12.朝から高城君
「そういやお前もいたんだっけ……」
弟の塁生が好実の家に泊まった翌朝、いつも通り迎えに来た兄は、好実と一緒に塁生も後部座席に納まってようやく気付く。
一緒に暮らしている兄弟だというのに、兄弟仲は昔からドライ。六歳離れていれば自然とそうなのかな。
塁生は兄の車に平然と乗り込んだくせに挨拶一つしないので、代わりに好実が口を開く。
「お兄ちゃん、まず塁生の大学ね」
「へいへい」
兄は基本、妹と弟には平等にまあまあ優しい。
いくら弟にはドライ対応されても気にしないのが兄。昔から面倒見がいいわけじゃないが、同じオフィスビルでバイトする妹は毎日ちゃんと送迎してくれるし、今日は弟の送迎も。
でもきょうだいにまでいい顔するくらいなら、その分義姉を大切にしろと好実は言いたい。とりあえず今は塁生も一緒で我慢しているだけだ。
なんせ義姉は昨日、この兄の素っ気ない対応で悲しまされたばかりなのだから。
くー……思い出しただけでこぶしが震えるぅぅ。
「好実、大学着いたら起こして」
「あと十分で着くよ。寝ちゃだめ」
「昨日好実のイビキがうるさかったから」
「嘘っ」
「嘘。でも眠い」
どこでも甘えたの塁生は、好実の膝に頭を乗せて本当に寝てしまった。
でも十分も寝れないまま大学到着。
「好実バイバーイ。今日はライン見ろよ」
「はいはい。バイバーイ」
よし、塁生の送迎は完了。それにしても、大学に溶け込んでいく塁生の後ろ姿はやっぱり奇抜だな。
何なんだ、あの左右非対称な服は。ズボンも片足だけ巻くって。
「次はお前か」
「どうせ同じでしょ。はい出発」
「へいへい。でもあいつがあんなんじゃ、お前にはいつまでも男できないな。不憫……」
再出発しながら本気の同情声を漏らした兄は、おそらく自分は女の子大好きだから。自分は間違ってもきょうだいに縛られたくないのだろう。
「……お兄ちゃん、私がブラコンで、お兄ちゃんの恋愛事まで監視する妹だったらどうする?」
「んなの振り切るだけに決まってるだろ。俺は妹より女の子優先だ」
この女の子狂いのクソ兄は……。
でもまあいい。妹はいくらでも蔑ろにすればいい。
その代わり、女の子じゃなく奥さんを大事にしろ。奥さんを。
「ねえお兄ちゃん、昨日の昼、翠さんがお兄ちゃんに会いに行ったんだって?」
「え? ああ……そういやあいつ、突然来たな。何だ、お前の所にも寄ったのか?」
たったいま妹に言われるまですっかり忘れていた様子の兄は、やはり翠さんがいきなり訪問した理由も謎なだけらしい。
女の子ばかり優先して大切にして、しまいにはまた浮気して、どこまで奥さん蔑ろにするんだ、この兄は。
好実は後部座席じゃなく助手席にいたら、運転中の兄でも一発殴ってたぞ。
「翠さん、私の所に来るほど悲しんでたけど。お兄ちゃんに冷たく追い払われたって。お兄ちゃん、翠さんが突然来て恥ずかしい顔したんだってね?」
「……何だよ。お前、翠の代わりに俺を責めてんの? でも当たり前だろ? 職場にいきなり来られてみろよ。しかも子供まで連れて……」
「お兄ちゃんの奥さんと子供でしょ! しかも昼休みだったでしょ!? 何がいけないの!?」
昨日義姉と一緒に戦うと決めたばかりなのに、あっさり先走ってしまった好実は車内でつい怒鳴り声を上げた。この兄が喋れば喋るほど頭にきてしまって。
ただ運転を続ける兄はそんな感情的な妹に対して冷静に言い返した。
「お前が俺を責めるほど、俺は翠にゲンナリする」
「は?」
「当たり前だろ。翠はお前に俺を責めさせたくて、わざとお前の所にも行ったんだから。ったく、自分じゃ何も言えないくせに」
やはりこの兄に対し、妹の好実が責めてはいけなかった。
どうしたって兄は昨日の妻に対しての態度を反省し改めるのではなく、逆に好実ばかり頼る妻への不満しか生まれない。
もう義姉の代わりになってはいけないことなど小宮山さんのアドバイスでわかっていたのに、好実はさっそく失敗してしまった。
義姉の絶対的な味方であるため好実自身も動きたくても、こうして逆効果を生んでしまう。
好実はもうこれ以上兄夫婦のことにわずかでも口出しできなくなってしまった。
やはりこの兄の操縦は妻だけじゃなく妹でも難しい。
というより誰にも操縦不可能なのか?
「はぁ……小宮山さんでも無理かな」
「……先輩? 何? お前、小宮山先輩気になるの?」
今は兄夫婦の話の途中だったのに、好実がつい小宮山さんの名前を出しただけでケロッと食いついてきた。
どうやら妹が自分の先輩を気にしていると誤解したようだが、名前を出したくらいで単純すぎんか?
それとも小賢しいから話をそらしたいの?
「やっぱりなぁ。小宮山先輩はお前にピッタリだと思ったんだよ」
「……へえ、そうですか。でも私なんて相手にされませんよ」
「諦めんなよ。絶対小宮山先輩だってお前気に入るって。ほら、小宮山先輩って見かけによらず堅くて真面目だろ? 同じく真面目で奥手なお前なんて、ドンピシャ小宮山さんのタイ……」
「小宮山さんの恋人はバイクなの! 私のことはどーでもいいから運転に集中して!」
どうやら兄は本気で小宮山さんを勧めたいようなので、もう無理やり黙らせるしかなくなる。
兄は余計なことなんて考えず、家族と仕事で頭を一杯にしてくれればいいのにと、好実は本気で思ってしまうのだった。特に女の子など入る余地がないほどにね。
※ ※ ※
「おはようござ……」
「折原さん」
うおっ……ビビった。出勤後バックヤードから出た途端、好実の前にいきなり美形が。
でも好実に声掛ける美形など高城君しかいない。
それにしても今日は朝一登場な上、切迫感まで滲ませていて、美形が更に際立っているじゃないか。
人間味がある美形っていいよね……でもいきなりはビビるよ。
「おはようございます……どうしたんですか?」
「すみません。どうしても早く話したくて」
えっ……でもこれから仕事だしな。朝の一番忙しい時間帯でもあるのに。
高城君、昨日は突然現れても仕事中の好実に気を遣ってくれたのに、今日はその気ゼロ?
相変わらず切迫表情のままだし……命の危機でもあるのか?
いやいや、とりあえず平和な日本、さすがにそれはないだろ。
「あの高城君、今日のお昼じゃだめですか? 今はちょっと……」
「あ……忙しい時間にすみません。じゃあ今日も、一時半に来てもいいですか?」
「はい。そうしてくれると助かります」
なぜか切羽詰まっていた高城君はやっと安心してくれたのか、朝一の今は引き下がってくれた。
ふう……と、彼がコンビニから去っていく姿に好実も安心しながらようやく仕事に入った。
「好実ちゃーん」
「……はい?」
「今日は朝から高城さん来てたね? ふふ、見ちゃった。友達になったんでしょ?」
……同じアルバイトの堀田さん、朝のピーク時を過ぎた今話し掛けられたのはまだよかったけど、それ以外はドン引きなのだが。
ちょっと常識的にどうなの?
だって好実はこのコンビニで働き始めてまだ一カ月。堀田さんとは一番シフトが被るけど、今日いきなりちゃん付けで名前呼びされる覚えがない。
しかも堀田さんはバイトの先輩だが五歳年下。今日いきなり敬語もなくなった。
好実と仲良くしておこうという魂胆見え見え。もちろん、好実が高城君と友達になった情報を仕入れたせいだろう。
正直、いかにも男性目当てで近づいてきた堀田さんとわずかも親しくなりたくない。
それでも、とりあえず確認したいことは聞いておこう。
「堀田さん……私が高城さんと友達になったって、誰に聞いたんですか?」
「え? 店長だよ。好実ちゃん、高城さんと同中なんだってね? なるほどって思った。だから友達になれたんだなぁって」
好実の弟より若い堀田さん。でも弟の方がはるかに好実を敬ってくれるぞ。
いや五歳年上くらいで敬えなんて言ってない。ただ堀田さんの言葉は好実を下に見てるのバレバレ。好実より若くて可愛いってそんなに偉い?
まあとりあえず堀田さんの文句はこのくらいにして……やっぱり小宮山さんか。好実と高城君の関係を堀田さんにペラったの。
当たり前か。まだ小宮山さんにしか教えてなかったのだから。
「確かに友達になりましたけど、まだ連絡先も交換してませんよ」
「えー? そうなのー? 何でー? 早くしなよー」
高城君と早く連絡先交換して、さっさと橋渡ししろって? 堀田さん、好実を利用してマジで高城君を狙う気なんだな。
残念だが、逆にこんなあざとい堀田さんだけは高城君に近づかせたくない。
でも好実のムカムカはしつこく傍にいる堀田さんより小宮山さんから生まれてしまう。
最近せっかく好実の中で株上げたのに、口の軽さだけはいただけない。
「すみません。ちょっと店長のところ行ってきます」
「えー店長? ならトイレだよ。朝から汚した奴いてさ、さっき店長に教えといたから」
常識ない堀田さんでもさすがに客に聞こえないボリュームで教えてきたが、だったら初めに気付いたお前が掃除しろよと心の中で言い放ってからトイレへ向かった。




