風は西から
西方大陸アガリアレプト
アメリカ合衆国
アーカム州 州州都アダムズ・シティ郊外
在米自衛隊駐屯地
建前上はアメリカ合衆国のいち州であるアーカム州は、約20万人以上のアメリカ人が住む土地である。
西方大陸アガリアレプトの東端に位置し、州民の殆どが州都アダムズ・シティに住んでいる。
郊外には米軍基地が点在し、二隻の原子力空母『ジョージ・ワシントン』、『ロナルド・レーガン』が鎮座している。
『ジョージ・ワシントン』は燃料棒交換の為に日本を離れてる筈が、実施されることなく転移に巻き込まれたので通常動力のみの限定的活動しか出来ず、州都防衛に専念している。
『ロナルド・レーガン』も23年に一度の船体切断を伴う燃料交換工事が実施出来ずに『オペレーション・ポセイドンアドベンチャー』以降は騙し騙し使ってる状況だ。
この問題は原子力潜水艦にも当てはまるが、北サハリン共和国も同様で、日本に返還された千島列島新知島にソ連時代の潜水艦燃料棒交換施設があったことから解決している。
さすがに巨大な空母まで工事できる施設ではない。
アダムズ・シティの北側には、日本から派遣された在米自衛隊駐屯地が存在し、富士教導旅団、第1空挺旅団、第1特科旅団、水上戦群、水陸両用機雷戦群および哨戒防備群などで編成される水上艦隊といった部隊が駐留している。
派遣団兼駐屯地司令官野原博次一等陸将は、老齢だが席次が末席でこれが上がりの任務だと言われて昇進と引き換えにこの地に赴任したが、気苦労の大きさに後悔していた。
「また、『大学』の方で銃撃があったが、今度は何だ?」
『大学』とはその名の通りの教育施設と軍直属の研究機関を抱えるみすかミスカトニック大学のことであり、遺伝子の自由度が高すぎるこの世界において、やりたい放題生体実験を行っては毎年、脱走されて死傷者を出している。
「去年は細胞が無限増殖して、触手が自由に動き回って補食するワーム擬きだったか?」
副官の桜田二等陸佐に話を振るが、どこか楽しそうに答えてくる。
「フェリーに誘導して魚雷を爆弾代わりに爆発させて始末しましたが、本当に殺しきれたんですかね?
私が赴任した二年前は食糧用に遺伝子操作で巨大化させた肉食魚の群れでしたね。
大陸の大型モンスターが涙目で食われてましたから、何してんだ人類?
とか思ちゃいました。
今年は何ですかね?
私の予想では地上を徘徊する巨大肉食ウナギなんですが」
「何で楽しそうなんだよ。
まあ、調査はさせてるな?」
「リトルヨシワラで研究所の軍人から事情を吐露させてます。
精査までお待ちください」
1万人近くの自衛官が西方大陸アガリアレプトにいるが、これを上回る規模で、南方大陸アウストラリスの捕虜や日本人含む地球人、アウストラリス人の犯罪者で構成された第3更正師団も同地に駐屯している。
水晶湖と呼ばれる湖畔にキャンプさせて、一般人立ち入り禁止にしてバンガローや山小屋、トレーラーハウスに寝泊まりさせている。
アダムズシティと同時期に作られたことから一部が街化し、ダイナーに雑貨店、酒場、病院、保安官事務所まで存在する。
運営してるのは何れも第1更正師団、第2更正師団を生き残り、任期や懲役を明けた元死刑囚や終身刑の囚人達である。
全員戦死する事を望まれていたが、負傷などでとわうしても後送されて生き残ったのが少数だがいるのだ。
比較的刑期の軽い第3更正師団の囚人達とは格も強さも迫力も違った。
また、女性囚人のバイト先として、リトルヨシワラなる歓楽街まで存在する。
ここは米軍人もよく利用し、統合幕僚監部調査部別班がヒューミント(人的情報)による諜報活動と資金稼ぎの為に運営している非公式の公的なフロント企業だったりする。
情報が届いたのは退勤間近の時間で顔をしかめる野原一将に桜田二佐は笑顔で書類を渡す。
「次元跳躍の試作一号機から5号機?
根こそぎやらられるとは米軍の警備はどうなってるんだ。
しかし、これは噂には聞いていたが実用化されてたのか」
「ゴシップ程度の噂でしたが、召喚や転移の魔術が存在する上に異世界転移まで我々は身を持って体験しました。
ならば逆に地球への帰還、あるいは往還も可能ではないかと進められてきた研究です。
我が国でもやってましたし、不思議ではありません。
そして先年起きた『エルドリッチ事件』が遺した遺物や記録から試作型を完成させた用ですが、失敗作とあります」
「だから警備の薄い、研究所の倉庫に放り込まれてたと?
まあ、それはいい。
肝心なのは襲撃した連中だな」
「ここ数年、台頭してきた『帰還派』と呼ばれる地球出身者の一派です。
大半は地球時代のノスタルジーに浸ったり、帰還方法について考察するだけだったのですが、過激派が一定数集まり、団体と化したようです」
遠き故郷、地球に思いを馳せるのは野原一将にも理解できるし、思うところはある。
しかし、野原一将や桜田二佐は母国の日本ごと転移しており、地球と母国、或いは家族も生き別れとなった帰還派との温度差は確実にあると思えた。
「追跡の部隊は出ているようですが、支援者も少なからず居り、捕捉すら出来てないとか。
また、彼等のアジトに踏み込んだ部隊が、『エイルスイチカワ』というローマ字表記のメモが残されていて分析が進められています」
「何か変だな。
確かにこちらはヒューミントによる情報収集を行わせたが、そんなに喋るもんか?」
「別班もCIAからのリークじゃないかと疑ってる模様です」
「我々にも非公式に強力しろか。
だが我々は捜査機関でも諜報機関でも無い。
「統幕に情報は上げておけ、わしは帰宅する」
まともな日本人は日本人街、リトルオオエドという小さいのか大きいのか、良くわからない名称の町に住み、野原一将の官邸もそこにある。
「ああ、お帰りは気をつけて下さい。
帰還派とは別に不定形の生物の肉を溶かすスライムが研究所なら脱走したのでお気をつけて下さい」
「今年はそれかあ。
うちの手はいらないのか?
大きくなったりして手に追えなくなるとか大丈夫か」
例年のことなので二人は慌てもしない。
「液体窒素で凍結させて焼却するだけだから見つけるのだけ人手が欲しいと」
「3更の出番だな」
「連絡しておきます」
翌日、白骨化した第3更正師団の団員5名が発見されるが、特に関心も持たれず、ニュースに扱われることもなく、スライムは無事駆除されたとだけ報道で発表された。
更正師団最大の目的は口減らしだから扱いはそんなものだ。
緑の森を抜け、水晶湖キャンプ場という米軍すら追跡に二の足を踏む危険地帯を越えて、五人の高齢なアメリカ人は海岸線に到達していた。
「もうすぐだ。
支援者が用意してくれた漁船が……」
彼等は何れもアメリカ海兵隊の退役軍人だったが、在日米軍や在韓米軍所属ではない。
中東やインド洋、アフリカなど任務を終えて、アメリカ本国に帰還途中で日本に立ち寄り、異世界転移に巻き込まれた者達だ。
愛する妻子、年老いた両親、マイホーム、愛車、財産全てがアメリカ本国にあり、最も絶望を味わった同志であった。
「いた!!」
危険な海岸にボートを乗り上げ、沖合いには遠洋漁業に使える古いがそれなりの大きさの漁船が見えた。
「こっちだ!!
それが例の装置か?
実験は失敗だったと聞いているが大丈夫なのか」
アジア系の漁師とおぼしき老人は怪訝な顔をする。
「西方大陸は次元の揺らぐ場所が無く、必要な電力も足りなかった。
全てが揃う場所、日本まで頼む」




