19.高城君の訪問
「あんた、今日もバイトないの?」
「うん」
最近実家に帰った翌日はバイトが休みなので、今日も母に確認された。
五歳と四歳の甥が幼稚園に行っている間、今日も好実は二歳甥のお馬さんになっていると、テーブルに置いたスマホが鳴った。
ライン通知だが、そのまま無視しておく。今はお馬さんだから仕方ない。
……でも、バイト先からヘルプ要請だったら問題だよな。やっぱり確認はするか。
「てっちゃん、お馬さんはお休みタイム」
五歳と四歳の甥と違い、やはり二歳甥は好実のお願いもちゃんと聞いてくれる。
甥を降ろしてからやっとラインを確認すると、高城君からだった。
昨日もラインを受け取ったが通知だけ確認して、実は未読スルー。
既読にすらしないのは、昨日は好実にだってその気力がなかったのだ。彼のせいで精神的不調になり、昨日は彼のことを一切遮断したかった。
……でも本当は無視じゃなく、彼の言い分くらいちゃんと聞かなきゃ。
もしかしたら自分の誤解もあるかもしれないし、あの佐紀さんじゃなく彼の口からちゃんと。
昨日は仕事中、突然彼の同僚に近づかれたことが発端で、彼のことを心から追い出し続けてしまった。
ようやく少しはほとぼりが冷めた今、トーク画面を確認することに。
昨日のラインもさっき届いたばかりのラインも、まずは丁寧すぎる謝罪と、誤解を解きたいので会ってほしいという内容だった。
高城君のことだから初めてのラインみたいに長文かと思いきや、むしろ簡潔。
でも簡潔な方が後回しにできず、逃げられない心境にさせられるものだな。まあ、もう逃げるつもりはないが。
それに、彼は昨日も今日も誤解を解きたいと言っているのだから、本当に好実が誤解しているだけの可能性大。
だったら彼が早く誤解を解きたい気持ちも理解できる。
じゃあ、とりあえずちゃんと返事して安心してもらい、今日はバイト休みだから明日会いますと伝えるか。
「このみちゃーん、まーだー?」
「はいはーい、もうちょっと待っててくれー。えーと、今日はバイトが休みなので会えません……」
「このみちゃーん! ぼくやるー!」
「え!? あっ……!」
うわーやられた。親切心で邪魔しにきた甥が送信マークをタップしてしまった。まだ途中だったのに……。
あーあ、今日はバイトが休みなので会えませんだけじゃ、拒絶してるみたいな響きだよなぁ。しかも即既読になっちゃった。
これはまずい。追加のラインしようと思っているうちに、高城君からまたラインが。
『今すぐ会いに行ってはだめですか?』だって。あーやっぱりー。好実のドライ返信で余計焦っちゃったのかもー。
でも今すぐってさ、今は平日の真昼間だよ? 高城君、仕事中だよね?
とにかく、こっちもまた返事しなきゃ。えーと、今は実家なのであ……。
「このみちゃーん! ぼくやるー!」
「あっ……!」
懲りずに同じことを二度繰り返した甥と好実。甥はまだ二歳だから仕方ない。でも好実は完全馬鹿。
結局、高城君に再び送ったラインは『今は実家なのであ』だった。
うわーん、今は実家なので明日会いませんか? だったのにー。
カッコ悪……。じゃあもう一回訂正送るか。
「このみちゃーん! おうまさーん!」
「あーはいはい。もういいや」
結局訂正ラインを送る前にスマホを手放してしまった好実は、再び甥を乗せお馬さんに。
この中途半端な対応を思いもよらず後悔することになるのは、四十五後。
(……え!? まさか)
甥のお馬さんになった後、好実はうっかり甥と共に三十分ほど寝てしまった。
まだ胸の上で眠る甥をそのままに何となくスマホを確認すると、再び高城君からラインが来ていてびっくり仰天。
なんと高城君は四十五分前、好実の実家に向かってしまったらしい。
なんて行動力! でもやめてー!
実家に突撃訪問なんてされたら、高城君を知らない母や義姉がびっくりしちゃうやん。それだけは阻止しなきゃ。
「……どうしたの? 好実ちゃん」
「み、翠さん、ちょっとてっちゃんお願いします。てっちゃん」
ちょうど茶の間にいた翠さんが好実の動揺に気付いてくれたのを機に、まだグッスリな甥をそっと移動させる。
翠さんに預けたところで、「ちょっと出掛けてきます」と慌てて外へ向かった。
(……ん? ちょっと待てよ。高城君が私の実家なんて知ってるはずないんだから……なんだ。冗談か)
とりあえず実家前の道路に佇んでから気付き、安堵の脱落をする。
よかった。たとえ彼の冗談じゃなく本気でも、彼は好実の実家にたどり着く術がなくて。
「ふう……よかったよかった。よかっ……」
「折原さん」
ギクッ……好実が見えない汗を拭っている間に、背後から高城君の声が。
え……でもマジ? 振り向くことさえホラーなんだが。しかもわざわざ背後から現れなくてよくない?
そのくらいの文句はつけてから、恐る恐る振り返る。
やっぱり高城君、いた……。
でも好実が見たことないほど血色が悪く、もはや憔悴した様子?
憔悴した美形も絵になる。やはり美術館に飾るしかないね。
でも、これだけは最初に確認しておきたい。
「何で私の家を知ってるんですか?」
「……すみません。今でも覚えていました。気持ち悪いですよね」
今でも覚えてた……ハッ、そっか。好実がうっかり忘れていただけだった。
高城君はそもそも好実の実家を知っていたのだ。
昔の彼は好実の家まで訪ねて、告白してくれたのだった。
十年間、好実は後悔のあまり高城君に関する記憶を封印しすぎて、とっさに思い出すこともできなかった。
「すみません。私の方がうっかりしてました……。あの、電車でここまで来たんですか?」
「いえ、車です」
「……車は?」
「ここから最寄りのパーキングに停めました」
高城君、突然ここまで来たのに、その顔色の悪さ通り全く覇気がない。
切迫している感じでもなく、その小さな声は怯えているように弱々しい。
好実はちゃんと目を合わせようとしているのに、彼の方がわずかに逸らし続けている。もはや目を合わせるのも怖いのか。
好実が少しでも動いただけでビクッと震えてしまいそう。
そういえば、彼は好実の弟よりナイーブだったのだ。
好実はもう気付いていたのに、昨日は怒った挙句、無視し続けてしまった。
今の彼が好実に対して怖がるのは当たり前だった。
「ちょっとここから移動して、近くの公園でも行きませんか?」
「はい」
ようやく実家の前から離れるために、好実誘導の元に近所を歩き始めた。
(同じナイーブでも、塁生とは全然違うんだよなぁ……)
最近は義姉と話をするために利用した公園で、今日は高城君と向き合う。
改めて彼を目の前にしても、好実はまた目を合わせてもらえず、何とも弱々しいまま。
弟の場合は傷つきやすい自分を隠すためいつも強気だけど、彼は強がることもせずそのまま。
失礼かもしれないが、大きな敵を前にして怯えている小動物みたい。
だから彼は弟よりもっとずっとナイーブに感じるのかも。
また失礼な感想が生まれてしまうが、よくこんなナイーブで最上階まで上り詰めたものだ。でもデザイナーさんだから才能あってこそだし、繊細な人ほど向いているのかも。
でもただいま平日の午後、おそらく高城君をサボらせている好実はさっさと解放させなきゃいけない。
こんな穏やかな公園でも、のんびりしている暇はなかった。
「今日は、わざわざ誤解を解きに来てくれたんですよね」
「……はい」
「聞きます。とりあえず、昨日の佐紀さんの行動から教えてください」
好実に彼への誤解を生んだとすれば、間違いなく昨日突然現れた佐紀さんが原因。
好実に対する佐紀さんの行動と言動が、はたして高城君の指示によって生まれたのか、そうじゃないのか、本当はそれだけを知れば十分なのだ。
それだけが今でもどうしたって引っ掛かり、昨日は精神的不調にまで陥り、それが好実の単なる誤解だとわかれば安心できるのだから。
好実に促され改めて開いた彼の唇は案の定震えを帯びる。まともに喋られるのか、好実が心配するほど。
「さ……佐紀は俺と同い年の同僚で、勝手に折原さんに興味を持って近づいてしまいました」
「……興味ですか? 私は違うと思いましたけど。佐紀さんはあなたを心配して、最近あなたと親しくなった私がどんな人物か、勝手に調べようとしたんですよね。私に恋人がいるかどうかも」
高城君の説明は濁しているだけじゃなく、あまりにも怯え声なので、すでに勝手にわかってしまった好実が彼の代わりにさっさと説明した。
もうこれ以上怯えさせるわけにはいかなくて。
「確かに私は、佐紀さんがあなたに頼まれて行動したのかと勘違いしました。それで昨日は怒って、あなたのことを無視しました。本当にごめんなさい。それと、私には恋人がいません。佐紀さんが一昨日偶然見たのは、私と一緒にファミレスに入る店長です。店長は私の恋人じゃありません。佐紀さんにも伝えてください」
彼の代わりにさっさと誤解を解き、ちゃんと謝罪もした好実は、さっさと終わらせようと急ぎすぎたのかもしれない。
ちょっとサバサバキビキビしすぎて、彼の耳には冷たく聞こえたかも。
もうこれ以上怯えさせるわけにはいかなくて急いだのに、逆効果だったらしい。そう気付いた矢先、今度は公園に入りそうな子供の声が。
彼を仕事に戻さなきゃいけないし、今日のところはこれで別れた方がよさそうだ。
「今日はわざわざここまで来させてしまって、すみませんでした。それじゃあ、今日はこれで……」
最後に一礼して、子供達に遭遇する前に公園から去り始める。
「折原さん、行かないでください。いくらでも謝ります。俺を突き放さないで」
「……え?」
今日のところは離れようとした好実は、初めて聞いた高城君の大声で振り向かされた。
振り向いた先に、すでに地面に跪いた高城君がいた。なぜ?
「ごめんなさい。ごめんなさい。俺はこんなに情けなくて、あなたを傷つけて怒らせてごめんなさい。でも、こんな俺でも愛想だけは尽かさないでください。あなたに嫌われたくないんです。また近づけないなんて、死んだ方がマシなんです。どうかお願いします。俺を見捨てないでください」
公園の地面に綺麗な額を押し付けるほどの土下座謝罪をしてしまった高城君は、好実だけじゃなく、公園に入ったばかりの子供達とそのお母さん二人もポカンと静止させてしまった。
もちろん好実は慌てて近づかなきゃいけなくなる。
「高城君……」
「お願いです。折原さん、お願いします」
「わかりました。わかりました。私はそんなことしません。思ってもいませんから」
公園に自分達だけじゃなく見物客がいるお陰で、好実はやめさせるのに必死。
どうにか高城君の口を止めさせられると、ようやく彼の頭も上がってくれた。
「……本当ですか? 折原さん」
彼の顔は本当に綺麗な造りをしているのに、今はぐちゃぐちゃ。
涙ですっかり濡れてしまっている。見物客にも丸見え。
土下座謝罪どころか、まさか泣かせるまでに至った好実は、むしろ彼の涙を機に吹っ切れてしまったようだ。
彼の傍でしゃがみながら涙を拭い始める。
昔から好実は涙を見せる相手に弱いのだ。
小さい頃は弟の涙に一番弱くて、今は甥。でも今日は彼を泣かせてしまった。
涙に一番弱い好実が慰めるのは当然のこと。
……でも涙まで拭ってあげるのは、弟や甥以外で彼だけ。
高城君だけが、いつも好実の琴線に触れてしまう。
だから彼は初恋の相手で、十年ぶりに再会して、まずは友達になることを望まれればすんなり受け入れてしまった。
彼だけはいつだって好実の心に入り込んでしまうのだ。躊躇や抵抗も忘れるままに。
仕方ない。もう認めなきゃ。
好実が惹かれてしまうのは、いつだって彼だと。彼だけだって。
純粋でナイーブで、でも恥も外聞もなく一直線に好実を掴まえようとしてくれる。
そんな彼を、好実はまた好きになってしまった。
「私……高城君が好きです」
彼の涙を拭い終えれば、好実の口はつい素直になってしまった。
公園にいた見物客から思いもよらぬ拍手を頂いたのは、その直後。
高城君はずっとポカンとしていたけどね。




