63話 黄金の鐘を鳴らすのは?
螺旋階段は、どこまでも遥か高くまで続いている。
「はぁ……はぁ……」
ロベリアは息が上がっていた。
どれくらい階段を駆けあがったのか?
最初こそ、たったったったと軽快に進んでいたが、いつのまにか肩が激しく上下していた。心臓が破裂しそうで、視界も不規則に揺れている。喉はすっかり乾き、奥へと張りついている。
「進まないと……っ」
ロベリアは自身を奮い立たせるように呟いてみる。
ここで足を止めたら、二度と足が動かない気がした。
いくら庭仕事で鍛えたとはいえ、五階くらい勢いよく全力で登っているのだ。いい加減、足がストライキを起こしてもいい頃である。けれど、あとから追ってくるであろう、ルージュたちを思えば、足を止めるわけにはいけなかった。
かなり正気に戻っているとはいえ、エリックが再び魅了に落ちている可能性の方が高いのだ。
「解毒薬は……あと、ひとつ」
解毒薬は、ポケットに残された最後の切り札だ。エリックが魅了に落ち、再び裏切り襲いかかってきた場合、投与するタイミングも考慮しなければ……と、頭の隅で考え始めた、その矢先だった。
「……っ!」
階段下から、世界を無理やり引きちぎろうとしたような悲鳴が聞こえてくる。あまりに苦悶の叫びに、ロベリアは足を止めそうになった。
エリックが、ルージュにとどめでも刺したのだろうか?
いや、それにしては……
「なに、いまの」
まるで、虫が身体を這いずり回るような恐怖と威圧感を足元から感じる。
すぐ真後ろにあまたの戦場を蹂躙した戦車が迫ってくるような、いや、それの数十倍の気配だった。首元に鋭い刃を突き付けられているかのような恐ろしさで、腹の底から身体が急激に冷えていくのが分かった。
「うっ、くぅ」
想像を絶する恐怖に泣きそうになる。
ロベリアは、必死に奥歯を噛みしめて堪えた。少し先を見上げれば、螺旋階段の先が明るい陽光で照らされている。
きっと、ようやく頂上が見えてきたのだ。
あと、十数段。たった十数段なのに、足が鎖を巻きつけられたかのように重い。
「ぅ、十……九、八、……七!」
自分を鼓舞するように、残り段数を数えてみる。
「六……五、四……三、二、一!」
出口だ!
ロベリアは扉を開け放った途端、風が顔に強く吹きつけてきた。ロベリアは右腕で顔を覆いながら、その先の光景を見て言葉を失った。
黄金の鐘が浮かんでいた。
輝くばかりの夏の日差しを一心に浴び、殊更光り輝いて見えた。眩しすぎる青空に、この世のモノとは思えない純粋な金色は良く映えている。塔の下から見上げていたときも品のある鐘だと思っていたが、まるで真昼の清々しい青空に、もうひとつ太陽を見つけてしまったような感激だった。
「綺麗……」
言葉がこぼれる。
美しい。つい数秒前まで感じていた身体を壊しかねないほどの恐怖は拭い去られ、ただひたすらに見惚れてしまうほど……美しい黄金の鐘だった。
「っと、見惚れている場合ではありませんわ!」
ロベリアはぱんぱんと頬を叩き、気を引き締める。ベッドと机をおけば一杯になってしまうほどの空間しかなく、周囲を覆う柵もない。
ロベリアは突風で足を滑らせないように注意しながら、鐘に近づいた。
「触れさせるものか」
おぞましい声が耳元で聞こえた、と思ったときには、背後に人の存在を感じた。
「ルージュ、っ!」
振り返った瞬間、ルージュが剣を振るったのが見えた。間一髪、しゃがみ込むことに成功する。ロベリアは頭の上を剣が通り過ぎたことよりも、ルージュの異変に驚いた。
「貴方……?」
ルージュは、自ら剣を握ることはしない。自身が返り血を浴びるなんて、汚いことは、取り巻きに任せて当然だと考えている女だ。
そんな彼女が、ここまで殺意をむき出しにしているのは、どこか奇妙に思えて仕方ない。
先ほど、下の階から響いてきた恐ろしい声も気になる。
「本当に、ルージュ?」
ロベリアが睨むと、ルージュは妖艶に小首を傾げた。
「あらあら、さすがは聖女の末裔。察しが良いこと」
ルージュは、ころころと鈴が鳴っているような笑い方をした。
ロベリアは慎重に立ち上がると、身体をこわばらせた。
「……まさか、セイレーンが身体を乗っ取りましたの?」
「あら、あまり驚いていないようね」
「……ありえない話ではありませんから」
セイレーンを封印していた壺が割れたことで解き放たれ、クロックフォード夫人に憑依したと聞かされている。
ルージュに憑依しても、奇妙なことではない。
「ただ、どうして? という疑問はありますが」
ロベリアは動けなかった。
あと二歩、後ろへ下がれば、鐘に手が届く。鐘のそばにある槌を拾い、それで叩けばいい。ところが、一歩も動けない。足が地面に張りついたように、まったく動いてくれないのだ。疲労ではなく、ルージュに憑依したセイレーンのせいだ。一瞬でも目を離せば、今度こそ剣で首を切り落とされる。そこまでの緊迫感が、この国で最も高い建物の上を支配していた。
「貴方は、ルージュを愛していたのでは?」
一瞬でいい。
一瞬でも、セイレーンの気を逸らすことができれば、鐘を鳴らすことができる。
「ええ、愛していたわ。だって、私がいざというときに乗り移れる身体よ? 大切に育てないはずがないじゃない」
「……呆れた」
ロベリアは何気なく言いながら、様子をうかがった。セイレーンは余裕たっぷりに微笑んでいたが、ロベリアの指の動きから何まで見逃さないといったような様子だった。
「あら、ポケットに何かしまってあるの?」
その証拠に、小細工を仕かける暇も与えてくれない。ロベリアの指がわずかにポケットの方へ沈んだだけなのに、目ざとく指摘してきた。
「目がいいのですね。ルージュより、ずっと」
ロベリアは指を止め、本格的に身体を固くした。警戒心を壁のように張り巡らせ、こちらも相手の動きに注意を払う。なにせ、ここは十階以上の高台。この狭い空間から落下したら、間違いなく死んでしまう。
「では、どうして? 聖女の末裔を敵視するの?」
「封印されたからに決まっているでしょ?」
セイレーンは答える。
このような高所にいるにもかかわらず、まるでこの問答を楽しんでいるかのように、ゆったりと振舞っていた。
「私の力があれば、世界を意のままにできる。だからね、私に従わないものはいらない。たとえ、血を分けた娘でも」
「酷い話」
「なんとでもいいなさい。そして、必死に考えなさい。ここでは、貴方が圧倒的に不利。時間が長引けば長引くほど、ここでなにか異変が起きていることは皆が察する。そのとき、貴方は多勢に無勢」
ねっとりとした言葉は、まるで蛇が耳元で囁いているようだ。
ロベリアは、薄気味悪さとたとえようのない不快な気持ちで一杯になる。口を開いて反論したくても、悲鳴を挙げたくてたまらない。
「……っ」
ロベリアは目の前の魔物から目を逸らしたい気持ちを一心に堪え、彼女を懸命に睨みつけた。
「ふふふ、恐怖にモノが言えないでしょう? さあ、あがきなさい。苦しみなさい。もしくは、あきらめなさい。そうすれば……命までは、とらないであげる」
「よく、言いますこと」
なんとか、その言葉だけ口にする。
命まで取らない?
そんな約束、この女が守るはずがない。たとえ、命は奪われなくても、死ぬより辛くて苦しい目に落とされるに決まっている。目の前で、レベッカやフローライト、ジェイドやロックベリーの街の人たちが魅了され、ルージュを狂ったように賛美する姿を見届けるくらいなら、命を張って戦い、死んだ方がましだ。
だが、これでは本当に無駄死になってしまう。
これだけ頑張ったのに、知恵を振り絞ったのに、何も変えることができずに終わる。
「私は……」
ロベリアはくたびれた頭に鞭を打ち、精いっぱい思考を巡らせた。それをあざ笑うように、セイレーンは甘い言葉を投げかけてくる。
「いくら策を考えても変らないわ。いい加減に諦めなさい。諦めれば、楽になりますよ」
「そんなこと……」
できない、と反抗する口すら重い。吹きすさぶ風がわずかに残った体力も奪おうとしてくる。寒気と疲労、空腹が身体を支配し、刻一刻と倒れそうになるのが分かった。
「……絶対に……」
だけど、諦めることだけはできない。
「私は……帰りたい」
森の奥へ。
ひっそりと隠された「秘密の庭」へ。
そして、いまもきっと自分を待っている……世界で一番大好きで、誰よりもカッコよく、誰よりも可愛いドラゴンに、思いっきり抱き着きたかった。「一人で黙って行動してごめんなさい」と謝り、これからも一緒にのんびりと暮らしたい。
畑を耕し、作物を収穫し、ブケファロスたち家畜たちと触れ合いながら、たまにフローライトたちが遊びに来てくれて……ゆったりと流れる時間の中で、ナギとお茶を楽しみたい。
今ここで諦めてしまえば、ナギとは二度と会うことができない。これまでの日常を望むことができないのだ。
「だから、負けられない……貴方には、絶対に!」
「……そう。残念」
セイレーンは、興が覚めたような冷たい声で言う。
「つまらない」
セイレーンは剣を構えた。
避けようにも、逃げる場所がない。せめて、傷を受ける場所だけは変えてやろうと覚悟を決めた。急所ではなく、肩や腕のあたりなら、まだなんとかなるはずだ。そう意気込んで、目を大きく広げた。
「なら、もう死になさい」
セイレーンは冷徹な眼差しのまま、無慈悲に剣を振り下した。




