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大崎玄蕃と名を変え生き延びた武田勝頼の末裔の咆哮  作者: 吉良山猫
第4章小田原城編
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勝頼の秘策

武田勝頼は小田原城は戦国の世の中での本拠地に定めたが、天下統一後の事も考えて江戸の街づくりにも着手していた。


小田原城の総構えや、江戸の治水や街づくりの為の秘策を勝頼は持っており、今こそそれを実行するときが来たのだ。


武蔵の国を押さえた、そして今で言う武甲山と言えばわかるだろうか?


そう、武田勝頼が江戸城と小田原城やその城下の開発の為に使う秘策はコンクリートである。


コンクリートがあれば建物の基礎が強くなるし、水路や貯水池も頑丈な物を作る事が可能だ。


勿論天守閣をコンクリートにするなど無粋なことは行わず美しい日本の天守閣にする。江戸城の天守閣は最初は戦闘も考えて、初代の徳川家康の型にしようと思ったが、太平の世を考えた徳川家光型にすることにした。


小田原城の天守閣は令和の時代の姿に近い徳川家築城の大阪城の天守の型にする事に決めた。


令和で言う横須賀に武田海軍本部と造船所の作製も行う事にした。


蒸気船の開発である。しかし、国内では蒸気船がたとえ完成したとしても使う予定は今のところなく、あくまでも海外を視野に入れた準備である。


農地改革で令和の田んぼの形に整えた田畑を武蔵の国、相模の国から整備を始め、いずれ自領全てに普及させるつもりである。


新田の開発やサツマイモの自領内への定着も勿論行わせる。


塩田開発は相模国、武蔵の国のみにする。価格の維持のためだ。


富山城で行われていた産業も小田原城と江戸城に移す。


風魔葵は相変わらず小田原城でも勝頼の屋敷の地下で何か行なっているのだが、勝頼はそれには気づかなかった。


小田原城に風呂も作る予定だが、近隣の温泉の整備も行おうと考えている。


安定した食肉や革の供給や羊毛などを得る為に酪農も行う。


海外貿易の為に真珠の養殖も海が本拠地にある今なら行いやすくなった。


金の匂いに敏感な助五郎は江戸と小田原の城下の一番良い場所に自らの店を出店する見返りに、街づくりに資金援助をしてくれている。


自領内の鉱山は全て直轄地にしている為、金を始めとする鉱物は莫大な利益をもたらす。


その他の貿易品は今まで通り増産していくつもりである。


武器などの新兵器も着実に開発しているが、それはなるべく畿内に出るまでは温存しながら開発、増産を目指していた。


ただ、武田勝頼は暫くは上方に目を向けるつもりはなく、関東平定、そして東北平定を考えているのだが。


目障りな今川家は侮れないが、今川義元に強い恨みを持った手負いの虎が甲斐にいる為、そうそう伊豆の国や小田原城にはちょっかいが出せないだろう。


武田信玄は、勝頼が海津城で開発した薬がある為史実より長生きするはずである。


それにより、武田信玄や北条氏康、上杉政虎を始めとする戦国最強が君臨し続ければ他国にとっては悪夢であり恐怖であろう。


北条氏康とは本当の親子と思える程の良い関係を築けている。有り難い事だ。


最上義光も昔からの友のように打ち解けた。


苦笑いしたのは、一度剣の手合わせをしたいとの事で立ち会ったが、なんて馬鹿力かと思うほどの剛腕だったことだ。剣の勝負では剣聖に毎日しごかれている勝頼に軍配が上がったのだが…


武田勝頼も打ち合った際の打撃の威力と重さに手が痺れたほどで…馬鹿力めと彼の強さを認めた。


最上義光も勝頼の強さに驚き、より好感を持ったのであった。


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