66話 婚約破棄の結末《後編》
「ロベリア、私と結婚してくれ」
エリックは恥じらうように赤らめながら、どこまでも真摯な表情でロベリアを見据えていた。麗しい薔薇の花束をロベリアに差し向け、受け取ってほしいと目で訴えている。
「私と?」
この人は、いきなりなにを言い出したのだ?
あまりにも素っ頓狂な提案を理解するまで、ロベリアは瞬き二回ほどの時間を要した。だが、どうやら冗談ではないらしい。エリックのまっすぐとした迷いのない視線に赤い薔薇。よく見れば、彼の服装も夜会にでも出向くかのように、しっかりと着飾っている。シャツなど卸したてらしく、ぱりっと糊がきいていた。
「えっと……」
彼の見た目と行動、言葉はどこまでも真剣なのに、ロベリアは思考が停止してしまったかのように理解することができなかった。もう一度、まじまじと相手の様子を確認し、やっとの思いで口を開く。
「貴方、本気ですの?」
「本気だ!」
ロベリアが半信半疑に尋ねてみれば、エリックは怒ったように口を尖らせた。
「ロベリア。君と再び行動を共にし、改めて君の素晴らしさに気づくことができたのだ」
エリックはつらつらと語りだした。
「あれほど劣勢なのに、君は最後まで気品を失わなかった。諦めることなく、果敢に希望をつかみとろうとしていた。あれほどの輝きを持つ者に、いままでの人生において、一度も出会ったことがない」
最初こそ、「聖女の血を王家に入れたいから、こうも甘い言葉ばかりを囁くのか」とも思ったが、どうやらそれは違うようだ。エリックの口から放たれる言葉は、上っ面だけすくったものではなく、本心から真剣に考え、選び抜いた重みがあるように感じてならない。
本当の本当に、エリックは求婚しているのだ!
「ロベリア。君は、心から国を愛している。まさか、あそこまで熱心に周辺国との関係まで学んでいるとは思わなかった」
「当然です。婚約を破棄される前は、生涯をかけて貴方を支えていくと決めていましたから」
「そ、そうか」
ロベリアが言葉を返せば、エリックは嬉しそうに頬を緩めた。
婚約時代、エリックの今のような表情は一度も見たことがなかった。恥ずかしげに照れる顔も、心の底から嬉しそうな笑顔も、はっとするくらい真剣な表情も……これまで、一度も向けられたことのないものだ。
「っふ」
気がつけば、ロベリアは笑っていた。
「私、冗談かと思いましたわ」
「わ、笑いごとではない!」
「いえ、とても貴方らしいと思いまして。そういうところは、好感が持てますわ」
エリックは、良くも悪くも正直すぎる。自分の気持ちを隠すことができず、まっすぐ生きている。その点は、とても好ましいことのように感じた。
「では!」
「お断りさせていただきます」
ロベリアが気持ちを伝えれば、エリックは見るからに衝撃を受けたようだった。目が落ちそうなほど見開き、がつんっと頭を木槌で殴られたような顔をしている。本気で、ロベリアから断られることを想像していなかったらしい。
「な、なぜ……?」
「なぜと申されましても……」
ロベリアは愕然としている男を前に、自身の気持ちを正直に答えることにした。
「一度、婚約を破棄されましたし」
「し、しかし、あれは魅了にかかってしまっているときのことだ」
「そもそも、王族は魅了にかかりにくいものなのでしょう?」
王の話を聞く限り、王家の血を引く者は、魅了に一定の耐性があるらしい。事実、エリックは時折、「あれ、おかしいな」と思うことがあったというのだ。
「ルージュが接近しても、拒むことができたと思います。それに、我に返ることもありましたのよね?」
いくら魅了にやられていたとはいえ、あろうことか婚約者の部屋で婚約者の妹と昼日中から逢引きを行っていたことは事実。おまけに、手続きも踏まずに仕事を解任させ、家から追い出したのだ。そのような相手ともう一度、結婚したいと思うか? よほど心が広く、博愛と慈愛に満ちていない限り、答えは、否以外ないはずだ。
「それは……だ、だが、君に謝りに行く前に、再び魅了をされてしまって……それに、あのときは君の魅力に気がついていなかったんだ!」
エリックは一瞬だけ目を逸らす。しかし、すぐにロベリアと向き合うと、身体を前に乗り出し、必死で訴えかけてきた。
「前の婚約は父上が決めたものだ。政略結婚的な意味合いが強く、あまり関わる機会も少なかったし、君の素晴らしさに気づくことができなかったのだ」
「……分かりました。貴方はルージュに魅了されていたことを考慮したうえで、再度、お答えさせていただきますね」
ロベリアが呆れ交じりに言えば、エリックは途端に色めき立った。
「ああ、君を生涯愛する! この気持ちに嘘偽りはない!」
「謹んでお断りを申し上げます」
「ロベリア! …………え?」
「恋愛結婚をしたいのでしたら、なおのこと。私、貴方を伴侶として愛せそうにありませんわ」
エリックは、目が点になっている。ロベリアはいつのまにか膝の上に寝そべっていたナギの鱗を優しくなでながら、大きく肩を落とした。ナギが幸せそうに喉を鳴らす様子を見つめながら、ロベリアは言葉を続けた。
「私、貴方のことを恋愛対象としてみたことがありませんもの」
当初の政略結婚のとき、ルージュではなく、自分がエリックの婚約者として選ばれたことに喜びと誇りを抱いた。けれど、それ以上の感情はなかった。エリックにときめいたことはないし、王城で再会し、黄金の鐘を目指す道中も惚れることは一切なかった。
「エリック様は容姿が端麗な方ですし、嘘をつけない人ですから、好感は持てるはずなのですけど……ですが、何と言いますか……」
「ならば、必ず惚れさせてみせる! 結婚してから、仲良くなる夫婦も多いだろう?」
「はぁ……それから、大前提として、私はただのロベリア。クロックフォード伯爵家のロベリアではありませんわ」
「そこになにか問題があるというのか?」
「エリック様。この国は、一夫一妻です。それは存じ上げていまして?」
「当然だ。君以外の妻はいらない。愛人も作らないと約束する」
「……もう一度、言います。いまの私は庶民。クロックフォードの家督を継がず、家名も捨てた者。今の私達には、越えられない身分の違いがありますのよ」
「身分なんて……!」
「『身分なんて関係ない!』と、深く考えることなく、自分の気持ちを正直に公言できてしまう。純粋なところは美点だと思いますが、貴方は次期国王となられる御方。そのように浅薄では困ります」
ロベリアは言葉を選びながら話した。
「貴方を隣で支えていく王妃としての職務。私には荷が重すぎますわ」
貴族の社会はこりごりで、すぐにでも庭に戻りたいのだ。秘密の庭でお茶を飲みながら、自由気ままにのんびりと暮らしたい。
王妃としての仕事は、それとは真逆である。
ましてや、すぐに騙されやすく、ころっと魅了にかかってしまい、あれほど酷いことを言って婚約破棄させた相手が「破棄の取り消し? いいよ。全部、魅了のせいだからね、貴方は悪くないよ」と受け入れてくれると本気で思い込んでいる馬鹿王子を支えていくことを考えれば、絶対に断る要素しかない。
結婚したが最後、寿命が縮まるのは間違いなしだ。
「ただの庶民となった私ではなく、他に貴方にふさわしい方がいらっしゃると思います」
「そ、そんな……」
エリックはショックのあまり、顔色が青を通り越して白になっていた。必死に説得する材料を探しているみたいだったが、これ以上、付き合っても埒が明かない。エリックがどのような言葉を発しても、ロベリアの答えは決まっているのだ。
「御者様、止めていただけます?」
ロベリアはちりんっと鈴を鳴らす。ゆっくりと馬車の速度が緩まり、蹄の音が石畳を叩く音が止まる。それと同時に、ロベリアは立ち上がった。
「それでは、エリック様。いままでありがとうございました」
「あ……」
「さようなら、もう二度と会うことはないでしょう」
スカートの裾をつまみ上げ、丁寧にお辞儀をする。御者が扉を開けたのと同時に、ロベリアは軽快に馬車を降りた。たんっとブーツが石畳の地面を叩き、スカートがふわりと風で膨らんだ。
「ま、待ってくれ!」
エリックが薔薇の花束を握りしめたまま、席を立つのが見えた。
「行きますよ、ナギ」
「もちろんだ、主」
ロベリアはスカートを翻し、逃げるように走りだす。それと同時に、後ろから悲痛な声が貫いてくる。
「待て! 待ってくれ、ロベリア! 話せば分かる!」
エリックは他意なく叫んだ言葉だったが、ここは王都。明らかに王子と思われる男が赤い薔薇の花束を持ち、逃げる女の子を追いかける。それだけでも好奇の的となるのに、王子が求める女の子が噂のロベリアときた。
「ロベリア?」
「クロックフォードの!?」
「うそ!? どこどこ?」
「ロベリアさんがいるの?」
街の人たちの目が一気に集まるのを感じる。ロベリアは大きな荷物を抱えながら、ポケットから鍵を取り出した。
「主、こっちだ」
ナギが前に飛び出し、路地へと先導する。
ロベリアは路地に駆け込み、幾度か角を曲がった。大通りの人たちは狭い路地に入る前に飽和状態となり、少しだけ距離が開いた。その隙に、ロベリアは鍵で扉を出現させると、庭に転がるように飛び込んだ。
「はぁ……!」
ロベリアは扉を閉めると、その場に座り込んだ。足元の下草についた冷たい露、涼やかな緑と土の香りが胸を満たし、嫌な気持ちが浄化されていく。
「逃げきれたな」
ナギの短い手が、ロベリアの膝を触った。
「ありがとう。ナギのおかげですわ」
ロベリアはナギの小さな頭をなでると、彼は心地よさそうに唸った。
「礼はいらないさ。……まったく、あの王子。主の気持ちがまるで分かってないな」
「そうですね。ですが、そういうところが、あの人なのです」
きっと、彼の伴侶となる令嬢は苦労することだろう。陛下には、しっかりと次期王妃の選定を行ってもらいたい。
「ですが、花束は惜しかったですわ」
ロベリアは苦笑いをした。
見事なまでの赤い薔薇だった。きっと、王室御用達の花屋で仕入れた一級品だ。一輪一輪が拳ほどの大輪の薔薇で、花弁はフリルのように柔らかく、近くで見ても傷一つなかった。あそこまでの立派な薔薇がニ十本ほども束ねてあったのだ。
「特に、色が素敵でした。本当、はっと目が覚めるような赤色でしたわ。見事な赤色に、惚れ惚れとしてしまいました」
「む」
ところが、ナギは不服らしい。
エリックと話していたときは、余裕たっぷりに構えていたというのに、いまは深緑色の瞳を細め、口を尖らせていた。
「薔薇はいいだろ」
ナギはそう言いながら、ロベリアの前に回り込んでくる。
「それに……赤い色なら、主の目の前にもあるぞ」
ナギはぎこちない声で言うと、自身でも恥ずかしくなったのか、ふいっと視線を逸らした。そのままぐいっと背を伸ばし、人の姿になると、ロベリアが持っていた荷物を太い腕で持ち上げる。
「これ、運んでおく」
ナギは消え入りそうな声で呟くと、大股で家の方へ歩き始める。恥ずかしいことを言った自覚があるのか、赤髪の隙間からのぞいた耳が火傷しそうなくらい真っ赤に染まっていた。
「……っふ、ええ。そうね」
ロベリアはくすぐったそうに笑いながら立ち上がった。
「私には、ナギがいますから」
ナギの大きな背中を追いかけるように、ロベリアは歩き出す。一歩、また一歩と懐かしの庭に戻るにつれて、ふと王都の喧騒を思い出して振り返る。
扉はとっくに消え、いつも通りの樫の森が広がっていた。
ここにいれば安全だ。
もう二度と、王家のごたごたや貴族社会や政治に巻き込まれることはない。ナギと争いとは無縁な生活を送ることができるのだ。
「……なんだか、嫌な予感が……」
果たして、あれでエリックが諦めてくれるのだろうか。
「そのときは、そのときね」
火の粉が落ちてきたら、払えばいいだけだ。
夏の爽やかな風が吹き抜け、金髪をゆるやかに揺らした。
「主? 片付けが終わったらどうする?」
家の方から、ナギの呼ぶ声が聞こえてくる。
「いま行きますわ!」
ロベリアは夏の風を胸いっぱいに吸い込むと、やや駆け足で家へと戻るのであった。




