表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大崎玄蕃と名を変え生き延びた武田勝頼の末裔の咆哮  作者: 吉良山猫
第3章甲斐動乱篇
89/169

小田原城の戦い6

今回は小田原夜戦です。

風魔小太郎率いる風魔衆の夜討ちにより、佐竹義昭や宇都宮広綱、そして古河公方、ここでは今川義元の忍びである藤林長門守に助け出された、足利晴氏、藤氏を指す。


北条氏と仲が良いのは足利義氏の為、古河公方が敵に回ったのは納得できる。


そして小田氏治は民には人気があるが、戦さは滅法弱いので有名である。


退却の中で、宇都宮勢、足利勢、小田勢は総崩れだが、佐竹義昭の軍勢だけは軍を維持しての退却出来ていた。


里見勢でも悲劇が起きていた。夜陰に紛れて筏の下に身を隠して接近した風魔衆により焙烙玉を投げ込まれた船団が炎上している。


里見勢は水軍を使い移動してきており、主力は小田原に上陸してしまっている。


そこへ、今川方に降伏したふりをしていた長浜城の梶原氏を中心とした伊豆水軍が攻め寄せたのである。


伊豆水軍は、この海域での夜間での訓練を繰り返し、夜間でも船を出せる能力があった為に出来た奇襲である。


里見勢は、当主である里見義堯と重臣たちが安房の国へ逃げ帰るのが精一杯であった。


武田勝頼は武蔵の国に守りとして真田昌幸、本多忠勝と兵2千を残し、進軍していた。


武田、上杉連合軍は敵陣に無数の火矢をお見舞いした後、一気に敵陣に襲いかかる!


武田勝頼は雑兵で逃げる者は追わず、とにかく兜首のみを狙うように配下には命じてある。


敵は恐慌状態の中で、風林火山と龍の軍旗に毘沙門天の旗を見たら恐怖どころではない。


恐怖は人の思考を狂わせるもので、武田信玄と上杉政虎が攻めて来たと思い込み、戦意喪失して我先にと逃げ出す者が続出している。


一方で、ここに至るまでの小田原城の様子であるが、

太原雪斎が使者として赴き、その際に北条幻庵より降伏の意向を伝えられ、持て成しとして酒宴を受けていた。


しかし酒好きの太原雪斎が上機嫌で酒を飲んでいた際に、その酒で赤くなった顔が真っ青になる。


そう太原雪斎が最後に見たのは、鬼の形相の死んだ筈の、北条氏康・・・・だったからである!


北条氏康は、これ以上憎き仇である太原雪斎が言葉を発するのを許すことが出来ず、その首に刀の一閃をお見舞いしたのであった。


北条氏康の傷は、風魔葵が小田原城に侵入した際に、武田勝頼の知識と技術、風魔葵の秘伝の技術を合わせた医療により、完璧に治療されていたのである。


そして小田原城の門が開き黄色八幡を先陣とした北条勢が打ってでたのである。


北条勢は今までの鬱憤を晴らすかの様な凄まじい勢いで今川勢に襲いかかる。


しかし、敵ながら恐ろしいのは今川義元である。


藤林長門守より、最初の連合軍の兵糧への攻撃の報告を受けた際に不穏な空気を感じ、今川勢本体を伊豆方面に後退させはじめていたのである。


そして、伊賀忍者達からの報告で武田勝頼と上杉政虎が現れたことを知ると、岡部元信と朝比奈泰朝を殿に今川勢は戦う前から駿河に向けて撤退したのである。


武田、上杉連合軍に対しては武蔵勢を盾にして、北条勢には殿を当てることで最終的に、今川勢だけは大きな被害を出すことなく駿河に撤退することに成功する。


太原雪斎が史実より長生きしたことにより、今川義元は増長せずに手強い戦国大名として成長していたのだった。



次の回で小田原城の戦いは決着を迎えます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ