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18.義姉と一緒に


「やだー」

「このみといっしょにねる!」

「お前ら……いいから早く来い! 寝るぞ!」


 うどんを食べて風呂にも入った甥達は今夜もとうとう一喝された。怒声を上げたのは昔やんちゃだった翠さん。

 慣れている父と母は、寝室に連れて行かれる孫達にニコニコ手を振るばかり。

 そんなに慣れていない好実は今日もちょっとビビりながら、子供達を寝かしつけに行った翠さんが戻ってくることを願う。

 けっこう一緒に寝ちゃったりするからな。それだけ四児を育てるのは大変ということ。


「好実も早くお風呂入って寝たら。お腹の調子悪いんでしょ?」

「うーん、でも……」

「ただいまー……あっ、好実来てたの?」


 甥達が寝た九時過ぎ、今度は弟の塁生が帰宅。今日はアルバイトで遅かったらしい。


「お帰りー」

「ん? 何か元気ない。何かあった? バイトで苛められた? 俺がやっつけてやるよ」

「ちょっとお腹の調子悪いだけだって。それよりあんた、ご飯は?」


 母が呆れながら気を逸らしたって、今度は塁生が好実の傍から離れなくなる。

 いつものことだが、今夜に限っては好実も弟を離したい。今夜は義姉を心配するという目的があるのに、弟がひっついてたんじゃ義姉と話すこともできない。

 好実は一人暮らしをしている割にこうして実家に顔を出す方だが、そういや義姉とゆっくり話したことはあまりないんだよな。

 好実は甥や弟にひっつかれるのは当たり前だし、義姉はいつも忙しそうだから。


 それでも義姉からSOSが出た時はちゃんと助けてきたので、今回最大級のピンチが訪れ中の彼女は目を離してはいけないくらいだが……でも今日のところは彼女も通常通り。一昨日のように精神がどん底の様子は全くなくて、落ち着いている。

 それでも表面だけかもしれないので、好実も気が抜けない。


「好実、何でお腹痛くしたの? やっぱり苛められた?」

「ううん。ちょっと古いおにぎり食べて……」

「馬鹿だなぁ。食い意地張りすぎ。やっぱ俺が見張らなきゃだめだな」


 父は風呂に行き、母は塁生の食事の支度。そして姉にひっついたままの塁生は姉の心配。

 でも塁生なんて姉の10倍? 100倍? ナイーブなのに、むしろ姉を過保護に扱う。

 昔からそう。姉がちょっと腹を壊しただけで、一層傍から離れない。

 別に好実は腹を壊した程度じゃ死なないのに、ナイーブな弟はきっと怖がってしまうのだ。本気で姉をずっと見張っていたいほどに。

 そんな弟は密かにヤバいとも思うけど……それよりも安心させたくなってしまう。

 タフな姉はナイーブな弟を残して死んだりしないぞって。


「好実、今日は俺が腹撫でてやるよ。ぐっすり寝れるぞ」

「ありがとー、よろしく」


 二十二歳の弟に腹を撫でられながら眠る二十五歳の姉なんて、この姉弟以外にいるのだろうか。でも弟は本気だし、姉は感謝するだけ。

 本気で心配してくれるだけの弟を拒否などできるはずない。

 好実にとっては昔から一途に懐いてくれる、どうしたって可愛い弟なのだから。


「塁生は今日バイトどうだった?」

「バイト? 別に……あ、そうだ。トリュフ塩もらった。これでパスタ作ると、めちゃくちゃ美味いんだよ。好実の腹がよくなったら作ってあげる」

「うん」

「一緒に暮らすまでにもっと金貯めて、今よりもっと綺麗なアパート借りるから。カーテンも、好実が好きなの選んでいいよ」


 内定を貰っている塁生とは来年一緒に暮らし始めることが決まっているが、塁生はその日のためにいつも張り切っている。

 新たに借りるアパートとかカーテンとか、その話これで何度目?ってくらい。

 塁生がシスコンじゃなくて、ちゃんと恋人に夢中だったら、今頃塁生は恋人と一緒に暮らすことに張り切ってるのかな。好実は塁生の相談役くらいで。


 でも今夜の好実は腹痛じゃなく密かに精神的不調を抱えているから、さすがに弱っているのかも。

 いつもなら弟がシスコンすぎて心配になっても、今夜は塁生がシスコンで逆に安心なんて。

 単純に、きっと一人が嫌だから。

 弟がいることで、これからずっと一人かもしれない人生は避けられるかもしれなくて。

 馬鹿だな。そんな下心を持つなんて。

 シスコンの塁にだって恋人ができる時は必ず来るのに、可愛い弟はやっぱり離したくないなんて。


 今夜の好実はやはり心が弱っている。自分から甘えて、弟の胸に頭を預けてしまった。


「塁生君、お帰り。好実ちゃん、ちょっといい?」


 子供達を寝かしつけ終えた翠さんが茶の間に声を掛けたことで、好実はまた今日の目的を思い出した。

 いけないいけない。今夜は弟に甘えている場合でもなかった。


「塁生、ご飯食べて」


 好実も茶の間を抜け出すと、廊下で翠さんと今夜初めてまともに目を合わせる。実家に来ても、彼女と目を合わせることさえ難しいとまた実感。

 「庭に行かない?」と誘われ、二人で玄関に向かった。



「好実ちゃん、今日も来てくれてありがとね」

「いえいえ。むしろ腹の調子が悪い時に来て、すみません」

 

 0歳の姪がいつ泣いて起きるかわからないので、庭に佇むだけで話し始める。

 二人の視線は何となく目の前の小さな池。


「……昔、あの池に落ちたことあるんだって?」

「ははは……聞きました? そうなんですよ。小さい頃」

「塁生君に飛びつかれたんでしょ?」

「そうそう。塁生はもちろん悪気なかったんですけど、私一人だけドボンって……。でも塁生も助けようとしてくれて、無駄にドボンしました。子供でも余裕で足つくのに」


 弟との池エピソードを家族に振り返られる度、好実も苦笑してしまう。

 でもナイーブな塁生は、今でも姉をドボンさせたことを心の傷にしていたりするのだ。

 そのせいで、今でも姉が腹痛になったくらいで死んだらどうしようと心配してしまうのかも。好実は今頃そんな疑念も生まれてしまう。

 

「……翠さんはどうですか?」


 好実から先に視線を向けると、まだ池を眺める翠さんは軽く息を吐いた。


「この前言った通り、今はあの人より子供を優先してる。でも私なんて今までが今までだから、ただ子供で誤魔化してる状態かも。情けないけど、私にとって子供を愛することは当たり前じゃないの」


 一昨日、兄に傷つけられた翠さんは好実に慰められてから、最後にこう言った。夫のことより、まずは子供を愛することから始めなきゃと。

 夫を繋ぎ止めるために子供を産み続けた彼女だから、まずは夫と戦うより初めて子供と向き合うことから始めなきゃならなかったのだ。

 それから二日経った今の彼女は、まだまだ上手くいかないと教えてくれた。


「何事も時間が掛かるよね。無理しても、ただ子供を愛してるフリになっちゃうし……それじゃ今までと何も変わらない」

「でも今の翠さんは、ちゃんと子供との向き合い方で悩み始めましたよ。ゆっくり変わり始めた証拠です」

「……好実ちゃんって押しつけがましくない程度で前向きなこと言ってくれるよね。助かる。ふふふ」


 翠さんにはこうして笑ってもらえたが、好実など絶対的味方になった義姉だから前向き言葉を発しているだけだ。義姉と同じく、自分のことだったらしっかり後ろ向き。


「でも、どうしたって気になっちゃうよね」

「え?」

「今日のあの人は小宮山先輩と会うって言いながら、どこ行っちゃったんだろう」


 翠さんの諦め交じりな呟きに、好実は自分の気の利かなさに気付く。さっさと教えておけばよかったと。


「今日は間違いなく小宮山さんと会ってますよ。私、小宮山さんに聞きましたから。兄と飲みに行くって」

「そっか……じゃあ昨日だったのか。そっかそっか」


 好実が今夜こうして翠さんの疑いを晴らしたって、彼女の気持ちは全然晴れない。なぜなら昨夜も兄はまっすぐ帰らなかったから。

 たったいま翠さんが確信した通り、確かに昨夜の兄は浮気相手と会っていた可能性大。

 昨夜の好実は兄のお気に入りラブホテルまで突き止めて空振りしたが。


「もっとタフな心を持ってたらなぁ……好実ちゃんみたいに」

「私、そんなタフに見えますか?」

「だって、うちの子三人にあれだけ酷い目に遭わされてもピンピンだから」

「まあ可愛い甥ですからね。いくらでも耐えちゃいますよ。ははは」


 好実としては、浮気を繰り返されても耐えてきた翠さんの方がよほどタフだが……勿論そんなことは言わない。


「……でも、うちの子供はいいとして、塁生君に対しては問題だと思う」

「え?」

「今度は私が好実ちゃんの心配させてもらうけど、好実ちゃんは塁生君を甘やかしすぎだよ。塁生君が離れないまま、受け入れすぎ」


 今の翠さんは自分のことで精一杯なのに、それでもこうして好実に注意するくらいだ。それだけ目に余るということかも。

 今度は好実が視線をそらしてしまった。


「来年、塁生君と一緒に暮らすなんてなったら、好実ちゃんには本当に自由がなくなっちゃうよ。もちろん恋愛なんてできない」

「……塁生は関係ないですよ。どうせ私は、これからもモテないだけで」

「そうかな。本当にモテない? 今まで告白されたことだって何度かあるんじゃないの? うちの子にも弟にもあんなにモテる好実ちゃんが、男性にモテないわけないよ。今まで告白されたって、躊躇しただけじゃない? 塁生君のことが頭をかすめて」


 見透かしたような翠さんによって突然図星をつかれ、好実はとうとう俯きながら黙りこくった。

 こんな態度、まるで弟のせいと認めてしまうようなものなのに、ただ図星をついた彼女には何も反論できない。


「ナイーブな塁生君を傷つけたくない?」

「……はい」

「でも塁生君だって姉離れしなきゃ。ついでに好実ちゃんも」


 今夜は翠さんを心配するため実家にいるというのに、逆に心配させてしまった。情けない。

 でも彼女の心配は正しいからこそ、好実も初めて痛感させられる。やはり、このままじゃいけなかったのだと。


「私もゆっくり変わるから、好実ちゃんも……。私達、二人で正しい方向に向かっていこうよ」


 一人で躊躇したままじゃなく二人一緒だったら心強いと、翠さんが最後に教えてくれた。

 今夜は彼女の方から手も繋いでくれる。


 また二人で池を見つめてしまっても、隣にいる義姉の存在は初めて好実の心を改めさせてくれた。

 義姉と一緒に、ようやく自分も変わろうと。


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