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62話 化けの皮

後書きに、お知らせがあります

「そ、それがなによ」


 ロベリアの糾弾に、ルージュは明らかにうろたえた。


「見なさいよ、私のお腹! ほら、膨らんでいるじゃない! それに、私は絶対に転ばないから、どんな靴を履こうが勝手でしょ!」


 ルージュは自身の腹を主張するように叩いた。

 たしかに、ロベリアの記憶より膨らんではいるが、命が宿っている重みを感じない。ましてや、ルージュの腹部の叩き方は、赤ん坊を気遣う母親のものとは到底思えなかった。


「ロベリア……まさか、ルージュが妊娠したというのは、嘘だった、ということか?」


 エリックが信じられないと青ざめると、ルージュはすぐに違うわ!と首を振った。


「お姉さまのでたらめよ! エリック様、私の目を見て。私の声に耳を傾けて!」

「私が母親であれば、我が子を少しでも危険にさらす真似はしません。自分では身を守ることができない胎児であれば、なおのことです!」


 ロベリアは、ルージュの声をかき消そうと声を張り上げる。セイレーンが見た目と声で誘惑するというのであれば、せめて耳からの魅了だけでも防ごうとした。


「ところで、エリック様。彼女が新調したドレスをご覧になりました? マタニティ仕様でしたか?」

「い、いや、違った」

「エリック様、違うわ! ドレスはね、この子を出産してから着ようと……」

「今年の流行だと、君は言っていた」


 エリックは困惑しながらも、どこか冷ややかな声だった。


「今年の秋流行のドレスを……君は着ることができない」

「……と、おっしゃっていますが?」


 ロベリアは目を細めて、初めて狼狽する妹を軽く睨む。ルージュはすぐに言い返すことができず、ぱくぱくと口を動かしている。


「私は……なぜ、気づかなかったんだ?」


 エリックは唖然としていた。


「私は、おかしかった。なぜ、おかしいと思わなかった? ルージュ、君は妊娠が分かってからも、夜会に出席していた。ともに踊り、他の男性の手も取っていた。私がプレゼントした、そのヒールを履いて」

「……エリック様、それが魅了の恐ろしさです」


 ロベリアはルージュから目をそらさずに答える。


「ルージュの虜になった者は、彼女を称賛するだけの存在に成り果ててしまうのです」

「この目で見るまで信じられなかったが……ルージュ、君は、私を……利用していたのか? 愛していたわけでは、なかったのか?」


 エリックの言葉は、捨てないでとすがる子どものようだった。だが、エリックはすでに真相に辿り着いている。彼の目は猜疑の色で満ちていたのだ。


「そんなわけないわ」


 ルージュは声を震わせた。目元にうっすらと涙を浮かべながら、ふらふらと壁へ後退する。


「ごめんなさい。私、エリック様と添い遂げたくて嘘をついていたの。だって、こうでもしないと、お姉さまと結婚してしまうでしょう? 私、それが嫌で……」

「……そうか」


 エリックは短く答えた。様々な感情が入り混じっている重たい言葉だった。


「エリック様」


 ロベリアは横目で制するように見る。

 エリックは、一気に十歳ほど年を取ったような顔で、寂し気に呟いた。


「ルージュ。私は……、君を信じることができない」

「そんな、どうして? あんなに、愛し合ったのに……!」


 ルージュは顔をひきつらせた。じっくり手懐けた飼い犬(エリック)に噛まれるとは、まったく予想していなかったに違いない。いまも何が起きているのか分からないとばかりに、目を白黒させている。


「私と本気で婚約をしたいのであれば……妊娠したと偽るべきではなかった。たとえ、そうだったとしても、こんな形で明かしてほしくはなかった」

「で、でも……そ、そうよ! お姉さまが魅了を使ってるの! お姉さまが魅了を使って、エリック様を誑しこんでいるのよ!」

「ルージュ、いい加減にしてくれ!」


 エリックは金切り声を上げた。これまでの我慢や鬱憤を一気に吐き出したような叫び声に、ルージュも目が点になる。


「私だって、君を信じたい! 君のことが一瞬でも好きだった! 可愛いな、と思っていたさ! だが、これはないだろ! 私を騙して楽しかったか? どうなんだ!」

「エリック様、違うの。私、騙していたわけじゃ……」

「ならばなぜ、セレスティーナを幽閉したんだ! 私のドラゴンを遠ざけた? いや、理由を聞かなくてもいい。もう、たくさんだ」

「エリック様、待って、私の声を……」

「くどい! ロベリアが鐘を鳴らせば、すべてが分かる。もし、君が魔物の血を引き、魅了とやらで人を惑わす者でなければ……鐘を鳴らしても、なにも問題はないはずだ」


 エリックは決別するように宣言すると、ロベリアの手を握った。


「行こう、ロベリア。鐘を鳴らすんだ」


 エリックはそう言うや否や、ロベリアを螺旋階段へ押し込んだ。そして、自身は扉を閉めようとする。


「内側から閉めれば、お前たちは追って来れないだろ!」


 エリックは得意げに閉めた――が、細い腕が押し込まれる。


「逃がすものか!」


 セイレーンの手だった。麗しい顔を狂気に歪め、忌々しそうにロベリアたちを睨みつけている。


「何百年と待った。この好機、逃すわけにはいかない」


 気品のある声のはずなのに、地獄の底から響いてくるような恐ろしいものだ。


「くっ、ここは引き受けた。ロベリア、走れ!」


 エリックは剣を引き抜く。


「少しでも時間を稼いでみせる! 私が鐘を鳴らしても意味がないのだろ?」

「では!」


 ロベリアはエリックの決意を聞くと、彼に背を向けて階段を上り始めた。

 レベッカ、ティモシー、アーロンにエリック。彼らが自身をここまで導いてくれた。こんなところで、立ち止まってはいられない。


「必ず、鐘を鳴らしますわ!」


 ロベリアは自分に言い聞かせるように、はてしなく長い螺旋を駆けるのだった。





「……即答、だったか」


 エリックは卑屈な声を出していた。

 ロベリアはこちらを振り返りもせず、一瞬たりとも迷うことなく螺旋階段を駆け上っていく。信頼されていると思うべきか、これ以上、エリックに構っている場合ではないと判断したのか。


 おそらく、後者だろうな……と、自嘲する。


 たった数十分前のことなのに、アーロンに 「貴方の大切なものが待っています」と言われ、強引に執務室から連れ出されたことが、遠い昔のようだった。


 セレスティーナと再会し、ロベリアへの罪悪感を突如として思い出し、あれよあれよという間に事態が真逆に変わっていく。何がどうなっているのか噛みしめる間もなく、ついには愛を誓い合った相手が嘘をつき続け、国を乗っ取ろうとしていた悪女だと知ってしまった。


「いや、悪女よりたちが悪い。魔物だったとはな!」

「し、信じて! お母さまは気がおかしくなってるだけなの」


 セイレーンとしての本性を現したクロックフォード夫人に対し、ルージュは血の気の失せた顔で彼女を庇おうとしていた。


「私たち、魔物ではないわ! お姉さまの方が、みんなを惑わして、こんな混乱を巻き起こした悪女なの!」

「ロベリアは悪女ではない」


 エリックは断言した。


「賢い娘だ。美しく、可憐で、賢い。そして、この国を愛している」


 東塔から西塔まで逃げてくる最中、彼女の素晴らしさに気づいた。むしろ、いままでどうして、彼女の身の内からあふれ出す魅力に気付けなかったのだろうかと、己を愚かに思う。


「彼女ほど、この国の王妃にふさわしい者はいない。ルージュ、君ではないんだ。少なくとも、君からは……誰かを愛している気持ちが感じられない! たあっ!」


 エリックは、ルージュに向かって剣を振り上げた。ルージュは避けようと横に足を踏み出したが、ヒールのせいで足元が揺れ、床に倒れてしまう。エリックの剣先は、ルージュの腹のあたりの服を切り裂いた。


「……やはり……」


 エリックの口から悲し気な言葉がこぼれた。

 ルージュの腹にはほっそりとしており、布を幾重にも巻き付けていた。



 つまり、本当に妊娠などしていなかったのだ。


「流れたと偽るつもりだったのか? 情けない。ここまで見事に騙されていたとは……だが、それも終わる。お前たちには、しばらく気を失ってもらう。抵抗をしないと約束するのであれば、おとなしく縄に――っ!」


 エリックが最後まで言い切る前に、クロックフォード夫人が前に飛び出して来た。ナイフを握り、エリックの心臓を狙っている。あまりに唐突の攻撃に、エリックは手加減できずに思いっきり、彼女の腹を穿ってしまった。


「ごほっ」


 夫人の紫色の口から血の塊が溢れだす。


「しまった!」


 エリックの目の前から色が消えた。時間を稼ぐつもりではあったが、殺すつもりではなかったのだ。エリックが急ぎ剣を抜くと、夫人の傷口からじんわりと血が滲みだす。夫人は足から力が抜けたように倒れ込むと、そのまま生気の薄い目でエリックを見上げた。


「な、なにも、殺すつもりでは……こ、こんなとき、どうしたら……」

「お母さま!」


 エリックが動揺していると、ルージュが夫人に駆け寄った。


「お母さま! お母さまぁ!」

「……ろべ、りあ……?」


 夫人の目の焦点が徐々に合い、ルージュに向けられる。


「まあ……おかしいわ……ずいぶんと、おおきくなって……」

「え……?」


 ルージュの顔から感情が消えた。しかし、夫人は気にすることなく、むしろ、どこか嬉しそうに彼女の頬へと手を添えた。


「わたしね……わるい、夢をみたの……あなたが、いなければ……旦那様が、ベガと出会っていなければ……わたしは、本当の夫婦になれたかも……しれないのにって」

「なにを、言ってるの?」

「そんなことを……考えていたから……ばちが、あたったのね。とても……とても、こわい夢。わたしが、壊してしまった壺の魔物に、身体をのっとられる夢……」


 夫人の瞳には、うっすらと涙が滲んだ。


「夢で、よかった……でも、まだ、夢をみてるのかしら……」


 夫人は小刻みに震えるほとんど骨が浮き出ている指で、ルージュの金髪に触れた。


「わたしの、かわいいロベリア(・・・・)が……こんなに、大きくなって……」

「ひぃ、ち、違う。違う! 違う! 違う! 違う! 私は、ロベリアじゃない!」


 先ほどまでの母親を案じていた娘の顔は消え失せていた。ルージュは世界中の不快と恐怖を一心に浴びたような表情を浮かべると、夫人の手を勢いよく払う。


「私はルージュ! ルージュ・クロックフォード! ロベリアなんかじゃない! あんな、なにをしても全然ダメな聖女の末裔じゃないわ!」


ルージュは実の母親に対し、おぞましいものでも見たかのような声で叫んでいた。


「……」


 幸か不幸か、その叫びは夫人に届かなかった。手を払われる直前、すでに夫人の目から生気は完全に消えていたのだ。紫色の唇は、もう二度と言葉を紡ぐことはない。


「……まるで、息絶える前だけ正気に戻ったようだったな」


 エリックはいたむように呟いたが、その声すらルージュには届いていないようだった。


「そうよ、私はルージュ! 完全無欠の可愛い女の子! 聖女の末裔なんかより、ずっとずっと勝ってるんだから! 何もかも! なんで、なんで、勘違いするのよ!」


 その姿は、あまりにも惨めに見えた。可憐な花として貴族社会で愛されてきた少女とは到底思えない、無残にも捨てられた子犬のようだ。エリックは、さすがに慰めようと口を開こうとした。



 そのときだった。


『ええ、そうよ。聖女の末裔より貴方は勝ってる』


 艶気を含んだ低い声が、どこからともなく聞こえてくる。

 エリックは血に濡れた剣を握りなおし、警戒を強めた。


「誰だ!」

『ルージュ、私の可愛い宝石(ルージュ)。この女の身体では登れないけど、健康な貴方ならいけるわ』

「こ、この声は……お母さま? なにを言ってるの?」

『前々から思っていたのよ。貴方の身体は宝石みたいに素敵ねって。そこに転がる女よりも美しく、まだまだ若い。頭が軽いところもあるけど……もうどうでもいい。だって、私が使ってあげるから』

「え、待って。なに、きゃあああああ!」


 ルージュは突如としてもがき苦しみだした。手入れの欠かしたことのない自慢の指で喉をかきむしり、白目をむいて叫びだす。身体が千切れるのではないかと思われるほどの叫び声に、エリックは圧倒されて助けることもできずに固まってしまう。

 やがて、その声もおさまり、ぐったりとルージュは倒れ込んだ。


「る、ルージュ?」

「……ふふ、ふふふ」


 エリックがおそるおそる声をかけると、ルージュはゆらりと立ち上がった。見た目は変わらない。これまで通り、狂乱ぶりが嘘だったかのように笑っている。見た目は、可愛らしい花のような少女だ。しかし、その優美な微笑みには、これまでの比ではない怪しげな色がちらついていた。


「お前、ルージュではないな!」

「答える義理はない。貴方が目覚める頃には、すべてが良い方へ終わってるのだから」

「なにを……っ!」


 エリックは問いただそうとした口を閉ざしてしまった。我に返ったときには、剣は手の届かない場所へ落ち、冷たい床に転がっている。


「あれ……なに、を……していたんだっけ……」

「また正気に戻られると面倒だから、貴方はそこで寝ていてくださいね」

 

 ルージュの蠱惑的な声が降ってくる。疲れ切った身体に、優しくしみこんでいく声は、非常に心地が良く、なにもかもどうでもよくなってきた。


「……ああ、わかった……」


 エリックは、ルージュに言われた通りに目を閉ざす。



 いままで、なにをしようとしていたのか



 目の前で何が起きたのかも忘れ、ただただ眠りに落ちていった。






「伯爵令嬢はドラゴンとお茶を嗜む」の2巻発売が決定しました!  

 4月15日前後にMノベルスf(双葉社)様から出版されます。


 詳しい概要につきましては、次回の更新(3月27日 土)をお待ちください。

 2巻が出版できるのも、読者の皆様のおかげです。本当にありがとうございます!

 今後とも、web版・書籍版共々よろしくお願いします!





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[一言] エリック氏…頑張った…けども… 母上どうか安らかにぃ 2巻発売決定おめでとうございます!! 待ちきれませんっっ
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