弟の言うことを聞いてしまうから。
塁生は小さい頃から自然と三つ上の姉にばかりくっついているほど、理由もなく姉が大好きだった。
普通なら成長と共に姉離れして、他に好きな人を見つけるはずなのに、塁生は頑なに一途。
ここまで一途な塁生を、周りはみんな頑なだと思うけれど、塁生だけは自然だから変わろうともしない。きっと姉が拒絶しない限り。
そして好実は、そんな一途な弟を当然拒絶できない代わりに、とうとうこっそり裏切り始めた。
義姉と約束した通り、弟がようやく姉離れをして、好実も弟離れするために、来年から一緒に暮らすことはやはりできない。約束を破ることになる。
弟はその日が来るのを毎日楽しみにしているほどなのに。
そしてもう一つの好実の裏切りは、初めて男性と付き合い始めたこと。
この二つの裏切りは、弟に衝撃とダメージを与えすぎてしまうことが目に見えていて、まだ明かせない。いつまで明かせないのかもわからない。
好実は弟をこっそり裏切っても、本当に傷つけることはまだできないのだ。怖すぎるあまり、まだ全然覚悟が決まらない。
タイムリミットはちゃんとあるのに。
でもタイムリミットがあるからこそ、それまで弟との時間を大事にしたいと思っては駄目だろうか。
必ず離れる時が来るからこそ。
「ごちそうさまー。美味しかった」
「ねえ好実さー、最近翠さんとコソコソ仲いいらしいよね。この前も、庭でコソコソ喋ってたし」
食べ終わった食器を片付けようとすると、ふいに詮索が始まった。
確かに兄夫婦の問題を主に義姉と密談する機会が増えた好実は、しっかり訝しげな目も向けられる。
「塁生……何その目」
「ねえ、何でコソコソしてんの? 教えてよ」
「秘密の女子トークですから」
「どうせ兄貴のことでしょ。とうとう浮気しちゃった?」
姉と義姉がコソコソし始めただけで、あっさり見抜いてしまったらしい。
塁生のこの鋭さ……彼氏の浮気をしっかり察知する女子並みだな。
でも好実はあっさり肯定するわけにもいかないのだから、とりあえず誤魔化さなきゃ。
「無駄だよ。俺に誤魔化しなんてきかない」
「ねえ塁生、気付いちゃったなら、そっとしといて」
「別に、俺は何もする気ないよ。俺の口から浮気やめろなんて言ったって、言うこと聞くわけないし、兄貴が翠さんに三行半つきつけられても自業自得で終わり。好実だってそうしなよ。首突っ込まない方がいいって」
六歳離れる兄にはむしろドライな塁生らしい発言。好実はわざと食器を持って傍から離れた。
塁生みたいにドライになれれば、好実だって最初から振り回されはしない。
これが兄夫婦に対する好実と塁生の違いなのだ。
「ねー好実はさー、兄貴を改心させたいの? 翠さんをちゃんと大事にしろって?」
「当たり前でしょ。夫婦なんだから。それに、もし本当に離婚しちゃったらどうするの? 翠さんは出ていっちゃうんだよ。コタちゃん達も連れて。私はそんなの……」
「わかったわかった。俺がドライすぎたんだよね。ごめん好実。俺がまず改心するから許して」
好実が言い返せば慌てて近づいた塁生は、背中にくっつきながらご機嫌取りを始めた。
姉が弟に弱いように、もちろん弟だって姉に弱いのだ。
「まあ俺も、基本浮気野郎は許せないからさ、それが兄貴ならこの手でとっちめないと」
「……塁生、さっき言ったこととずいぶん違くない? お兄ちゃんの自業自得で終わらせるんじゃなかったの?」
「だから、それはさっきまでのドライな俺。今の俺は改心したから、ちゃんと翠さんのために協力するって。何が何でも、あいつの浮気をやめさせてやる」
さっきとは打って変わってやる気を見せ始めた塁生は抱きしめる姉をギューっとする。
「痛い痛いっ。わかったわかった。じゃあよろしく。でも翠さんには知らないフリね? 私が一人で動いてるだけに見せかけて」
翠さんは同性の好実にしか打ち明けていないし、まだ好実にしか協力を求めていないのだ。
すでに小宮山さんも勝手に協力者にしてしまった好実は、この際だから弟も巻き込んでしまう。
協力者は一人でも多い方が、兄の浮気問題を早く解決させられるだろう。
「とりあえず、最初は浮気相手を突き止めるから、塁生もこっそり調べて。お兄ちゃんがいない隙に財布の中とか、スーツとか」
「OK。俺達探偵だね。浮気調査探偵」
のん気だな、こいつ……ウキウキしてるじゃん。
まあいい。これで小宮山さんだけじゃなく、塁生にも証拠を探させることができる。
やはり兄と一緒に暮らす家族に協力者ができたことは大きいだろう。
「こっそりだからね。こっそり」
「うんうん♪」
「じゃあ塁生、お風呂先入って」
「はーい」
今夜は塁生がバイト終わりで来たので、夕食が遅かった。次はさっさとお風呂を済ませなきゃいけない。
基本は素直な塁生を先に行かせると、好実は今のうちとばかりにスマホをいじり始めた。
うっかりしていたのだ。今日泊まる塁生は、どうせ姉の入浴中にでも姉のスマホをチェックするだろう。
好実はもちろん今のうちに高城君とのトーク履歴を消しておかなきゃ。
危ない危ない。でもギリギリ間に合った。
しかしトーク履歴を消す前に、高城君から新たなラインが届いていたことに気付く。
今日はバイトが終わってから弟が家に来るまで、ちょこちょこ送り合っていたのだが、一時間ほど中断という形になっていた。
最初は長文ラインだった高城君も、今は短くちょこちょこ。
まだ好実が確認していなかった高城君のラインは、明日も一緒にご飯食べるのが楽しみといった内容。
しかし明日は土曜日。高城君は土日定休じゃないのか?
これは確認しておくべきと思い、ラインを送る。
すぐに返ってきた高城君の返事は、明日も仕事だという。怪しい……。
これはしっかり疑うべきだろう。
でも彼が土日定休かなど調べようもないので、前もって断ることにした。
『土日は一緒にご飯食べるのやめましょう。今日はもう寝ます。おやすみなさい』
よし、今日はこれでラインのやりとり終わり。
残酷だが弟に見つからないためにトーク履歴も削除すると、ようやく食器を洗い始める。
ちょうど風呂から戻ってきた塁生にも水をあげた。
ごめんなさい高城君と、心の中ではちゃんと謝りながら。




