65話 婚約破棄の結末《前編》
黄金の鐘が鳴り響いてから、一週間後。
世界は変わらずに、いつも通りのときを刻んでいた。
庶民たちからすれば「祝祭でもないのに鐘が鳴ったのは何故だろう?」と思うのは当然だったが、翌日には王から御触れが出て「国に巣食おうとしていた魔物を退治するため」だと通達されたので、そういうことかと受け止められていた。
税率も元の状態まで引き下げられたことも、不満や疑問を解消する理由になった。
上流階級も、鐘を鳴らしたことに対しては、騒ぐことはなかった。
ほぼ九割、ルージュの魅了に汚染されていたことが大きく関係している。
恋人を放り出した者、婚約者を殺した者、浮気を笑って許容した者、ルージュの要求に答えるがままに多大なる財産を失った者……妻子に怒られる程度ですむ問題もあったが、人生を大きく狂わせた悲劇の方が大きい。
黄金の鐘を鳴らしたことに文句を言う者たちはなく、むしろ、ありがたいことだと感謝する声があがっていた。
「レベッカ。ついに、ルージュの罪状が定まったそうよ」
ロベリアはお茶を淹れながら話を切り出した。心を溶かすような香りが、レベッカの部屋に広がった。ごくごく普通の部屋なのに、お茶を一杯いれただけでお洒落な喫茶のように感じるのだから不思議なものだ。
この一週間、ロベリアとナギはレベッカの家に泊まっていた。
秘密の庭に帰ることもできたが、少なからず、レベッカは怪我を負っていた。ロベリアは彼女の怪我が癒え、ルージュに対する処分が下るまで、王都に残ることにしたのである。
「で、刑罰は?」
レベッカはカップに手を伸ばした。白い腕には痛々しい青い痣が残っていたが、かなり血色が戻ってきている。痣に触れない限り、痛みはほとんど感じないらしい。
「流刑よ」
「はぁ? 死罪じゃないの?」
レベッカは口に運びかけたカップを一旦離した。
「もしかして、馬鹿王子が恩情をかけたとか?」
「いえ、死ぬだけでは飽き足らないとの声が上がったそうですわ」
ロベリアはナギとティモシーにもお茶を渡す。
ナギは床に伏せていたが、すぐに足元に駆け寄ってきた。くんくんっとお茶の匂いを嗅ぎ、ゆっくりと飲み始める。
ロベリアはナギの姿を微笑ましく思いながら、レベッカとの話を続けた。
「ルージュの罪状をあげれば、百回死刑にしても足りないだったと。
だけど、ひとまず流刑にと。魅了の力はすでにないことが確認されてるし、刑吏がそそのかされることはないと判断されたそうよ」
それに、ルージュは声を薬で奪われていた。
たとえ、魅了が復活したとしても、声で人を惑わすことはできない。
「それに、彼女もセイレーンの被害者だから」
ロベリアがお茶を飲みながら言えば、レベッカは「そういうもの?」と不満そうに首を傾げたが、まあいいかと吹っ切ったように首を振った。
「それで? あの女はどこに流されるの?」
「サイハテ岬。そこの沖合にある島の灯台守として幽閉されると聞いたわ」
サイハテ岬は、用がない限り人っ子一人近づきたくない寂しい場所としても知られていた。ただの辺境ならば良いが、灯台といっても一部屋程度しかない小規模なもので、ほとんど床が海水に浸かっている。満潮時には二階にいても、足まで海水に浸かるほどだと聞いたことがあった。
「絶対に入りたくない監獄というわけか」
ナギが淡々と言った。
「あの女、反省はしないと思うぞ」
「そうかもしれないわ」
ルージュが反省する姿など想像できなかった。むしろ、自分をこのような最悪の土地に送り込んだ者たちを恨み、憎み続けるかもしれない。それこそ、聖女を恨んだセイレーンのように、復讐を虎視眈々と狙い続けるかもしれなかった。
「ただ、これが自分のしたことの罪なのだと分かって欲しい。それだけよ」
クロックフォード夫人が致命傷を負ったとき、ルージュはひどく動揺していたと伝え聞いた。自身の母親が殺されかけたことを本気で案じていたそうだ。自分以外の誰かを案じること。それは、ルージュにあって、セイレーンには最期までなかった感情だ。それが彼女の中に残っていれば、遠い未来、彼女が改心する日が来るかもしれない。
「希望的観測かもしれないけど」
ロベリアは自分も甘いものだと思っていれば、レベッカは次の話題を振ってきた。
「……ねぇ、あんたの家は?」
「クロックフォード伯爵家は、王の管理下に置かれています」
この話はあまりしたくないので、ロベリアはさっさと切り上げようとした。
「元をただせば、父がベガに手を出さなければよかった話。仮に、ベガと懇意の仲になったとしても、乳母などに置いておかず、さくっと手を切ればよかったのに……」
「でも、セイレーンだっけ? それの封印自体、あんたのお母様が破らなくても数年以内に破られていた可能性が高いって、専門家が証明したんでしょ?」
「あくまで、推測。事実は変わらないわ」
ロベリアはまだ少し熱いお茶を飲み干すと、片付けの支度を始めた。ちょっと無理して飲んだせいで、喉の奥がひりりと痛い。
「父は隠居という名目の幽閉。母は亡くなったし、他に家を継げる血縁関係者はいないわ。幼い頃、私を預かっていた叔父はもうこの世にいないし、実質的な取り潰しね」
新たな当主が決まったところで、クロックフォードに残るのは、かつて名門だった家名くらいだ。領地の運営は王家が介入することが決まっているし、残された財産はすべて被害者への負債や国庫を私的に使ったことへの返済にあてられている。
それでも、返し足りないのだから、いかにルージュたちが金を使いまくっていたのか分かる。我が異母妹ながら、ほとほと呆れてしまう。
「少し出かけてくるわ。ナギ、行ってくるわね」
ロベリアが言葉を投げかければ、ナギは跳ねるように駆け寄ってくる。そのまま、ぴょんっとロベリアの肩に軽快に飛び乗った。
「ちょっ、ナギ?」
「こうすれば、主が勝手にどこかへ行かない」
少し外に出かけようとすれば、いつもこうやって来る。よほど、置いて行かれたことを根に持っているのだろう。
「ごめんなさい。もう勝手にどこかへ行かないから」
ロベリアは苦笑いをすると、ナギの頭に指を近づけ、優しくなでた。ナギはくすぐったそうに笑い、やりかえすようにずいずいと鼻先を押し付けてきた。実に可愛らしい。ロベリアは噴き出すように笑いながら、玄関へと足を進めた。
「ロベリア、どこに行くの?」
「買い物よ。明日には、自宅に帰るつもりだから」
レベッカに手を振り、外へと出た。
相変わらず、日差しが強い。白い帽子を被り、ばれないように歩き出す。ロックベリーのような田舎ならさておき、ここは王都。上流階級の人間には、相も変わらず自分の容姿は伝わっている。ただ、以前と違うところは、ふとした拍子に帽子が脱げてしまったら、悪意ではなく好奇の目が飛んでくるということ。
「主が鐘を鳴らしたこと。正式に公表はしていないが、噂になっているらしいな」
「たしかに。そのようなことを、アーロンが言ってたわね」
クロックフォード家の者のなかで、ロベリアだけが罪に問われていなかった。
ロベリアが魅了に効く解毒薬の調合に成功したことは発表され、ルージュに最後まで抵抗し、王家を助けたものとして罪には問われなかったのだ。
「ドラゴンがエリック王子を目覚めさせ、王子が鐘を鳴らした、と。……王家を彩る逸話としては良い感じですわね」
「主の活躍がまったく伝わっていないが?」
「いまさら、目立ちたくありませんから」
聖女の末裔だと注目され、全世界から騒ぎ立てられるのは御免被る。
ただし、上流貴族のなかには「エリックが鐘を鳴らせたわけがない」という認識が強い。あきらかに魅了状態のエリックが自分の意志で鐘を鳴らせるわけがなく、ロベリアが鐘を鳴らしたのではないかとまことしやかに囁かれているのだ。
「……まあ、どうでもいいのだけど」
ロベリアは小さく息をついた。
これから、しばらくほとぼりが冷めるまでは王都に来ることは難しいだろうな……と思うと、新茶や少し高級な茶葉を買いだめたり、ナギへのご褒美にと五級の霜降り肉を購入してみたりと財布の口が緩んでしまう。
あれやこれやと買い物をし、ちょっと足が疲れた頃のことだった。
「ちょっと休憩でもしません?」
たしか、レベッカと訪れた喫茶店が向こうの通りにあるはずだ。そんなことを考えていると、ロベリアのすぐ隣に黒い馬車が停車した。家紋もなにも書かれていない黒塗りの馬車に、嫌な予感しかしない。ロベリアが不審に思って立ち止まれば、馬車の窓が開き、見知った顔がちらりと見えてしまう。
「……主」
ナギが心底嫌そうな声を出した。
「断れ。主と関係ない人間だ」
「……ですが、あとで理由をつけて呼び出されるのも面倒ね」
後日、わざわざ「秘密の庭」まで訪ねてこられるのも困る。
ロベリアは「あの黒い馬車に乗るお嬢さんは誰だろう?」とでも言いたげな周囲の目を一心に浴びながら、転がるように馬車へと乗った。
「突然、すまない」
ロベリアが口を開く前に、先方から謝罪をされた。
「本当は、しっかりとした書状を用意し、正式に招くのがしきたりだが……貴方は理由をつけて断るだろう?」
ご名答。
この男からの書状が来ても、忙しいだの理由をつけて断るつもりだった。幾度か顔を合わせてはいたが、無事に目覚めた陛下としか口を利かなかったし、アーロンが仲介に入ってくれていたので、直接話すことはなかったのだ。
「それで、エリック様。ご用件は?」
ロベリアは窓の外の景色に目を向けながら、さっさと本題に切り込むことにした。
「陛下から打診された、クロックフォードの家督を継ぐ件でしたら謹んでお断りしたはずです」
「いや、今日は父上と関係ない。私、個人の私用できた」
「私用?」
「私からロベリア……君個人に、伝えなければならないことがある」
もう一度、謝罪をするつもりだろうか? あの城で再会したとき、みっともないくらい青ざめた顔で頭を下げていた。それに、黄金の鐘を鳴らすことに協力し、ロベリアの目の前でルージュを振ったところを見た時点で、これ以上の謝罪は望んでいなかった。
「すでに謝罪なら受け取りましたわ」
ロベリアは小さく息を吐くと、エリックと向き直った。ここで、エリックの様子がおかしいことに気づく。謝罪を受けたときとは真逆に、頬が赤く染まっている。彼の手元に目を落とせば、奇妙なことに赤い薔薇の花束が握りしめられていた。
「あの……」
ロベリアは意味が理解できずに、小首を傾げる。
謝罪に出向く際、薔薇の花束を用意するのだろうか?
「エリック様?」
どうにも、エリックの様子がおかしい。そこから導き出される答えに辿り着く前に、エリックは咳払いをした。
「……ロベリア、私と結婚してくれ」




