17.最上階の同僚
「堀田さん、午後のトイレ掃除は堀田さんだったよね」
「あ、女子トイレはさっきやりましたー。あとは鈴木君が代わってくれるそうでーす。鈴木君、そうだよね?」
「う、うん……」
アルバイトの鈴木君、堀田さんより一つ年上なのに、こうしてしっかり言いなりみたい。
堀田さんはこのコンビニに潜む女王様のようなものだから、いかにも気が弱い鈴木君なんて格好の標的。
堀田さんなんて店長にさえ仕事を押しつける厚かましさだからね。
「そっか。じゃあ今日は堀田さんに外掃除お願いするよ。ガラス拭きもしっかりね」
「えっ……はーい」
小宮山店長、今日は堀田さんのずる賢さを見逃さず、彼女がトイレ掃除の次に嫌いな外掃除を任せちゃった。
いつもなら嫌々の堀田さんに任せるのも面倒で、自分が動いちゃうのに。
もちろんこっそり見学していた好実は小宮山さんにスカッとさせられる。これからも若くて可愛いは正義じゃないと教えてあげて。
でもここでくじけないのも堀田さん。
「……ねえ鈴木君、トイレ終わったら外もお願ーい」
「えっ……でも……」
「お願ーい。じゃあ決まりね」
あーあ……今日の鈴木君は二つも仕事押しつけられちゃった。
あまりにも目に余るよね。堀田さんの女王様ぶり。
好実もさすがに不憫すぎたよ。
「鈴木さん、私が外やりますよ」
「……折原さん、いいんですか?」
「はい。あっ、店長ー、私が外掃除入りまーす。堀田さんがまた鈴木さんに任せたみたいなんですが、鈴木さんは忙しそうなんで、私が勝手に立候補しまーす」
小宮山さんがまた傍に来たついでに堀田さんの悪事を報告。
案の定、小宮山さんに冷めた目を向けられた堀田さん、びっくりした挙句そそくさと隠れちゃった。
ふん、ざまあみろ。こっちだってただじゃ引き受けないぞ。
これで堀田さんに恨まれようが意地悪されようがどうだっていい。こっちだって絶対負けないだけだ。
鈴木君もこれくらいの気の強さを持たないと、この先もあざと女子の標的にされっぱなしだぞ。
(……でも、人の強さなんてそれぞれだもんね。うちの弟だって太々しいのは口先だけで、ナイーブだし……)
好実は外掃除を始めながら、さっきの堀田さんきっかけに悔しくも反省心まで生まれる。
内心大嫌いな堀田さんをぎゃふんと言わせたって、結局はスッキリなどしない。好実の対応は摩擦を生むだけ。
自分こそ、堀田さんにやり返すための気の強さなど改めなきゃ。
「どーも、こんにちは」
「……へ? こんにちは……いらっしゃいませ」
外掃除中、コンビニの客かすらもわからない男性にいきなり近づかれ、箒を握りしめながらとりあえず対応。
「なるほどね……あなた、実はめちゃくちゃ正義感強いんでしょ。弱い人を絶対放っておけないタイプ」
「……あの、どちら様ですか?」
突然近づいた男性に繁々と性格診断されたって、さすがに不審で怖いだけなのだが。
でもなかなかのイケメンさんな上に全身お洒落。勝ち組の匂いプンプンだな。変な人だけど。
もしかして、このオフィスビルに勤めてる人?
「遅ればせながら自己紹介します。俺は佐紀。あなたとちょうど同い年。この最上階で働いてます」
「……はあ、そうなんですね。自己紹介ありがとうございます」
一応礼は返したが、何でこの人、好実が同い年だと知ってるんだ?
いきなりの自己紹介といい、訝しすぎるのだが。もちろんこっちは自己紹介など返さないぞ。
「一昨日も会いましたね」
「……え?」
「ここの駐車場で。あいつのこと待ち伏せしてたでしょ?」
……ハッ! この人、一昨日高城君と一緒に駐車場に来た同僚らしき人か。
一昨日は顔を見なかったけど、この人に間違いないだろう。
しかも最上階で働いているなら、確かに高城君と同じ会社。
でもこの佐紀という人の正体がわかっても、好実は近づかれた理由がわからない。
もしかして高城君に伝言でも預かった? 今日の昼は一緒にご飯食べられなくなったって?
でも、そんなことならラインで済むしな……。
「あの……佐紀さん、私に何の用事ですか?」
「実は俺、昨日の夜もあなたを見かけたんですよね。駅中で」
「……はあ」
「駅中のファミレスに入ったでしょ? 一緒にいたのは恋人ですか?」
何でこんなプライベートな質問されなきゃいけないんだ? 高城君の同僚なだけでズケズケと。
しかも昨夜の好実は観察されていたということか? 気分悪いわ。
もちろん、この佐紀さんには一切答えたくない。
「あなたには関係ないと思います。それじゃあ」
「関係ありまくりですよ。今の俺は高城の代わりに確かめているようなものですから。なんせ、うちの会社は高城……」
「じゃあ高城君があなたに頼んだってことですか? 私を見張って、恋人がいるか確かめろって?」
「え? いや、そうでは……」
「今さら誤魔化さないでください。私、自分で行動できない男性なんてお断りです」
頭に血が上ったあまりピシャリと言い放った好実は、彼の足元でわざとガシガシ箒を動かす。
「えっ……ちょ……」
「帰ってください。仕事の邪魔です」
こうして佐紀さんがガシガシ追い払われそうになったところで、タイミングよく諸悪の根源が登場したらしい。
二人の攻防の前にもう一人の男性が――もちろん高城君が近づいた。
佐紀さん任せにして、とりあえず陰から見守っていたが、佐紀さんのピンチで姿を現すしかなくなったというところか?
高城君の顔は疚しさより、ただ呆然としているが。
「佐紀……お前、何やってるんだよ」
「ちょうどよかった。仕事の邪魔なんで、この佐紀さんを最上階へ連れ帰ってください」
「……折原、さん」
「聞こえませんでしたか? 仕事中なんで、二人でさっさといなくなれって言ってるんですよ。迷惑なんです」
今度は高城君に向かって厳しい言葉ときつい目を向けた好実は、箒でガシガシはやめた代わりにガラス拭きに取り掛かる。背後の二人など、もう目もくれず。
最上階で働く男二人の遊びなど、これ以上巻き込まれてたまるか。
※ ※ ※
「……あんた、何か具合悪そうだね。どうしたの?」
四人の孫を抱える両親にとっていくら存在が薄々になった娘でも、実家に帰れば母は好実の異変に気付いてくれた。さすが母。
実家まで好実を連れてきた兄は一切気付かなかったというのに。
でも今日の好実が精神的不調を抱えていても実家に帰ったのは、義姉の様子を確かめるため。
一昨日、兄のせいでとんでもなくダメージを負った義姉だけに、唯一事情を知っている好実が心配しなければ。
「好実ちゃん、いらっしゃい。あれ? 何か顔色悪い? 大丈夫?」
義姉を心配して来たのに、その翠さんにも異変に気付かれるなんて情けない。
「大丈夫です。ちょっと昼間、古いおにぎり食べちゃって……」
「えー、コンビニの賞味期限切れたやつ? だめだよ。大丈夫と思っても油断しちゃ」
「ははは……そうですね。すみません、いやしくて」
「このみー、おなかいたいのか?」
「だいじょうぶか? このみー」
五歳と四歳の甥まで初めて優しい声を掛けてくれた。いつもなら、ただの下僕扱いなのに。好実もついついジーン……。
もうちょっと優しくされとくため、今日はこのまま仮病続けてよっかな。
「大丈夫大丈夫。でもちょっとお腹痛ーい。へへへ」
「このみちゃん、ぼくのおくしゅりあげる!」
えー、二歳甥はそもそも好実に優しいから、薬まで準備しに行っちゃったよ。子供用だろうけど……飲まなきゃだめってこと?
仮病なんて使わなきゃよかったー。
「このみ! おれがリンゴむいてあげるぞ! まってろ!」
あっ、五歳甥よ。リンゴはやめて。この前リンゴの皮むきで手を切ったばかりなんだから。
「このみー! タオルもってきたぞー! あたまにのせてやる!」
ビチャッ!……四歳甥よ、その濡れタオルはちゃんと絞ったのかな? 好実の顔があっという間にビチョビチョだぞ?
しかも好実は腹痛なのに……まあ仮病だけど。
義姉の心配をしに来たのに、こうして甥三人に看病され始めた好実は、とうとう二歳甥の手で子供用風邪薬を飲まされることに。
「このみちゃーん、ちゃんとのむんだよー」
「あっ、哲朗、何やってんの! それはあんたの薬でしょ!」
ホッ……ギリギリで止めてくれた翠さん、ありがとうございます。
「うわーん! りんごがなーい! かってくるー!」
「コタちゃんコタちゃん、大丈夫。好実ちゃんのお腹が治ってきたから」
いつもはツンツンな五歳甥を泣かせてしまった。やっぱり子供相手に仮病なんて使っちゃいけないね。
でも初めて自分が泣かせてしまった五歳甥は可愛くもあったり。ついでに膝に乗せて涙を拭いてあげる。
「今日はトンカツ無理だね。うどんにしよっか」
「すみません、翠さん」
翠さんは好実のお腹を気遣いながら台所へ行ってしまった。その背中にはやはり0歳姪が。
義姉を心配しに来たところで、義姉自身が忙しくて話しかけるタイミングも見つからない。
好実は三人の甥に放してもらえないし、やはり子供達が寝た後にするしかないか。




